戸高雅史 チョモランマ遠征レポート 98


ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1998」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbQ

 チベットに入って6日目。今日はいよいよBC(5150m)入りだ。昨日は順応トレーニング
で河をはさんでシガールゾーンの反対側にある4900mの山は登ってきた。チベットの乾燥した
大地、なだらかに連なる薄茶色の山々、その谷間に広がる人の暮らす緑の地。乾いた空気。
空には雲が広がり遠くチョモランマの方向も厚く閉ざされている。ゆっくりと呼吸しながら
登る。
 登るにつれ、心踊る風景が広がっている。この広がり、自由さ、そしてなんともいえない
時間の感覚。徐々に僕の生命力がふくらみ始めてきている。「生きる」ということはもしか
してとても単純なことかも知れない。そこにさまざまな観念や理想や概念を持ち込んで僕は
複雑にしているだけのではないのだろうか。ただ生の事実に直面したいと思う。
                    1998.7.31シガール(4350m)にて   戸高雅史


7月26日(日) カトマンズ→ザンムー(雨くもり)

 当初23日チベット入りを予定していたが、日本から発送したはずの荷物が届かず3日遅
れの出発となる。30人乗りの中型バスに乗り、国境までのガイドであるジャガットと3人で
標高1400mのカトマンズを後にネパール国境の街・コダリに向かう。コダリにて出国手続きを
済ませ、中国のトラックへ荷の積み替えをしてチベット国境の街ザンムーへ。ザンムーでは
チベット登山協会のリエゾンオフィサーのダグ氏が迎えてくれる。昨年誠意を持ちエスコー
トしてくれた彼に今年も願いたいと申し出たところ、協会が便宜を計ってくれたのだ。小人
数で互いのコミュニケーションが密になる隊として、心通づる人であることは有り難いこと
だ。"wellcome!!"とがっちり、ニッコリ、握手の再会。さっそくザンムーで入国手続きとな
る。竹で作られた踏み切りのような国境。1965年、中国がチベットを自治区としてから国境
線には軍事施設等があちこちにある。軍人がすべてを取り仕切っていて、これからの私たち
の宿泊・食事の場所もすべて決められている。チョモランマBC(ベースキャンプ)まで幾
つかの検問所を通ることになるが、私たちのリエゾンオフィサーがチベット人ということも
あり、その度に車内一同やけに緊張する。もともとこの土地で生きてきた人たちが管理され、
不自由になっていくのは悲しいことだと思う。

7月27日(月) ザンムー−ニェラム 雨・くもり

 ザンムーの市場にてキャベツや白菜など長期保存可能な野菜を買う。生肉も売られていて、
のみとトンカチで"エイヤー"とたたき売り。すごい迫力だった。ザンムーからニェラムまで
の距離は33Km、深い渓谷を真下に眺めて2時間半のドライブになる。ニェラムでは昨年と同
様スノーランドホテルが宿泊地、雨がやむのを待ち、村はずれの丘へ順応に向かう。緩やか
な斜面に花々がほころぶ美しい丘。風にゆれている花たちは夏の訪れを喜び祝っているかの
よう。帰り道、村人の集まっているゴンパ(寺)に立ち寄る。マン車(一回転させるとお経
を一回唱えたことになる優れもの。)を手にしたおばあさんやひやかしの子どもに混じって
時計回りにゴンパを一周。寺内に入れるかと聞いてみる。今日はセレモニーらしくシンバル
やチャルメラ、ほら貝の様なにぎやかな音が鳴っている。入り口で手を合わせていると"正
面で祈りなさい"とジェスチャーしてくれる。窓のない40畳ほどの寺内は大小のバター灯
が明々とともされている。なつかしいまったりとした匂い。おじいさん、おばあさんをはじ
め40人程の人が座り祈り唱えている姿は、これまで見聞きしたものと少し違って生活感のあ
るあったかいものだった。神聖というより、この土地とともに生きてる人の素朴な心の真ん
中にそっといれてもらっているような安らぎがあった。

7月28日(月) ニェラム−シガール

 マッキンレーでの順応効果あり。昨夜は頭痛もなく脈も正常でぐっすり眠ることができた。
本日は標高4300mのシガールへ移動。車は213Km、中尼公路をひた走る。途中ラル―・ラ−
5050m(ラは峠という意味)峠を超える。チベットでは峠の神様に旅の無事を祈願して地水
火風空の五彩の祈りの旗「タルチョ」や経文やルンタ(風の馬=仏宝を乗せた馬)が四方に
張ってある。ケルンも数え切れないくらい積んであり、この国の人々の信心深さが伺える。
そんな場にくるとつい手をあわせてしまう。戸高は写真撮影に夢中になる。荒涼とした茶色
の大地の連なりは壮大で、地球は生き物であり今も深く静かに脈々と打ち続けていることを
思う。
 遠く雪をまとい広がりのある山脈、シシャパンマ峰(8038m)を望むことができた。

7月29日(火) シガール、順応

 馬のヒズメの音と鈴の音、なんともかろやかな音が響いてくる。10頭程の馬にまたがっ
たチベットの男たちがメインストリートを行く。男たちはチャパというチベット服を着て、
馬もカラフルに飾られてかっこいい。空気が澄んでいることもあるがシャンシャンという鈴
の音を聞くと心がはずんでうれしくなる。その姿にみとれていると後ろからギィーコギィー
コと中国産の黒くごつい自転車をこいでゆくチベッタンの姿。(やっぱり馬で行ってほしい
よねー。)個人的な感情だが、つぶやいてしまった。午後から順応でシガールゾン(ゾンは
城)に登る。岩肌のとがった山にこつぜんと建つ城は文化革命時に崩され廃虚と化している。
岩にもどるおのれの姿とかわりゆく村を見守るかのようにして在る。ゆっくり登っていくと
一人の少年がニッコリと笑って山にのぼる道を指差して教えてくれる。ヤギの鳴き声が響い
ていたのでヤギ使いの子どもだろう。私たちが休むと彼も休み結局頂上まで一緒に上がり、
3人で昼食をとる。覚えたてのチベット語で名前を聞く。
 「チェランギ・ミンラ・カレセギュ?」「タシ」と互いのことが少し分かると妙にうれし
い。彼の手には羊かヤギに毛で編んだ1m程のヒモが握られていて興味をもって見ていると実
演してくれるという。はずかしそうに立ち上がり小石を拾ってヒモの中央に挟ませ、二つ折
りにし、両端を握ってぶるんぶるんと回しいきおいよく投げた。(後で調べると投石ヒモ
「グルドゥ」といい羊使いのときに使う。)50mは飛んでいる。石の飛ぶ早い音は谷によく
響く。(ヤギはそりゃ恐しいことだろう。)夕食時、ダグ氏に今日出会ったヤギ使いの少年
の話をすると、「僕も子どものころは羊やヤギを追っていたもんだ。グルドゥの腕前はすご
かったよ」と誇らしげに話してくれた。又1903年のヤングハルバンドひきいる英国の戦争で
はチベット軍隊は城から石をなげまくりイギリス人がどこから飛んでくるか分からない石の
雨におののいた話も聞かせてくれた。

7月30日(水)  曇り、晴れ  

 チンコラ麦と菜の花畑の水路兼農道をまっすぐに突っ切って東にある岩山に向かう。みご
とな実をつけた麦は風に吹かれザワワと緑の波を打ち、心地よく遠くにつたわっていく。レ
ンゲ畑の中を籠をしょったチベッタン女性や子どもらが歩いてゆく姿が美しい。自然相手に
力いっぱい働き生きている人をみると、日本での生活を振り返りこうして現地の人がそう登
ることはない山に登りゆくことで何かを見ようとしている自分とは一体何だろうと考える。
明日からはチョモランマBCに上がる。戸高はこれまでのいきおいや山にかけ、向かうよう
な心境ではないようだ。今後の展開が彼の動きから読み取ることができず、彼は彼で私は私
で進んでいるような気がするが一人一人で二人だからこれでいいのかのしれない。楽しみな
ちょっと不安なベース入りになりそうだ。
                                       戸優美