戸高雅史 チョモランマレポート



ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
日本FOS チョモランマ登山隊 1997」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポート5−2 H9.9.26 発行 <電子メール版 NO.3より> H9.10.05 改訂


8月25日 晴天
 AM8:00、ABCへ下山すると、交信が入る。昨晩の天候判断に一番悩み、疲れたのは、戸高自身だっ
たことはまちがいない。
 午前中、ドルチェとチョモランマを眺めながら音楽鑑賞をする。ドルチェは遠征報告書を見る、私は
景色を眺め、この晴天、チャンスについて考える。結局、戸高の心の準備ができていない限り、山につ
いたとしても意味はないだろう。彼が登頂第一主義なら、この好天期に、始まりは少々不安でも向かっ
ていったことだろう。しかし、自分のフィーリング、山との天候や調和を求めているのだから、彼のイ
メージにある状況ではなかったのだろうなどいろいろ考える。
 お昼、少なくなってきた食材を前に何にするか考える。私は焼き餅にする。ドルチェはラーメンを手
にしたが残り2つであると知ると、マカロニスープにした。
戸高がひょっこり帰ってきた。あまりに早くの下山で驚いた。
 ”いやぁ、素晴らしい天気だね。絶好のアタックびよりだよ”と、自分からあいさつしたのがおかし
かった。顔色も良く、目も輝いていて安心する。
 ”僕はこれまでのレポートや今までのヒマラヤの状況に囚われていたよ、このモンスーン期では早朝
AM4:00/5:00が空も安定するね、朝方悩んだけれど、出直した方がいいと思った。次はアタックだから、
2人ともよろしくね”と話す。ドルチェは ”ヤマはビスタリ、ビスタリ(ゆっくり)ダカラ”と、笑
顔で答える。私もそう思う。チャンスはやってもくるけれど、彼が最高の気分でつかんだ方がいいにき
まっている。たぶん、今度のアタックは、昨晩みたく心配せずに、見ることができるだろう。

8月26日 晴れ時々曇り、みぞれ
 北風がみぞれをのせてやってきた。チョモランマは雲の中となる。戸高は一日、読書人となる。本の
世界に引き込まれ、深い思考の中にいるようだ。テントから空の様子を見ようとしたら、5m先に、巣か
ら出てくるなきうさぎ発見。あわててくつをはき、少しづつ近づいてウォッチングする。小さな口でも
ぐもぐ草を食べている。ドルチェも外にいて岩を動かしている。声をかけると、”ネズミ、ネズミ”と
さけぶ。(なきうさぎはネズミに似ている。)ドルチェはこの間、2人してウサギ追いをした時、岩下
にかくれたやつに手をかまれたし、キッチンの食材を食べにくるウサギたちに怒っているので見つける
と、おしおきするようだ。

8月27日 晴れ時々曇り
 2日目にして疲れが出たのか、戸高は一日、テントで静かな時を過ごす。内なる世界に想いをめぐら
している空間は立ち入りがたい。ちょうどドルチェが水くみにいくというのでついていくことにした。
ABC近くの水場はこの好天期でストップ。チョモランマに向かって、氷河におり、氷塔群まで片道30
分かかった。大きな氷塔に洞窟のような入口があり、下を流れる氷の川から水をくむ。水は貴重な命、
氷河のコバルトブルーな氷塔から湧くように流れてくる水は、美しいものだ。この限りなく純粋な水を
飲むと、心も体も透明なものになっていくように思う。

8月28日 晴れ時々曇り、風強し
 太陽は大空に輝いてはいるが、西と北からの風は対立し、雲を沸かせる、チョモランマ上空は風が強
く、龍のような雲がのぼり立つ。天候が変わってきている。好天期から、またモンスーン周期へと向か
っているのだろうか。この天候では、アタックに向かえないと、戸高は本を読む。それにしても彼の落
ち着きと余裕はどこからくるのだろう。私など、登るのでもないのに、どこかソワソワして、空ばかり
眺めてしまう。昨年のK2にしても、チャンスは最後の最後にやってきた。焦らずに時を待つ。

8月29日 曇り
 昨晩はとても暖かい夜だった。日中、薄雲が空を渡り、チョモランマ上部はかさ雲がかかる。上空の
気流が安定しないといけない。天候待ちの日々が続く。少し、淋しくなってきた。1ヶ月以上、全く人
と関係を持たないこと、人間社会から離れたことなど、初めてだ。眠れない夜は、姪っ子たちのこと、
友だち、仕事のこと、帰国してからすべきこと、したいこと、色々、浮かんでくる。私にとって日本で
の生活は、楽しく充実したものだ。関わる人たちの与えてくれる刺激はどれも素晴らしいものだ。

8月30日 曇り時々みぞれ、雪

8月31日 曇り時々晴れ、みぞれ
 この頃、AM8:30になると、スズメがテント入口まで、起こしにくるようになった。入口のお菓子のく
ずなどを食べに来るのだ。なんともかわいい。戸高も読書中にやってくるチッチに時々、クッキーをあ
げるらしい。それにしても、天候待ちの日々は続く。

9月 2日 日中晴天
 本日、ドルチェには食料買い出しの為シガールへ下ってもらった。私たちも休養で下るか悩んだがチ
ャンスを見込んでステイすることにした。日中、チョモランマが全望できるほど良い天候に、夕方から
アタックに入ると戸高は午前中睡眠をとる。
 五時三十分チョルテン(神台)に祈りをささげ出発。喜んででかけてゆく。ABCでまったく一人き
りとなる。あまりに静けさに少し恐くなるが、今晩のアタックに備えてカメラをセットしたり、自分の
すべきことをしっかりしようと思う気持ちのほうが強い。
 九時三十分アタックキャンプに入った彼と交信。夜空は星がまはたきクリアな空。十一時ローラ西か
ら雲が沸き、チョモランマを覆う。アタックキャンプは雪とのこと。しばらく天候待ち。
 AM12:00から1時間おきに交信、一回目のアタックと同じ状況となる。AM12:00ベースにもチョモラン
マサイトから湿った雪が運ばれてくる。結局、AM4:00、アタック中止となる。

9月 3日 晴天
 AM7:00、ABCへ下山と連絡あり。昨晩は雪壁に雪がつもり雪崩の音が絶えず響いていたという。戸
高も疲れたことだろう。真夜中の雪には泣かされる。日中は暖かく雪崩の危険が高く、とても登ること
はできない。アルパインスタイルの登山は全てタイミングが合わないと難しい。アルパインスタイルで
登っている海外クライマー、クルティカ、トロワレ、メスナーなどは山の状態を眺めただけで遠征をと
りやめている例もかなりある。メスナーは8000m十四座の最後の一座ローツェ(8501m)遠征の際、雪壁の
状態が悪いと中止し、翌年トライし完登している。世界的14座レースになっていた時期にメスナーは
命をかけてのぼることの意味と価値に下した判断に彼の登山哲学を感じる。フラフラになって帰ってく
る彼をカメラで撮る。疲れた笑顔を浮かべている。昼食はほとんど食べず、多量のお茶を飲み、ぐった
りとテントで眠ってしまう。
 この天候とのやりとりがいつまで続くかと思うと少し憂うつになる。

9月 4日 晴天
 昨晩も真夜中に雪が降る。ABCは雪景色となるが朝日はすぐさま雪を溶かし暖かい一日を与えてく
れる。登山する側には日中の晴天と真夜中のこの雪は少々はがゆい。
 しかしこのABCは豊かな時間にみたされている、美の世界に身を投じて思いや考えを深めていく時
を持てることは幸せなことだ。昨年はもし登頂できなかったら暗い気持ちと2年分がんばる生活をしな
ければなならいように思えて、登ってほしかった。
彼のハードな生活とトレーニングが報われないように思えたから。
 今回、このABCで自分たちの暮らし、登山を進められる中で、彼といろいろなことを話し合うこと
ができている。これまでのヒマラヤ体験、登山観、社会や教育について。彼の宗教的でわかりづらい言
葉も日常の言葉に置き換えることで理解することができる。今年、もし登頂できなくても登れない年を
過ごすことに不安はない。私たちにとってもヒマラヤは生活の一部になった。走るように追われるよう
に向かい続けることはなくなるだろう。ヒマラヤに真理はあり、日本にはない、ということはない。ど
こにでも真実は存在する。自分を見つめる時を持てるのだから。日本ではヒマラヤ登山を伝える場はあ
っても深める時間はなかった。依頼される原稿も考えて書く時間がとれず今までのものを作業的につな
げることが多かった。彼がそこで得たものは知名度であって彼自身が書くことで体験をふりかえり、改
めて確信したことではなかった。彼がもし日本でもヒマラヤ体験をより深め、考える時間を得ることが
できたら、彼が向うものは人々の期待するものと違った方向に行くのではないだろうか。K2の後チョ
モランマ、もし成功すれば未踏の8000m縦走だろうというようなものではなくなるように思える。
少し有名になり、期待される人間像に向かいそうで怖かった。けれどたぶん彼は彼自身であり続けるこ
とができるように思える。結果的にセンセーショナル登山にいきつくとしても、そこに誰でもない彼自
身の純粋な選択、自分を見失わない確かな目を今回は確認することができたように思う。

9月 5日 晴天
 ドルチェがポーター2人と野菜や食料を買い込んで上がってきた。一週間前から白ごはん、スープ、
レトルトの食生活が続いていたので新鮮なキャベツ、白菜に元気が出る。
 2年前から友人でもあるトレーナーの越中氏に戸高の体を見てもらっている。一回の遠征で消耗する
体をケアするのに三ヶ月はかかる。それを毎年続けている体は健康に見えても35歳を過ぎて精神力で
カバーするには限界があった。日本では肉食中心から菜食中心の生活に変え、昼食はガイドなどで一ヶ
月の3分の1は行動食となるため、栄養価の高いカロリーバーやカプセルでビタミン、ミネラルを得る
習慣をつけた。体の機能、状態を自覚し遠征にむけてメンタルコンディションを整え、その登攀に必要
な筋力をつけていくことは、ソロでヒマラヤをやる上で必要不可欠になっている。

9月 6日 くもり
 昨晩は戸高と今回の遠征について話合った。順応から北西壁にかけた3回のアタック、そしてこの天
候や雪壁の状態のこと。十月初旬までチャンス待ちをするかノーマルコースに変更するかそろそろ決め
る時期にきている。昨日ベースに上がってきたドルチェに話ではノーマルは既に8隊、メンバー平均7,
8人、シェルパは50人程はいるという。昨年のK2ではシェルパを使っていたのは1隊1名のみ、ネ
パールでシェルパ登山は当たり前でシェルパレスの方がめずらしい。今まで全く一人で北西壁に向けて
集中した順応を行い心の準備していた分、ベースの様子を聞いてノーマルから登ることに躊躇している
ようだ。心を切り替えるまで少し時間がかかるかもしれない。彼がどう判断するか、すこし楽しみだ。

9月 7日 晴れ
 今朝はルート変更の相談をする為、ベースに下山することになった。スイス、カナダ、韓国、イギリ
ス、コンロンビア、スペイン2つ、河原はテント村になっていた。ヤク60頭がABCへの荷上げに待
機していたりチベッタン、ネパールシェルパ、キッチンスタッフ及び各国のメンバーで遠征独特の勢い
に賑わいをかもしだしている。スイス隊で朝食をいただく。ノーマルではスイス隊が初隊であり、すで
に順応も済み、アタック待ち。戸高がノーマルからアタックする場合、日程が重なる場合もあり一番に
あいさつすることになった。ガイド登山もかねた隊でゲストは既に下山し、クライミングメンバー2人、
シェルパ4人で無酸素アタック予定。86年北西壁ダイレクトのMr.トロワレと美人なワイフが迎えてく
れた。二人ともユーモアタップリの親しみのある人だった。昨年は北西壁をねらったが71日間ABC
にステイし、チャンスはなかったと話した。それにしても素晴らしく豪華なキッチンテント、シャワー
テント、トイレ等には目を見張った。トレッキングやハイキングがポピュラーな生涯スポーツであり、
クライマーとなるとその精神を尊敬される国々=ヨーロッパの名のあるクライマーは違うと思わされる。
ちょうどスイス隊のL.O(リエゾン.オフィサー)が今回のL.O長らしく、Mr.トロワレが仲介し
てくれて問題なく承認。衛星電話のある隊を探し回り、日本の事務局に報告の伝言をいれた。登り氷河
はきついけど静かで動物たちの待つベースはやっぱりいいと急ぎ足で帰る。

9月 8日 くもり
 昨日、ヒマラヤ画家の小野氏がABCに上がってこられた。三日前に一度私たちに会いにやってきて
くれ、ABCからのチョモランマの迫力と氷塔部の美しさに感激されていた。やっぱり上がってこられ
た。小野さんには96年パキスタンのバルトロ氷河で初めてお会いした。その時私たちのガイドのハッ
サンが日本人画家Mr.小野はゴンドコロ(5600m)を超える時、神々しい景色に感動しキャラバンをストッ
プさせ、峠にテントを張り、飲まず食わずでフラフラになって描き続けた。ポーターは荷をおいて帰っ
てしまったが小野氏の真剣さに感銘したハッサンは一人残って彼のフォローをしたと話した。その人に
バルトロ氷河でばったり出会った。物静かで語る一言一言が重みのある方だった。帰国して小野さんの
個展を見た。K2は岩と雪の独特の山の力強さと朝の日のやわらかな光たちの喜びが描かれていて一枚
一枚ヒマラヤの瞬間美を在った。小野さんも中学の美術の先生をしておられたが今はやめられて画家と
しての道を歩まれている。戸高と非常に似たところがあり、二人して懇々と話す姿は個と個が強烈に対
峙し、一人の人の存在の重さを感じる。小野さんのコックは宇崎竜童に似たツッパリ風の人のチベッタ
ン、ガイドはおしゃべりな中学生のような男の子。早くドルチェが彼らのキッチンにはいり玉子を生飲
みしたりして兄貴風を吹かせている。一人で淋しかったドルチェは彼らを歓迎しているようだ。

9月 9日 くもり
 今日は小野さんのガイド、パサン(二四歳)からチベットの話を聞いた。今ラサにはたくさんの漢民
族が入り、ダライ・ラマ殲滅の裏工作を行っているという。ダライ・ラマの写真を踏ませたり、踏めな
い者は投獄し一ヶ月以上牢に入れ、スパイになるよう洗脳したりしているという。パサンは十四歳の時、
勉強仲間である子ども五十人とネパール超え(真夜中、道のない森を密入国する)をしている。インド
のダラム・サラにあるダライ・ラマの学校へ入学し、英語、チベット語、サンスクリットなど10年間
勉強した。寮制で食事は生徒が交代でつくる。一人のチベット生徒に世界中にスポンサーがいて祈るこ
とで感謝をささげる。学校終了後の進路は自由。パサンは進学を望んだが体をこわし、一度ラサに帰国、
今はガイドとして働く。チベット人であるだけで何回も警察に連行されている。来年はガイドライセン
スを取り消されるという。パサンは「僕たちは自由が欲しいが、自由を得るためにはチベット人には武
器ではなく学びが必要だ。」と力強く真剣に語った。
 チベットという国、文化や仏教思想を知るのにとても参考になった本がある。チベット女性の自伝で
リンチェン・ドルマ・タリン著「チベットの娘」中央公論社。時代の運命を受け入れ、自分を生きた人
の生涯には深い感動があった。

9月10日 くもり
 戸高はあとワンチャンス、ノーマルからアタックと決めたようだ。ドルチェは帰りのことを話すこと
が多くなった。彼は一ヶ月半のつもりでここに来ている。戸高はギリギリまでやるタイプだから帰りの
ヤクが上がってきても一人残ってアタックをすることの何の躊躇ないだろう。今日は一日中曇り空だっ
た。体を休めるには悪天がいい。気兼ねなく心も雲な中に入り、休みことができるから。
 どうなるだろう。とりあえず晴天を祈ろう。

9月11日 晴れ
 天候がよけれな本日からノーマルコースABC(6400m)にあがる予定だったが、朝体調が絶好調では
ないと一日延期となる。私のABCまで行ってみたかったけれど、私がついていけば、順応の関係で
6000mに一泊してからABC入りすることになる。チャンスがずれると困るし、私はステイすることに
した。ドルチェにはノーマルでの食事準備や荷を運んでもらう為、上がってもらう。戸高より張り切っ
ていて一人残ることに寂しさを感じる。ノースコルに上がれば、無線もやりとりできるし、何より稜線
や頂上に立つ写真がとれるのだから、それを楽しみにしよう。そろそろ満月、月は輝いて山を照らす。
明日から四日間、天候が持ちますように。

9月12日 晴れ
 素晴らしい天候の予感。チャンツェ、チョモランマは水色の空にくっきり映えている。まだ太陽が出
ていないので湿った空気がABCに漂う。今朝からノーマルルートのABCにはいる。
 天候が良ければ十三日夜中からアタックし7800〜8000mまでのぼり、日中休養、十四日AM12:00からピ
ークに向かい、PM12:00〜4:00の間に登頂予定。調子がよければダイレクトにABCに下山。十五〜十六
日にここにもどってくる。上部では交信できるが下山したかどうか交信できないのは不安だ。けれど信
じることが力になるだろう。チョルテンに祈る。もう何回祈ったことだろう。戸高は顔色も良く、笑顔
で出発していった。日中、南風が吹き、ルンタをはばたかせる。雪も時々やってきてチョモランマは雲
の中に入ったり出たりした。アタックになると少しの変化の兆しも気になる。パサンもフィールドスコ
ープを覗きにきてくれる。まだ山に取り付いている分けでもないのに、山が気になる。

9月13日 晴れ
 AM7:30、戸高から交信が入る。「ノースコル着、スイス隊と合同、メンバー二人、シェルパ4人、ヒ
ザ上ラッセル雪深し、体調よし、先頭で登る。」スイス隊にはMr.トロワレがいる。もう50歳くらい
だろうか、極地法、組織登山中心の時代に小人数アルパインスタイルで数々のヒマラヤを登ってきた人
だ。戸高のあこがれのクライマーでもある。全く一人より少し私の心の中では安心した。小野さんやパ
サンが朝食を一緒にしよう呼びにきてくれた。彼らがいなかったら私はまったく一人でこのアタックを
迎えなければならなかった。偶然の来客の支えがありがたい。今日の雲はこれまでになく神秘的だった。
ネパール側から龍たちがやってくる。くねった雲が山肌をなめるように動いた。上部は強風が雪をまい
たたせるのが見える。
 11:00の交信では、「スイス隊は引き上げるが、体調がいいので登る」と入る。ひざ上ラッセル、雪
はやわらかいと言っている。戸高の判断が正しいのか少し心配になる。彼はシェルパと登ることを好ん
でいない。彼らがひき下がるなら登る方がいいと思うだろう。状況が悪くても一緒に下りたくないので
はないか。
 私は「気をつけて登ってください。」としか言えず、ドキドキして次の交信を待つ。
 PM1:30、「雪崩に合いましたが大丈夫です、下ります。状況がよければノースコル、ABCまですぐ
下ります。また交信をいれます。」息が荒く、途切れ途切れの交信にドキドキする。ちょうどパサンと
昼食を作っているところでパサンが支えてくれた。(大丈夫っていうだから大丈夫だよ。)と思うよう
にしたが、それから全く交信がない。小野さんも心配して絵を描いている丘から「連絡ありましたかぁ
ー。」と呼んでくれる。チョルテンに火を灯し祈る。
 小野さんたちの明日の下山のためヤクが上がってきた。夜ドキドキして過ごす。何回も彼の名前を呼
んだ。

9月14日 晴れ
 結局あれから一度も交信はなかった。たぶんノーマルABCに早く下山したのだろう。小野さんたち
と朝食をとる。パサンが私をはげまそうと、いじわるそうに"I'm alone.you are alone."と叫ぶように
連発する。小野さんが先生のようにそのふざけぶりを注意した。もし本当になったら。ジョークになん
てならない。私も子どもと遊ぶように彼を追っかけて怒ってはみたものの、少し複雑だった。パッキン
グも済み、小野さんたちが下山した。私は全く一人になり、何かしないといられず洗濯をすることにし
た。もし、昨日下山していたら今日はここにもどってくるはず、お湯を沸かし、寝袋も干した。
 PM2:00、キッチンを出ると戸高が歩いてくるのが見えた。「よかった。」とほっとして彼にかけ寄っ
た。「大丈夫だよ。」とやっぱりいつもの笑顔で、本当によかった。ドルチェはBCに下山していると
いう。「ラサに休養に行こう。明日BCに下りよう。雪が安定するまでかかるし、僕はこの山に登りた
いんだ。だからもう一度チャンスをくれるあな?」と話す。私は雪崩で遠征中止かと思った。7600m地
点で大きな雪崩が起きた時、彼はもうダメだと思った。しかし彼の体の2メートル直前で雪崩が左右に
別れ、巻き込まれずにすんだ。自分の状況判断を問い直し、良い教訓になったと話した。彼がまだ登る
気ならば、誰がとめることができよう。夜は満月だった。月は明るさと影を落とし、空に輝く。神様に
感謝した。チョモランマに何回もお礼を言った。

9月15日 晴れ
 ラサに行くことになり、準備とベース撤収のゴミ燃やしやパッキングと朝から忙しい。ノーマルルー
トからのアタックのため、このABC(北西壁)からベースを移す。私たちがラサに行っている間、ド
ルチェに撤収をまかせるのだ。ただ登攀具、個装、テントは自分たちで樽にいれ運べる状態にしておか
なければならない。街へ下れると思うとてきぱき体が動いてく。安全なところは命の心配のない所へ、
少し休養に行けることは私にとって一番のリラックスだ。すべて済んで、最後にチョルテンにお香をた
いて、このABCでの静寂と美しさに感謝した。彼の無事とこれからのアタックに祈った。素晴らしい
ベースだった。ベースまでの下り、何回も振り返ってチョモランマを眺めた。ABCからの美しさを心
に映しておきたかったから。ベースでのテントやラサでの荷などかなり荷は重くこたえたがなんとか3
時間で下山した。
 スイス隊でお茶をいただく。シェルパはアタックでかなり疲れ、酸素を使いたいとメンバーともめて
いるようだった。ラッセルが深いのにメンバーが一度も前に出ないことに抗議しているようだった。
Mr.トロワレは上部8000m以上に酸素を使う隊が上がればトレースができるから、それから上がると話
した。シェルパは戸高と一緒に登りたいと話した。戸高には嬉しくはない話だ。ルートは変えても、一
人で在りたいのだから。L.Oの宿にラサ行きの車がすぐに出られるかどうか聞きに行く。ちょうど数
週間前、雪崩でメンバーが去り、遠征を中止した韓国隊のリーダーもいた。登攀開始三日前の事故。
L.O長のMr.リンチェンピンゾーが来年は登山料はいらない、ロンブク僧院に荷をデポしてまた来な
さい。」と話していた。韓国隊が「一緒に食事を」と招待してくれた。大学生中心の若い隊員たち。こ
れからの可能性を感じる。悲しみを超えて頑張って欲しいなぁと心から思う。
 悲しいことが一つあった。ドルチェがベースでうそをたくさんついていることを知った。このベース
でドルチェがたくさんの人に話したことでは彼はコックではなく、シェルパでハイキャンプまで45〜60kg
の荷を担いで上げたという。コックはいなくて私が毎食作ってというものだ。戸高はシェルパは使わな
い主義であり、もし、戸高がソロで登ったとしたら、ドルチェの話を聞いた隊から疑問視されるところ
だ。私はドルチェをメンバーのように接してきた。時々彼の態度が調子づいてきたところも感じていた
が、私たちの気持ちを馬鹿にしたようなベースでのうそ話には心が痛んだ。ドルチェにとってコックと
いう職業は身分の低いものと思っているからだろう。私たちの友人でもあり、グレック・チャイルド御
用達のコック、パキスタン人のラスールさんは素晴らしいコックだ。ラスールさんもコックあることを
謙虚にそして真のプライドを持って仕事をしている。自分で自分の身分や仕事を見下すなんてけして気
持ちよくはないだろう。私たちはドルチェの食事をほめて仕事ぶりに感謝した。彼はそれに自信とやり
がいではなく、おごりを見つけた。そして私たちのことを見下した。人はうまく行かないものだと思う。
夜は戸高がドルチェと話をしたが、彼は言い訳ばかりした。ベースを離れたいと心から思った。車は夜
は出ず、早朝シガシュに向うことになった。心の切り替えが必要だった。

9月16日 晴れ
 ベースキャンプからシガシュ。朝7:30にベースを出発、ラサに向う。

9月17日 晴れ
 ラサへ。久しぶりのシャワーに感激!!バイキングも涙がでるほど嬉しい。
                                                      戸高優美


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