戸高雅史 チョモランマ遠征レポート 98


ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1998」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポート7

8月29日(土) 晴天

午前3時、アタック装備・ウェアーを着込み、戸高は北西壁へ向かう。ホンバインクーロアール
を目指し谷を登り、一日目は7800Mにstay。二日目は雪が締まる夕方から登攀し頂上へ。下
山はダイレクトC1という一泊二日間の予定である。
小さなライトの明かりがチョモランマにゆっくりと向かう。午後8時、7100Mに到着。「氷のハ
ンギンググレッシャー(大氷壁)の中にいる。回りの状況を教えて下さい」と交信が入る。ちょ
うど300mmのカメラで山を撮影している所だったが、姿を見つけることができない。山が大きすぎ
て人が捜せないのだ 慌てて双眼鏡に代えると、小さな点が動いているのが分かる。ハング(岩
や氷が頭上に聳えている)ぎみの氷の斜面に入り込んでいる。事前の予定では、谷から尾根のラ
インに上がることになっていたが、尾根筋に大きな亀裂が走っており、それを避けて前進したと
予想する。それにしても山は大きい。C1から見える限りの状況を伝えると「予想していたより
氷の斜面が多くロープとピトンを全部使いきってしまった。このまま、まったくフリーでアタッ
クを続けるか、今回はここまでとするか少し考えます。」と返答。天候は悪くない。太陽が昇れ
ば空を覆う雲は消えていくだろう。ヒマラヤは登りよりも、登頂後の下りの事故が多い。無酸素
の場合、8000m以上の酸素量は平地の3分の1しかない。酸素が少ないことで体全体の機能が低
下し、障害が起きるケースは多い。登頂後のビバ―クによる視力や判断力の低下による滑落。戸
高は慎重な人だからけして無理はすまいと思っても交信待ちの時は長い。
「僕の調子は非常にいいけれど、登頂後の下山を考えると不安があるので、今回はここまでとし
ます。」と交信。(ふぅ〜)と体全体の力がぬけテントに転がり込み息を整える。お昼まではC
1にもどってくるだろう。とりつきまで迎えに行くことにする。
 雪原は幾千の宝石を散りばめたように虹色に輝いている。戸高と動物の足跡が時々交差してチ
ョモランマに向かっている。(雪豹だろうか)こんな地に生まれ暮らすことを考えると運命的に
思う。(美しいところだけど、一人でいるには淋しい)
 戸高が遠くから、確かな足どりで歩いてくる。「大丈夫?」「大丈夫だよ。下りは早かったで
しょう?」といつもの会話でテントへ向かう。
 C1では、たっぷりお茶を飲み、今後のプラン検討をする。明日はメールランナーがくる。私
一人下山し戸高はアタック天候待ちでC1に待機と決める。40分ほど歩くと戸高がザックを担
ぎ歩いてくる。「山は甘くないからね。一度気分を切り替えに一緒に帰るよ。」と言う。(一人
で帰すのが心配なんだろうなぁ。)と思う。やっぱりモレーンの登り下りは疲れる。半アタック
で全神経を使った戸高もかなりしんどそうだ。
 「ABCに帰るとほっとするね」とどちらともなくテントを眺めて声がでた。

8月30日(日) 晴天

 ペンバが正午にやってきた。昼食を食べてもらう間にこの2日の通信を書く。いつも心を整理
するように時間をかけて書いているので、筆と心が噛み合わない。私たちには記事を書くこと、
マスコミとの関わりや登山についてなど、時々知恵のようなアドバイスをしてくれる大切な先輩
がいる。「文章に偽りがあってはならない。物事や体験を美化して書いてはならない。文章は書
き手の心の在り方だから、できるだけ正確に、誠実に伝えるよう心がけるべきである。そうして
「書く」手段において、体験をふりかえり深め、自分の言葉を持ち、また次の段階へ進むことが
できるのだから」知的探求心を働かせて生きている人と話をすると、その世界にくっと魅かれ、
集中し、思考回路が開かれていく快感さを覚えることがある。まさに一個体の宇宙が思考にはあ
り、それを進化させていくことは、自分自身により可能なのだと思う。

8月31日(月) 曇

 南から湿った雲がやってくるとみぞれを降らし、その雲はまるでアコーディオンカ―テンのよ
うに北の空へたまっていく。チョモランマもすっかり雲の中に入ってしまった。悪天の方が気が
ねなく休めるとと戸高は一日中テントで読書人となる。私はキッチンで通信や手紙を書き、時間
になると食事作りを楽しむ。私は「高所圧力鍋料理研究家」としてデビューできる程、なんでも
上手に作れるようになった。(高所では沸点が低い為、圧力鍋で炊かなければ米やパスタはおい
しくできないのである。)基本は鍋のピーという回数が目安。今年はメーカーからガス・灯油・
ガソリンでも使えるコンロを提供していただいた。火力が強く大鍋も安定して置けるし故障しな
いので、炊事にかかる時間が昨年よりも短縮できる。パキスタン・ネパールなどでは、灯油を燃
料としたコンロの原始を使っている。これはすぐに火の出口がつまってしまい、そのたびに料理
中断、ガス中毒注意でリペアに悪戦苦闘し、鼻の中や顔はすすで真っ黒になってしまうのだ。コ
ックさんが山に上がらないのに妙に黒光りしているのはこのコンロのせいだと思う。ちなみに、
本日の晩ご飯は「ポテトフライ、ご飯、乾燥野菜の味噌汁、海草サラダ、レトルト牛丼をアレン
ジした肉じゃが」でございます。

9月1日(火) 雨 みぞれ 曇

9月2日(水) 晴

 西に日が沈み始めると東から月が昇ってくる。満月に近づいた月はふくよかに青白く輝き、す
べてのものたちをその光で祝福する。私たちはもちろん、小石でさえ、この時を待っていたかの
ように、月の前に進み出てやわらかな光に包まれる心地を味わう。
 自然界のものには、すべて「リズム」「音」「呼吸」「光」「波動」があるという。人の全く
来ないABCに暮らしていると、自然のものたちが奏でるこれらの動きがとても身近に感じられ
る。とある本の一節から美とは感じる力があるということ。からだか敏感になっていること。お
のずと、自然に、知らずの内に静かになる時、自然の一部となっている時、その時、はじめて、
その美しさが感じられる。それは意識したり、願望するものではなく、おとずれるもの

9月3日(木) 晴〜みぞれ

 午前2:30、地面の底から振動が伝わってきた。さほど大きくはないが地が揺れた。地震と呼
ぶべきか分からないが、直後、落石の音が谷に響く。翌朝、C1に入る予定にしいたがやめるこ
とにする。戸高はフィールドスコープをのぞいては驚き写真を撮りまくる。昨晩の地震で7000m級
の山々には大きな雪断面がいたるところに起きている。チョモランマ西稜もみごとな亀裂が入り
美しかった雪稜が崩れている。「この地震は僕にとっては恵みかもしれない。壁にのった不安定
な雪が落ちたから、これから晴天が続き、雪が締まってくれたら最高のチャンスになる」と戸高
は言う。私は(こんな大きな雪崩が起きたら、もうどうしょうもないだろう)と動揺していると
いうのに、、。
 彼は常にポジティブに物事を転換していく。彼と私の違いを考える。私はこの自然下に暮らし
ているにすぎないが、彼は動く自然の中で登山を行う。私は地震を感情的にとらえたのに対し、
彼は現象として見、常に次の登山へとつなげていく。
 私はいま小さな自我の内に物事を見る。

9月5日(土) 晴 みぞれ 雪

 本日はC1に入る。アタックを見込んでカメラや食料を荷揚げをする。日ざしも暖かく天候に
期待できそうで足取りは軽い。
 午後3時ABCから4時間でC1に到着。真近に仰ぐチョモランマはいつ見ても美しい。5時
を過ぎるとロー・ラから雲が湧き霧景色となる。日が沈んでからは、湿った雪が降り続く。雪崩
の音があちこちから響き出す。神経がピクンとたち、その音をキャッチし反応する。「天気が良
くなると思ったんだけどなぁ。」と戸高は繰り返し言う。今晩からのアタックは中止。

9月6日(日) 曇 みぞれ 雪

 チョモランマは雲の中に入り、北風に運ばれてきた雨とみぞれはテントを揺らす。本日も停滞
となり、2人して持参した本を読み時が過ぎていく中にじっといる。C1はチョモランマと近距
離であり、アタックを見込んでくるので、山と天候が気になって仕方がない。天候の方は、大い
なる時と気流にもとずいて旅をしているのだから、私たちがその流れにそって登山を進めていく
のに、(こうあってほしい)天候を空に向かって願う。
 この天候とのやりとりもすでに1ヵ月。山の状態・天候・戸高の体調とフィーリング。すべて
がかみ合わなければアルパインスタイルでの登攀は難しい。確実にピークをねらうならノーマル
ルートがいいに決まっている。けれど、戸高はこうしてじっと天候待ちをし、自分のフィーリン
グを信じ、山と向き合う過程を登山に求めているのだから、タイミングが重なる時を待つしかな
いのだ。
 夕方、変わりそうにない雲行きに、一度ABCに下山。駆けるように2時間でABCへ。帰る
と同時に、北から強風とみぞれ嵐到来。

9月7日(月) 曇 晴れ

9月8日(火) 晴れ 雨 みぞれ

 一日休養をとり本日はC1へ入る。いつも北風が雨雲を運んでくる為、C1への道のり雲の様
子を観察しながら歩く。C1到着すぐに、戸高は壁の偵察に出かける。「山の状態はいい。」と
2時間ほどで帰ってきた。が、夕方また北から激しいみぞれが降りだす。
(トホホ、、神さまぁ。)と脱力感とやるせない心境となる。戸高は「この北風が南風に変われ
ば、まだ今晩のチャンスはある。」とアタックにそなえ装備のチェック。夜は何回も外に出て空
を見上げる。満月を2日過ぎた月は充分な光を宿し輝いている。
 その時を待つことが、いま私たちに与えられていることなのかもしれない。

9月9日(水)

 午前6時、月の明かりを背中に受けながら、戸高は壁の偵察とグレードクーロワールのとりつ
きへと下見に向かう。ソロなら傾斜は厳しいが直上してピークへ登れるジャパニーズクーロアー
ルを目指していた。だが予想以上に氷が多く深い谷に山の様姿が見えず戸高のフィーリングに合
わないとグレードクーロアールに変更することになった。
 グレードクーロワールは頂上へ斜めに入っている広い谷で、上半部は80年メスナーがソロで登
頂した時にとられたラインだ。
 11:00AM 6650Mまで登ってきました。これは僕のルートだと思います。雪の状態も1日待
てば良くなると思います。」と元気な声で交信が入る。その時の理想のラインを登る時に決めら
れる自由さ。状況に応じてラインを選べるのは、彼の登攀力が優れていることもあるだろう。
 戸高がヒマラヤに登るのは福岡教育大の院生の時、社会人山岳会でアンナプルナ峰へ行ったこ
とに始まる。卒業後、高校の数学教員と山を両立していくが、日本教員登山隊のナンガパルパッ
トに全力を尽くすため教師を辞める。戸高にとって教員隊でのヒマラヤ体験が彼の独自性のある
登山へと導く動機になっているように思える。隊長の坂原氏の「なぜ、山へ登るのか。なぜヒマ
ラヤなのか。」を問う姿勢。短期間の組織登山における限界と可能性。精神・肉体的にもぎりぎ
りの状態を超えてきた体験は、彼の思考とからだを向上させていることになる。また、教員隊の
個性的で登山を通しての自己を見つめていこうとする意識の高い人たちとの出会いは人間的な学
びともなる。
 その後は、同世代のクライマーと少人数、アルパインスタイルでヒマラヤへ向かうが、何より
戸高をより山へと目覚めさせたのは96年のブロードピークの縦走である。「安全という枠を超
え、自らの内に一歩踏み込んだ時に見えてくる山の世界。進まずして生はなしという状況に瞬間
そのものに生がある。これまでヒマラヤへと駆り立ててきた見えざるものが言葉となり、自分自
身をつかむことのできる登山だった。」と語る。
 登頂後、すぐにネパールに4人のメンバーとカンチェンジュンガに入る。シェルパを使っての
登山に、グループにおける個の存在性と登山観の相違など考えることがあったのか、翌年からソ
ロに入り、今年が3年目となる。
 アルパインスタイルにおけるパートナーシップの素晴らしさとパワーについて海外のクライマ
ーはよくストーリィーとしているが、ブロードピークの成功の要因として、1年間戸高と共に暮
らし山に賭けていた服部徹の真剣な想いと二人の信頼関係はかけがえのない力であったにちがい
ない。

9月10日(木) 晴れ 曇 みぞれ

 昨日は夕方から湿ったみぞれが降りチョモランマは霧に包まれる。午前2時からのアタックは
中止となった。朝、太陽が昇ると霧は上がっていく。戸高はじっと双眼鏡で山を観察し、ルート
写真を眺める。天気と同じリズムで過ごせる。私は「アタック!中止。アタック!中止。」の繰
り返しの日々に緊張したり、ぐったりしたりと心が上下して不自由な自分がやるせない。

9月11日(金) 晴れ 曇 みぞれ

 C1停滞4日目。昨晩は5900mのC1にも15p程の雪が積もった。上部はそれ以上の積雪が予
想される。戸高のルートは雪崩の危険があるため、壁の状態が落ち着くまで山に入ることはできな
い。午前9時、ABCに下山する。「アルパインスタイルの登山は天候の見極めとひきの良さがポ
イントなんだよ。C1でねばるのは体力も精神的にも消耗するの見極めと退きの良さが大切になる
んだよ。ソロで登るには常に最高のコンディションを保っておかなければならないからね。快適な
ABCに帰ってまた出直そう。」と言う。こうしてABCを行ったり来たりして歩くのは修行だ。
願って参りまた帰り、願って参る。そんな様子を太陽も月も雲も風も、そしてチョモランマもじっ
と見ている。何かにすがることなく、責めることなく、ただ登るためにじっと歩いていればいい。
そうやって精一杯いまを歩けたら、もう充分だと思えてきた。

9月12日(土) 晴れ

 北風から南風に変わった。太陽にかかっていた薄雲が晴れ藍の空が広がる。昨年、ノ―マルルー
トに変更してアタックをかけた頃と同じ天候だとすると、4・5日は晴天が続いてくれるかもしれ
ない。一日待てば不安定な雪が溶け壁の状態も良くなるだろうと本日はアタック前の休養日とする。

9月13日(日) 晴れ

 一日中、チョモランマ全望できる晴天なり。昨晩はめぐってきたチャンスを思うとなかなか眠れ
なかった。何回も外を見て満天の星空とチョモランマを確認した。
 午後2時。C1に到着。戸高はすぐに装備のチェックする。アタックにそなえ大量のお茶を飲み
からだを休める。
 彼が納得のいく登山ができるチャンスを与えてくれることを祈らずにいられない。

9月14日(月) 晴天

 午前2時。月はまだ出ておらず星たちの輝きが地に降りそそいでいる。戸高のアタックにふさわ
しい穏やかな夜がめぐってきた。「無理はしないよ。行けるところまで行ってくる。」と彼は出発
した。小さなライトの光が進んでいる。彼のおごることのない謙虚な優しい心の灯りがゆっくりと
チョモランマへ向かっていく。挑戦とか勝負とか意気込んだものではなく、あるがままの自分をた
ずさえて山のふところにそっと抱かれにいくような、そんな雰囲気だ。
 1日目の登攀はチャンチェに隠れてC1から見えない。午前9時。カメラセットを背い氷上まで。
40分程歩くとグレートクーロアールに向かう戸高を見つける。1000 mmのレンズでも人はあまりに
も小さい。彼はたまらなく充実した時を歩んでいることだろう。彼は登山という行為とヒマラヤに
おいて、毎年再生するように自分という人間の可能性を見出している。その学びは偉く賢い人にす
るのでもなく、純粋で現社会で生きていくのには、なぜか不器用に感じる無垢な者へと導いていく。
 午後3時「7600Mクーロアールの入口に到着。ツェルトが張れないので雪洞を掘り夜まで休みま
す。」と交信。私もC1にもどり横になる。安全地帯に入るとほっとする。
 午後8時、夕焼けに染まるチョモランマを撮る。刻々と山を満たす光はゆっくりとピークへと上
がっていく。自然の創り出す美の瞬間に立ち会えることはかけがえのない喜び。
 午後8時「ロングアタックへ向かおうと思いましたがスノーシャワーが激しい為、雪洞にもどり
12:00AM頃まで状況待ちをします」と交信。私は急に眠くなり、目覚しをかけ熟睡。12時起きるが交
信がない。もしかして眠っていて交信を落としたかと、その後気になりチョモランマを何回も見る
がライトの光は見当たらない。

9月15日(火) 晴天

 午前6時30分「これからアタックに向かいます」と交信が入る。戸高は昨日5900Mからいっきに
7600Mまで上がったので疲れて休んだとのこと。グレードクーロアールを登る戸高を撮る。雲一つな
い藍の空に太陽の日ざしはまっすく降り注ぐ。最高のチャンスにめぐまれた。昨年はまったく手が
だせなかっただけにこの好天に感謝する。
 山に向かい(いまアタックしてるよ)と日本で見守ってくださる方々に届けと想いを込める。ど
れだけたくさんの応援があるのかを考えると、こうしてこの場に居合わせられることに感謝ししっ
かりしなきゃと思う。
 今年はこの遠征について、後援会橋本会長や戸高の探検部同期大場さんにはずいぶん相談にのっ
てもらった。「戸高は半端なことはせんから、心配せんでよろしい」という橋本さんの言葉が心に
残る。ずっと昔から戸高という人間を知り、教員を辞めてフリーターのように働いていた戸高を、
山ヤである橋本さんが自らゲストとなりガイドの仕事を勧め、一人前の登山家に育ててくれた人の
真剣なまなざしを前に、彼を失いたくないという不安から生じるエゴを恥ずかしく思った。本当に
人を信じるということは、自分をぬき、その人間性と生き方を理解し、愛せるか否かだと思った。
 私にとって戸高はかけがえのない人になっている。彼が与えてくれる学びと幸せは私にとって大
きな価値がある。失うことを恐れるあまり彼が歩む道を閉ざしてはならないと思うが心はいつも葛
藤する。彼が自由に進めるようにしていられるかどうかは、私の問題でもあり、私からの解放でも
あるかもしれない。この頃、クリシュナムルティの言葉が分かるように思う。「人は教本でも宗教
でも、誰からも、何者からも本来の学びを得ることはできない。自分自身の中に答えはあり、真理
は自らの内にある。」
 11:00AM交信があったっきり3:00PMを過ぎても交信がない。双眼鏡でくまなく探すが見当たらない。
クーロアールの谷側に入っているのだろう。
 4:30PM「8200Mにツェルトを張り休養し、今晩10時頃ピークへ向かいます。」と交信が入る。明る
く深く心に響く戸高の声に安心する。
 10:00PM 「スノーシャワーが激しい為、12:00AMまで出発をのばす」と交信。クーロアールは谷な
ので、尾根から風に吹かれて雪が集まるのだろう。予定より長いアタックになるが、天候は持ちそ
うなので心配は少ない。C1から満天の星に祈る。

9月15日(水) 晴天

 2:00AM「これから出発します。」と交信が入る。ビバーク地から頂上まで標高差にして600M。け
れど無酸素ではかなりの距離になる。まして寝袋なしの2ビバーク。昨年、ジャンは8600mで引き
返している。素人ならあと200Mと思う。しかし頂上直下の怖さを知っている者と知らない者では、
運命を自分で握る者と天に任せる者との差があるという。
 9:00PM「8500M位にいますが、寒波が厳しく、とても眠いです。眠くて、眠くて、。」と途中で
交信がきれる。「どうするか考えて〜」とまたきれる。途中できれてしまう交信ほど気になるもの
はない。じっと待つ。がもし戸高がそのままうずくまって眠ってしまったらと思うと心配でたまら
ない。こちらから交信を入れる。すると「ビバーク地へ帰ります。」と返答。10:00AM 「C1へ下
山します。」と交信が入り、ク―ロアールをシリセイド(おしりで滑る)で下る戸高を双眼鏡で見
る。座って滑り、よたよたと立ち上がって歩きをくり返している。相当疲れているのだろう。「ま
さーがんばれー」とカメラで撮りながら声がでる。チャンチェに隠れ見えなくなった戸高をとりつ
きまで迎えに行く。カメラと水筒をさげ、ゆるやかな曲線美を描く雪原を2時間程歩きプラトーへ
出る。彼が無事に帰ってくることを祈り、チャンチェへの登り口で待つ。戸高がよたよたと歩いて
もどってきた。重い雪に足をとられ、転んでは起き上がるのに時間がかかる。「ただいま。チョモ
ランマは大きいね。充分満足してるよ」と喉をやられているのか苦しそうに話す。いつもとりつき
からC1までの下山は30分足らずで下りるいうのに、なんと2時間もかかった。テントに入るとぐ
ったりと横になり眠る。2日間ほとんど眠っていないのだから無理もない。いまはそっと体の思う
ままに寝かしてあげようと思う。


 遠征が終わってもう2ヵ月もたってしまいました。最終レポートが大変遅くなってしまいすみま
せんでした。今回は日々暮らしている遠征のいろいろなことを即言葉として書くことができません
でした。考え考え浮かんでくる言葉が本当に感じている世界を伝えられる言葉かと考えると、書く
ことが止まってしまうのです。それでもおぼろに綴った通信。おわびをこめてはずかしながら最終
号とさせていただきます。
                                      (戸高優美)