Makalu−T Expedition 1998


2 行動概要

(3)アタック

◆10月 3日 再度、登頂目指してBCを出発。メンバーは、加藤・小沢・品川隊員とハクパ
        (シェルパ)の4名。 
◆10月 4日 深いラッセルをしてのC2入り。
◆10月 5日 深いラッセルに苦しみながらC3入り。
◆10月 6日 テント・食糧・フィックス・スノーバー・スクリュー等を持ってC4(7600
        メートル)へ。加藤・小沢隊員はC4建設。品川隊員・ハクパは、明日のルー
        トを偵察。4人用テントに4人で少々手狭。早々に食事をとって仮眠する。品
        川隊員とハクパは、此処から上も無酸素。加藤と小沢隊員は、睡眠用酸素(毎
        分0.5リットル)を吸う。品川・小沢隊員は羽毛服で寝てしまう。酸素を吸
        うと暖かく、一度も起きなかった。
◆10月 7日 午前0時15分起床。いつも通り、お茶を飲み、朝食の雑炊を食べ、テルモス
        にお茶を入れ、更にお茶を飲んで出発準備。フィックスロープにスノーバー、
        スクリューをザックに入れ4時10分出発。加藤と小沢隊員は行動用酸素(毎
        分2.5リットル)を使用するので2本の酸素ボンベも。
         ハクパ、品川隊員、小沢隊員、加藤の順でスタートする。加藤のマスクは調
        子が悪く、酸素が吸い辛い。重量も2本で10キログラムと重く、これならや
        っぱり棄てて無酸素で行こうかと考えるが、まだ始まったばかり。だまし騙し
        出発。
         モナカ雪のトラバースは、非常に疲れる。できるだけ固そうな雪面を歩くが
        ハズレばっかりでスピードが上がらない。それでも一つ尾根を越え、北側の大
        斜面に出る。此処から先、頂上まではルートが長い上、深い雪と固く大きなセ
        ラック帯がルートを阻んでいる。セラック帯に近づこうと、4人でラッセルを
        繰り返すがあまりの深さと長さに万事休す。
         しかし、7時。太陽の光が差し始め、体にエネルギーを与えてくれた。今ま
        での寒さが嘘のように吹っ飛び、登頂への意欲が増す。近づいたセラック帯の
        上部、右手の露岩帯とのコンタクトラインにルートを定め、尚も深いラッセル
        を続ける。加藤は、サングラスが曇ってマスクができない。難しいところ、怪
        しいところはマスクを外す。ラッセルの時も……。結局半分ぐらいしか酸素が
        吸えない。急斜面でモナカ雪、腰までのラッセルの三重苦の中、左上するがク
        レバスに阻まれる。右に迂回してクレバスをやり過ごし、9時、コンタクトラ
        インの基部に到着。
         此処には、残地のロープが垂れ下がっていた。9月25日の盛岡隊の物らし
        い。2本のフィックスを辿り、終点から左にトラバースしてセラック帯をやり
        過ごそうとするが、急斜面で下はガリガリの氷、その上に積雪という最悪の状
        況。過去の記録では、多少難しいながらもフィックス無しでトラバースできた
        筈のルートが一変。フィックスを張り、ダブルアックスでのトラバースを始め
        る(11時)。上部はテカテカの青氷。途中に、盛岡隊が登ったと思われる残
        地ロープが垂れ下がり、「ここは登ったらいけない。トラバーストラバース。」
        と言いながら進むが、完全な水平トラバースは難しく、少しずつ上がってしま
        う。そして、あと少しで抜けられるという所で、青氷のバンドにぶち当たって
        しまった(12時)。
         本格的なアイスクライミングとなる。なかなか利かないバイルにアイゼン。
        支点となるアイススクリューもなかなか利かない。全力を出して打ち込み、蹴
        り込む。5メートル位と思っていたが10メートル以上もあり、やっと突破。
        セカンド以降も、この垂直のクライミングは厳しかった。この青氷のバンドを
        越えるとトラバースは簡単になり、20メートルも進むとセラック帯の左縁に
        出、ギャップを乗っ越すと又も頂上へ続く大雪面が現れ、その先に頂上岩壁が
        左右に岩稜を延ばしていた。
         14時20分。高度約8000メートル。無風快晴。酸素は残り1本。此処
        までの苦労を考えるともったいないが先は長い。無理は禁物。「調子はいいの
        で、もう一度出直そう。」と、最終地点に酸素ボンベやフィックス、スノーバ
        ー、スクリュー等をデポして下山。
         もう一度頂上へのラインを確認し、「次回は必ず登頂」と願を掛ける。下山
        となれば、無酸素のハクパと品川隊員は早い。アッという間に下っていく。
        小沢隊員は、酸素マスクを外したので急に動きが鈍くなり、加藤が後ろから声
        を掛けながら下る。
         17時、やや風の強まったC4に全員到着。既に、2次隊のメンバーが待機
        しており、テントも一張C3から上げてあった。明日は、韓国隊のメンバーも
        アタックという。

◆10月 8日 3時30分、2次隊(福田・鈴木・井上の3隊員とギャルゼンとサンゲイの2
        名)がアタック出発。韓国隊も隊員1名(パクさん)、シェルパ2名が出発。
         8時半頃、昨日のデポ地点(8000メートル)に到着。これなら登頂間違
        いなしと思う。しかし、この後の雪面はやっぱり深いラッセル。デポ地からは
        ギャルゼンも酸素を吸いながらのラッセル。その後を鈴木隊員が追いかけ、後
        に韓国隊が入り、遅れた井上隊員がついている。
         12時、井上隊員より岩壁に近づいたとの報告。いよいよかと登頂を待ちわ
        びるが、13時、14時になっても連絡無し。どうしたことかと心配している
        と、14時30分、アタック隊→BC→C4の中継で、14時に登頂を諦め下
        山を開始した知らせを受ける。「残念。もう一寸だったのに…。」と思った。
        しかし、「この続きは、俺達に任せておけ。」という気持ちだった。
         16時30分、キャルゼンがC4到着。続いて鈴木隊員も到着。2人は、C3
        まで下る。
         18時、外は薄暗くなってきたが、井上隊員が到着しない。どうしたことか
        とアタックメンバーの鈴木隊員に、途中の様子を聞こうと、戻ったはずのC3
        に連絡を入れると、ギャルゼンが出て鈴木隊員はまだ着いてないと言う。既に
        到着しても良いはずなのに?と思い、迎えに行くよう頼む。C4には、明日の
        再々アタックに備えたメンバー(加藤・小沢・品川隊員)とハクパ・シェルパ
        が残っていたが、2人の行方が心配になる。
         19時、依然2人の行方が確認できず、BCに手を打つように要請。鈴木隊
        員はC3のギャルゼン、井上隊員はC4のメンバーということになる。早速上
        部のトラバース方向に目をやるとヘッドライトの灯りが見える。井上隊員の無
        事を確認。しばらく待つが、待てども待てども近づかない。
         「まずは井上隊員を!」と言うことで、酸素ボンベをもって小沢・品川隊員
        が迎えに行く。酸素を吸わせ、連れて帰って来る(C4に収容)。
         19時30分、井上隊員のC4到着を報告し、鈴木隊員の様子を聞くが未だ
        不明。ギャルゼンもC3・C4間を往復したが見つからず、疲れてこれ以上動
        けないと言う。
         19時45分、とうとうC4の小沢・品川隊員が出動。人影らしき物を見つけ
        るが、場所を特定できず、諦めて引き返す途中、一瞬灯りを発見。
         20時30分、既にビバーク態勢に入っていた鈴木隊員を発見。お茶と酸素
        を吸わせ、21時30分、C3へ収容。
         そして22時30分、小沢・品川の2隊員が、C4に戻る。お茶を飲み、今
        後のことを検討する。「せっかく此処まで来たのに」という思いがあったが、
        捜索に出るときから明日のアタックは中止と覚悟していた。だけどまたとない
        チャンス。あと100メートルあまり。強力なハクパも待っているのだからと、
        小沢氏の発案で「酸素を吸って品川隊員とハクパに登ってもらいたい。」とい
        うことになる。加藤も「もうワンチャンス有るさ。次は韓国隊とアタックしよ
        う。」と考え、同意。品川隊員は「起きてみて」と言うことで寝る。

◆10月 9日 2時起床。品川隊員に様子を伺うが、やっぱり「足が冷たい。不安がある。」
        と言うのでアタックを諦める。そしてまた寝る。


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