Position | Rider | Time |
1 | ケニー・ロバーツ | 1.53.49 |
2 | フレディ・スペンサー | 1:54.00 |
3 | マルコ・ルッキネリ | 1:54.65 |
4 | ランディ・マモラ | 1:54.96 |
5 | エディ・ローソン | 1:55.00 |
6 | マーク・フォンタン | 1:55.23 |
7 | ロン・ハスラム | 1:56.39 |
8 | レイモン・ロッシュ | 1:56.86 |
9 | ディディエ・デ・ラディゲス | 1:58.20 |
10 | アントン・マンク | 1:58.37 |
Result | Rider | Machine | Time | Point | Total | Ranking |
1 | ケニー・ロバーツ | YZR | 48:16.63 | 15 | 142 | 2 |
2 | フレディ・スペンサー | NS | 48:17.86 | 12 | 144 | 1 |
3 | エディ・ローソン | YZR | 48:23.99 | 10 | 78 | 4 |
4 | マルコ・ルッキネリ | NS | 48:36.02 | 8 | 48 | 7 |
5 | ランディ・マモラ | RGγ | 48:42.71 | 6 | 89 | 3 |
6 | マーク・フォンタン | YZR | 48:43.24 | 5 | 64 | 6 |
7 | レイモン・ロッシュ | NS | 48:43.82 | 4 | 22 | 10 |
8 | ブット・ファン・ドルメン | RGB | 49:50.72 | 3 | 3 | 16 |
9 | ロン・ハスラム | NS | 49:55.20 | 2 | 31 | 8 |
10 | アントン・マンク | RGB | 50:05.43 | 1 | 2 | 18 |
スペンサーは2位に入れば、そしてロバーツは優勝しスペンサーが3位以下ならば、
というそれぞれのチャンピオン獲得のシナリオである。
ロバーツはスペンサーを3位に抑える為にはエディ・ローソンにそれをゆだねるしかない。
ヤマハは250でチャンピオンを決めたカルロス・ラバードにもYZR500を与えるが、
練習中にクラッシュ骨折。期待はやはりエディ・ローソンひとりにかかった。
またもスタートで飛び出したのはスペンサー、ロバーツは1周目を3位で帰ってきた。
気になるローソンは6番手だ。その後ロバーツは3周目にルッキネリをパス、スペンサーの
NSよりトップスピードに勝るYZRは8周目にスペンサーをもパスする。
ローソンは未だルッキネリを抜きあぐんでいる。やっと17周目に抜けた。3番手に浮上した。
ロバーツはスペンサーを抑えながら、ぎりぎりまでペースを落とし、ローソンが来るのを待つ。
しかしローソンはスペンサーの背後に迫ることは出来なかった。
いつものようにウイリーでチェッカーを受けるロバーツ。続いてスペンサー、6秒遅れてローソンが
戻ってきた。史上最年少チャンピオンの誕生した瞬間だった。
表彰台に登った3人のアメリカンの表情は三者三様であった。
そこにはロバーツの長男「ケニー・ロバーツ・ジュニア」の姿もあった。
右がスペンサー。左がローソン。中央がロバーツ。そして中央の子供がジュニア。
このときJr.は将来この表彰台の真中に自分が立つことを想像していたのだろうか?
片山敬済はランキング3位のかかった最終戦を、練習中に転倒、右足2ヶ所と背骨を骨折し、
欠場を余儀なくされた。結局ランキング5位に下がってしまった。
片山のマシンにはロッシュが乗った。
しかし、開幕戦と最終戦の怪我が無ければ、スペンサー、ロバーツに次ぐ速さは片山だった。
そして、ロバーツはこのレースを最後に世界グランプリから引退した。
Good by King Kenny …
Result | Rider | Machine | Time |
Point | Total |
1 | マウリツィオ・ビターリ | MBA | 43:13.08 | 15 | 59 |
2 | ハンス・ミューラー | MBA | 43:17.23 | 12 | 43 |
3 | ピエ・ルイジ・アルドロバンディ | MBA | 43:20.20 | 10 | 30 |
4 | アウグスト・オウインガー | MBA | 43:21.50 | 8 | 30 |
5 | ピエ・パウロ・ビアンキ | サンベネロ | 43:22.48 | 6 | 40 |
6 | ゲルハード・ワイベル | MBA | 43:57.48 | 5 | 22 |
7 | ハンク・ファン・ケッセル | MBA | 44:06.35 | 4 | 12 |
8 | ウイリィ・ペレツ | MBA | 44:26.70 | 3 | 16 |
9 | エリック・クレイン | MBA | 44:40.90 | 2 | 6 |
10 | アントン・ストラバー | MBA | 44:41.40 | 1 | 1 |
イタリア人のビターリがGP初優勝を自国で飾り、ランキングも4位に上がった。
チャンピオンが決定しているニエトはやる気の無いレース運びで、15周目にリタイアした。
そしてラザリーニも予選で転倒骨折し、ガレリ勢全滅。
メーカータイトルをMBAに持っていかれた。
ニエトとガレリの強さが印象的な83年125クラスだった。
Result | Rider | Machine | Time |
Point | Total |
1 | リカルド・トルモ | ガレリ | 31:06.67 | 15 | 25 |
2 | ステファン・ドリフリンゲル | クライドラー | 31:50.90 | 12 | 81 |
3 | クラウディオ・ルザルディ | ビラ | 32:05.55 | 10 | 38 |
4 | ツェオ・ティマー | ブルタコ | 8 | 17 | |
5 | ヘイゲン・クライン | FKN | 6 | 33 | |
6 | ハンス・スパーン | クライドラー | 5 | 34 | |
7 | ジェゼッベ・アスカレッジ | ミナレリ | 4 | 4 | |
8 | オットー・マシネック | クライドラー | 3 | 6 | |
9 | パオロ・プリオリ | パウロッチ | 2 | 2 | |
10 | レイナー・シェダウハー | クライドラー | 1 | 17 |
世間の注目はロバーツとスペンサーの500対決に集まったが、
どっこい、50も一騎打ち全くのイーブンで最終戦を迎えた。
ところが、ひょんな落とし穴が仕掛けられていた。
ラザリーニが125予選中に転倒、鎖骨を骨折してしまった。
欠場を余儀なくされたラザリーニをあざ笑うかのように、
ドリフリンゲルはレースを2位で終え、2年連続チャンピオンを決定した。
そして、歴史に刻まれる50クラス永遠のチャンピオンになったのだ。
最終戦にしてこの2人以外のウイナーが生まれた、トルモだ。
彼も、かつてのチャンピオンで、WGP50最後のレースのウイナーとなった。
1984年からは50ccに代わり80ccクラスが新設され開催される。
ひとつの時代が終わり、新たな時代を迎える。