戸高雅史 チョモランマレポート



ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1997」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポート3  H9.9.8 発行 <電子メール版 NO.1より>

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7月27日 小雨、ヒョウ、雪
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 昨夜から降っていた雨も午前8:00にはあがり、ヤクの荷つけが始まった。ヤクのつのを一人がお
さえ、2人して両側に30kgづつの荷を結んでいく。おとなしくしているヤクもいれば、重い荷など
背負いたくないと、逃げ出すヤクもいる。そんな時、ヤクエのおじさんは本気で怒り、石を投げつける。
命中すると、”ガタッ”とかたく痛い音がする。11頭のヤクで中央ロンブク氷河に向けて出発。少々
重量オーバーの為、ヤクエの皆さんにも荷を背負ってもらう。4人のヤクエが2,3頭づつ担当し、か
け声をかけて進んでいく。人の足を交互に乗せてトラバースしていく細いガレ場を、ヤクはもくもくと
歩いていく。登りが苦手らしく、時々止まっては休み、ヤクエたちの棒や石でカツを入れられ登り出す。
途中、徒渉する東ロンブク氷河の川が増水していてヤクたちが渡るには激流すぎる為、上流へと向って
登る。ヤク一頭分の荷を分担し背負っていた私はどんどんヤクから遅れてしまう。みかねたヤクエ少年
が、”かせかせ”と荷をかついでくれた。結局、5560mまで上登(ノーマルルートC1を横切る)、
やっと私のひざ程の徒渉ポイントを見つけて渡る。中央ロンブク氷河の右岸をトラバースして歩く。雨
はみぞれと変わり、雪となる。急登なガレ場を登り、苦しくて止まると、後ろのヤクも止まってしまう。
先程の徒渉時、沼地にヤクが首までつかり、また一頭分のヤクを背負っているおじさんは苦しい表情で、
”止まるな、歩け、歩け”と、目と手で合図してくる。5500m以上の高所はかなり厳しい。雨と雪
とでずぶぬれになり、寒くて、ガタガタしながら、少々、途方にくれている私に、ヤクエのリーダー的
おじさんが”さぁ行こう、行こう”と、ほほえんで手をつないでくれた。黒く大きな甲をしたおじさん
の手はあったかい。ヤクに声をかけながら、寒さしのぎなのか、チベット民謡のような歌をうたう。す
るとヤクエ少年たちも、あいのてを入れ、ヤクと私たちは前へ前へと登っていった。太い歌声は厚い霧
と雪中にビブラートとなり調和していく。
 小高いガレ場で皆一緒に昼食をとる。持ってきたクラッカー、チーズ、水筒を分け合う。ヤクは一頭
づつ間をあけて、おとなしく座っている。本当になんて偉いんだろう。 雪は激しく降り、5時頃、
5500mのすりばち状の牧草地に着いた。当初予定していたところではない。すりばち状の中にベー
スを置けば、チョモランマを眺めることができない。山の状況、光と影の日照位置やなだれの場所や風
向き...。けれどヤクはすでに緑の方へと急ぎ足でかけ出した。おじさんたちの目標地もここであっ
たようだ。これはきちんと説明しなかったこちらのミス。あと100m行けば、チョモランマ北西壁を
正面に眺められるベース地があるというのに...。
 戸高の登山は、微妙なバランスで成り立っている。それは山に起こるあらゆる状況と兆しをつかんで
いることが彼の強さ。K2では、朝も昼も夜も、ひたすら山を眺めていた彼の姿を見てきた。明日は何
がなんでも移動すると心に決める。
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7月28日 早朝、雪、日中、晴れ
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 昨夜の雪が降り続いた。白い雪原に黒いヤクの姿はりりしく美しい。岩に一頭づつ、つながれ持って
きたほし草の上におとなしく座っている。声をかけると分かっているよう。優しい目でこちらを見る。
チベット人は、ヤクは仏様の身代わりとしてこの地に降りてきた動物と大切にしている。長い毛は防寒
着、くつ下、ジュータン、ロープにも使えるし、皮はくつ底やかばん、肉は貴重なタンパク源だし、乳
はミルクやチーズ。物いわぬ働く動物はどこか寂しげで、無償の愛を持つ。
 ヤクエのおじさんたちは、雪の為、キッチンに泊まっていた。戸高があと100m、荷を運んでくれ
ぬかと交渉へ行く。ドルジェに通訳してもらい、自分の登山がいかに山の見える場が必要かを説明する。
”よし、やろう”ということになった。皆で撤収。ヤクの荷つみとなる。おじさんに”私も手伝う”と、
胸に手をあてて言うと、ヤクの角もちをまかされた。”よし、よし、いいゾ”と、真剣な顔つきで肩を
たたいてくれた。うれしい。朝食も食べず、いきおいで始めたベース上げ。10時頃から雲が晴れ、南
にチョモランマ北西壁が現れる。雲の切れ間から天使のカーテンがさし、真下のロンブク氷河、氷塔群
は幾重にも連なりプモリへと続く。やはり1ヶ月以上暮らすベース、目と心に触れる景色はヒマラヤの
美、そのものでありたい。
 ヤクエのおじさんたちは荷運びの後も、テントの整地やキッチンのセットを手伝ってくれる、苦しそ
うなら声をかけてはげましてくれる、岩が動かなかったら”よし、まかせとけ”と泥だらけになっても
力をふるってくれる。この人たちの献身的な働きには心が洗われる。おじさんが首にかけてあるダライ
ラマのペンダントを見せ、チョモランマを指して祈る姿をした。どんなにか心強いはげましだろう。
 キャラバンを共にすると、その人の頑張っている姿が見えてくる。関わる小さな心の触れ合いが積み
重なって信頼感や、親睦感が生まれてくる。おじさんと少年たちは、何回も振りかえり、手をあげて、
ヤクと共にかえっていった。
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7月29日 夜中、みぞれ、雪、日中、雪時々晴れ
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 標高5550mのABCベースで初めてのstay、頭はガンガンし、脈も116とかなり高い。水
分を多くとり、ゆっくり深い呼吸をくりかえす。テントを開けると昨晩の雪で7000m級の岩山は雪
をまとい、氷塔群は白化粧している。チョモランマは雲の中。
 朝から石を積む音がする。ドルジェが遠くから大きな石を運び、チョルテンを作っている。シェルパ
族ラマ教のドルジェは、信仰深い人で、神様や祈りを生活の一部としている。彼の存在は有り難く暖か
い。昼すぎに、遠征隊の安全を祈願してセレモニーとなる。ロンブク僧院でいただいた針葉樹の木をた
く。白い煙と香りとが心と体にしみいるようだ。この木は毎日少しづつたいて、遠征終了日まで絶やさ
ぬようにするという。そして、地水火風空を表す5色の祈りの旗で、経文とルンタ(風の鳥)が書かれ
てあるタルチョをチョルテンを中心に四方へと張る。タルチョはすぐさま風に吹かれて生きているよう。
チャイと大分の祖母が必ず持たせてくれる神酒をささげ、3人それぞれ祈る。不思議と南雲が晴れ、チ
ョモランマ上部が顔を出す。雪をたっぷりとのせたピラミッドフェイス。
 ヒマラヤの山々の美は表現しがたい威厳にあふれた存在感にある。(こんなに高く、大きな山に彼は
一人で登ることができるのだろうか。)チョモランマは真の美を持つ純粋な尊い女神様。この美しい山
の内部に入り込むような彼の登山では、技術や精神力はもちろんだが、それ以上に内面的な、禅的な心
の在り方を問われるように思う。又、彼も、そのように思っている様子だ。私はあまり心配はしない。
彼の子どものような無垢さを持ち、いつものように登山を楽しみ、澄んだ感性をとぎすまし、山と向き
合ったとしたら大丈夫だと思う。ただ、天候と山の状態、山がそのチャンスを与えてくれるといい。
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7月30日 晴天
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 戸高は本日からABC東側にある7000mの山を使って順応を行う。
 南正面にチョモランマを眺められるABCは素晴らしい。モレーン上でないので夜を暖かく、こけの
ような緑に、5mm程の黄、白、赤の花々が咲き、素晴らしいサイト。ドルジェと洗濯をしに、小さな
清水の流れる水場へ行く。強烈な太陽の陽射しと心地良く吹く風にふかれての洗濯は気持ちがいい。遠
く雪面を登る点のような彼の姿を時々、????安心する。なきうさぎが水を飲みに来たのか顔を出す。
ねずみのように小さなうさぎで、目がくりくりしていて、とてもかわいい。
 これまでチベットで見た野生動物は、ヒマラヤマーモット、岩下の巣から巣へと走り、岩の上に立っ
てこちらの様子を眺めるマーモットも又、かわいかった。バーラル(岩羊)ベースでは、バルトロと同
じように、スズメサイズの小鳥(私はチチと呼んでいる。)くちばしが黄色のカラスと、一回り大きな
黒カラス。そしてハト。
3人しかいないベースでは、小動物に会えるととてもうれしい。しかし、キッチンテントまで入ってこ
ようとするカラスたちはどうもいけない。
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7月31日 夜、みぞれ、日中、晴れ
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 ここベースの夜明けは6:00頃からで、7:00を過ぎるとチョモランマピーク東側と北側にある
チャンツェ(7583m)に光が射す。ベースに日光があたり、暖かくなるのは10時からで、戸高が
ただ今、順応している東側の山から太陽が顔を出す。日中南風が吹いて、フリースを着ていないと寒い
くらい。7:30pm、一日の最後の輝きが西の山と空を染め、暗くなるのは9:30から・・。ここ
数日、好天周期なのか、午前中はクリアにチョモランマが全望でき、3:00を過ぎると南雲が出てき
てピークをおおう。夜の天気が不思議で、激しく雨やみぞれが降っているかと思うと、雨雲がはれて満
天の星空、又、小雨が降っているのに上空にはぼんやり星を眺めることもある。昨晩は、稲妻が闇をか
けていた。凝縮した瞬間的な光が落ちたかと思うと、真横にすばやくその光がつたわっていく。神秘的
なエネルギーショーに、魅せられた夜であった。
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八月一日 夜、雨、みぞれ 日中、晴れ
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 戸高は6500mまでの順応を終了した。ベースでゆっくり体調を調えながら、半日で7000mラ
インの順応ができることは、彼にとって理想的らしい。
 このABCベースが全く自分たちだけのサイトというのもいい。やはり他の隊が同じルートだと相手
のことが気になってしまう。このまま他の隊が入ってこないといいと思う。ドルジェにいわせると”た
ぶん誰もこないね。まだオフ・シーズンだよ。”とのこと。
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8月2日 夜、雨、みぞれ、日中、晴れ
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 生まれたての金色の朝日がチョモランマを照らしている。テントから山を見たとたん、”今日は??
?まで行ってみるよ。”と嬉しそうに戸高が言う。ドルジェも嬉しそうに朝食準備にとりかかる。
8:40am、中央ロンブク氷河と右岸のモレーンづたいに一人でかけていく彼の後ろ姿を見送る。私
は太陽がベースを暖めてくれるまで、テントの中で日記をつけたり、本や手紙を書く。お昼からは大き
な岩をぴょんぴょん飛びつたい順応もかねて東側の岩山へ行く。少し上がっただけなのに、景色は登っ
た分だけ美しく、山や空や雲がぐっと近くに見えるのは静寂に満ちた大きなヒマラヤの大自然が在る。
氷河は山と谷を創り茶色の連なりに囲われながら黒々と脈打ち、下界へと下りゆく、はるか遠くに人の
住む地がある。
 ヒマラヤに来ていつも思うことは、ここは風や雲や水や地球の息吹きの使者たちが生まれ旅立つとこ
ろ。渡る大地のその過程、風や雲は色んなことを学び、知り、太陽と共に季節を伝える役割を成してゆ
く。月の光はやわらかく、彼らの旅の疲れを癒してくれる。澄んだ青空に小さく浮かぶ切れ雲があると、
迷子の切れ雲のように思えて愛しくなる。
 私は岩の上に座り、誰もいないこの世界にいることを不思議に思う。けれど無意識の私、私の核にな
っている小さなものは、このヒマラヤの息吹きと、共にあるように思える。自然と共になれる自由な心。
また、こうして思考し、意識し、時として感情的になる私を自我を持つ私とするならば、湧き起こる自
我とも、しっかり向き合って、生きてゆきたいと思う。
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8月3日 日中、晴れ
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 本日、戸高は1日lest。体調が戻れば、明日より5日間の予定で北西壁の雪壁の偵察と順応へ上
がるという。ドルジェは水くみに忙しい。日中の好天続きで、サイト近くの小川が止まり、ポリバケツ
20l2本を持ち、15分下って氷河下へ水をくみに行っている。大きな遠征隊ではコックさんと別に、
ウォーターボーイという水くみ少年を雇うくらい水くみは大変な仕事なのだ。ドルジェは仕事にムダが
なく、私たちのために誠意をこめて仕事をしてくれる。日本料理が上手で、5550mのベースで野菜
のテンプラが出てきたのは驚いた。みそ汁、マカロニ&野菜のバターソテー、ポテトとツナバーグ、和
風スパゲティ、海藻サラダ、豆カレーなど、メニューも豊富でとてもおいしい。食器はきれいに磨いて
あって、こちらがナイフを落とすと、さっーと新しいものを出してくれる。”大丈夫ョ”って言っても、
”ダメダメ”とマナー教室のように変えさせられる。遠征コックさんたちは皆、アシスタント時代につ
いたコックの下ごしらえから味を覚え、食器の置き方、出し方、洗い方にいたるまで、すべて見て覚え
るという。素晴らしい技術職だ。彼らのような人がいて、遠征は進んでいく。
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8月4日 日中、晴れ
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 昨晩は寝苦しかった。重くしめった空気が入り、霧雨を降らせる。時々起きてはお茶を飲み、呼吸を
整えてはまた横になる。朝、戸高も調子が悪いらしく、本日からの偵察は延期。
 朝食を済ませると、マットと本を持ち、彼お気に入りの大岩へ行くと言う。たぶん帰ってきたら、
”最高だよ。全く、素晴らしいね。”と、輝いた瞳で語ることだろう。
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8月5日 曇り、小雨、みぞれ
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 好天期から悪天期に変わってきたのか、南から雲が張り出し、チョモランマは雲の中となる。テント
から真下に眺める中央ロンブク氷河には一面の霧がかかる。切り立つ茶色い岩肌に囲まれたモレーン上
に浮かぶ霧は、まるで銀綿の川のようで幻想的である。 戸高はチョモランマに入るには天気が悪いと、
東側の山に順応に向かう。
 86年、北西壁ホンバインクーロアールを39時間で登頂、下山したスイスのクライマー、ロレタン
・トロワレも、この山で6500mまで順応し、アタックしたのではないかと戸高は見ている。
 私は、彼の登攀の様子を1000mmのカメラで追う。6200mからは岩のガレ場から、スノード
ーム、雪壁登りとなる。真白い雪をたっぷりと載せたなめらかな稜線、美しいラインに向かい、ダブル
アックスで登っていく姿は、軽やかで美しい芸術を見るよう。鍛えた肉体、優れた登攀技術、そして一
人でも恐れることなく山へ向かう強い精神力。彼は登山家として、この3つのバランスを保つこと、向
上することを怠ったことがない。日本でのガイド、トレーニング山行においては、その時々の自然状況
に応じて、最高の登攀を創り出すことを常としているし、トレーニングでは、自分の限界ラインぎりぎ
りで勝負してくる。彼は日々学び、向上している。彼の人間的な謙虚さとプロとしての意識、そして、
登山を通して自己を見つめてゆきたいという心が彼をより深い自己へと導いているのだろう。
 いつもなら、二時間おきにトランシーバーにて定時交信を行うが、今日は山との対話を大切にしたい
と、持って上がらなかった。
 彼はいま、これまで自分自身で築いてきた登攀力のすべてを確かめるように、かみしめるように、心
地良いリズムを持ち、一歩一歩、登っていることだろう。チョモランマへソロで入るには、その時まで
に、最高の精神状態に持っていけるかどうかがかぎになってくるだろう。これまでの登山と、これから
先の登山をつなぐもの、それがの順応になるのだろう。大切な時期。彼が自分自身の目指すものに向え
ることを祈らずにいられない。
          *原稿はすべて戸高優美



<速報>
・8月7日にチベットの戸高から衛星電話による連絡あり
当初予定していたルートを変更し、ノーマルルートに切りかえてアタックを行うとのこと、アタック
 は12日頃から。
10月初旬までチャンスを待つ可能性もあり。
(事務局が留守中に留守番電話に伝言あり 雪の状態/天候ともに思わしくないためだと思われます。)


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