流れていく景色の色は灰。

 聞こえてくる人々の声は、耳に入ることはあっても意味を成すことは無い。

 ただ、電車のがたんごとんという音だけが頭の中に響く。

 気付く。

 これは。

 俺の、夢だ。

 *

「おー、起きたか、後輩」

 俺は自分を呼ぶ女性の声で目を覚ました。
 寝ぼけた目のまま辺りを見まわす。
 電車の中。それは確かだが、周囲の景色に見覚えは無い。

「……ここは、どこですか?」

 目の前の人物……月本碧先輩に問い掛ける。
 確か、彼女に連れられてなんとかというイベント(名前は覚えていないが、ひどい人ごみだった)に行った帰り、だとは思う。
 俺は人ごみの得意な方ではなく、疲れで寝入ってしまったのだろうが、しかし。

「確か……来るときも、こんなところは通らなかったと思うんですけど」
「ほー。お前、やたらと景色を観察してやがんな」
「いえ……そういうわけではないんですけど」

 暇は嫌い。
 退屈は嫌い。
 だから、外の景色でも見て気を紛らわせる。
 黙っていると、思い出したくないことも思い出してしまうから。

「確かにお前の言うとおり、すでに俺たちは目的の駅を乗り過ごしてしまっている」
「……起してくださいよ、先輩」

 月本先輩は同い年だが、高校のとき一年休学している俺にとって、大学での彼女の間柄は先輩、ということになり、そう呼んでいるうちに何時の間にか定着してしまった。

「そういうなって。知らない駅で降りて、テキトーにぶらつくのも楽しいもんよ」
「はぁ……そうですか」
「んじゃま、お前も起きたことだし、次の駅で降りっか」
「はいはい」

 俺はため息交じりに返事をする。
 彼女のいいかげんな行動に振り回されるのはいつものことなので、すでに諦めてはいるが、少しはこっちの都合も考えて欲しいと思う。
 やがて次の駅へとつき、電車を下りる。乗り越し料金を払って駅の外へ。
 そこに広がるは知らない景色。

「ふーん。なんか寂れた町だなあ。そーは思わんか?」
「別に……こんなもんじゃないんですか?」

 先輩は寂れた、というが、別にそれほどではないと思う。
 順調に発展しているとは言いがたいかもしれないが。
 まあ、普通の町だ。

「それで、これからどうするんです?」
「そーさな。まだ夕メシには早いが……なんか軽く食ってくか?」
「はい。いいんじゃないんですか。それで」

 別に断る理由もないので了承し、二人であてどなく歩く。
 なかなか適当な店が見つからずにいた頃、その店は見つかった。
 なんの変哲もない、ごく普通の、喫茶店。

「おー。なんか軽食もでるみたいだぞ」
「そりゃ、喫茶店ですからね。ここに入るんですか?」
「そーすんべ。もし、思いのほかウマかったらめっけもんだろ」

 先輩はそう言うなり店の扉を開く。
 中はまあ、こざっぱりとしたごく普通の喫茶店。
 先輩の後について店内に入った俺は、そんな感想を持ちながら中を見まわし。

 心臓が跳ねあがった。

 理由はわからない。いや、原因ならわかる。
 店内にいた、おそらく店員であろう、一人の女性。
 顔に個性的(というよりは、変な)装飾品をつけた、オレンジ色の髪の、その人。
 俺の視線に気付いたのか、先輩が、

「ん? なんだ、お前。HM13型が、そんなに珍しいか?」

 そう。
 思い出してみれば、どこかで見たことがある。
 来栖川製メイドロボ。HM13型。商品名は確か……。
 セリオ。
 彼女は、こちらを確認し、接客を始める。

「いらっしゃいませ」
「ういっす。二人お願いね」
「かしこまりました。では、こちらへ」
「どもども……って、おい、何ぼーとしてんだよお前」

 その声で、やっと俺は正気づく。
 まだ、落ちついてはいないが、とりえあえず案内された席へと向かおうとし……。
 地面に置いてあった、なにか、だと思う。詳しくは覚えていないが、とにかく。
 俺は、転んだ。

「あ? 何やってんのお前」

 先輩は呆れ顔でそんなことを言う。

「大丈夫ですか?」

 彼女は、倒れた俺に駆けより、手を差し伸べてくれた。

「ああ、どうもありがと……」

 そして俺は、その手を反射的に掴み、そして。

「……どうか、なされましたか?」
「あ、いえ。なんでも……あの、」

 聞きたかった。

「君の、名前は?」

 彼女は、しばし考えたあと、

「はい。私はHM13、セリオと申します」

 そう、答えた。
 そして。
 彼女は。
 微笑み、ながら。

「よろしければ、貴方のお名前も、お教えもらえますか?」

 そう、聞いてきた。

 そのあとのことは、良く覚えていない。
 先輩に「なに店の子口説いてんだよ?」とか聞かれた気もするが、俺は上の空だったと思う。
 何かを食べた気もする。しかし、それも良く覚えていない。
 上手かったのかまずかったのか。
 いや何を食べたのかさえも。
 結局、そこで覚えている感覚はただひとつ。
 彼女は。
 機械だという、彼女の、その手は。
 暖かかった。

 *

 瞳を開くと、世界に色がよみがえる。
 辺りを見まわすと、外に流れるのは夕方の景色。
 周りは人もまばらな電車の中。
 寝ぼけた頭のまま、僕は考える。
 ……寝過ごした、のかな?
 窓の外の景色には見覚えはない。ここがどこだかは分からない。
 が、少なくとも普段利用している範囲ではない。
 まだ少し寝ぼけたまま、頭をぽりぽりと掻く。
 ……多分、寝過ごしたんだろうな。
 まあ、寝過ごしてしまったものは仕方ない。次の駅で降りてみて、そこから引き返せばすむことだ。
 しばらく揺られていると、やがて車内アナウンスが響き、駅へ到着したことを知らせる。
 電車は停車し、僕はひょいっと降りる。
 そこは知らない駅。駅名を確認してみても、見たこともないような名前。
 いや。
 どこかで、見たことがあるような?
 そんな感覚を受け、辺りを見まわすと、やはり見覚えがある。
 既視感というやつかと思ったが、どうもそうではないらしい。
 しばらく考えたとき、ぱっと、思い出した。
 もう、2年近く前に、僕はここにきた事がある。
 そうだ、確か。
 ここは、彼女のいる町だ。
 駅の位置と今の時間、電車の発車時刻を調べると、いまからちょっと行ってみても、多分、帰りはそんなに遅くはならない。
 そんなことを考えて、僕は駅から出た。
 2年前とほとんど変わっていない、名前も知らない町に。

 僕としては。
 彼女が、元気でやっているのか、それを知りたかっただけだった。
 それだけだったのに。
 

 >つづく