Makalu−T Expedition 1998


3 随想

(1) プロローグ
 「偉大なる黒い山」と呼ばれる世界第5位の高峰マカルーT峰に挑むことになったのは、96
年の埼玉県海外登山研究会の忘年会の席上、殆ど全員が酔いつぶれ、今にも眠ろうという時だっ
た。
 同年四月より埼玉県内の有志が集まり、ヒマラヤ登山を目指す研究会がスタートした。そして、
まず近くの目標をどこにするかとなり、1998年に8000メートル峰に登ることになった。
 当初、私の目標は最高峰チョモランマであったが、埼玉県で初の8000メートル峰が、いき
なりチョモランマというのも突飛すぎ、まして初めての遠征で予算の調達が難しいだろうという
ことで、ワンステップおいて、(一山登って、経験と実績を積んでから)最高峰に挑もうという
ことになった。
 そのステップの8000メートル峰として、数々の候補が挙がった。

 選定する上で考えた条件は、
 @登って良い山
 A人の少ない山
 B長期に出かけて登る山
の三項目。
 @は、登りがいのある山。登って楽しく、価値の有る山。
 Aは、ベースキャンプやルート上に人の少ない山。
 Bは、せっかく「埼玉県」として行くのだから、夏休み期間だけというのでなく、2〜3ヶ月
かけて登る山(ネパールヒマラヤ)。

 以上の条件から、標高は世界第5位、8500メートルに近いスーパージャイアンツ、均整の
とれた美しい山、最高峰チョモランマ(エベレスト)に登った登山者が次に登りたい山、ちょっ
と(かなり)難しいけど挑戦し甲斐のある山として、検討の末決まったのがマカルーT峰だった。

 クリスマス間近のカトマンズのエージェント=コスモトレックを戸高氏に紹介してもらい、
98年のマカルーのブッキング状況を調査してもらう。年明けの返事では、「盛岡の山童子隊の
みで、外国隊は無し。」という状況だった。
 早速、研究会内で「マカルー実行委員会」を組織し、調査研究を始め、参加者を募った。
 その後、研究会は埼玉県岳連の組織の改編で海外登山部の海外登山委員会に移行し、登山隊も
「埼玉県山岳連盟主催」となり、名実共に埼玉県の登山隊として24年ぶりの遠征隊、8000
メートル峰としては初の遠征隊が実施に向けて動き出した。
 毎月の実行委員会や春、夏、冬の合宿を通してメンバーが絞り込まれ、日程や仕事の都合から
隊員から支援隊にまわる者も出たが、強い意志を持った7名が隊員として残った。
 1998年7月17日、500sの隊荷を発送し、同日、県岳連実行委員会主催の壮行会の後、
8月2日、先発隊4名が関空を出発し、計画が実行に移された。



(2) エピローグ−宇宙に残された心−

 今回の遠征は、自分にとっては将来を賭けた、一世一代の遠征であった。結婚が第二の人生な
ら、この遠征は第三の人生の出発であった。
 遠征の許可が降りず、諦めかけていたが、何とか行かせて上げようと言う県教委の配慮があっ
たが、あれは見せかけ。あれ以上の脅迫は無かった。「退職しても行ってやる」と大見得を切っ
たものの、内心はぼろぼろで、まともに登山はできない心境であった。
 しかし、退職しての遠征は不撓不屈、何があってどうにかしてやろうという心構え(思いこみ)
があった。そしてマカルーに挑戦したが、結局敗退(失敗)という結果になってしまった。それ
も、不完全燃焼という後悔の気持ちを残して…。
 帰りたくなかった、登るまでは…。
 どんなに長くかかろうと、時間制限は無い。
そして、第一に、後悔無しでこの遠征を完結したかった。
しかし、この思いは通ぜず、今だ7500メートルの彼方に漂っている。
 いったい山に登るとはどういうことなのだろうか。それも、ヒマラヤという山に登ると言うこ
とは…。
 国内の登山は、日常の延長線の上に辛うじて存在すると私は思う。月曜から土曜(金曜)の仕
事の後に続く、気分転換の日曜登山(週末登山)。山があるから仕事をし、仕事をするから山に
登るというお互いの存在理由があり、お互いがお互いを必要とし、連続している。春、夏、冬の
長期の山行は、アクセントであり、年に数度のご褒美である。一寸緊張する岩登りは、味付けか
もしれない。考えると、これらはみな「日常」の延長線の上にある。
 しかし、ヒマラヤ登山は、非日常である。脱日常でもあり、非現実世界でもある。
 3ヶ月という長期の日数を必要とし、8000メートルという人類が存在できない世界に身を
置き、しかも人力で無償の頂を目指す。成功したからと言って賞金が出る訳でもなく、そのため
に仕事を辞め、家族を棄て、現実社会から離れる。この世(現代)にあっては、失う物ばかり多
く、得る物は少ない行為である。そういう行為は、つまり非日常で、非現実である。
 ただ、そういっても、自分はそれが止められない。非日常も非現実も楽しい世界であり、現在
認められない行為は、値打ちがないのではなく、このヒマラヤ登山はかけがえのない価値がある、
と信じる。自分のみならず、未来永劫の人類のためにもこの行為は続け、継承されなければなら
ない。
 つまり「夢・希望・忍耐・勇気・創造」その他諸々の価値を実現できる行為だからである。
 さて、その価値に今回のマカルー遠征が当てはまるか?と言ったら、その答えは、残念ながら
ノーである。イエスと言って、胸を張って答えられたらと思うが、そう思えるにはまだ時間が必
要だ。それも、かなりの年月が…。
 なぜなら、自分の心を諫めるのに十分な理由が見いだせないからだ。
 人は、思い上がりだという。生きて帰ってきただけ幸せだ。再就職できて、それだけで幸せ者
だという。そうかもしれない。現実社会ならそうかもしれない。退職して、遊んできて、復職で
きた。その結果だけを見たなら。
 しかし、現実と非現実、日常と非日常を渡り歩く彷徨い人としては、幸せのかけらも感じられ
ない。
 どうすればいいんだ。どうすれば…。
 7500メートルに漂ったこの気持ちは、もう一度捕まえに行き、成仏させなければならない
のか…。


頂上への道は
自分自身への道であり
したがって、
どの山行も
単独行のようなものである。

−フレッサンドロ・ゴーニャ−

追加

戸高雅史の奥さん:優美さんのチョモランマレポート98の8月18日の記述に、
『…〈略〉… スイス人の著名な登山家ジャン・トロワイエ氏の言葉で印象に残ったのは、
「ヒマラヤに登り登頂したことで、友人と食事をする間もなく、講演だ仕事だと、働かされていく
者もいれば、登れなかったことを失敗とし、人生のどん底のような心境におちいり、回りの者をま
きこんで不幸になってしまう者もいる。ヒマラヤに人生をとらわれる者になってはいけない。ヒマ
ラヤが不幸の選択になってはいけない。ヒマラヤは日常とかけ離れることで、日常生活の幸せにつ
いて再発見させてくれる所であり、生きていくことの価値を確認させてくれる場である。そして何
よりも自分の喜びや幸せの為に登るのだから。」…〈略〉…』

という言葉に出会い、かすかな希望が見えてきた今日この頃……。



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