戸高雅史 チョモランマ遠征レポート 99


ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1999」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbP

前略
 日本の暑さはどうですか。

 私たちは予定どうりカンサンポチェ(カイラス山)とマパムエムツォ湖
(マナサロワール)の巡礼を終えて、今日(7月29日)ラサに到着しました。
 巡礼の旅は想像以上のものでした。聖地と言われる場所には私を圧倒するもの
がありました。
 またそこに集まってきた巡礼者達の姿。私自身の登山もスポーツというよりも
まさしく巡礼の一つの手段であり、私の道なのだと感じた次第です。

 私たちは8月5日までラサのホテルに滞在します。

          1999/07/29 ラサのホテルにて   戸高雅史/優美


ネパールカトマンズにて 1999.7.9 戸高雅史

カトマンズでの準備を予定通り終了。明日からチベットへ入る。まずは約2000
km歩いて聖地カイラスへ。今まで自分が体験してきたことと自分の周りでおきて
きたことをすべて受け入れた上で新しい旅へ。
これからは外に対して湧く力ではなく内側から溢れる力が僕を導いてくれるはずだ。

カイラスからチョモランマ峰へ。
私たち二人にとってそれぞれの生命と深く直接に付き合う旅になると思います。

今回の登山に際しましてはたくさんの方にご好意をいただきました。ありがとう
ございました。深く感謝申し上げます。



1999.7.8 飛行機の中で 戸高優美

いま日本にいるネパールへ向かう飛行機の中にいる。
雲海は細やかに波を打つように広がり、いつの間にはもくもくの入道雲を抜ける
ように飛んでいく。空は小さな頃からあこがれだった。雲を見上げては、いつも
話しかけていたものだ。毎年のように空を駆けてヒマラヤに行くようになった。
日本のあわだだしい生活を振り返り、大切な人たちの存在を思う。
戸高と5回目の遠征が始まる。
これまでの遠征は体力、気力、好奇心を精一杯使い、驚きと喜びに満ちたすばら
しいものだった。けれどその体験の中で、自然の脅威と驚異、登り続ける以上起
こるであろう現実を身に迫る思いで知ることになった。

戸高の登山にかけるストイックまでの生活と情熱を尊重しようと心がけつつ、私
には理解を超えることもあり、私自身が苦しくなってきた。反していえば「いつ
も一緒についてゆく」ことに満足していた自分から、彼のように強烈に自己を貫
いていこうとする人と共に生きてゆく以上、私自身が今後どう生きてゆくかを真
に問わざるを得なくなってきたのだと思う。今回は一緒にゆくのかどうかもずい
ぶん悩んだ。

その理由はネガティブなもので、実は何か起きたとき、その場に出くわしたくな
いこと。二つ目は3回目のチョモランマ、同じABCの暮らしを繰り返すと思わ
ず、静かさに身を投じる安らぎを楽しめるかどうか自信がないというものだった
。彼が登ることに集中する為にもベースで待つ人の存在はメンタルな部分で大き
な影響を与えるのは間違いない。もし私が行かなかったら彼がまったく一人で行
うか、ネパールかチベットでコックを雇うかである。けれど登頂欲だけで遠征を
考えていない彼が果たして、登頂の為に行くということができるだろうか。ここ
4年一緒につくってきたスタイルを私の不安だけで降りることは登頂できたとし
ても何かこれまでの精神的な部分を高め解放してゆく調和的完成はなされないの
ではないかと考えたりもした。そして3つめ私自身がきっと日本の日常生活をゆ
っくり根ざして楽しんで暮らしたいと思うようになったということがある。
だから登山協会へのパージット料の送金をギリギリまで延ばして二人でずいぶん
話しあった。いつも力と心をかしてくれる先輩や友人に私たちのことを聞いても
らうこともあった。戸高の登山への思い、私の不安と葛藤。人と人との間に自己
の在り方を探り、自分を生きてきた人のアドバイスの中に私は自分を見出し、抱
えている問題を客観的に見つめ直すことができた。私が不安に思っている事は事
実である。ヒマラヤに限らず大自然を相手にする登山にはリスクが伴うことはぬ
ぐえない。
そしてもし何かが起きたらヒマラヤにいても日本にいてもその事実を受け入れる
場がどこに必要になるだけのこと。
「もし」とか「かもしれない」という未来の不安ばかり抱えて一体何が生まれる
だろう。戸高が心からチョモランマを登りたいと願っている気持ちを信じ、もう
一回二人でのスタイルを私自身が積極的で主体的になることでステップアップす
る何かを得られるのかもしれない。
消極的になることはなく、このエネルギーに満ちる国々と大自然と人々の中で楽
しんでやってみようと思う。
これからやってくる時の中に、私らしくしっかり立って行こうと思う。