たとえばここに変化が一つある。
と、食パンにバターをぺたぺた塗りながら思う。
同じ部屋には、姉がいる。
月本碧。たしか5つか6つほど歳の離れた彼の姉。
一言では形容しがたい妙な性格をしていて、しかもそれがころころ変わるものだから、弟の身でもどんな人物なのかつかみかねている所もある。
とりあえず、すくなくとも。
おもしれえ姉貴だな、とは思っている。
そのおもしれえ姉貴は。
今、多分ここ最近で最も変だ。
叫ばない。
変なものを拾ってこない。
どこかで覚えてきた謎の武術の技を、弟にかけない。
その他もろもろ。
一言で言うと大人しくなった。
それ自体はいいと思う。
もういい年だ。歳相応の分別をつける。それはすばらしい。
でも、これは違う。
そう。
沈んでいる。多分、この人もそうなのだ。
何があったのか、自分にはわからない。
こう言うときは、人の心情を察するのが苦手な自分を、ちと不便に思う。
とはいえ、そんなにすぐに変われるわけではない。
現状のまま、何か出来ることはないものか。
姉弟なんだし。
「ん。どうした? 私の顔になんかついてるか?」
「……いや」
いきなり声をかけられてびびった。
なんとなく目をそらし、パンを食す作業に戻る。
焼けたパンがぱりぱりと音を立てる。
そういえば、と思う。
いつからだっけか。
自分のことを、私って呼ぶように戻ったのは。
そのとき、機械っぽい音が、なにかメロディを奏でた。
たしかこれは……碧の携帯電話の着信音ではなかったか。
「姉貴、なってんぞ」
「ん。うん……」
碧は周囲を見まわすが、携帯電話を見つけられずにいる。
真一が音を頼りに見まわすと、真一の背中側にある棚にそれは置いてあった。
「こっちにあるぞ」
「あ、そっちに起き忘れてたみたいだな……とって」
「ん」
よっこいせ、と腕を伸ばし、携帯電話を掴み、それを姉にパス。
碧は携帯電話についている画面を見つめ、何やら操作。
そして、何かを考えこむような顔になる。
「どした?」
「ん……メールだよ。業務連絡だ。顔出せってさ」
業務か。
そういえば、この姉がどんな仕事をしているのか真一は知らない。
とりあえず、アルバイトを掛け持っているような雰囲気ではあるのだが。
「そういえば、姉貴最近休みまくってねえ? フリーターの夏休みはそんなに長げえのか?」
「まー、そんなところだな」
返答は淡白。
ちょっと前までならば、ここで煙に巻かれるような台詞の一つや二つも飛び出すところなのに。
「で、どうすんの?」
「そーだな……」
碧は悩み。
「こんな辛気臭い顔出すのもどうかなあ……でもまあ、行くよ」
「そか。まあ、よくわからんが行ってこいや」
「ん。って、お前こそ学校、大丈夫なのか?」
言われて時計を見る。
じっと見る。
考えこむ。
少し焦る。
「あまり大丈夫じゃなさそうだ」
「じゃあ、急げよ」
「おう。行ってくる」
そう言うと、真一は慌て……ずに、普通のペースで登校していった。
その姿を見ながら、碧はぽつりと呟く。
「弟に心配かけて。なにやってんだろうなあ」
そして、自らも出かける支度を始めた。
*
HMX-17uユニはその日の授業が終わり、家で相変わらずやる気も起きずにぷらぷらしていると、ぴ、と自分のメンテナンス用でもあるノートパソコンがメール着信を伝えるのを見た。
件名だけ見る。そこから呼び出しだとわかる。
なんだろうな、と思う。
ただ、なんだか考えるのもめんどくさい。
来いと言われたら行くしかない。
ただ、もう時間が遅いから今日はかえって来れないかも知れない。
それはちょっと考える。今、家には「セリオ」はいるけどセリオさんはいない。ご主人様もいない
伝言は、頼めないか。
そう考え、メモ用紙に行き先と連絡先と「今日は帰れないかも知れません」の旨を書きこみ、出かけていった。
研究所に一人で行くのはこれが始めてじゃない。もう何回も行っている。
駅まで歩き、電車を待ち、電車に揺られ、駅から降りて、また歩き、研究所行きのバスに乗る。
道のりは少し遠いが、別に嫌じゃない。
少なくとも、言われた事をやっている間は、前に進めないでいる自分をごまかせる。
そうこうしているうちに、研究所は目の前。
今回はどんな事をするんだろう。
ちょっと考えてみるが、どうせ自分にはわからないようなことを調べられるわけだし、考えてもしかたないかな、と思う。
ふと、後ろを振り向く。
少し薄暗くなってきた道が見える。
ここまで、迷わずこれるようになったのは、いつのころからだっけ?
中に入る。
研究所の中の、いつも行く研究室へと向かう。
でも、なんかおかしい。
いつもは、このあたりまでくれば、誰か迎えに来てくれる人がいるのに。
なんだろう。
いそがしいんだろうか?
ユニはそのわりと豊かな想像力で色々考えてみる。
うーん、と。
とりあえず最悪の事態だ。
『ユニ、君の試験運用期間は今日で終わりだ。眠りについてもらおうと思う』
とか。
まあ、有り得ない話じゃない。
そうなったら、どうか。
……嫌だな。やっぱり。
なんで嫌なんだろう。
なにが嫌なんだろう。
それは色々ある。
だけど。
そのとき、ユニの頭の中に、ぱっと思いついたことがあった。
好きな漫画がある。
大好きな、漫画がある。
その単行本が、もうちょっとで出る。
書き下ろしのページもあるかもしれない。
だから。
少なくとも、それを見てからにしたいなあ、と。
考えて、自分にがっくり来る。
それが真っ先に思いつく理由かあ。
なんだかなあ。
苦笑する。
結局、自分はどこか気楽に出来てるんだろう。
それはそれでいい。
そんなことを考えているうちに、研究室の前についた。
ちょっと緊張する。
扉を2度、こんこん、と叩き、開く。
中は真っ暗。
……部屋間違えたっけ?
不安になり、部屋の上にかけてあるプレートを見てみるが、やはり間違いはない。
廊下からの光では、入り口周辺しかうかがえない。
とりあえず、暗がりの中、恐る恐る入っていく。
手探りで、とりあえず電灯のスイッチを探す。
そういえば、と思う。
なんで真っ暗なんだろう?
たしか、この部屋には窓があった。
外は、薄暗くはあったけど、真っ暗ってほどじゃない。
誰かが真っ暗にしようと思わない限り、真っ暗にはならないはずだ。
そのことに気付いたとき、ばたん、と音がした。後ろのドアが閉まった。
そして、ぱあん、と音がなった。
同時に、辺りが真っ白になった。灯りが付いたのだ。
びっくりした。
すごいびっくりした。
なにがなんだか、よくわからない。
明るさに目が慣れる。
周りには何人もの人。
背格好からして見覚えがある。みんな、ここの研究員で、顔見知りだ。
背格好からして、といったのはその顔がわからないから。
みんな、変な双眼鏡みたいなのを顔に引っ付けている。
暗視ゴーグルとかそういう奴だろうか?
それで、暗闇でこちらを伺いながら、驚かそうと企んでいたんだろうか。
もしそうなら、それは暇人のなせる技だ。
床を見ると、紙テープが散らばっている。
先ほどの破裂音は、クラッカーによるものだったんだろう。
なんだろう。
とりあえず、びっくりしたことは確かだ。
みんなは、暗視ゴーグルを外しながら、がやがやと騒ぎ出す。
何か言っている。
みんな、同じことを言っている。
ふと、壁に貼り付けられている紙にかかれた文字を見る。
それを見て。
まず、この人たちは、機械を扱うのは上手いけど、結構手先は不器用なんじゃないかなあ、と思った。
それから。
泣けばいいのか、笑えばいいのか、よくわからなくなった。
そういえば、忘れてた。
今日だった。
『お誕生日、おめでとう』
つづく。