戸高雅史 チョモランマレポート



ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
日本FOS チョモランマ登山隊 1997」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbV−2 H9.10.30 発行 < NO.5より>    <最終ページ>

 戸高優美

  私たちがチベット入りした頃、麦畑は緑の風にふかれていた。9月中旬、麦は黄金色に輝き、広大な大地にど
こまでも続く。すきを持ち上げ、穂を大空へほおる。馬、ヤク、ロバ、大人も子どもも総出の農作業。BCからラサま
で2日間、田園ののどかな風景を真横に眺めながら車は走る。標高3650mチベット最大の街、ラサ、チベット語で
「神」「土地」という意味、1959年第2次世界大戦後、中国が領土宣言し、武力衝突がおきるまでチベットは独自の
仏教政権、経済、文化を開花させた宗教国家だった。現在ダラィ・ラマ十四世はインドに亡命し、中国化が進み、
その昔栄えていた仏教王国の姿は限られた場でしか見ることができない。街はきれいに掃除されていて中華レスト
ランが立ち並び、マウンテンバイクが走る。思っている以上に中国化し都会的だった。
 快適なホテルの滞在は2回目の遠征への気分を切りかえるのに必要な睡眠と栄養をとることができるものだった。
あとーヶ月と思うとやはり長いが、東京の事務局、九州の橋本後援会長、そして戸高の卒業校、福教大の後援会と
直接やりとりできたことはうれしいことだった。戸高が大分の実家に電話をし、お母さんが出て、状況を説期すると
「はあ、そうかわ、もう帰って来なあ。」と速攻で答え、彼が「母ちゃん、山はこれからじゃきぃ。」と話しているのはお
かしかった。ラサでの4日間はツーリストをした。2日間はどこへもでられずダウン。
 3日目、明治〜大正時代にかけチベット仏教を学んだ河口慧海、多田等観が滞在していたセラ寺を訪ねた。壁
画にかかれているマンダラ、仏殿、木彫等の仏教芸術は見事なものだった。マニ車(1回まわすと経典を読んだこ
とになる)を回し、念仏を唱える老人や家族連れの人々に交じり巡礼をする。薄暗い寺にバター灯の明かりは仏像
を生かし、人々の祈りが作り出す気に心が落ち着く。怒り、不安、緊張もなく、小さな心が体の中心に座るよう。
 茶屋に入ると五、六歳の孤児たちが椀と箸を持ってテーブルをまわっていた。巡礼者たちが惜しげもなく笑顔で
飯を盛る、くったくがない子達。私たちの席に来て、ちょこんと座り、戸高が見ているガィドブックを覗き込む。釈迦
像の写真が現れると額をつけて祈る。「ポタラ・セラ」と片言で話してくる。鼻をたらし、服はやぶけやぶけ、全くお行
儀なんてないたくましい子供たち。この孤児たちの無邪気さ、自由さ、明るさは彼らの存在をまったくやさしく受け入
れてくれるチベットの人達のふれあいにあるのだろう。おもいやる心がしぐさや行動として現れ、実際に孤児たちが
育つ環境にあることはチベットの人の心の豊かさをあらわしている。
 4日目はポタラ宮に行った。正門からではなく外国人専用の門からはいった。仏像、ダライ・ラマたちのミイラはど
こかはかなく哀しく見えるものだった。僧ではなく軍服を着た人が立っていた。優れた仏教文化が現在も伝承され
ていたとしたらチベットはどんな国家を築いていただろう。何百人という僧たちが祈る読経の中でこの仏像を見たと
したら・・とガランとした堂に立ち、ふと思う。私が戸高に生きていて欲しいと思うのはこれから先どんな人になってい
くのか興味があるからだ。生意気なようだが、人が生きることの何か根本的なものを説いていくように思えるから。
 ポタラでは3つの仏像が並んだものが多かった。過去、現在、未来の仏である。彼の現在はいつも未来に向って
いる。時々追いつけないこともあるが、もしかすると彼自身が人間本来の生のルーツを探っているからなのかもしれ
ない。彼は一人として成熟した知性を伴う大人になっていくが、心はより純粋に無垢になっていく。雪崩のことで登
山に関して心配もしたが、自己の向うものを自覚し、目覚めたことは大きな意味があるのだろう。明日からべース入
り、人の渦にのまれることなく在りたいと思う。

9月23日 晴天 強風
 ラサから無事BCに到着。ドルジェにより北西壁ABCの荷下げは済んでいた。ラサ出発時、戸高にはめずらしく
厳しく叱ったこともありドルジェの態度は変わっていてまぁまぁやっていけそうだった。夕食時、シェルパ、コックとひ
っきりなしにやってきて戸高がいつABCに上がるかを聞きに来る。なんでそんなに人のことが気になるのだろう。こ
れまでの静けさは存在しない。夜はラジオや笑い声がうるさい。明日は遠くにテントを張ろうと話し、少し疲れて寝
袋に入る。

9月24日 晴天 強風
 チョモランマが全望できる晴天である。しかしこの1週間、天候は良いが上部は強風が吹き荒れ、山にとりつくこと
はできなかったという。頂上雪稜は雲がたなびく。私たちは10月15日までアタック待機と決めたが、9月末のワン
チャンスのみで帰りのジープを手配した隊が出てきた。結局、1カ月以上の遠征になるとシェルパの気持ちがもた
なかったり、この強風続きの天候では登頂の可能性が低くいこと、金銭的なトラブルが生じているようだった。BCは
俗的な人間関係がはびこっている。私にとってはドルジェとの関係が心を憂欝にさせる。彼にとって、戸高の登山
が理解できないこともあるだろう。高額な資金を要するヒラヤに来て登頂主義でない登山スタイル。晴天でもフィー
リングが合わなければ山に上がらず、強いシェルパのいるスイス隊から合同でやろうとの申し出を断ることは、みす
みすチャンスを逃すことだと思うだろう。それでも、登る為に遠征期間はどんどん伸びていく。1カ月半のつもりで来
ている彼はいい加減にしてほしいところだ。
 ヨーロッパ人は人を使うことに慣れている。私たちは相手が学ぶ目、知ろうとする意識と相手を尊敬する気持ちを
もたない限り、本当に通じるコミュニケーションは成立しないだろう。ドルジェにとっては北西壁ABCでコックという
仕事以外の関係は彼にとってはストレスになっていたのだろう。私たちが彼に感情移入しすぎたようだ。

9月25日 晴天 強風
 夕食をスイス隊のMrジャン・トロワレのワイフ、Mrsミハイルが招待してくれた。メンバーは23日からABC入りしア
タック体制に入っている。30歳前半の落ち着きのある美しい人だ。この頃の感情的で未熟な自分を反省する程、
彼女の女らしいしぐさやスマートな会話に心のトゲがとれていくようだった。やはり実は内なる輝きが表れるものだ。
戸高は私以上に彼女の人柄と雰囲気に安らぎを得たようだった。
 早朝、BCは霧が立ち込み、まるで雲の中にいるように思えた。太陽が顔を出す10:00頃から霧は晴れ、風の無い
晴天となる。これまでにないアタック日和だ。戸高は急いでABCに上がる準備を始める。BCからABCまでは6・7
時間はかかる。体調が良ければ夜中からアタック。ノースコルを上がり、8000m近くで日中休憩し、雪の締まった
pm8:00からピークを目指す2日間の予定である。準備しているとスペイン隊が天気予報を伝えに来てくれた。予報
によると27日から寒波が入り雪になるという。上空は続きそうな天候で予報を取るかどうか迷うところだ。戸高のよう
に科学的情報を全く使用しない人は良いが、順応から情報によってタクティクスを組んできた隊にとっては大きな
問題だろう。まして、スペイン隊は自分たちの機械が壊れたらしく各隊に情報収集に歩き回って忙しそうだった。戸
高は体調も良くラサで気分は切り変わり、フィーリングものっているようだった。私もABCまで上がりたかったけれ
ど、そのー番の理由がこのBCに居たくないと告白するとABC行きは撤去となった。ここからは山が遠い。BCはシ
ェルパたちの作る職業意識的な雰囲気が強く、人の噂やなんやかんやで非常に俗的だ。北西墜の大自然にー人
いた私は、いま人の渦の中で立ちすくんでいる。様々な価値感の中でピュアで在ることは難しい。比べる事なく起
きていることを客観的に見てさえいればいいのに感情的になる自分を押さえることができない。(人としてまだまだ未
熱だなぁ)と自分自身にため息がでる。

9日27日 晴天 弱風
 朝、戸高からの交信はなかった。昨晩はアタックしなかったのだろう。昨日からアタックをしているスイス隊の登攀
をフィールドスコーブで眺めることができる。第2ステップ(8400m)下をシェルパとジャン・トロワレが点のように動く。
 チョモランマ、なんて大きな山だろう。世界でー番高い山に登る人はあまりにも小さく映る。ミハイルは心配そうに
山を見つめる。スコープに並び、彼らの登攀の様子を詮索し時間や状況について盛り上がっている人たちと彼女
のまなざしは違ったものだ。ヒマラヤ登山を5年間欠かすことなく数々の記録的な登山を築いてきたトロワレ。昔は
シェルパは使わずアルパインスタィルにかけてきた人だ。年を重ね、昔のようなスタイルでは登れないことは彼自
身も分かっていることなのだろう。けれど、無酸素で精神的・肉体的極限を問われるヒマラヤに登り続ける心境をー
番分かっているのは彼女なのだろう。
 結局午後2時、8600m地点でシェルパが疲労・酸素が切れ、登頂後の危険性を主張しシュルバは下山。トロワレ
一人登り続けるが途中断念ということになった。アタック断念の情報に外野人はスコープから離れていった。時々、
気になってスイス隊の方を見ると、ミハイル一人、スコープをのぞきこんで顔をおおっている。気になって行ってみ
ると、彼女は目にいっぱい涙を浮かべ、「ジャンが迷っていて、ステファン(ノースコルにいるカメラマン)に道を聞い
ているの」とうつむいた。私は「彼はヒマラヤンエキスパートだから、きっと大丈夫よ」と細い背中にそっと触れた。
彼女は優しく微笑んで、「そうね」とうなずき、またスコープをのぞきこんだ。夕方、ミハイルがテントに来た。「明日、
ジャンはBCに帰って来るって。今夜からマサはアタックだから、これはお返しします。ありがとう」と笑顔いっぱいの
挨拶だった。 
 3:00pm戸高から交信が入る。「正午7800m到着、休憩をとる。7000mからアタック予定。強風が吹いている。厳し
い状況だがいつでも引き返すつもりで上がる。」上部は風が沸いているのが見える。登頂は嬉しい。けれど、彼自
身が納得のいく登山ができればいいと思う。
 頂上まで歩いて行けたらいいし、今回の彼のピークがどこになるかは彼自身が決めさえすればそれでいいのだと
思う。

9月28日 晴天 強風
 戸高は昨晩8:00pmからアタックをかけー時間半上登するが、寒波の影響による寒さと強風による寒さと強風によ
り、8000m地点で7800mのテントに引き返した。真夜中、BCの風も強くテントはバタバタと波打つように揺れ続け
た。南からうなるようにやってくる風、上部は相当吹きすさんだことだろう。10:00pmに下山の交信があったきりでそ
れ以後はなく朝を迎える。このアタックで最後になるか気になるところだ。しかし8000mまででは、彼の中ではアタッ
クした内に入らないだろうし、心境を考えて交信を待った。
 8:00am「7800mにテントを残し、もうー度、アタックしたいと思います。BCへ下山します。」と元気な声が入る。(そう
だよね。ここで引き返す人ではないよね。)と思いながら、あともうー回と思うと、彼の粘りには感心する。ミハイルに
マサの状況を伝え、「もうワン・トライするって!」と待つ者として複雑な心境をジェスチャーとともに話すと、フランス
的に「うららぁ〜」と両手を挙げて彼女も感心している様子だ。
 夕方、戸高が帰ってきた。「非常に調子はいいんだよ。風さえ止んでくれれば2日間で登れるのに。」と話す。夕
日に映える雪稜は強風による雪煙が舞う。

9日29日 晴天 強風
 スイス、コロンビア隊の荷下げのヤクが上がってきた。BC撤収の雰囲気が強くなる。コロンピアは上部への酸素
荷揚げをシェルパが拒否し、アタックをかけずじまいで遠征断念。スペイン隊は金銭的トラブルでネパール人ガイ
ドは下山、シェルパたちはこの強風の登頂の可能性の低さからABC行きを拒否したが、結局、シェルパたちの要
求したボーナス、最終キャンプまでの荷揚げ800ドル十ピークまで500ドルを支払うことで登山は続けられることにな
った。どこの隊もこの強風から生じる事柄にまいっているようだ。
 夕方、スイス隊でお茶をいただく。これまでの厳しかった登攀についてトロワレが幾つか話をしてくれた。ダウラギ
リ東壁をアルパインスタイルで登った時は寝袋はなく、−50度でビバークしたことなど、登山を自由に楽しみ生きて
きた話はどれもエキサイティングでわくしくした。過去の栄光に捉われることなく、いまも歩み続けている人だ。来年
は、ミハイルと共にヨットで60日かけて南極へ、そしてラクダで砂漠を縦断するツアーをするんだと次の冒険に心を
踊らす少年のようだった。自分たちが50歳になったとき、彼のように夢を実現する力と心を持った人でいられだろう
かとふっと考えた。最後にトロワレは今回のアタックには満足していることやミハイルの存在に感謝していることを話
した。「カトマンズではミハイルに宝石を買うんだ。僕の長いヒマラヤにつきあってくれたから」と彼女の手をとった。
ミハイルは嬉しそうに微笑んで軽くウインクした。宝石なんかより、ジャンが無事帰ったことの方がずっと嬉しいにきまっているのに。
 素敵なニ人を前にすっかりロマンチックな気分になったお茶会だった。

9月30日 晴れ時々曇 強風
 強風は続く。朝食後、天気予報を聞きにイギリス隊に行く。やはり衛星気象情報も取り入れる時代なのだ。スペイ
ン隊メンバーと並び、イギリス隊・隊長の気象発表を聞く。冬になると高度8000m以上で吹き荒れるジェットストリー
ムが3週間早くヒマラヤにやってくるという。BCのここ数日の冷え込みは厳しく川原を流れる川は凍ってきた。けれ
ど戸高は「風さえ止めばまだチャンスはある」とけっして気をぬくことがない。たぶん、この山でアタックに期待してい
るのは彼一人ではないだろうか。イギリス隊の隊長はエベレスト2回目の挑戦だったが、”もうこの山は来ないよ”とま
いっている様子で、初対面の時の希望溢れる輝きは風とともにどこかへ消え去っていったようだった。
 明日からアタックになるか荷下げとなるかは天候次第。これまでの晴天無風を強く祈るようなことはなく、在るがま
まの日をゆっくりと待つ心境である。強風は吹き続け雪稜には流雲がたなびく。今日から明日への移りゆく時の中
に私もゆっくりと在る。

10月1日 晴れ 強風
 7:00am外はまだ暗く、南から吹いてくる風は冷たく頬をさすよう。戸高とドルジェはABCに上がる準備を始める。
昨日帰りのジープ手配をした。これが最後のアタックになる。
 戸高はどんな気持ちでいるのだろう。ウェアを若こみ、プラブーツを履く。いつものことだけどどこか寂しい感じが
した。出発時、「天候と山の状況が最高でない限りはつっこんだりしないから心配しなくていいからね」と言った。彼
は登頂を望んでいるのではない。自分自身が納得いくところまでやらないと気が済まないのだ。だから、間違った
判断をくだすようなことはないだろうと思う。トロワレがBC撤去の朝、「クレイジーなことをするなよ」と戸高の肩をたた
いたのをふっと思い出した。見慣れた後ろ姿をカメラで何枚も撮った。私はここ数日37度の微熱が続き、夜はあま
り眼れずにいる。体調が悪いというよりも、体全体がぼんやりしてはっきりしない感じだ。一人になったテントで、静
かな音楽をかけ横になる。7月からの長かった遠征をふりかえる。北西壁の誰一人いないサイト、氷塔郡やうねる谷
の美しさ。そしてこのBCの暮らし。時間というのは本当に不思議だと思う。一体あの時間はどこに行ってしまうのだ
ろう。思い出すことと、今日からアタックという現実と、日本に帰れることと、自分の中で3つのことが頭にいっぱいだ
った。何かしないといられなくなって裁縫をすることにした。
 時々、強風で雪塵を舞い上がらせるピークを望遠レンズで撮る。昼過ぎ、戸高らしき人が遠くから歩いてくる。望
遠鏡で確認する。”どうしたの?”と聞くと、「体調がイマイチだからまた明日行くよ」と答えた。(すごい)と思う。私は
もうあきらめたのかと思った。
 見上げるピークはお風呂屋さんの煙突の煙のように風が吹いている。素人の私でも無理だと分かる強風だ。あれ
を見てもまだ彼を行く気にさせるものは何なんだろうと思わずにはいられない。

10月2日 晴れ 強風
 7:00amテントでお茶を沸かす。「風さえ止めば2日で登れる。今日の夜から風が止むかもしれないよ」と最後まで
あきらめない。この風かぴたっと止むことは奇跡に近いと思うけれど、彼は1%のチャンスを信じている。本当に山
登りが好きな人なのだ。彼のひたむきさ、純粋な心はきっと山にも通じていることだろう。「無理はしないから」といつ
もの氷河に向かって歩いて行った。6六回目のアタックになる。
 3カ月という長い期間、全くー人きりで登攀行動を行う精神力は並大抵ではないだろう。コロンビア隊長が「一人
で怖くないのか?特別な精神トレーニングをしているのか?」と聞いた時、彼は「怖くはない。山の静寂に包まれて
いるとき自分と山は同じものだと感じることがある」と答えた。チョモランマの美しい頂きともくもくと歩いていく戸高が
重なる。真なるものは言葉など持たずとも存在がすべてを語る。私はやっぱり何かしないといられなくてテントの整
理をした。
 昼過ぎ、戸高らしき人が遠くから歩いてくる。昨日と同じ状況だった。穏やかに笑顔を浮かべてゆっくりとこちらに
向かってくる。「もうあきらめるよ。今回はこれで終わりにしよう。長い間ありがとう」と山を眺めて話した。上空は強風
が吹き流雲がたなびいている。テントでお茶を飲むと、まるで電池のなくなったおもちゃのように彼はぐったりと動け
なくなった。横になりながら、「充分満足してるよ。登れないことで見えてくることは深いね。」と独り言のように言っ
た。私自身も遠征や登山を超えて見えてきたものが幾つもあった。彼のピュアな登山をより確かなものにするため
にあえてチョモランマは登らせてくれなかったのかもしれない。この3ヶ月間(なぜあなたは登るのですか)と、ずっと
山に問われていたように思う。ヒマラヤという死と隣り合わせで見えてくる生は本質的なものだった。集中し濃縮した
時は終わる。けれど彼の内なる冒険はこれからも続いて行くのだろう。そして、それは特別なことではなく一つの選
択にすぎないもの。自分の好きな道を自分のべースで歩いて行けばいい。

 日本に帰国し2週間が過ぎました。すっかり日本の時間にも順応し慌ただしい日々を送っています。長い間私た
ちの遠征につきあってくださいましてありがとうございました。登山活動中の戸高は自己の体験を則言葉として表現
することが難しかったようです。登山に関しては彼に質問をして書いてきました。私自身、書くことで気づき深めてい
く時を待つことができました。BCに一人で持っているときは心細いですが、日本で遠征を見ている方々がたくさん
いてくださることに心強さを感じていました。帰国し、お世話になった方々や協賛企業に連絡を入れたり挨拶に
行くと、まず「無事に帰られて何よりです。」と言葉をいただき私たちの体験や感想を丁寧に聞いてくださいます。登
頂という結果を得られない遠征でした。けれど今回の遠征を陰で支えてくださった方々が持っている心や想いは戸
高がヒマラヤに見ようとしているものと同じであることを感じました。本当に恵まれていると思います。
 どうもありがとうございました。
                                                          戸高優美


 事務局より
 今回でチョモンランマ遠征レポートは終了となります。
「人事をつくして天命を待つ」といった今回の遠征では、残念ながら登頂はできませんでしたが、
登山隊及び事務局にとっては大変学ぶことの多い遠征となりました。
 今回の遠征レポートにもたくさんの人物が登場しました。戸高夫婦は勿論のこと、コックのドルジエ、
画家の小野氏、スイス隊のMrトロワレなど今回の遠征レポートは彼らという個性あふれる人間の生様
を通してたくさんのことを示してくれたと思います。
 最後にこのつたない事務局の対応にご指導いただいた地平線の江本氏、発行毎に夜中まで発送作業を
手伝ってくれたFOSの仲間に、そして今回の遠征に関わったすべての人々に深くお礼もうしあげます。
 遠征レポートはまた今度があります。どうもありがとうございました。
                                                      (事務局 杉山浩二)


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