戸高雅史 チョモランマレポート



ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
日本FOS チョモランマ登山隊 1997」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbV−1 H9.10.30 発行 < NO.5より> 

九月二十二日

 ラサでの四日間の休養を終え、シガシェ(3900m)に戻ってきた。明日は一気にここからチョモランマ
BC(5150m)へもどる予定である。食あたりで胃の調子を崩したのは予定外だったがやはり思い切って
ラサへ降りてきてよかったと思う。
 山の状憩、自分の体調等、良ければ登るし悪ければ登らない・・・そんな乾いた気持ちになっている。
 〜九月五日頃まで北西壁でチャンスを待ち続けた。だか好天を予期して3度取り付きのアタックキャン
プ(6200m)入りしたがうまくチャンスを掴めなかった。モンスーンの気流が夜になると南からローラを
越えて入ってきてわずかばかりの雪を降らせる。積雪5〜10p程。それでも雪崩の危険にさらされる北西
壁には取り付くことはできない。三度目のアタックが空振りに終わったところで北西壁を登ることは断念
した。この北西壁にダイレクトに取り付くのは精神的に3回が限度だった。東側の山でいい順応ができた
し、気持ちも完全に北西壁に集中していたのだが残念だった。モンスーンのただ中チャンスをつかむこと
は大変難しい。登れなかった・・・。登らせてもらえなかった・・・。チャンスがなかった。いや今回は
まだその時ではなかったということかもしれない。
北西壁断念後、これで今回は終わりにしてもいいかなと思ったがやはり頂に向って少しでも高く登って
みたいという思いが強くノーマルルートに変更してアタックをかけてみることにした。

 九月十二日、ドルチェに少し荷物を持ってもらい、ニ人で北西壁ABC(5600m)からノーマルルート
のABC(6400m)に入る。ノーマルABCにはすでにスイス、コロンビア、カナダ、アメリカ、スペイ
ン、イギリス、韓国等の各隊が入っており、にぎやかなテント村ができていた。各隊それぞれにヤクを使
ってかなりの物資を荷上げしており、すばらしいキャンブを作っていたが、私たちにはー人用テント2張
りのシンプルなABCだ。夕方には寝袋に入り体を休める。予定では今夜半からアルパィンスタイルでア
タックかけ、翌十三日の昼頃には7800mへ泊り、十四日に8200m、十五日に頂上へ向うつもりである。荷は
すべてで15s近くはあるかも知れない。
 十三日午前一時起床。気温が高く雪が舞っているため少し待機し、午前三時五十分に出発。どうやら私
と同時期に入山したスイス隊(メンバー二人、シェルパ4人)もアタックをかけるようである。灯かりの
ついている彼らのABCを過ぎ、一人ノースコルへの取付きへ向う。取付きには大きなデブリがあった。
5日前、ここで韓国隊が雪崩にあい、一人行方不明になっている。だが今はよく締まっている。クレバス
の開いた斜面を縫うように登り、午前七時二十分、ノースコルに到着。途中から6名のスイス隊が追いつ
いてきた。ノースコルから先はなんとヒザまでのラッセルである。スイス隊はノースコルのデポを掘り出
している。一人、先へ向う。ラッセルは深いが体調は非常に良い。ここでようやく北西壁ABCにいる優
美とトランシーバーが通じた。2時間程登ったところでスイス隊が追いついてきた。彼らと一緒にラッセ
ルして進む。後ろを振りかえればチャンツェが朝陽に照らされ美しい。スイス隊はシェルパニ人は僕と交
互にラッセルしてくれるが他はついてくるので精一杯のようだ。
 ジャン・トロワレももう50歳なのだから無理なのかもしれない。十一時過ぎ、7500mのところで雪崩
の危険や雪の多さでスイス隊は引き返した。Mr.トロワレはー緒に引き返して三日後にまたアタックしよ
うと声をかけてきたが、僕は下る気にはなれず、もう少し状況をみて自分できめることにした。確かに雪
の状況はあまり良くない。しかし天候はよさそうであり体調は非常にいい。ヒザ上のラッセルは確かに大
変だが十分登ってゆける。もし今日7800mまで入れれば明日8200m、それに明後日は頂にいけるかもしれな
い。北西壁で使えなかったエネルギーが今爆発しようとしているようだ。雪は深いが慎重にゆけば登れそ
うでもある。慎重に雪の状態を確かめながらラッセルを続けてゆく。次第に傾斜が急になってくる。上方
にスノードームのようにもりあがったピークがある。雪面の締まったラインを探してみる。
 午後一時十分。突然、自分の周りの雪がまるで波のように上からゆっくりと動きだしてきた。雪崩だ!、
膝近くまで埋まっており簡単には身動きができない。直感的に少し右へ移動する。上部に亀裂が入りドドッ
と雪が落ちてきた。「優美、助けてくれ!」と祈りながら雪崩の流れをできるだけ避けながら右へと少し
動く。その時、真上のスノードームの真下の雪面に大きく線が入り、厚い大量の雪が大波のように落ちて
くるのが見えた。その瞬間、私は覚悟し、すべてのものに別れを告げた。もう左右に動いてしのぐレベル
ではなかったのだ。すぐに大量の雪にのみこまれる・・・
 不思議だった。こんなことってあるのだろうか?私の目の前で大量の雪がニつに別れて右に左に落ちて
いた。大量の雪は激しい音とともに、さらに下方の雪と一緒に雪崩れていった。上部にはすっぱりと板状
にきれた雪面がむき出しになっている。私は少しも動いていない。なんだったのだろう。これはいったい
何だったのだろう。私は一旦、すべてのものに別れを告げた。今までも四回程雪崩や岩雪崩に巻き込まれ
たことがあった。だがどんなに死にかけても生への執着は消えることはなかった。つまり死にたくない、
神様助けてくれ!と叫び続けていた。
 生への執着。この遠征で私はずっと執着ということを見つめてきた。結果としてこの出来事は一瞬なり
とも私にそれを捨てさせるものとなった。振り替えれば反省点はいくつでもある。だが今私は生きている
ことに感謝したい。そしてすばらしい教訓を得たことを。
 明日二十三日には久しぶりにBCに戻る。前回のような燃えるような勢いは消えたかもしれない。すべ
て状況次第。「登らなければ」「なんとしても登る」ではなく、ただただ自然体でチョモランマに向いた
い。

 九月二十三日

 一週間ぶりにチョモランマ峰BC(5150m)に戻る。上空は強い西風が吹いているようだ。私たちがラサ
に下っている間、山は強風が吹き荒れ、他の隊はほとんど上に登れなかったそうだ。24日、25日とB
Cで風が弱まるのを持ち、26日BCからノーマルルートABC(6400m)に入る。
(BC発十一時三十分。ABC着十七時五十分)
 さっそくテントを張り、中でくつろぐ。夕食はアメリカ隊が招待してくれた。食後2時間程、横になり
休む。
 27日午前3時50分、アタックに向けABCを出発。今回は徹底的に軽量化を考え、寝袋を省き、食
料や燃料も絞りこんだ。ザックの車きは7〜8KG程か。今日中に7800mまで登り、休憩のみでさら
にアタックを続け翌28日に登頂しABCまで下山する2日間でのアタックを考えている。それは、今雲
の状態が良好なこと、この風が弱まるチャンスは1〜2日ぐらいしか続かないであろうということ、私の
体調が良好であること、そして今後の登山につながるアタックをかけてみたいという思いからだった。
 午前7時、ノースコル(7000m)に到着。さらに上部に向かって登ってゆく。前回はこのあたりからヒザ
までのラッセルだったが強風でそれらの雪がすべて吹き飛ばされ、雪の状態は非常に良い。だが、寒気は
厳しい。上部、第一ステップ(8500m)あたりに人が見える。昨日アタックをかけたスイス隊であろう。ト
ロワレ、シュテフアン、そして有酵素のシェルパ3人。今の時間であの位置であれば登頂できるか否かぎ
りぎりのところであろう。
 午前10時、前回雪崩にあった地点を越え7600m地点にでる。いつの間にか西風が強くなってきた。
頂上稜線も筋雲がたなびき風が強そうである。予報ではこの2日間は風も弱まるということだったが…。
 午後0時30分、7800mに到着。強風の中、苦労してテントを張る。中に入り、お茶を作る。この
高度ではー日に5g程の水分を取る必要がある。とくに今夜からのアタックは30時間程の長いアタック
になる。たっぷりと水分をとっておかねばならない。ひたすら雪を溶かしては飲むというのを繰り返す。
ILのお湯ができるのに30分ぐらいはかかる。1回、2回、3回、……。あっという間に2〜3時間は
過ぎて行く。風は次第に勢いを増してきたようだ。この風では今夜からのアタックは無理かもしれない。
BCにいる優美とはトランシーバのアンテナの故障でずっと連絡がとれていない。アンテナを修理してみ
るとなんとかコンタクトがとれた。7800mに今いること、そして今夜から頂上に向かうことを伝える。
彼女によるとスイス隊はどうやら第2ステップを越えたあたりで断念したもようだ。シェルパの酵素が切
れ、下山を希望、トロワレもそれで断念したそうだ。登頂はできなかったが、見事なアタックだった。
昨夜からの風の弱まるチャンスをつかんでよくも8600mまで登ったものだと思う。どうやらそのチャンス
も今日一日のようである。西風が非常に強くなってきている。この風が収まらねばアタックはむづかしく
なる・・・
 午後6時、トロワレ、シェルパが降りてきた。「見事なアタックだったね!」と声をかけると、「やあ、
マサ!ラサはどうだったかい!」「登頂できなかったのは残念だけど、満足しているよ。」といってさわ
やかな顔をしていた。49歳、本当に登山をいきてきた人なのだろう。彼らが降りるとまったくのひとり
っきりになった。午後7時、少し風が弱まってきた。もしかしたら、頂上まで行けるかもしれない。さっ
そく準備を始める。凍傷予防のクリームを手足に塗り込み、ソックスの間にホッカイロを入れ、さらに腰
とお腹にも張りつける。ここまでやれば強風の中でもかなり頑張れるかもしれない。午後8時40分、出発。

 8350 mまでは北稜をつめ、そして頂上へと続く北東稜を辿れば良い。次第に暗闇に包まれてゆく。
それとともに寒気と風が厳しくなってくる。地形的にこの尾根は風の強いところと弱いところがあるそう
で、7800mよりも上にゆけば弱くなるかもしれないと期待していたが益々強くなってくる一方だ。
 午後8時、8 000m地点に到達。体調は非常に良い。だがタウンス一ツを通して体の芯まで寒気が
はいりこんできている。残念だがこれでは無理だ。トトランシーバを出し優美にアタックを断念し下山す
ることを告げる。

チョモランマ峰の頂きは今回も遠かった。
 7800mのテントに戻り、朝を待つ。夜半から強風が吹き荒れ出した。寒気も厳しく寝袋なしではけ
っこう堪える。翌朝吹き飛ばされそうな風の中、ABC〜BCへと下山する。

 十月二日

 遠征の終了を決めた。
ノーマルルートでの2回目のアタックを終えさらにBCでチャンスを待ち続けたが、もう山にはジエット
ストリーム(時速100qを越える強風、冬になると訪れる)がやってきたようで、ここ数日寒気もいち
だんと厳しくなってきた。わずかなチャンスにかけABCに向かう。だが途中でチョモランマ峰にかかる
すさまじい筋雲をみ、登山シーズンがもう終わったことを感じ、ABCの若干の個装の荷下げはドルジェ
に任せ、ひとりBCに引き返す。
 優美がテントの前で迎えてくれた。「これで終わりにするよ。長い間、どうもありがとう。」「お疲れ
さまでした。」
 残念だった。
 だが、ヒマラヤ登山にはこんなときもある。登頂という結果は出なかったが、この遠征を通して得たこ
とは大きい。順応から北西壁での張り詰めたような日々、そしてノーマルルートでの2回のアタック。宇
宙のリズムがあり、私のリズムがある。それがひとつになるには……。今回は体験をそのまま言葉に置き
換えて記憶の倉庫にしまいこむのではなく、瞬間を体験するままにした。それは今言葉にしてこういうも
のであったと表現することはできないが、確実に私の全存在に食い込んでいる。それはいつか静かに熱し
私に何かを気づかせてくれるかもしれない。

 今回の遠征はたくさんの方々のご協力、ご好意に支えられまして実現することができました。ここに
改めてお礼を申し上げます。
 どうも、ありがとうございました。
                                              戸高 雅史(97/10/26)


Rep.bP  bQ  bR  bS  5-1  5-2 6に戻る 頁頭に戻る 7-2へ進む