「……」
遅い。
壁にかけてある時計を確認する。
たしか、約束の時間は1時だったはずだが、すでに夕方の5時になろうとしている。
そんなにいるつもりは無かったのでコーヒー一杯しか注文していなかったのだが、さすがにウェイトレスの視線が気になって軽いものを注文したりもした。
こんなことを、してる場合じゃないのに。
焦ったところで、碧は「束縛は嫌いなんで」とか言って携帯電話など連絡手段を持ち歩かないため、どうしようもない。
だから、晶はただひたすら待つ。
さらに1時間ほどたち、よほど帰ってやろうかと思ったが、生来の気の弱さと碧を敵に回した時の厄介さから、しぶしぶ座りつづける。
そして、
「よー、晶」
声は、入り口を見つめる晶の背中から、かかった。
「……先輩。どっから入って来たんですか」
「んー。裏口。店の人にちょいっと頼んでな」
「なぜそんなコトしたんですか?」
「いや、驚くかなー、って思ってな」
こともなげにそう言うと、悪びれる振りも無く普通に席に座り込み、ウェイトレスに何やら注文。
ウエイトレスは、『すっぽかされなくて良かったですね』といった感じの視線を晶に向けたが、晶としてはただ苦笑を返すのみ。
この人は、昔からこうだった。
それは、いつからだったか?
「……まあ、いいです。それで、」
「うむ。このチョコケーキとイチゴケーキどっちがいいと思う?」
「どっちでも構いません。それよりもですね」
「あー、それだがな」
碧は、窓の外を見ながら、頭をぽりぽりと掻き、
「わからんよ。やっぱ」
「そう、でしたか」
「そ。あんまり顧客の情報流すわけにもいかね―から、細かいことは言えないけどね。
ただ、今現在その人がどうしているのか、なぜ彼女が置き去りになっていたのか、そこまではわからなかったのは本当」
「はい……」
ある程度は、こうなることは予想できた。
出来てはいたが、しかし……。
黙りこむ晶。碧はさらに言葉を続ける。
「ただ。お前んトコのセリオが調べてくれた情報から推測するに、彼女が活動していた環境は良好……つまり、暮らしぶりは悪くはなかったってさ」
「そうですか」
それを聞いて、晶は少しだけほっとする。
少なくとも、彼女は幸せな時期を過ごしてはいたらしい。
「まあ、所詮俺はただのバイトだから、詳しいことはわからんのだがね」
「いえ。ありがとうございます」
そう言って、晶は席から立とうとする。
できるならば、一刻も早く帰りたいのだ。
そんな晶に、
「おーい、ちょっと待てや」
「はい?」
「はい? じゃなくて。お前さん人から情報だけ聞き出しといてそりゃねーだろ」
碧はそう言って、手のひらを差し出す。
晶は、はた、と気づき、手持ちのかばんの中から何やら紙袋を取り出して、
「はい。約束のものです」
「おー、それでいいのだ」
碧、ちらと中を確認し、納得したような顔をする。
「うむ。おっけおっけ。相変わらずこーゆーことは得意だな」
「まあ、それはどうも。……でも、そんなもの一体どうするんですか?」
「ま、それはこっちのこと。悪いことには使わんさ」
「当たり前です」
碧はその紙袋を、自分のバックの中に仕舞い込む。
それを見た晶は、今度こそ去ろうとする。
が。
「なあ、」
「なんですか」
碧はなおも声をかけようとする。それは、晶の言葉によって途中でさえぎられてしまったのだが。
「あー、なんつーか」
ふと、晶は不審に思う。
どうも、碧の歯切れが悪い。
何か言いたいことがあるようなのだが、言えずにいる。
こんなことは、今までなかった。
いや。
こうして「先輩」と「後輩」になってからは、なかった。
「……どうかしたんですか?」
その晶の問いに、碧は下を向く。
「……あのさ、晶」
何かを言おうとするが、しかし、黙り込んでしまう。
そんな、いつもと違う碧に対して、晶は、ふとある事に気付く。
「名前……」
「え?」
「名前で呼ぶんですね。僕のこと」
「あ。……ああ」
碧は、やや気まずそうに、
「今のお前は、後輩って言うよりは、晶だからな」
「え?」
「あのときと同じだ。茜さんの時と」
「……ええ」
それは、もういない人の名前。
「変われると、思ったんですけどね。時間が経って……彼女と会って」
「うん」
「でも、何も変わってはいなかったんです」
「そか」
少しの沈黙。
「……もう、行きます」
「うん」
そして。
「あのときと同じだ。また……私には、何も出来ないんだ」
碧は、ぽつりと、そう言った。
「……ごめんな。月本」
最後にそう呟き。
今度こそ、晶は店から出ていった。
>続く