戸高雅史 チョモランマレポート



ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1997」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbQ
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月26日午後
 鐘の音とともにヤクが、ここBC(5550m)へ上がってきた。明日は十頭のヤクと4人のヤクエととも
に北西壁(5550m)へ何う。昨日順応と下見を兼ねて従来のABC(5550m)まで行ってみたが道がかなり
荒れておりヤクはそこまで行くのは無理ではないかということ。従って少し手前にABCを設営する
ことになりそうである。
天候はやはりモンスーン、連日雨が降る。午前中は晴れているが午後になると雨が降り出す。しか
しロンブク谷(私たちが登ってきた方向、すなわち北)の方にはいつも黒い雲がたれこめていてほと
んど晴れない。南方にあるチョモランマ峰の方は午後になると厚い雲に覆われてくる。ここBCで雨
を降らすこの南方からやってくる雲である。モンスーンの湿った空気が入っているのだろう。メス
ナーやロレタンは8月中旬〜末にかけて登っている。モンスーンの期間の晴れ間、すなわちモンスー
ンブレークに登っている。モンスーンブレイクとは南のべンガル湾から吹きふせるモンスーンの気
流が西のアラビア海からの気流と丁度ヒマラヤの上空でぶつかりニつの前線が対峙することにより
訪れる晴れ間のことである。資料によれば1週間から2週間は続くらしい。だが必ずしもあるとは言
えないようだ。
 僕はハウツー的なことはあれこれ考えたくない。ABCに人り、チョモランマ峰に真近に対面し深
くこの母なる女神の山と交わることが今僕が生きることであり僕のできるすべてである。
 BCに入った日のタ暮れ、チベット入りしてからずっと厚い雲に閉ざされたままだったチョモラン
マ峰がついに全容を現してくれた。なんて神々しい山なのだろう。薄晴くなりかけた空をバックに
たっぷり雲をまとったチョモランマ峰は真っ自に輝いている。その神聖さは言葉には表現すらでき
ない。
 K2峰が威厳に溢れた山であるとすれば、チョモランマ峰は聖なる山と言えるだろうか。山に向か
い佇んでいると、自分の中のものがきれいに洗われ純枠、無垢になってゆくようだ。
 夕食を終え、テントの中で日記を書いている。ヤクの草をはむにつれて鳴る鐘の音が心に響く。
今日は夜になっても雨が降り続く。ロンブク僧院で会った一人の若い僧のことを想い出した。僧院
でお祈りをした後、近くにある茶店でバター茶を飲んでいると堂内でみかけた清らかな顔をしたラ
マ僧が僕に握手をもとめてきた。僕が一人でチョモランマ峰に行くことを誰かに聞いたらしい。力
強い握手に僕は同じ道を進む仲間がいることを知った。
                                                  戸高雅史


 7月23日 雲り
 シガール、チョモランマベース(5150m)
 シガール出発9:00am、いよいよべース入りとなる。南にはモンスーンの雲が浮かび、移動中、眺められ
るであろうマカルー(8463m)、チョーオュー(8201m)、シシャパンマ(8012m)、チョモランマ(8846m)は灰色
の雲の中となる。途中、ベースから前進べース(ABC)まで荷を運んでもらうヤクをお願いしにラムドウ
(パルー)という村に寄る。この時期、ヤクは放牧の為に山の上にいて、集めてべースに連れてくるまでに
3日間はかかるという。
 車は岩と石だらけの急な荒れ道を、すさまじくゆれながらロンブク渓谷に向かって登ってゆく。驚いた
うさぎが、飛び駆ける姿は愛らしい。巨大なチョルテン(仏塔)が見えた。標高5050mに立つロンブク寺院で
ある。この寺院もまた文化大革命の時に破壊され、一時は一人の僧もいない廃虚と化したが、現在は31人
のラマ僧、子供僧12人、女性僧21人が住んでいるという。
 チョモランマ峰を望み、仏教を学び、無の境地を悟る、己と向き合い、己を知り、人々の幸せと平和を
祈る、僧として、一人の人間として、何も持たず、欲することなく、この荒涼とした大地にただ在るのみ、
感銘を受ける生き方がある。私はこの地に来て、宗教が、自然と共に在り、人の心の内にあること。出会
ったラマ僧たちの笑顔に魅力を感じ、尊び、慈悲深い生きた宗教を見ているように思う。寺院で崇めるお
釈迦様のほほえみは、私という末熟な人間の心をすべてお見通しのようだ。祈りのある空間、ラマ僧たち
の経の声は心を安らかにしてくれる。
 べースは、ロンブク氷河の下の方に広がる河原のほとりにある。シーズン中は100人以上の人がキャンプ
を張るという。私たちは初隊であり、テント1棟、キッチン1棟、清水湧く近くに置くこととした。ヤクが
くるまでの3日間、順応をかねて滞在する。
                                           戸高優美
 7月24日 晴れ・雲り・小雨
 ベース(5150m)
 早朝、チョモランマ峰が霧の中からその容姿を現わす。
 茶色の荒涼とした山々を眺めていたので、真っ自く空へと映える独立峰は圧倒的な偉大さを感じざるを
えない。チョモランマ、母なる女神。人々が崇め祈るのが分かるように思う。山もまた、すべてを見、す
べてを受け入れ、威厳に満ちた姿で、ただじっと、美しく在るのみ。
 ロンブク寺院のラマ僧が、私たちの遠征を祈願しに、やってきてくれた。松の葉のような香りある木を
たき、山の神に、お米、お酒、お菓子をささげる。ラマ僧は、座を組み、経を読み、祈り、お米をつまみ、
空へと役げる。祈願が終わると、ラマ僧は、戸高に向かって、「登れても、登れなかったとしても、お前
は幸せな者だ。」と、無邪気な笑みで語ってくれた。
                                           戸高優美
 7月25日 晴れ
 23日、24日と、高所の影響で熱が37.7度まで上がり、下痢となり、体調は最悪だった。(ドルチェや戸
高は間題ない。)車で5000m以上まで登れることは良きにしもあらず。今日は、北壁べース、ABCまで順応を
兼ねて偵察に行った。高度4000m、距離にして10km、高所に体が慣れていないので、苦しかった。ただ、こ
こで順応しておかないと、一人、ABCからべースに下らなければならないと思うと、それも嫌で、頑張っ
た。中央ロンプク氷河を詰めていけば北西壁に出る。途中、2時間程歩いた所で、ノーマルコースに向かう
東ロンブク氷河が左手から合流している。モンスーン時期なので、東ロンブク氷河の渡渉が大変だった。
ドルチェが先に渡り、戸高と肩を組んで、急流に足をすくわれないように、気合を入れて渡る。水の冷た
さはかなり堪える。ABCまで5時間、南にチョモランマ、西にプモリが在り、真下に氷塔が続く。こけのよ
うな緑と小さな花たちがほころぶ。
 帰りはヤクが登りやすいルートを見ようと、モレーンを下ったが、渡渉が厳しく、結局、下ったモレー
ンを登りかえす。誰のせいでもないが、苦しくて、辛くて、涙が出てくる。歩けど歩けどモレーンの登り
下り。下れば登り、登れば下り、止まれば進まないので、足を前に前に運び、歩く歩く歩く。なんとか夜
8時半までに、ベースに帰ってこれたが、もうバテバテのー日だった。
                                           戸高優美

 7月26日
モンスーンスコールがやってくる。 灰色の霧がたちこめると、パラパラとみそれが落ち、あっという間
に雨となる。
 テントに入り通信を書いていると遠くからヤクの鐘の音とヤクエたちの勢いよい声が聞こえてきた。私
たちのテントに向ってヤクエ四人が十一頭のヤクを囲うようにして歩いてきている。黒々とした毛をたら
し、するどい角を持つ大きなヤクはかっこいい。明日、このヤクたちとともにべースへ入れるなんてうれ
しくてわくわくする。しかしこんな大きなヤクが氷河の渡渉や荒れた細道を登れるものかと思うが、牛と
違ってバランス感覚がいいんだと笑われた。それより大さな隊でば同じヤクをピストンで荷上げに使う為、
疲労により動かなくなり死んでしまうヤクがいると聞いてなんだか悲しくなった。昨日、あんなに苦しく
て、辛く長かった道のりを60kg以上の荷を担ぎ、何日も往復するなんて死んでしまうよ。ヤクの目は優し
い。ヤクは本当に偉い。
 昼すぎ、ロンブク寺院へお祈りに行く。 20人以上の僧たちが静かに経を唱えていた。昨日ベースに来て
くれたラマ僧もいて微笑んでくれた。目を閉じ、祈ると僧たちがいっせいに声を今わせて読経か始まった。
力強い経に私の心はとかれ、私の中の小さな私が、その空間にこっとんと座り祈るよう。ラマ僧が正面に
行って祈るよう目と手で促してくれる。向き合うように座っているラマ僧たちの間を通りお釈迦様の前に
行く。神様は人の命のゆくえをご存知なのかも知れない。カルマというその人、一人一人の持った運命を
受入、生きてゆくこと、真の愛は執者ではない。愛はある程に責任を引き受けることを意味する。知性を
伴う愛ははるか遠くまでその力を及ぼし限界をも超えることがある、とダライ・ラマのー節を思いかえす。
私を間われる。私にそんなことができるだろうか。
 べースに帰るとヤクエたちがテントを覗きにきた。彼らにチベット遠征の計画書を見せると写真を見な
がら私たちにチベット語でいろいろ教えてくれる。繰り返して言葉にするとなんだかお互い通じたようで
嬉しくて笑えてくる。私は彼らのように素朴な人たちがとても好きだ。
                                                       戸高優美


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