Makalu−T Expedition 1998


2 行動概要

(1)関空〜ベースキャンプまで

◆ 8月 2日 先発隊4名(福田・井上・品川・成田)が羽田から関空,関空からカトマンズ
        へ。
◆ 8月 9日 本隊3名(加藤・小沢・鈴木)が同じく関空を出発、夜カトマンズに全メンバ
        ーが集結。
         今年の夏は、異常気象(天候不順)が続き、夏(雨期)とはいえ、カトマン
        ズの上空は、厚い雲が終日たれ込め、梅雨のような天候だった。カトマンズで
        の準備作業は、コスモトレックのスタッフが精力的に働き、装備や食料の買い
        出しやパッキングなど殆どお任せ状態と言ってよかった。
◆ 8月13日 カトマンズでの準備を全て終え、二台のバスによる移動。
        カトマンズからヒレへは、南下してインドとの国境のタライ平原を東にひたす
        ら走り、ピプラから今度は、北上してダーランバザールで一泊。
◆ 8月14日 山道を登って2時間、雨降りのヒレに到着した。そこは、尾根上にある街で、
        自動車道はここでストップ。あとは、人足に頼るしかない。マカルーへは、こ
        こから長いキャラバンが始まる。
         カトマンズからは国内線のツムリンタール行きのエアーフライトが週二便あ
        るが、有視界飛行なのでこの時期に飛べるかどうかわからないし、ヒレからキ
        ャラバン3日目の所。待ち時間を考えると日程的には同じになってしまう。ま
        た、ベースキャンプの一日下の地点へヘリコプターで行くという手もあるが、
        そこは標高が高く(4700メートル)、一度にそこへ行ったら高山病で倒れ
        てしまう。そのためには高所順応を他の場所で行なわなければならないが、雨
        期で適当な場所が無い。また、ヘリコプターは完全な有視界飛行のため、この
        時期には飛べないことが多い。さらに、重量制限やガスや石油等危険物は運べ
        ないので陸路で運ばなければならない。
         結局は、手間もかからず確実で、高所順応もできるということから、全員キ
        ャラバンで一緒に行くことになった。(しかし今は、キャラバンは全てシェル
        パに任せることができるので、時期をずらして順応さえうまくやれば、直接ヘ
        リコプターで入るのが体力的・精神的にはいいだろう。)
         ヒレからのキャラバンは、全てサーダー任せ。サーダーは、もともとは高所ポ
        ーター(クライミング・シェルパ)の頭だが、現在は、ローポーター(BCキ
        ャンプまでのポーター)の頭(ナイケ)までも仕切っている。そのためキャラ
        バンによる輸送は、全てサーダーに一任できた。隊員は、給料の時現金を渡せ
        ばよいだけである。


【雨のキャラバン】
         ヒレからのキャラバンは、連日、雨の中。雨期とはいえもっと晴れても良い
        のでは、と思うも容赦なく雨は降る。

◆ 8月15日 車道終点の街「ヒレ」から116名のポーターと現地スタッフ9名、隊員7名
        の「埼玉県山岳連盟マカルーT峰登山」がスタート。
         第一日は、ヒレ(約2000メートル)から尾根を下ってアルン川辺の田園
        の集落:マンマヤ(約300メートル)へ。ここは、トイレのない集落。そし
        て、稲刈りをしている隣の田圃では田おこしをしている(二期作か三期作か)
        熱帯の地。ここの農家の二階を間借りし、あたかもゴーギャンの「タヒチの女」
        のような生活をした。
◆ 8月16日 第二日は、アルン川の左岸沿いを一日歩いてピロワ・コーラの河原まで。づっ
        と高度が上がらず、今日だけ天気が良く、まるで熱帯の砂漠歩き。休憩毎に茶
        屋のコーラやファンタを買いあさり喉を潤す。「岩と雪と氷を求めて来たのに、
        これはいったいなんだ」と、音を上げる隊員もいた。この夜は、河原にテント
        を張る。
◆ 8月17日 第三日、早朝「ゾウスイダー」の声。「今朝は雑炊か」と思った隊員もいたが、
        実はアルン川の増水。今にもテントが流されそうになり、慌てて脱出。幸い荷
        物も流されず、助かった。川岸の民家で雨宿りした後、増水した川を渡り、正
        面の台地:ツムリンタール(約1200メートル)への800メートルの登り。
         そして、頭上に双発機の音が聞こえ、「何だこれ、せっかく暑い思いをして
        雨の中歩いて来たのに」と、思わず弱音を吐いてしまう。それから、今日の宿
        「ホテル・カンチェンジュンガ」への水平歩きも長かった。
◆ 8月18日 第四日、ここからまた尾根歩き。カンドバリという最後の街(銀行や映画館、
        商店がある)をすぎ、電気の引かれた最後の街マニバンジャン(1200メー
        トル)。寝床は此処の商店の二階を借りる。食事は、近くの小学校の庭にある
        作りかけの小屋の中をキッチンにして、そこでいただく。せっかく学校がある
        ので、小沢氏と学校訪問。男の先生ばかりの校長室で、教育状況を話し合う。
        尚、学校は明日から夏休み。
         校庭隅のゴムホースから水が出ていて、そこが水場。久しぶりに頭を洗った
        り、ひげを剃った。その時、裏の小屋にポーターが集まり、外の鉄棒で腕比べ。
        自分も参加して懸垂10回をやると最高記録で優勝してしまった。ついでに、
        逆上がりをしたら拍手喝采。
◆ 8月19日 第五日、尾根道を進み途中コックのティカのおじさん宅にお邪魔してチャンを
        沢山いただき、飲み過ぎ。その後ボーテパス(峠)を越え、マカルーの展望地:
        チチラ(1850メートル)へ。しかし、折角マカルーが見えるという場所に
        来てもこの雨とガスでは何も見えず。このあたりからズカ(山蛭)の攻撃にお
        びえるようになる。
◆ 8月20日 第六日、ジャングルの山道を山賊とズカの攻撃をよけながらのキャラバン。密
        林のジャングルのような道になり(奥秩父の原生林といった感じ)、沢も流れ
        たりして、何時何処から山賊やズカが現れてもおかしくないシチュエーション。
        途中の茶屋のティーは、ミルクなし。最後に大きく下ってヌン(1490メー
        トル)、学校近くのチョータラの二階に泊まる。(その夜、荷物番の若いシェ
        ルパはズカに襲われ、親指以上に太くなるまで血を吸われてしまった。)
◆ 8月21日 第七日、今日は対岸の集落セドア(1460メートル)へ行く。直ぐそこに集
        落が見えながら、アルン川まで700メートル下り、また700メートルの登
        り。アルン川は水量が豊富で、轟音を立てて流れている。吊り橋は頑丈にでき
        ているが、板が古くて怖い。登りは、非常に疲れた。
         着いたら、国立公園管理事務所で入園の申請。トレッキングパーミッション
        を見せてOK。まだ入園料は取らないらしい。ここも学校脇のチョータラの部
        屋に寝る。キッチンは、階下の一室。
◆ 8月22日  第八日、今日はセドアから尾根を上り詰め、峠に出、尾根の右山腹を巻いて、
        最奥の集落タシガオン(2700メートル)へ。出発すると直ぐ、ポリス・ス
        テーションがありチェックされるが、ティカの知り合いがいたらしくすぐOK
        となる。途中素晴らしい沢が流れているが一面湿地で、ここもズカの大量生息
        地。すばやく通り過ぎると、やっとタシガオンに到着。此処から上はポーター
        にケロシンコンロを持たせたり食糧を支給しなければならず、その為のレンタ
        ルコンロが宿屋に置いてある。石油も販売している。
◆ 8月23日 第九日、慣例で、ここで一旦ポーターを解雇し、新しいポーターを雇うことに
        なっているが、実際は15名が代わっただけ。他は、休養日となる。隊員も休
        養日。一日中ベットで横になる。夜はシェルパ達と宴会。竹で編んだ屋根から
        時々雨漏りがする。
◆ 8月24日 第十日、後半のキャラバン開始。枝尾根から主尾根を進み、シプトンパス手前
        の草地:コウマ(3470メートル)への急登。雨の中の3000メートルは、
        寒くてきつい。草地のテント場はグシャグシャで最悪。食事も立ちながら。ポ
        ーター達は、近くの岩小屋で寝るらしい。
◆ 8月25日 第十一日、雨のシプトンパス(4127メートル)越え。たくさんの高山植物
        の咲き誇る二つの峠(ケケ・ラとツツ・ラ)とその間の湖を越え、バルン川右
        岸斜面の途中のムンブー(3570メートル)まで。このコースは天気が良け
        れば最高のルート、天上の楽園。しかし樹林帯のムンブーは、最悪のテント場。
        (帰りには、此処は幕営禁止になり、手前のドバト(3850メートル)に小
        屋ができてキャンプ指定地になった。)
◆ 8月26日 第十二日、雨の中の沢下りを楽しんでバルン川に出、崩壊している右岸を進み、
        ヤンレカルカ(  メートル)という左岸の夏の放牧地にキャンプ。
◆ 8月27日 第十三日、とうとう山に来たという景色とキャラバンになる。バルン川左岸沿
        いを進み左にカーブしてきのこの森を抜けると右岸に屏風岩の数倍もある岩壁
        が見渡せ、左岸も幾筋もの滝を掛けた岩壁が連なっている。植生もアルプの様
        になり、多数の植物を見ながらのキャラバンになる。天候もやっと落ち着いて
        きた。
         キャラバンは、マスカルカ(4360メートル)という、石造りのしっかり
        した牧草地の夏小屋まで。石囲いの畑では小さなジャガイモが採れ、ふかし芋
        をいただく。
◆ 8月28日 第十四日、今日も左岸沿いを上下し、シェルションでローアーバルン氷河と分
        かれ、北のバルン氷河へ向かい、タンマリ・ベースキャンプ(4600メート
        ル)へ。進行方向に白き峰チャムラン(7290メートル)が見え素晴らしい。
        これならマカルーもと思うもが、シェルションを曲がっていざマカルーという
        時には、ガスが掛かって見えない。しかし辛抱強く待っていると、西稜から頂
        上部分が顔を出し、その高さを誇らしげに見せ、直ぐ消えてしまった。賃金を
        もらって嬉しそうな顔で帰っていくポーター達と握手を交わすうち、やっとタ
        ンマリBCに到着。すぐさまテントを張り、トイレテントを作る。
◆ 8月29日 第十五日、今日と明日は高所順応日で、一日行動一日休養とする。順応には、
        我々の入るフランスBCと同高度の5300メートルへ行くこととする。自分
        は、今日を休養日とし、昼寝に日干し、写真撮影と洗濯で一日を過ごす。ポー
        ター64人で大半の荷物をBCまで上げる。小沢・井上・品川は、フランスB
        Cを往復。
◆ 8月30日 第十六日、福田・加藤・鈴木・成田は高所順応で南東稜の途中まで行こうとす
        るが川が渡れず西側のピークの途中まで往復する。幾重にもなったバルン川の
        河岸段丘を登り、5200メートル地点で引き返す。途中には大王の様な高山
        植物が生え、またブルーポピーも見ることができた。帰りは、ハイジのような
        アルプの散歩道だった。
◆ 8月31日 第十七日。いよいよBC入り。ポーター34人といっしょに歩き出し、ヒラリ
        ーBCを通り過ぎ、途中から氷河の中を横断して左岸に出、チャゴ氷河に入っ
        て右岸の舟窪状の尾根をBCとする。長かったキャラバンの終点。この地でマ
        カルーT峰登頂に向け、登攀活動を10月14日まで展開する。


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