戸高雅史 チョモランマ遠征レポート 99


ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1999」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbR

カイラス巡礼−戸高優美−編 その2「カン・リンポチェ巡礼」

7月17日 曇り/晴/雷雨 カン・リンポチェ巡礼1日目
カン・リンポチェを回る朝が来た。チベッタンの健脚な人はタルチェンを早朝に出
て、14時間ほどで回ってしまうという。カン・リンポチェを右手に眺め時計回り
に行く人は仏教徒とヒンドゥー教徒。ボン教は逆の左回りを行く。私たちは3日間
かけて景色と巡礼を味わいながら行くつもり。トラック・ランクルのドライバー、
ロトさん・ロサンさんは2人で2日間で回ると人夫さんを従え朝7時にタルチェン
を出ていった。私たちは午前10時、荷を担いでゆらりと出発。宿の門を出るとハ
トが3羽飛び立ち、犬が3匹ついてくる。私たちにとって「3」はラッキーナンバ
ー。なぜかって?彼も私も3人兄弟だからです。(彼も私も次男次女)戸高は荷が
重いからマイペースで行くよ、とどんどん先を歩いて行く。私は遠く雪をまとう峰
や湖を眺めてゆっくりと歩いてゆく。ふぅーと疲れて立ち止まると背後に何者かの
気配を感じる。振り向くと一匹の犬が私の後ろにピタリと座り、同じように湖を眺
めて一息ついていた。思わず目が合うと、犬はそのまま、こちらを見つめ「大丈夫
ですかぁ?」とでも言うように優しい目を向けてくれる。私には友だち犬が2犬い
る。ロッキーとくるみちゃんというが、この犬はメスで茶色の美人犬なので「くる
みちゃん」と呼ぶことにした。橋が出てくれば途中まで偵察で渡り、「OK」とわ
ざわざ戻ってきて、私を先に渡らせて彼女は後からついてくる。テントを張れば近
くで昼寝ときたもんだ。なんてかわいい旅友だち!巡礼回りをする人の後ろには案
外この手の犬がついていっている。きっとこの地で生まれてきた犬たちにとって、
巡礼はありがたいものにちがいない。狭くてゴミだらけの宿泊所より、好きなよう
に歩き、自由を味わえる。西から大岩山の尾根が走り、谷を創っている。その東側
中心にカン・リンポチェが在る。私たちはまだ谷に入る前の川沿いに一泊目のテン
トを張った。夕方、西の谷間に雨雲が湧き稲妻が光りはじめた。その谷間だけに稲
妻は起こり、真横へ縦へと光が走る。雷の爆音が谷間に響く。その音は天と地が共
鳴しあうようで、私の体にも振動する。不思議なことに私たちのテントには雨も雷
もふってはこない。戸高は北に起きている様子に興奮しておて意識的に呼吸を整え
ている。しばらくすると谷から風が吹き、雨雲が運ばれてきた。稲妻と雷も近づい
てきた。慌ててテントのフライを閉める。その途端、ものすごい強風がテント全体
をゆらし激しいみぞれが天からつよい地からで叩きつけてくる。こんな雷雨は初め
てだ。稲妻が走り雷の爆音が恐ろしい唸りで響いていく。戸高はじっと座り、いま
起きている状況を全身で感じているようだ。私はとても怖くて両耳をふさぎ背中を
丸めて小さくなった。「神様、どうかこのテントに雷が落ちませんように」と祈っ
た。けれどふと、恐ろしい力でテントを揺らし続けているこの猛威こそ神ではない
かと思えた。そう思ったら背筋を伸ばし、この猛威を受けてみようと思えた。数分
だったに違いない。私には雷雨に身を預けていた時間は長く感じられた。稲妻が真
上で光り瞬間に雷がものすごい音で破れた。
戸高がすくっと座をといて、靴をテントの中に入れた。「このままだと危ないかも
しれない、急いで靴を履いて岩寺へ非難しよう!」と言う。(そうだよね、逃げた
ほうがいいよと、急に弱気な人間になっちゃう自分が格好悪い気もしたが、格好つ
けてる場合じゃない)平地に一点張りのテント。確立はかなり高いような気がする
。闇路の雨だまりを駆ける様に寺へと逃げる。心臓がドクンドクンと高鳴り、呼吸
が荒い。けれど、安全な所を求める何かが、私の内からグッと力を出してくる、暗
くて足元ばかりを見て進むことに必死だったので、自分の位置を確認しようと振り
返る。ヘッドライトに2つの光りが反射した。くるみちゃんが私たちについて一緒
に非難しているのだ。さっきの嵐できっとどこかへ逃げていると思っていたのに、
彼女は私達に着いてきている。感動した。
3人で声をかけ合ってあって寺へと進む。10分は歩いてたと思う。体を打つよう
な雨は過ぎ、雷も遠くへと行った。どうやら大丈夫そうなのでテントに引き返す。
もちろんくるみちゃんも一緒だ。テントに戻り、あまりに突然の驚異的自然現象に
2人してしばらく声も出ず、ずぶぬれのまま座り込んでいた。雨は持続的な降りと
なり、今夜は止みそうにない。くるみちゃんをテントのフライシートへ入るように
促すけれど、その狭い布の間へけして入ろうとはしなかった。夜中に気になって彼
女を確認するけれど、テントの近くにいなかった。雨上がりの朝は寒い。旅友だち
はどこかへ行ってしまった。

7月18日 曇り/晴れ/雷雨 カン・リンポチェ 2泊目
ラ・チェ(川)の対岸に、五体投地をして行く二人の若者がいる。まっすぐに立ち、
天で両手を合掌させ、額、胸と置いた後、両手をついて地に両手を滑らせるように
しながら全身を大地へとひれ伏す。そうして少し進んでは膝をついて起き上がり、
五体投地を繰り返していく。人はいったい何を持って生きていくのだろう。ただ、
こうしてひたすら祈る人たちがいる。カン・リンポチェを五体投地で回ると2週間
はかかるという。まずその日のキャンプ地まで荷を運び、戻って祈りの苦行を始め
るのだから。この地を行くチベッタンの歩き方には魅かれる。しなやかで、リズミ
カル、軽快に歩きゆく私も彼らのように、確かな一歩一歩を踏みしめて歩んで行き
たいと願う。

7月19日 曇り/晴れ ドルマ・ラ峠越え 3泊目
カン・リンポチェの巡礼路は一周52km。今日は一番の難所、ドルマ・ラ(峠)
5630mを越える。約100年前、中国僧を偽ってカイラス巡礼をしている河口
彗海は、この峠を「三途の脱出坂」と名付けている。峠がいよいよ厳しくなってき
た頃、後ろから若い尼僧2人と少年僧がやはり苦しそうに登って来た。「タシデレ
」と挨拶を交わす。私が休めば彼女たちも休む。どうやら苦しそうな巡礼者に(こ
こは、一緒に行きましょうか)と思ってくださったようで、朗らかな笑みで応援し
てくれる。だいたいチベッタンの巡礼者は、ヤクや馬、ロバに荷を積んで軽荷で歩
くのが普通。家畜と共存している彼らの暮らしでは、重いものは頼りになる動物に
背負ってもらうことは当然のこと。だから、「自分の荷は自分で担がなくては・・
・」という気負いはからっきしない。尼僧はあんまりヒーヒー言っている私に「さ
あ、荷を担ぎましょう、私にお貸しなさいな。」とジェスチャーしてくれる。と、
すかさず戸高が「荷も一緒にコルラ(巡礼)だから、ヤクドゥ!」(ヤクドゥは遊
牧民の子どもたちの俗語でOK!という意味らしい)とか言っちゃって、気を使っ
て断ってくれる。みんなで戸高の「ヤクドゥ!」に爆笑。登っていくと、後ろを歩
く尼僧が、ちょっとでも楽にしてあげようと、ザックの下を持ち上げて、ガンバレ
と押してくれる。有難いがどうも早足となって苦しーい。やっと峠のピークへ達す
る、無数のタルチョ(祈祷旗、5色は物質の5元素、地・水・火・風・空を意味す
る)が四方に張られている。難所を越えた喜びと、清々しく吹くタルチョのはため
きに、気負う心がとけていくようだ。尼僧は教を唱えながらタルチョの中心にある
大岩に祈った。後ろから若いチベッタン女性2人がやってきて、大岩の前で五体投
地を始めた。チュパ(ウールの長袖ガウン)に包まれているものの、体格もよく、
バレーボール選手ばりだ。けれど祈る姿はしなやかで美しい。これまで若くて美し
い女性の写真はあまりない。戸高が「カメラいい?」とジェスチャーすると、彼女
達は五体投地をしながら、キャーキャー笑って断った「ユーミなら撮れるかも」と
促されたが、私は尼僧と彼女達の楽しそうな五体投地の行を見ていて心地良かった。
苦行を苦行とせず、高らかな笑みを湛えつつ祈る。タルテョをぬって今度は峠の下
り、膝はガクガク、お腹はスキスキだ。一時間ほどで川沿いの道に出た。茶屋があ
り巡礼した人々がほっと疲れをいやしている。そこで尼僧と五体投地の娘さんたち
の車座になりお茶タイム。尼僧がツァンパを捏ねて、「食べなさい、食べなさい」
と勧めてくれ少年僧は茶屋から勝手に茶を水筒に入れてきて「飲みな、飲みな」。
少年僧にカメラを渡し撮ってもらえばみんなキャーキャー大騒ぎ、で私たちのグル
ープは「カン・リンポチュ巡礼部(かなり体育会系です。)の雰囲気だった。私た
ちは2人でいることでいつも地元の人に助けられ教えてもらい楽しい旅ができる。
言葉が通じなくとも語り合うようなコミュニケーションができることを嬉しく思う。
それは軽やかでやわらかい心の交流だ。タルチェンへの帰り道。巡礼を終えて帰り
ゆく人の姿は、誇らしく、喜びの笑顔に満ちていた。あの峠をみんな超えたと思う
と通り過ぎてゆく人と挨拶を交わしながら、相手に笑みで称え合う。人も馬も犬も
川辺のお花畑に祝福されている。谷間から始まり厳しい峠を越えこの緑と水と花と
の調和的な生の安らぎの内へ帰ってくる巡礼路。やはり聖地とされている地には人
智を超えた創造があるにちがいない。

峠越えが厳しかったこともあり、タルチェン街まで帰りつくことができず、途中、
ジュンチュ(川)にテントを張る。お茶を飲んで充実感一杯で横になる。しばらく
するとまた雷がやってきた。この地形からなのか、今度は遠く晴れているのにテン
トの上に雷雲があるようだ。大粒のみぞれが激しくテントを叩きつける。まるでか
みなり様がみぞれを大砲に詰め込んで1点目掛けてドカーンと放っているようだ。
その大砲の爆音は谷間にこだまして地面を振動させ、私のお腹にもつたわってくる。
戸高が「これは祈るしかない、ユーミ、祈って」とまじめに言う。(ホント・・・)
と思いつつ心の中で家族から始まり友だちの名前を次から次へとあげて祈った。彼
は光った後に数を数え雷の距離を計る。近い時は1秒、遠いときは5秒。しかし遠
くへいったと思うと秒を縮めて戻ってくる。この地には空の上に見えざる何者かが
存在しうるにちがいない。そう思わせる自然の驚異的な力が天の術を操って地を支
配している。

7月20日 晴れ タルチェン街へ帰着
タルチェンへと帰る途中、片足を引きずって歩くおばさんに会う。挨拶すると、と
ても悲しそうな顔をしてその場に座り込む。くつ下を脱ぐと足首が腫れ上がってい
る。「ドルマ、ラーアー」と足をひねって転んだとジェスチャー。万能薬を塗って
あげると両手を合わせて「トゥディチェ」。どうやらおばさんは仲間から離れて一
人になってしまったようなので、3人でカリカリ(ゆっくり)帰ることにする。街
が見えるとひきずる足は重そうでペースもますますゆっくりに。「分かるよその気
持ち、おばさん。もうちょっとだからガンバレー」と日本語で励ませば、おばさん
は「レェーレェー」の連発。やっと到着。さようならをして宿へ。夕方、おばさん
が10才くらいの活発な少年を連れて遊びにきた。部屋の中のものを興味深く眺め
にこにこ笑っている。何か記念になるものは・・と思い、カン・リンポチェのハガ
キをプレゼントした。カードを額につけて祈り大事そうに懐へしまい、おばさんに
頭と私の頭をゴツンとつける挨拶をしてくれた。「さぁ、もう行きましょう。あり
がとうよ旅の人」とでも言うように握手をし、さわやかにドアを閉め去っていった。
おばさんの力強い手には信心深くある人のぬくもりとたくましく生きる美しさを感
じた。私の方がおばさんからパワーをもらった気がした。
(戸高優美)