戸高雅史 チョモランマ遠征レポート 99


ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1999」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbQ

カイラス巡礼−戸高優美−編  その1「カトマンズからチベットへ」

7月8日 曇り/スコール カトマンズ 標高1400m
 タメルでの買出しはいつもワクワクする。ナべ・ヤカン・フライパンが各大きさご
とに重ねられドカーンと店の前に並べられている。またその色が赤や黄の原色でな
んともカラフル&ユニークなのだ。バザールをゆく人、働く人も老若男女、ネパー
ル人、インド人、チベット人、観光客で大賑わい。せまい通りでは人夫さんが大活
躍でベットマットからベニア板、タンスを担ぎ、リズムよく小走りに行く姿には感
心する。カナリヤも小鳥もカゴにいれられ売られてゆく。お土産屋の前では「ミル
ダケ、ミルダケ」と誰が教えるのか安っぽい日本語での客引きにはうんざり。(し
かしこの言葉は日本人観光客の行動を実にうまくとらえている。)昨年はたりない
と困ると、米・砂糖を30kg大購入。いくらなんでも二人で二ヶ月の高所食、た
べた米は5kgほどだった。今年は反省をいかして、日本米10kg、砂糖15k
gとした。カトマンズは大抵の食品は手に入る。さすがに日本食は高く梅干がなん
と一瓶6000円!とても買えない。(ちなみにネパールの物価チェック、コーラ
1本10ルピー=20円。)


7月10日 曇り カトマンズ→ザンムー 標高2350m

午前5時30分、エージェント・コスモトレックへ。すでに大型バスが止まり、ネ
パーリーガイドさんが荷の積み込みをしてくれている。今回はヤクエが荷運びしや
すいようプラスチックたま16個に装備/食料をパッキングした。午前6時、がら
んとしたカトマンズから国境コダリへのトウモロコシ畑や田植えをしたばかりの田
圃を眺めながら、バスは山を登るように走る。コダリにてネパール出国手続きをし
、チベット、ザンムー街へ向かいたいところだがすんなりはいけない。道路が崩れ
てトラックがこないのだ。人夫を集め40分歩き、途中からトラックをつかまえて
やっとこさザンムーへ到着。
入国審査所でキョロキョロしていると「僕がリエゾンオフィサーです」と話しかけ
てきた人がミスタードルジ、今回のガイドとなる人だ。日焼けした肌に大きな瞳の
チベッタンらしい雰囲気の人。本日はザンムーへ泊まる。明日の朝からチベットの
長い旅の始まる。


7月11日 曇り/雨 ザンムー→ティンリ 標高4342m

暗くしめった谷間の街、ザンムー。2年前、画家の小野さんのガイドとしてチョモ
ランマABCまであがってきたガイドのパサンと再会する。今年から中国旅行店の
ザンムー配属になったという。ABCでチベットのさまざまな話を聞かせてくれた
パザンにまた会えるなんて!漢人、チベット人、外国人の入り乱れる国境の仕事は
けしてあまいものではないだろう。肩をいからせ歩く姿にここでの気負いをみるよ
うだ。「パサン体を大事にね。!」と言うと「ありがとネ!」となつかしい茶目っ
気のある日本語で返してくれた。
今回はザンムーからティンリ(標高 4342m)まで一気に向かう予定。ニェラ
ムに近づくとこれまでの世界からどこか異なった室内へ抜けていくような壮快感が
起こる。茶色の連なる山々は壮大でゆったりとした時が刻々と流れている。この悠
久に身を放つ心地を味わう。

7月12日 曇り/晴れ ティンリ→サガ 標高4525m
ティンリからカイラスの麓まで約750km、3日間かけてのロードトリップが始
まる。昨夜は4342mへいきなりの宿泊だった為、夜は頭痛がひどく寝不足。車
の中でうとうとするが、荒れ道にガツンと叩き起こされてしまう。戸高はシートの
上で禅を組み、ヨガをやったりしている。この揺れの中でスゴイと思う。普通、チ
ベッタンはチャンタン高原の相乗りトラックを利用してカイラスへ向かう。私達は
最短距離の道路を利用し、道は悪いが南廻りで行く。車は山と谷と峠と川を幾つも
越えていく。
昼食はトラックのドライバーを含めて、標高4500mのペルクル・ツォ(湖)を
眺めてのアウトドア・ランチ。湖面は空を映す鏡、太陽と青空が望めば深いトルコ
ブルー。灰色の雲の時はグレーに輝いた湖へと瞬時に変化していく。渡る風が冷た
く肌をなでる、家も畑も全くない。こんなにも美しい所が誰の所有物にならずに在
る、遠く湖畔の緑地に何百もの山羊を追うチベッタンの姿が映る。この地が創られ
たであろう何億という昔から、変わらない姿のまま残されていることに感動する。
本日の宿泊地はサガ。ヤルツァンポ川の向かいに見えてきた街だ。橋を渡ると思っ
ていたら驚いた。なんと、ランクルもトラックも山羊を連れた遊牧民も、渡し舟に
乗って対岸からやってくる。手漕ぎボート2台の上に角材を組んだけの手作りの船。
対岸をワイヤーで結び、片方の人に引っ張ってもらう。マンパワーが必要だが、だ
からこそみんなが口々にお礼を言い、挨拶をして、ニコニコしながら降りてくる。
「タシデレ!」(こんにちは)「トゥディチェ!」(ありがとう)を積んでくる船
に乗ってるって、とってもステキ!

7月13日 晴れ サガ 標高4525m
ティンリに続き4525mのサガへ強行宿泊はかなりデンジャーな晩となった。
久しぶりに高山病になった。頭痛がひどく、呼吸はしているものの、酸素不足なこ
とが息苦しさで判る。どうしようもない重圧感が体にかかり、だるくて動く気にな
れない。夜中やっと眠れたかと無意識になると、チェーンストークという一時的呼
吸停止状態となり、慌てて起きる。戸高は「高度に体が慣れていない時は眠らない
方がいいんだ」と、ずっと起きて本を読んでいる。(だって・疲れてて・・眠いん
です・・・)とにかく大量のお茶を飲み、後は耐える。
朝食はとても食べられず、少し運動したほうがいいと街をフラフラ歩く。街を過ぎ
ると、川辺に緑があり、気持ちよさそう。しかし、緑の上は山羊やヤクの糞でいっ
ぱいなのだ。そう、ここチベット高原では、緑の優先権は彼らにあるのだ。仕方が
ない。もう少し登り荒れた石ころの上に転がり込む。土の上は冷たくて気持ちいい
!地べたや雪の上、草っ原にごろんと寝転んだ時の安堵感が私はとても好きだ。体
のずっと奥の芯が大地の底で鼓動している何かと重なっていくような不思議な安ら
ぎがある。いつも間にか2人して30分以上も眠ってしまった。

7月14日 晴れ サガ→バァヤン先の遊牧民テント村
川が流れる遊牧民のテント村にキャンプをすることになった。トラックとジープが
止まりテントを張れば遠くから見学の人たちが集まり出す。まずは子供たちがやっ
てきていつものように「スゥィート」のジェスチャー。一人にあげれば大変なこと
になる。初めから「この人はくれないけど、まぁおもしろいじゃん」と思わせるよ
うにする。「タシデレ、握手作戦開始!」スゥィートと出してくる手を握り、「タ
シデレ〜」と左右へ振って・・つかみはOK!子どもたちのにこにこ笑顔が始まり、
次から次へと手が出てくる。(恥ずかしそうに笑った後、じゅるっと鼻水をふいた
手を出してくるのはやめてくれ)ドルジ達は三角テントを2張り立てている。子供
もおばさんも手伝って、テント開きはすぐできた。彼らは、手伝ったんだからくれ
くれ攻撃!仕方ない。
次なるは「お姉さんは怖い人なんだぞぉー作戦開始!」集まってくる子供を鬼の様
に脅かして追いかける。これも子らはノリノリで、わざと近づいてきては「キャー
キャー」言って逃げ回る。(なんていい笑顔!)しかし、この作戦は今の私には過
酷すぎた。順応不十分な上、子らの数が圧倒的に多く、彼らのエキサイティングぶ
りに、持ち時間3分程で自ら降参。すると、一番初めから遊んでいたガキ大将が、
大型トラックのタイヤを一輪転がしてきた。日頃の遊びを見せてくれるようだ。タ
イヤを転がす先頭が運転手。後ろに5人連なって乗客。「プップー」とクラクショ
ンを鳴らして車は走る。どこかへ着くと、みんな座ってままごとの始まり。石と砂
とでおいしいご飯のできあがり。私には一番大きな石をくれ、まず初めに「食え」
と言う。そして、「もっともっと、食え食え」と勧めてくれる。ちゃんと客人とし
て扱っているのだ。まだ4、5歳の彼らの中にきちんとした礼儀が育ってる。やっ
と夕暮れとなり、手を振り振り各家路へと向かう。「シュウチェ!」(さようなら)

7月15日 晴れ バァヤン先の遊牧民テント村→タルチェン
草原に点々と張られた遊牧民のグル(テント)に朝の太陽が射していく。豊かな朝
の時がやってきた。山羊5頭程を紐で括り、乳を搾る。彼らの朝は早い。今日は待
ちに待ったカイラスの麓、タルチェン街へ向かう。本日の移動も揺れに揺れる荒れ
た道。体内臓器はすでに正位置にあるはずがなく、車を降りて歩くたびに、胃や腸
がズキンッ!と痛む。
戸高曰く「激しい揺れに、横隔膜の動きが妨げられ、腹式呼吸もうまくできず、胸
呼吸になっている上、状況は好ましくない」確かに、呼吸も苦しい。だから彼は、
なるべく体のダメージを減らす為、シートにとても姿勢正しく座っている。そのま
じめな様子がおかしくて笑っちゃうと、腹筋がつって痛くって涙が出てくる。けれ
ど彼を真似て正しく座るとかなり痛みが押さえられる。バックシートに姿勢正しい
日本人って結構おかしいと思う。

7月16日 曇り/小雨 タルチェン街 標高4675m
チベット人はカイラス山(6656m)のことをカン・リンポチェ(尊い雪山)と
呼ぶ。カン・リンポチェはブッダであり、周囲の山々は菩薩や神々であるという。
カン・リンポチェを含めその他にあるすべての物が、仏教の宇宙観を表わし、地上
のマンダラがここには在るという。タルチェンはカン・リンポチェを巡礼する人の
基点となっている地で、中央にタンチェン・チュ(川)が流れ、民家、集落、外国
人宿泊所、そしてチベッタンの巡礼テントが集まっている。けれど私はここについ
た時、なぜかすっきりしなかった。外国人宿泊所の周りはゴミがまき散らされて、
いつものごとく汚い。戸高は巡礼者たちのテント地へテントを張りたいと申したが
それは禁止されているので、決められた宿に泊まらなければならない。分かってい
ることだが、私たちの旅は多額を出して「外国人旅行証明書」を買い、非公開とさ
れる地に入ることができる。カイラス巡礼は中国との併合やインドとの国境紛争等
の宗教的禁止などの影響で、ようやく1980年頃から許されるようになった。外
国人の旅行者はチベットの神秘性と最後の桃源郷ブームで年々増えているという。
宿も交通も秘境なんだから、ローコストでガッポリ儲かるチベットという国。村や
チェックポストで漢人の公安が厳しくチェックし、無許可ならば罰金請求し取り締
まる。チベットの人たちはこのカン・リンポチェにどんな想いではるばるやって来
るのかと考えると、私の見たい知りたいという好奇心が、何か恥ずかしい気がした。
聖なる地にゴミを持ち込んでいるのは間違いなく自分で、この地にお金をからませ
俗的にさせる一端をまちがいなく担っている。戸高もすっきりしない様子でこのこ
とについて少し話をした。しばらくして彼は散歩に出かけ、私は日記を付けた。暗
くなってチベッタン村から帰ってきた彼が言った。「ここの巡礼に来ている人は、
皆すごくいい表情をしているよ。生き生きして、ここへ来たことを喜んでいる。僕
らも喜ぶべきであり、巡礼の人たちに触れること。ここに来たことは間違いではな
いんだ。僕は嬉しくてたまらなくなったよ。」
(戸高優美)