戸高雅史 チョモランマ遠征レポート 98


ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1998」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポート3

7月31日(金) 雨、くもり

 朝8時半、シガール(4300m)からチョモランマBC(5700m)へ向かうが、途中、エ
ンジンオイルがもれ出して、何回もスタックする。車は急なガレ場の登り坂を必死
になって走っていく。見覚えのある村、チョゾンにて、ヤクの荷揚げの依頼の為、
車を止める。
 「小学」と書かれた建物から10歳くらいのこどもらが6人程出てきて、車内を
のぞく。雨にぬれながら、「ペン」「あめ」とせがんでくる。窓に手に触れ、「な
いよ」とジェスチャーすると、同じように窓に手を触れ大はしゃぎ。自分は車の中
で、子どもらは雨の中、どうもすっきりしないので、おもいきってドアを開けると、
一同いっせいにかけ寄ってきて、車内のものをめざとく見つけ、くれくれ作戦開始。
私もすかさずペンを持ち、目の前に来た子どもの似顔絵を書いて、手渡す。すると、
子どもの表情は「にまぁ〜」と変わり、嬉しそう。すると、次から次へと書いてく
れよと注文殺到、大忙しとなる。(私の作戦成功)トルコ石のピアスをしたおしゃれ
さん。レゲエ調にきまっている男の子。青っぱなの丸ぼうず。描くたった20秒の間
に向き合う子どもの表情はどの子もとっても魅力的。一枚の紙切れをもらった時の
嬉しそうな顔、みんなで見せ合って笑っている様子。そんな時間がたまらなく嬉し
い。本音を言えば、彼らと対等であろうとするならば、頭を使い、かなりのエネル
ギーが必要になるのはまちがいない。なんたって賢いんだから!)そんな子どもと
のかけひきが、とても好き。「バイバイ」と手をふり子どもらと別れ、車はBCへ
直行。小雨の中、キッチンテントを設営。荷の整理となる。ヤク待ちと順応をかね
て、3日間の滞在予定。

8月1日(土) 雨、くもり

 この季節、モンスーンだけあって、毎日雨が降る。チョモランマ峰も雲の中でな
かなか姿を見せない。今シーズンのチョモランマは私たちも含め6隊で、次の隊は
8月末にBC入りの予定だという。まだ山は静寂そのものだ。BCには、私たちの
他、小さなテント一棟。オランダから8ヶ月かけて、自転車(ペダルではなく、ボー
トをこぐような型で、こいで進むNewモデル)で走ってきたというMr.バウト。登
山にも興味のある人で、パーミッションなしにノーマルのC1まで行って来て、次
はC2かC3まで行くつもりだという。)一緒に昼食をとり、旅の話を聞くことが
できた。彼は、16カ国の芸術家が個々の活動を通してチベットの自由を尊重するイ
ベントに参加していて、自らの旅をメディアに通信しているという。インドのダラ
ムサラでは、ダライラマ14世と個人会見も行い、師の人柄に尊敬の念を抱いたと語
った。又、パキスタン、イラン等、様々な国を旅し、教育や宗教が人を何者かに変
え、対立させている規定を知り、人の生き方、社会の上での生かされ方も多様であ
ると続けた。自分は旅をライフワークに、個として生きていきたいと熱心に話して
くれた。戸高のクライミングがなぜソロで、北西壁なんて、あまりにも危険なルー
トを行くのだと質問してくる。山に調和を求めることと、登るという純粋さを求め
ると、ソロに行きついてしまったこと、宇宙観、これまでの体験を幾つか話すと、
Mr.バウトは言った。「ヒマラヤのソロとは、エゴイストの頂点だと思っていたが、
僕は今、ヒマラヤ登山についての考えに、頭が混乱してきたよ。」長い話のいきつ
いたところは、年令や国に関係なく、やわらかな感性と受容性、遊び心、そして、
既定の範に囚われる前の自由な心をいくつになっても持ちえるかが人として大切で
はないかと。最後に、彼の年令を聞くと、なんと20歳まだ学生である。
"U nbelieve!"(信じらんないよ。)

8月2日(日) 雨、くもり、晴

 標高5100mにあるロンブク僧院から、さらに5Km程、チョモランマBCへ向かって
登りつめた所にゴンブドゥ寺がある。この寺の歴史は古く、ロンブク100年、ゴンブ
ドゥ3 00年といわれている。今年も登山の安全祈願をして頂きたいとラマ僧にお願い
すると、ゴンブドゥ寺で行うことになった。朝8時、ABCに掲げるタルチョやお茶や
おかしをザックにつめて、BCからロンブク川沿いに寺まで歩いていく。1時間程で寺
に着き、ラマを呼ぶが返事がない。仕方なく、石の階段を上り、寺内を一周する。タ
ルチョが四方に張られ、その長さ50mは優にあり、風に吹かれる5色の旗にすがすが
しい高揚感が湧き起こる。ふりかえるとチョモランマ峰の全貌を眺めることができる。
大岩を積み上げ高台に立つ寺からのチョモランマ峰は格別の偉大さと美しさを宿す。
チベット人にとって、チョモランマは母なる女神とあがめられる山である。そのふも
とで祈りをささげられることは、仏教徒として、最高の修業の場であることだろう。
誰一人いないようなので、一度、寺を降りて、ロンブク僧院に向かって歩いてみるこ
とにした。すると、チベット服を身にまとった女性や乳児をおんぶした子ども4人、
こちらに向かって歩いてくる。ちょうどラマがトレッカーの車に便乗してきて、「寺
に先に行くよ」と行ってしまった。私たちは、チベット女性たちとゴンブドゥ寺に向
かって登りかえすことになった。車の道を行こうとすると、チベット人たちが「こっ
ちこっち」と岩山の方を指す。「ゴンパ寺?」と聞くと「ゴンパ、ゴンパ」とくりか
えし、うなずいてくれる。なんだか遠回りのような気もするが、地元の人たちとのふ
れあいは楽しいので、写真を撮ったり、身につけているものを見せ合いながら、彼女
たちについていくことにした。15分くらい歩くと、もう一団、後ろから歩いてくる。
総員20人、おじさん先頭で、一番後ろにも男性、間に女と子どもが入り、石の階段を
登っていくことになった。岩山を回るように作られている道は急で、息がきれる。途
中、おばさんがストックを貸してくれという。(お礼にチーズをもらう。にがい味、
灰を食べているみたい。)子どもをおんぶしている子どもは、かなり苦しそうに歩い
ており、大岩で言葉なく休む時の苦しい共有体験は妙にうれしくなるものがあった。
先頭のおじさんは左手に羊の毛を握り、ケルンにくると、もぐもぐと経をとなえて、
つむいで石の間に置いていき、子どもらはケルンを形よくなおしていくのだ。もう40
分は歩いていて、車の道ならとっくに着いているだろう。戸高が思い出したように、
「パルコル?」と聞くと、みんながいっせいに「パルコル、パルコル」とくりかえし
返答してくれた。この道は、時計回りに寺を一周するように作られている巡礼路だっ
た。チベット暦では、8,10,15,30日がセレモニー日で、彼らは月のうち4回、この道
を巡礼にくるのだという。寺に着くと、ラマ僧の部屋でお茶を頂き、ヤクの糞のスト
ーブで暖をとる。3畳程の部屋にベットが置いてあり、小さな窓に経典が積まれてい
る。ラジオに目をやると、「ダラムサラ、ダライラマ」と言う。電発の悪いラジオに
そっと耳をかたむけ聞いている姿を想うと胸が熱くなる。準備ができたのでいらっし
ゃいなと、案内されたのは、はしごを下った洞窟の堂。バター灯がともされてはいる
ものの、堂内は暗く、横に長く10m程の堂である。ひんやりした空気とまったりしたに
おいがまざり、独特の空間を創り出す。ラマはライトを片手に奥へ進み、3つの仏像
を照らした。「パドマ、サンバヴァ」と言う。8世紀後半、チベットに密教の基礎を
築いた仏である。かっと目を見開き、まっすぐな視線を注ぎ、恐ろしい表情をしてい
る。慈悲深くほほえむお釈迦様とは違い、生きることの厳しさ強いるような仏の姿が
在る。その肩にかけられている白のカター(薄い白布。チベット古来の風習で、相手
の幸福を祈るときにかける)をそれぞれの首にかけてくれた。そして石のようなもの
で背中、腰を押しあて、私たちにタルチョと聖水をかけ、経をほどこし、清めてくだ
さった。ラマは「山から降りてきたら、また必ず来るように」と言われた。はしごを
上がっていくと、一緒にパルコルを回った人たちが茶やチャン(お酒)を飲んで、楽し
そうにくつろいでいる。子どもたちはすぐに寄ってきて、ニコニコくっついてくるが、
ラマに、そして皆に礼を言い、BCへもどる。寺が小さく見えるところまで歩いてきた
というのに、ふりかえれば手を振ってくれる人がいる。たった2人の登山隊。だから
こそ出会う人と事柄に救われるように、導かれるように、私たちの旅は進んでいく。

8月3日(月) あめ、くもり、はれ

 ヤクの鐘の音がロンブク谷に響く。荷揚げの為に来てくれたヤクは12頭、ヤクエ6
人。チベット人にとって、ヤクは最も重要な家畜であり、乳はバターやチーズに加工
され、肉、内臓だけでなく、骨髄や血も食料にするという。毛は織られ、テントやジ
ュ―タン、皮はもちろん、糞は薪の手に入りにくい高原では貴重な燃料となる。ある
本にヤクのことを「高原の船」とあった。果てなく続く茶の大地に、人や荷を運んで
くれるやさしい目をした、たくましいヤクの船。ちなみに、家畜のヤクの平均体型は、
背高1.7m、体重750kg。生身は長毛で覆われ、角は長くて上に向かい湾曲していて、
とてもかっこいいのである。

8月4日(火) あめ、くもり、はれ

 朝起きると、ヤクがいない。テントもたたみ、パッキングもカンペキなのに、荷を
しょってくれるヤクが全員下山してしまったらしい。ヤクエたちがBCに上がってきた
トレッカーに、ヤクを見なかったかと、チベット語でたずねているらしいが、どのト
レッカーもさっぱり分からないようで困った顔をしている。聞きに行くと、"下だよ"
と言う。結局、ヤクを集めるのに3時間もかかってしまった。昼近くから、荷付けと
なる。まず、1コ30kg24個の荷を3つに分ける。これは6人のヤクエが3つに分かれ
ヤクを進めていく為で、重さや運びづらいものなどを均等にし、どの荷を担当するか
はクジで決められた。ヤクの角を1人が押さえ、両側に30kgづつ、背負わせていく。
12頭のヤクで中央ロンブク氷河に向かうが、30分くらい歩いた所で、私の体調が悪く
なり、ヤクからどんどん遅れてしまった。東ロンブク氷河を渡渉する地点で戸高が待
っていてくれた。荷とヤクだけがABCへとむかっている。5600mのモレーンの登り
下りはかなりこたえる。これまで順調に順応もできていたのに、歩いていて自分がな
さけない。昨年通った道や景色に近づく、もう少し、もう少しといいきかせて歩いた。
 8:00PM、なんとか明るいうちにABC(5600m)に到着。ヤクエたちはすでに自分たち
のテントを張り、お茶を沸かしていた。キッチンテントを張るので手伝ってくれと声
をかけると皆、気持ちよく動いてくれる。が、しかし、強風止めで作っておいた6mmの
ロープが切られ短くなっている。戸高が怒るのをこの4年目にして初めて見た。「大
切なものなんだから返してくれよ」と怒りと祈りをこめジェスチャーし、チベット語
のマニュアルをみながら話しをするが、皆、しらないしらないの一点張り。結局しら
をきられたまま、彼らはテントに、私たちはバラバラに置かれている24個の荷物を
キッチンテントに集め、それぞれの夜を過ごすことになる。ヤクエの人たちにものを
盗むことに罪の意識はないのか。笑い声が闇に響く。なんだか恐くて、恐くなって眠
れない。河口慧海の「西蔵旅行記」の冒頭の一説を思い出したり、ロープで首でも絞
められてクレパスに捨てられたって誰もわかんないよと恐いことが頭の中でふくれあ
がる。昨年のことを思い出す。私たちはドルジェがウソをついていることが許せなか
った。けれど、多くのシェルパが集まる遠征隊の社会で少々のハッタリやウソを言う
ことは仕方ないことだと今は思う。自分たちにとって正しいと主張することが常に正
しいとはありえない。こんなことをして、今後、彼らの信用問題に関わるのではない
かという正しさは、彼らからしてみれば大きなお世話ともいえるのだ。何事もなく朝
を迎える。今回はボーナスはなし、いつもかならず気持ちを形にする戸高も帰る間際
まで、物をくれと言っている彼らに「NO!」の連続でかわいそうなくらい強がって
いた。本来ならばコックやシェルパという人たちがやってくれる仕事が実は一番やっ
かいで、気の折れる仕事であることがよく分かる。ヤクエたちが帰り静まりかえった
ABCに200kg(2ヶ月分)の荷の中に座り込んだ戸高が「これも現実なんだよね」と
ボソッとつぶやいた。

8月5日(水),6日(木) くもり、雪、雨

 荷の整理と設営
 5、6日とテント設営や荷の整理をした。戸高は北西壁C1までマーカー(竹に目
印の赤旗をつけたもの)を立てにゆく。中央ロンブク氷河とチャンチェ西稜のふもと
を距離にして約15Km。「春に人が入ったのか岩にマーキングがしてあるよ」と交
信がはいる。明るく張りのある声だ。ABCの荷上げでは精神的にまいってしまった
様子だから、今歩くことが嬉しくってたまらないのだろう。「歩く」という単純な行
為の中に夢や喜びを見出し、自己表現できる彼を幸せなんだなあとちょっぴりうらや
ましく思う。

8月8日(土) くもり、雨、晴れ

 東から太陽が上がり、ABCに暖かい陽射しが射すのは午後10時を過ぎてから。
暗くなるのは午後9時だから、日本より3時間日照時間が遅いことになる。焼き餅や
粥でブランチをとったあと、私は日課の水くみにゆく。20Lのポリタンをしょい、
150m下り、小さな池まで。池のほとりは芝のジュータン、小さな花もほころんで
妖精がすんでいそうなくらいロマンチックな場所。何回も水を注ぐ。とくとくと湧い
てくる清水。人が生存するために与えてくれる地球の愛というものは、本当に無償で
ありがたいことなんだなぁと哲学的に思索にふけったり、その流れをじっと見つめて
無心になっていたりする。ふと我にかえりエイヤーとザックに背負い込みキッチンま
で登り150m。3回は休まないといけない。結婚してからいやに体型ががっちりして会
うたびに「たくましくなってるよ」と、よく言われるが今年もますます重心が低く、
たくましくなっていそうな気がする。

8月9日(日)、10日(月)、11日(火) 雨、みぞれ

 この3日間ずっと、雨が降り、戸高は順応にも行けず、読書人となる。今回の彼は
クリシュナムルティ(インドの哲学者)ばかりではなく、幅広くいろんな本を読んで
いるようだ。チベット関係の本、地球環境の本、農業の本や、哲学書、アメリカイン
ディアンの思想や禅の本など・・テントの中で一日中読書をしている。そして興味深
く心に残る一節があればメモをとり何回も繰り返し読み返し、その言葉のさらなる意
味を感じ取ろうとする。彼の文章が物事をいろんな角度から捉えようとする思考は彼
の本を読むスタイルに在ると思う。

8月11日(火) くもり、雨

 モンスーンだけあって、毎日必ず雨雲がやってくる。ネパール国境、ロー・ラ(谷)
の方から雲が立ち込めてくることもあるし、ロンブク谷から上がってくることもある。
7000m級の切り立つ岩肌に囲まれ、ゆるやかに湾曲する氷河に雲の川が流れる様は実に
神秘的だ。

8月12日(水)

 戸高はC1を作ったきり、雨続きでチョモランマでの順応はできずにいる。北西壁
は雪崩れのラインが縦にいくつもできている。昨年より雪が多く、現在の状況は悪い
という。けれど良い悪いがはっきりしたほうが、今後の天候が期待できるとフィール
ドスコープを真剣に覗いている。夜はマイナス気温にならない為、雪崩れや岩ながれ
が起き、谷に響くその音は大きな生き物がうなるように聞こえる。けれど大抵同じ谷
におきているので積もれば崩れるとう自然の摂理なのだろう。人間をはるかに超えた
意思さえ持っていそうに感じられる。ヒマラヤの命のまん中にいるのだから。私はた
だ祈るように丸くなり、その音に耳を澄ませる、小さな生き物でしかない。

8月13日(木)、14日(金) 雨、くもり

8月15日(土) はれ、くもり、雨

 本日は二人して、昨年順応したチャンチェの隣の山へ順応にゆく。浮石が多く、気
を使いながら登る。いつも水場で会うシカたちの糞が5900mまである。石の間から小さ
な花がそっと咲いているのを見つけると、きっと彼らの根はたくましく地についてい
るのだろうと思う。私がもし風に吹かれてこの地に落ちた種になるなら、その地にし
っかりと根を張って雨も雪もじっーと見つめ、ふわっと小さくていいからやさしい花
を咲かせたい。私は一人5900mから下り、戸高はそのまま6300mまで登る。テントに帰
り着き、山を見上げると点のように小さな人が少しづつ、少しづつ登ってゆくのが見
える。山は本当に大きい。人が山を征服するなんて絶対ありえないと思う。謙虚に、
一歩一歩の歩みを続ける先に行きつくところが頂上という空と地の接点であり、また
一歩一歩おりてきてその道は湯河原や日本の山に続いていく。戸高の登山にはそんな
「歩み」という言葉がぴったりだと思う。

8月16日(日) 晴れ 

 朝起きると、チョモランマがクリアに望むことができる。風もなく晴天なり。戸高
は北西壁の偵察と7000mの順応にC1入りとなる。ダウンジャケット、メーカーが超
軽量と機能を考え、作成してくれたザックを背負い込んでしょいこんではずむように
ABCを出発した。昨夜はマイナス気温になった。このまま冷え込みが3日間ほど続
いてくれたらいい。彼の登山は天候とフィーリングがすべて。彼が目指すものに、に
ごることなく澄んだ瞳のその光を山が受け入れてくれることを祈らずにはいられない。
                                  戸高優美



8月16日(日)

 どうやら長く続いたモンスーンも一区切りつくかもしれない。午後になると必ず南
から湿った気流が入ってきて雨になり、夜半までずっと振り続くパターンで、なかな
か北西壁に近づけなかった。
 今日8月7日に設営したC1(5900m)に入る。天候が安定すれば、壁の雪の状態を見
ながら7000mラインの最後の順応をしたいと思う。まずはじっくりと北西壁を見て、ル
ートや登り方等を見極めたいと思う。何よりも壁のふもとに立ち自分がどう感じるか、
チョモランマ峰と静かに対話したい。
 しなやかに開いている状態が理想的だ。体も心もそして魂も。生命力は息を通して
送り込まれるのではないだろうか。機械的な肉体に呼吸によってエネルギー(生命力)
が送り込まれる。そのエネルギー(生命力)とはどこからくるのだろう。それはこの
地球に満ちあふれているもの。すべてのもとは母なるこの地球−GAIAであり僕も
その一部。チョモランマ峰に登ることを通していや登るという行為そのものに一瞬一
瞬入り込んでゆこう。しなやかに柔らかに、そして繊細に。
                                       戸高雅史