戸高雅史 チョモランマレポート
ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1997」
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。
レポートbP
順応中の戸高氏
ついにチベットにやってきた
ついにチベットにやってきた。来てみればあっというまであった気がする。
チョモランマ峰に行くことに決めてから、何かに後押しされてここまできてしまった感じである。
チベットは巡礼の旅がよく似合う。私のこの逮征は登山という行いを通しての一種の巡礼のような
ものかもしれない。昨日力トマンズからチベット入りし、今日はチべット高原へと足を踏み入れた。
ここは標高3750mのニェラムという町である。
モンスーンのネバールから乾いた空気の世界に入り、魂、心、体のすべてがまってましたとぱか
りに活発になってきたようである。
昨年のK2峰から、国内の冬の登攀、富士山での登り込み、そしてデナリ峰でのトレーニングとこ
のチョモランマ遠征へ向けての準備をしてきた。肉体的な準備はもちろんではあるが、今回は特に
自己の内面的な深まりを大切にしてきた8ケ月間であった。
その総仕上げで行ってきたデナリ峰、頂上に行った時幸いにも一人きりだった。私にとっては3
回目の頂(いただき)であり、今回はトレーニングということもあってそれほど感動はないかと思っ
てはいたが、山頂の雪面に額をつけた瞬間、歓喜の涙があふれてきた。そしてうつ伏せになって全
身で頂にふれた時大きな愛につつまれたようだった。この宇宙に満ちている何かが「ずっと見てい
るよ。」と言っているようだった。K2峰遠征を通して見つめてきた「ただ一人在る」ことの意味を
この時、真につかんだと言えるかもしれない。
メスナールートからもう一度タルキートナに下山した私は山の清水のリズムに満たされたいと思
い、林をぬけ広い川原にでた。その時ちょうどデナリの山並みに白夜の夕日が沈むところだった。
私は時に忘れ、その美しさの中に佇んでいた。すべてが調和の中にあった。準備はできたと感じた。
チョモランマが呼んでいるようだった。
この宇宙のすべてのものが微妙なバランスで見事に調和しているように思う。私もそのー部であ
る。ほんのー部にすぎない、だがその調和を担うかけがいのないー部である。そう、生きることは
簡単なことではない。今それが問われようとしているのかもしれない。無から調和へ。
戸高雅史
ニェラム滞在2日目。今日は順応で4600mまで登った。牧歌的な風景が広がり、順応トレーニン
グにはいい場所である。明日(7/20)はシガール(4350m)に移動する。途中5188mのネーラムトンラ
峠を越える。この高度を車で移動できるなんてなんとも不思議なものだ。バルトロの頃はいつも歩
いて順応することが多かったのだ。シガールで2〜3日5000m近くまでの順応を行い、7月23日には
BCに車で入る予定である。
その後は北西壁ABC(5300m)に7月26日に入り北西壁の偵察やノーマルルートでのノースコル
(7000m)への順応と下降ルートへのチェックを行い、順調にいけぱ8月16日頃からアタックをかけ
るつもりだ。
モンスーンのチベットはネパールと異なり天候はそんなに悪くない感じがする。まだチョモラン
マのBCへ入っていないので山の天候やコンディションについてはわからないがチャンスは十分ある
のではないだろうか。
これからこの旅(遠征)がどういう風に展開してゆくかとても楽しみである。純粋・無垢になった
時その状況にあった行為が生まれるのだろう。しなやかに柔らかに繊細に!感性をとぎすまし自然
の声、宇宙の声、そして自分の内部の声に心を傾け進みたい。
戸高雅史
7月11日(金)
咋夜AM2:30カトマンズへついた。真夜中ネパール上空を飛んでいる時、窓から見た夜景が美しかった。
黒々とした大地に闇が降り、人が住むところに明かりが宿る。灯火という言葉が浮かんできた。真っ黒な
闇にオレンジ色にゆれる明かりは消えてしまいそうで両手で覆いたくなるようだ。本来人の命そのものは
この灯火のように大地と共にあり守られるような謙虚なものかもしれない。また遠征が始まる、不安と期
待とが心に広がった。
K2からの1年を終えこれからの新しい1年を祈る。私たちにとって遠征から1年が始まる。
11月に単独遠征を決めた。資金は後援会をはじめ、たくさんの力々に資金援助して頂き、パーミッシ
ョン(登山権)はウェックトレックの貫田さんが中国へ行く際、直接チベット登山協会にかけあってくださ
った。ウェア、テントから食科物資など企業からも本当に快く支援して頂いた。8ケ月間という短期間で
チョモランマという大きな山を迎えることは恵まれていることだと思う。
戸高が充実した登山を次から次へと行えるのは登山に必要な諸条件が与えられる事が大きい。自分の子
供のように思い愛してくださるお客さんや彼の登山に興味と共感を持ってくれるFOSの参加者たち、いつ
も真剣に彼の生き方を見ていてくださる力々や友人の存在、そして家族。こうして日本を離れるといろん
な事が見えてきて感謝することばかりである。
彼がいつも口グセのように言うこと。「思いを大切にすること、本物ならば山にも人にも通じて必要な
ことはすべてついてくる。自分を信じること、関わる人や事柄に礼儀を持って正直であること。」遠征で
学んでいることだ。流れに逆らわず、おきてゆく事を受け入れ、進んでゆけばよい、始めてのチベット、
どんな遠征になるか楽しみだ。
戸高優美
7月17日
力トマンズのでの準備、手続きとすべて順調に進み、本日からキャラバンとなる。パキスタンのように
8日間氷河を歩いてキャンプして行くのではなくチョモランマベース(5200m)まで荷とー緒にトラックで上
ることができる。しかし、いっきに上がれば高山病の危険がある。1週間の予定をとり、途中の村々に泊
まりながら丘を使って順応してゆく。
まず、力トマンズから、中国との国境の村コダリへ。国境で中国のトラックに積み替え、チベットのザ
ンムーに入る。ここで中国入国予続きをし、チベット登山協会のリエゾンオフィサーと面会、打合せとな
る。ザンムーの数キロ手前でトラックがはまり、エンジンが動かなくなった。立往生して困っているとど
こからともなく人が集まり手助けしてくれる。汗だくで泥まみれになり、力一杯協力して車が動いた時の
皆の歓声はすがすがしい。「さあ出発!」と乗り込むと笑顔の乗客が増えているのもおかしい。ともあれ
無事、ザンムーに着いた。
街は粗末な建物が立ち並び、本当にここ泊まるのかと思う程、暗くて半分崩れかけているようなホテ
ル、中国語で文字が書いてある。もともとここはチベット民族が住んでいたところに救漢民族(中国人)が
入り、国境手続きや警察などを取り仕切っている。チベットの民、アムド族などはポーターや労働待ちを
して町の隅におり、その生活水準の格差はかなりのものがある。
今回の遠征は現実の社会の状況がまざまざと見え、人が生きることの幸せについて考えざる負えない。
今までの2年のバルトロ氷河をポーターと歌いながら祭りのように聖地に入ってゆく心持ちとは異なって
いる。
戸高優美
7月18日 晴れ
深い深い渓谷を真下に眺めながらニェラムに向う。街の雰囲気があまりに暗くて気分がすぐれなかった
ので、車窓から見る美しい景色に心が解放されてゆく。絶壁からは高さ50m以上の滝が幾つもあり、清水が
岩壁に若緑のこけと花々を咲かせていた。呼吸をすると、水と緑の粒子がしっとりと体の中をうるおして
くれるようで元気になる。
ニエラムでは、スノーランドというホテルに泊まる。チベツト遠征では宿泊、食事をする場所は決められ
ていて自由にはならない。丘の上でテント泊の方が順応にも精神的にもいいと思うけれど、そういうわけ
にはいかない。今回のコックさんは、ドルチェ・シェルバ、1969年生まれの28歳、マカルー出身のシェル
パ族、日本語、中国語、チベット語、ネバール語と4つの言葉を語すことができるので本当に頼りになる。
ドルチェは荷が盗まれぬようにキャラバン中はいつも荷台で眠ってくれる。チーフコックは初めて、だが
よく気が付くまじめな性格だ。いっも大勢のシェルパやテントスタッフと仕事をしている彼にとって、一
人でなんでもまかされ、ベースでもー人でいなければいけないことは厳しいことだろう。
リエゾンオフィサーはMr・ダグとMr・アワンの2名、チベット登山協会からの派遣であり、これが本職で
ある。友好的で、ガイドのような気配りを持ち、てきぱきと仕事を済ませてくれる。ただいま日本語勉強
中。彼らとは英語でのやり取りとなる。
午後から2時間ほど、私は3950Mまで、戸高は4260Mまで順応で丘に登る。ヤクが放牧されていてうれしそ
うに草をはむ。赤やピンク、黄、白、紫の花々が咲きほこる。さくらそう、まつむしそう、ミヤマキンポ
ウゲなど日本の高山植物に似ているものがあってなんだかほっとする。青く澄み渡った空とどこまでも続
く緑の丘、遠く雪をたっぷりとのせたヒマラヤの山。風が遠くからやってきてれ花をそよがせてゆく。心
も景色にとけてゆく、自然のリズムに身を委ねると素直な自分があらわれる。ただここにいるだけで幸せ
を感じる。自然はなんとおおらかで愛に満ちているのだろう。
戸高優美