戸高雅史 チョモランマレポート



ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
日本FOS チョモランマ登山隊 1997」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポート5−1 H9.9.26 発行 <電子メール版 NO.3より> H9.10.05 改訂


行為そのものを生きる
 
 アタック前の順応を終えた。ABCの東側の山で約6900mまで2回到達した。モンスーンの悪天候の
中わずかなチャンスを利用しての順応だった。
 あとは好天の訪れ、すなわちモンスーンブレイクの訪れを待って、チョモランマ峰の北西壁へアタッ
クするのみだ。だが山は非常に雪が多い。雪の状態が安定するのにもしかしたら9月の下旬まで待たね
ばならないかもしれない。じっくりと腰を据えてチャンスを待ちたい。
 
 今回は、昨年のK2峰の時のように「ひとり」ということに対してかまえることなく、とても自然に
山にはいっているようだ。行為の瞬間そのものを自然体で生きることに喜びを感じている。ただその中
に自らの存在ではいりこんでゆくことに。その時、自分を含む世界との調和の中にあり、そこから正し
い行為が生まれるのかもしれない。
 行為そのものを生きること。
 純粋な行為の中にすべてがあるように思う。
 二次的な言葉を通しての解釈ではなく。
                           8月18日  戸高雅史


8月6日 雲り、時々みぞれ
8月7日 〃
8月8日 〃
8月9日 〃、午後より雲
 朝方、風もなくー日晴天と思われたが、午後から激しいみぞれが降り雪となる。北西壁は雪壁登りと
なるため、天候が安定しないと雪崩の危険があると、戸高はまだー度もチョモランマにはとりついてい
ない。本日から東山にて二泊(6200m)し、7000mまで順応を行う予定で一度山へ向ったが、天候の急変で
下山している。ドルチェには郵便を出しにL・Oのいるべースキャンプに下ってもらった。今頃L・O
宿泊所にて衛星TVやビデオを見て、気分転換していることだろう。やはり3人しかいないと個人にかか
るストレスが高い。私たちは時間があれば本を読んだり、景色を眺め空間にただようような時の過ごし
方をする。ゲームやポーカーなどしないので、ドルチェにとっては退屈かも知れない。時々、心を解放
して気持ちを入れ換えないと長い山でも暮らしは淋しく辛いものになる。

8月10日 雲り、みぞれ
 昨夜は一晩中、湿った雪が降り続いた。雪がテントをおおうと外界の音を全く遮断してしまう。あま
りに静かで、時間がとまったよう。時々テントをはたくと雪降る音が聞こえ、外の世界と同じ空間にい
ることを確認する。「雪崩だね」と戸高がテントを開けると、地の底から湧き起こるような重低音がチ
ョモランマの方から聞こえてくる。体も息もとめて感覚がピクンと立つようにその音に集中する。細か
な粒子が大きな流れで落ちている。それは大きな雪崩でかなりの時間その音は続いた。
 初めてヒマラヤに来た95年、一週間以上降り続く雪の生活や雪崩の音に慣れるまで小さく震えビク
ビクしていた。圧倒的な自然と個性的な山の姿に急に怖くなって眠れないこともあった。三度のヒマラ
ヤで雪崩は積もれば崩れるという自然の摂理であり、人間を遙かに超えた存在が、意志を持つかのよう
に動き生きている命の中にいるのだと思うようになった。ここでの暮らしは「生きること」について考
える機会を与えてくれる。非日常の生活は自分を取り巻く日常社会の様々なことに気づかせてくれる。
自然が織り成す芸術や神秘性に心が洗われ謙虚になってゆく。
 また私という人間も常に問われる。ありたい自分やかっこうつけて起こる事柄に簡単につぶされるし
互いに疲れるだけ。それよりも起こる内的感情を客観的に観察し、見つめてゆくことは私を成長させて
いるように思う。なにより、この大自然の静寂の中に身を投じている心地は美しさと自由を味わえる。
いま与えられている体験と、すべてのものに感謝する毎日がある。

8月11日 雲り、みぞれ
 ここー週間、天候はすぐれない。日中湿った霧雲が山を包み、西風と共に霙が勢いよく降ってくる。
夜は低い雲が空をおおい、小雨や雪を降らせる。本当にモンスーンブレィクなどというー週間〜十日間
も晴天が続くチャンスはあるのだろうか?戸高はこの天候で山へ上がるのはあきらめたようでー日読書
人となる。彼の愛読書はインドの哲学者クリシュナムルテイの対語集や日記である。ジドゥ・クリシュ
ナムルティは1895年インドに生まれ、十三歳の時、神智学協会という宗教団体によって世界教肺として
見出され、ヨーロッパにて教育を受ける。青年となると指導者の道を進むが、1929年、「真理は道なき
大地」と宣言し、三四歳で教団を解散する。それ以降九十歳になるまで世界各国を旅し、人々の気づき
と内なる真理について講演や執筆活動に生涯を送った人である。
 戸高はクリシュナムルティの「真理とは人の教えを信じることではなく、自らの体験の中に見出すも
のであり、それは社会的評価や価値の外にある」という考えに強く共感しているようだ。
 そもそも戸高の登山が、登山評価や価値によって選択したり、行うものではなく、純粋な自己体験の
喜びに基づいていること。それによって自然と山との間に誰も入れぬような精神充実をもたらし、登山
行為においてより深いところにある自己との出会いをもたらしている。私は二年前、クリシュナムルテ
イの本を読んでも理解しがたかった。この頃、「人は比較なしに生きることで本来の自分と出会う。妬
み、恐れは、比較から生じる」という言葉は私の生き方に光を与えるものとなった。

8月12日 雲り、みぞれ
 今日は私にとってちょっとした冒険の日だった。朝食後、少し体を動かそうと戸高が順応で上がって
いる東山に登ることにした。ゴロゴロしている岩場をのぼり、先日崩れたセラックを真上に眺めながら
落石に注意して小さな岩を直登。途中どういう点に気をつけるか彼が丁寧に教えてくれる。私はきれい
な石を見つけるのが面白くて下ばかり見て歩いていた。ヒマラヤは水晶のような白い右、キラキラ光に
反射する黒い石等宝石さがしが楽しめる。もっともクライマーは登ることがメインだから私のような遊
びはしない。(昨年のK2チリ隊は宝石探しをしていたが)5900mまであっという間に登ってしまった。あ
と100mで6000mなんてスゴイと少々感動。ここからは雪がのっていてアイゼンをつけて歩いてゆくこと
になる。彼は「調子がいいし、6000mに荷をデポしてあるから、このまま今日は6200mにキャンプを張る
よ、優美は今来たところを先程指導した点に注意して下山するんだよ。」と隊長命令がでた。
 内心ドキドキした。
「もし落石が来たら、まず音が聞こえてくるから、上を見てすばやくよけるんだよ。」と彼のいつもの
調子でいう。「うん」とうなずき、ツーストックでなるべく小さな石や砂の傾斜を選んで下った。私は
スキーをするので「気分はサンドスキーだ。」と胸の高なりを他の心境に変えようとした。途中積んで
あったケルンが心をほっとさせたのでケルンを見つけるとその上にもうーつ石を積んだ。 ABCが近づい
たら嬉しくて、「ドルチェ〜」と呼んだ。ドルチェが笑顔で手を振ってくれるのでもっと嬉しくなって、
ちょっとほこらしげな気分だった。

8月13日
雲り、時々晴れ、時みぞれ
 早朝6:00 昨日、東山にキャンプを張った戸高とトランシーバーで交信する。この天候では好天期
(モンスーンブレイク)が来た時にすべての準備が整っていなければ、アタックチャンスはないだろう。
雪の状態を見ながら、このステージで7000mまでの順応を終了しておきたいと伝えてくる。
 それにしても天候はよくない。小雨まじりの雪や霙は雪崩を起こしやすくするだろうし、怖さを感じ
ざるおえない。フィールドスコープで6500mの雪壁を登ってゆく姿を確認する。上空の雲は白く湧き、
雪稜と空との境を覆い隠す。二時間おきに交信、膝上のラッセルだが、雪の状態は良く、体も動くし、
調子良いとのこと。明るく張りのある声だ。彼は山にー人いるときが一番生き生きしている。ドルチェ
とかわりばんこにスコープをのぞき、1000mm力メラにて撮る。6950mまで登りつめたところで、厚い雲
と強い風が上部を包みだした。下山は驚く程早かった。PM2:00,6200mのテントを撤収し、ABCに下山し
てくる。短時間で集中的な登攀順応を行うので、下山直後は肉体的疲労と精神集中による高揚感がおさ
まるまで、ほとんど食事をとることができない。水分を多くとり、スープなどで栄養をとる。一応この
ステージで順応終了となる。今後はゆっくり休養し、アタックに備える。今回は正真正銘のアルパィン
スタイルとなる。全く初めてチョモランマにとりつくのだから。

8月14日
雲り、時々晴れ、時みぞれ
 朝テントをでると、なきうさぎ(なきねずみといった方がイメージしやすい大きさ)があわてて、すぐ
横を駆け抜けていった。一週間前から雷鳥に似た野鳥四羽、朝になるとやってきて”クォークォー”と
目覚しかわりとしてくれていたが、昨日からそれと違った親子がやってきた。小さな雛を囲うように八
羽にわとりに近い足どりでべースを歩いてゆく。ドルチェはキッチンにやってくる動物たちとすっかり
仲良くなった。スズメ三羽は朝五時にドルチェのテント入り口にやってきて、”チィチィ”と起こしに
やってくるという。早朝、なきうさぎは冬の食料集めに、乾燥野菜や米を運んでいるとまじめな顔で言
う。人間の数よりも動物たちの方が増え始め、ABCはますますほのぼのとした暮らしになってきた。
「単独チョモランマ、アルパインスタイルで挑む」と雑誌の記事の見出しになりそうな雰囲気が全くな
い。戸高自身、気負いがなくおだやかで優しい彼そのものだ。昨年K2でソロを意識し、精神状態を高め
たり、自己の意識内にはいりこんでゆくようなストイックさは感じられない。ノーマルルートにはすで
に3隊入ってきている。初隊はスイスのガイド登山でシェルパが先にCI入りし、ノースコル(7000m)
までフイックスを張ったという。一週間遅れでゲストがべース入りしてくるという。そんな状態下でク
ライミングと、自分たちだけの環境で遠征を進めてゆくのでは、結果的に得られることが異なったもの
になるだろう。
 それにしても彼の強さはどこからくるのだろう。まだー度もとりついていない山へ何の恐れもなく向
える精神力。彼はアタックできること、チョモランマに登れることを心待ちにしている。極限の状況に
おいて冷静に行動できる自分の存在を、もうすでに知っているからだろうか。私は彼の気持ちと心が反
比例する。けれど彼が自分を信じているように私も彼を信じていたいと思う。不安で心をみだすより、
祈り、信じた瞬間に解放される心の安らぎを強さとしたい。

8月15日 晴れ時々曇り
 朝食後、アタック装備の点検に入る、ドルチェは興味深く、戸高の手伝いをする。アタック装備は軽
量化と機能性を備えたすぐれたものばかりだ。ダウンスーツを着こみ腕や足の動きをチェックする。ウ
ェアについているタグなど不必要なものはすべて切り、徹底的に軽量化をはかる。今回の遠征用に特別
に作ってもらったツェルトに入り中での行動をイメージする。所持品は何回も確認し、いつ、どのよう
に使うか、シュミレーションする。8000mの高所では、酸素は平地の3分の1となる。酸素が少ないこ
とで、脳が正常に機能しなくなる。その為正常な視界、判断や、行動が難しくなってくるという。
 戸高が無酸素による障害が生じ、その危険を痛感したのは、94年のK2遠征であるという。8400m地
点にて体全体のだるさと、意識が薄れてゆき、眠くなっていく自分を、もう一人の自分が感じた。意識
が死の地帯に入ってゆき、自らの意志でひきかえす体験は、自分の生存限界を知ることになった。
(この遠征では肋骨骨折と、左足ひとさし指に2度の凍傷を負う。)この体験は、次のブロードピーク
縦走のカギとなった。
 彼がアルパインスタイルにこだわるのは、山との調和を大切にしたいからだと言う。酸素ボンベを使
えば、8000mでも6000mの標高と同じ状態で動けるし、フィックスロープを張れば、安全にピークに立て
る確率も高くなる。けれどそれでは人間の力が強くなりすぎる。無酸素では、ただ一人の生身の自分が
山と向かい合うことになる。クライマーとしてのすべてが問われる。彼が山に求めているものは、未知
な自分との出会いである。瞬間瞬間、山が与えてくれる試練を超える時の充実感、山の世界に入ってゆ
き、自分が消え、無となる山との調和の時は、彼の中で永遠となる。登頂は、確かな喜びを確認する一
つの結果となる。だから、また、未知な自分を見るために、次の条件づけをする、より高みへと向かわ
せる。そうすると、彼の自己探求の手段が山以外のものにならない限り、山に登り続けることになる。
(なぜそんな危険をおかしてまで)と思う人がたくさんいるだろう。私もそう思う。けれど結局、彼に
とって、登ることは、生きることなのだ。
 彼の尊敬するポーランドのクライマー、ヴォイテク・クルティカは自分の登山観を、
「山の道(タオ)」という言葉を使って、説明している。「道(タオ)」とは、東洋の哲学であるが、
おのれの真実を探すこと、自分の道に立つことである。ある人にとっての正しい道は、哲学者、またあ
る人は労働者であるかもしれない。私にとってはクライミングにひたっていること、その中で、人生の
多くを、自分自身についての真実の多くを発見する方法なのだと、「ビヨンド・リスク」(山と渓谷社)
では述べている。

8月16日 晴天
 太陽が輝いている時の空の色は、藍色に近い青色。日が沈むと水色から紫色に変わり、やがて透明感
のある紺色が東から広がってゆく。今日は満月、ダウンを着こんで、月がやってくるのを待った。東、
チャンツェの稜線がやわらかく光り、月の訪れを予感させる。月の光と影は、ヒマラヤをより幻想的に
神秘性を宿して浮かびあがらせる。静かで満ちたりた時をともなって、満月はやってきた。
 ある本の一節を思い出し、それについて話した。
  静けさは、空間の広がりをともなっておこる。
  静けさは、無限の広がり、
  それは心の無限さにほかならない。
  そのなかに中心となるようなものは、何も存在しない。

8月17日 曇り時々みぞれ 午後から雪
 カトマンズを出発して、ちょうど1ヶ月となる。順応を終え、アタック待ちの日々が続く。昨夜の満
月は、どこへ行ったのか、今日は午後から北風がやってきて雪となる。石探しへ出掛けたが、激しいみ
ぞれに降られ、あわててテントにもどる。”ベンベン..”三味線の音が聞こえる。戸高氏ご愛唱の高
橋竹山の津軽三味線である。エバという雑誌に高橋氏の三味線人生が載っていた。彼はCDを聞いてから
その音に魅せられてしまった。”いやあ、実に素晴らしいね”と、一曲一曲感動して聞き入っている三
味線ソウルは奥深いようだ。私がここで好んでかけるCDはジョージウィンストン、エンヤ、宗次郎、
Tuck&PATTI、PUSHKAR,ガイアシンフォニーのサントラは、リラックスするのに、もってこいだ。

8月18日 曇り時々みぞれ、午後から雪
 本日、ドルチェには郵便を出しにベースに下ってもらう。頼んである野菜と、ケロシンガスが減って
きたので、ポーターを探して、荷揚げをしてもらうのだ。ドルチェはベースに下れる日を楽しみにして
いる。ノーマル隊のシェルパやキッチンスタッフと会えるのが嬉しいのだ。もし、友だちが来てるとし
たら、私も嬉しくて駆けていくだろう。ニコニコ笑顔のドルチェを見送る。軽快な足どりのドルチェは
谷へ谷へと見えなくなった。
 午後から、雪が降り出した。北風はテントをゆらし、雪曇はすっぽりとABCをおおっている。心は
すっかりテントや寝袋の中にあるのに、感覚だけは外の風向きや雪が気になって眠れない。戸高は夜中
に3回、キッチンの雪おろしに行った。

8月19日 晴天
 これはモンスーンブレイクだろうか?澄み渡る青空に真白なチョモランマが映える。モレーンの氷塔
群も岩山もすべて新しく生まれ変わったように美しく輝く。戸高は嬉しくて、カメラを持って小高い岩
場へ上がったり、スコップを持って、雪をかいたり、張り切っていて楽しそう。私もスノトレをはいて
雪紋を見たり、雪歩きを楽しんだ。昼すぎドルチェがチベットポーターをつれて帰ってきた。ポーター
はロンブク僧院のウォーターボーイをしている21歳のパサン。秋になると、チューユーナンパラを超え
て、ネパールのナムチャバザールに羊やヤギの肉を売りに行くという。父はロンブク僧院のラマだが、
自分はビジネスの方が楽しいから、ラマにはならないという。
 今日はここで一泊していく。ドルチェと仲良くテントに入り、カラー大型版の遠征報告書を熱心に見
ている。夕食時は、冬のチベット暮らしやヤクの放牧についてインタビューした。パサンはとてもはず
かしそうに答えてくれた。楽しい夕べだった。

8月20日 曇り時々晴れ
 日中は北風と西風が対立している。ABCは北風が吹き、チョモランマにかかる雲は東から西へと流
れてゆく。高度気圧計は晴天なのに、悪天の時より高くなったり、通常の低気・高気圧の読み方では判
断できない。モンスーン中なのだから、あまり参考にはならないのだろう。戸高はフィールドスコープ
で熱心に雪壁の観察をする。昨日、今日と、雪崩があちこちで起きている。雪壁には、雪崩のラインが
縦に幾つもできている。雪崩があったら、ひとたまりもない。心配して彼に質問する。
 アタック時は雪崩を避ける為、夜間登攀で行動するし、ビバーク予定の7800m、クロアール下は、雪
崩を避けられる安全な場所にツェルトを張るので心配ないと言う。このまま天候が良ければC2作りと
雪壁の偵察に入り、状況が良ければ、アタックをかけるという。
 とうとうその時がやってきたのだろうか。神さまに彼の命を祈らずにいられない。
月や星や風や、すべてのものが彼に力を与えてくれることを願う。

8月21日 晴天
 本日、晴天なり!チョモランマは全望でき、青空と白い頂のコントラストはいつ見ても美しい。
”やった”と戸高は嬉しそうにつぶやき、用意しておいたアタックウェアを着込む。朝食はドルチェも
気合が入っていて、まぜご飯焼きおにぎり、おかゆ、チャパティとバイキングだった。2人の感情、胸
の高なりが、いつもと少し違うハイな様子がほほえましかった。純粋で子どものような人たち。
朝食後、チョルテンに神酒をささげ、針葉樹と香をたく。北風はタルチョをはばたかせる。天候、山の
状況が、彼にチャンスを与えてくれることを祈る。
”心配しないでいいからね、ユウミもアタックを楽しんでね”と、アタック前の決まり文句を言って、
彼はモレーンに下り、チョモランマに向った。私は彼が見えなくなるまで、後ろ姿をカメラで追った。
 正午、5900mにC2を作っている様子をフィールドスコープで確認する。チャンツェをまわりこむ手前
の岩場に張っている。雪崩の心配はなさそうだ。
11:00pm、明日の予定を伝えてくる。早朝、雪上がしまっているうちにチョモランマのとりつきまでル
ート工作し、すぐC2へもどり休養、天候が良ければ、22日夜からアタック、とのこと。
 テントからチョモランマを眺める。上部は雲がかかっている。上空は星がまばたき、クリアな夜空。
4日間、この天候が続いてくれたらいいのに。

8月22日
 早朝6:00、C2戸高と交信する。これから、とりつき(アタックキャンプ)までのルート工作に出掛
けるという。C2は5900m、アタックキャンプは6200mとなる。竹先に赤い小旗をつけた目印を氷河、ク
レパス帯に立て、自分だけの道をつくる。今頃、セルフタイマーをかけ、一度、渡ったクレパスをもど
り、撮影していることだろう。彼は教師をしていたこともあるが、ヒマラヤ登山を人に伝えることも大
切な活動の一つとしている。
 11:00am、C2にもどった彼と交信、雪壁の状態はよく、天候が良ければ、本日10:00pmからアタック
するという。
C2からアタックキャンプまで2時間、12:00pmから夜間登攀で雪壁を7800mまで直登、23日8:00am頃
着予定、ツェルトを張り、日中睡眠、23日10:00pmホンバインクーロアールに入り、ピークを目指す。
調子が良ければ、正午頃、登頂、ダイレクトにアタックキャンプへ下山予定。
3日間、天候がもってくれればいい。
午後になり、薄雲が東から空をおおいはじめる。北風は相変わらずで、チョモランマは雲の中となる。
”ドウカナア”と、ドルチェは上を眺める。”祈るしかないよ”と2人で手を合わせる。BROAD.P、K2
と地元の人々やコックさんがどれだけ力をかしてくれたことだろう。そして遠く日本でも満月をはさん
で、そろそろアタックだろうと祈ってくれている人の存在を感じる。昨年K2は満月の光に助けられた
ものだった。帰国した際、”絶対、今日、アタックしてるって、満月を見て思ったよ”と、妹や友達が
力強く話してくれたことを思い出す。私たちは、自分たちの進む道に、友人、知人、家族、多くの人が
支え、見ていてくれていることに感謝している。人と人とのつながりに不思議さと幸せを感じる。

8月23日 晴天
 昨晩、9:00pm、アタックには天候がすぐれないと戸高はABCにもどってきた。夕方、北風から南風
に変わり、チョモランマは雲の中に入っていた。
 早朝、とりつきまで行ったが、大雪壁と山の迫力に少々押されぎみだったと話す。怖さや不安はない
のかという質問に”肉体的、精神的にも最高の状態であれば不安は生じない。”と答えた。あれだけの
迫力にとりつくには、天候に不安を感じたり、すべての調和がとれないとアタックはできない。しか1し、
素晴らしく美しい山だよ。あの雪壁を一人で登っていかれるなんて、本当に恵まれたことだと思うよ、
とつづけた。
明日、早朝、C2のテントをとりつきまで上げアタック体制に入る。夜空には満天の星、チョモラン
マは大きく天座していた。彼は興奮して眠れないようだった。

8月24日 晴天
 日中、澄んだ青空にチョモランマが全望できる素晴らしい天気だった。戸高は早朝から、とりつきに
入りアタック体制に入っている。日中、仮眠し、夜12:00からアタックすると交信が入る。
PM11:00、トランシーバーにて天候を伝える。ABC上空はクリアな星空、チャンツェ、チョモランマ
は雲の中となる。彼のアタックキャンプは湿った雪が降っているという。これは悩む天候だ。けっして
悪いとはいえない。北の谷、ABCは満天の星空で、南のチョモランマサイトだけが雲の中なのだから。
彼は1、2時間様子を見ると伝えてきた。
 AM12:00、AM1:00、AM2:00と空の状況を伝える。ねぶくろに入り、テントの外を眺め、風向き、雲の
流れを観察する。テント上空をほうき星が流れた。(大丈夫ってこと?)ふと思うが、すべての判断は
戸高自身のするもの、私は客観的に天候の状況を伝える。彼はどうするだろうと思うと、彼の下すこと
が、正しいものになることを祈らずにいられない。体がぎゅっと締め付けられて、胃や心臓が小さくな
る。心の中に無理して体が入ろうとするようにさえ思える。
 結局、AM3:00、アタック中止の交信が入る。ふぅっと体の力がぬけてドルチェに伝えに行くのがやっ
とだった。けれどけっして悪いとはいえぬ天候に夜空が気になる。このモンスーン中のチャンスはそう
あるわけでもないだろう。19日から続いている好天も6日目、このチャンスをのがすと、順応をやり直
し、もう2週程、天候待ちをすることになるだろう。
 早朝、AM6:00、風は止み、チョモランマは全望でき、素晴らしい一日の予感。あのAM12:00からの時
間は一体、何だったのだろう。吹いてきた旅雲たちにまどわされた夜だった。

                                                   戸高優美


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