K2 Expedition 1994


(6)第2次アタック

◆8/13(土)  [行動]戸高・北村・加藤  C3→C4→  夜→アタック     
                他        BCステイ     
  6時起床。今日も天気が良い。身体には昨日のラッセルで頑張り過ぎて疲れが残っている。 し
 かしアタックできる日は今日しか無いので,昨日の借りを返すため,今日こそC4に入りアタック。
 雪が締まっていることを祈る。6:17の交信でいつもの健康チェック。3人とも,やや疲れ気味。隊
 長の案は,@空身でC4まで行き,最高到達高度に挑戦。 
      AC4へ入り最終アタック。の二案。
  『アタックしないという手はない…』というこ とで,3人ともA案に賛成。
  9:10C3を出発。昨日よりも幾分締まった雪の中,今日は途中から北村氏が頑張りC4まで行っ
 てしまった。一番遅かったのは加藤で,2:20にC4到着。すぐにもう一つのテントを張り,北村氏
 は酸素ボンベと一緒に一人寝。戸高・加藤でもう一つのテントに入り,直ぐ水を沸かして食事を取
 る。スープ・茶・水もどし餅を食べる。そしてもう一度,シュラフに潜り込み,仮眠をとる。
  21:00 起床。すぐに水を沸かし,お茶・スープに餅を食べる。加藤・戸高とも6枚の餅を食べよ
 うと用意し,3枚は焼いて食べ,残る3枚はお雑煮に……。ということにしたが,加藤は1枚残し,
 戸高は2枚残した。
  その後、外に出て荷物を整理し,23:50 戸高・加藤・北村の順でスタート。                
  北村・加藤はひとり一本15sの酸素ボンベを持ち,戸高氏は無酸素に挑戦する。表面のクラス
 トした雪をラッセルしながら,「瓶の首」めざして歩く。ヘッドランプを点けての歩きで傾斜はど
 んどん増してくる。表面がクラストして,モナカのようにザクザク潜ってしまう。百〜二百歩ある
 いてはトップを交代する。
◆8/14(日)  [行動]戸高・北村・加藤 頂上アタック
  C4を7850mとすると,2時20分……8060m,
               3時………… 8120m,
               3時45分……8140m。
  4:30,瓶の首の下の岩稜の取っ付きで,30分程日の出を待つ。暗い中なので,左にルートを取り
 すぎたかと思ったがそうではなく,また瓶の首の通過は,直接首をめざすのではなく,右手の岩稜を
 伝って,瓶の首の高さまで登り,そこから左に水平のトラバースをするようになっていた。
  8月14日の日の出を拝み,再出発。岩稜には固定ロープもあり,雪の中から掘り出すが,雪が深
 く急すぎて,登っても直ぐずり落ちてしまう。ここのロープも細く頼り無いが、だましだまし登るし
 かない。固定ロープの終点は雪稜で,そこから20m程ロープ無しのトラバースをすると,瓶の首上
 部のトラバース点に到着。
  固定ロープにカラビナをセットし,慎重にトラバースする。右手にはハングした100m以上もあ
 る懸垂氷河がテカテカ光り,左手はこれも急峻なガリーで,C4までスッパリと切れ落ちている。約
 50mで対岸に到着。やっと瓶の首を突破し,テラスで大休止をとる。7:10,8260m。
  ここまでは,HAJの遠征の記録よりも時間的に早く到着していたので,これなら今日は登頂でき
 るぞ!と思った。北村氏のテルモスは,小さなザックの中で酸素ボンベと一緒だったので,レギュレ
 ーターにでもぶつかってしまったのか穴が開いてしまった。その中から冷たいお茶を貰って飲んでス
 ポーツゼリーを食べる。しかし,ちょっと膝まづいた格好をしていたら足が痺れてしまい,元に戻す
 のに苦労する。北村氏もなってしまった。
  8:00出発。ここからはまだ直接稜線に出られないので,左手上方に斜上していく。始めの数歩は,
 雪が堅く締まっていたので登りやすかったが,10mも行かないうちに雪は深く不安定になり,いくら
 アイゼンで蹴り込んでも決まってくれない。2,3度蹴り込んでだましだまし登る。また,アイゼン
 もすぐにダンゴになり,この斜上は大変な苦労になった。この急で不安定な雪壁が延々と続く。途中
 には切れた固定ロープが部分的に出ていたがほとんど使えず,深いラッセルが目の前に広がる。北村
 氏は途中から酸素を使用する。
  かなり登ったところで左手にトラバース気味に折れ,露岩に出る。11:30 ,8350m。
  ひさしぶりに安定した場所だった。そこには一本のピッケルが雪面に深く刺さっていた。その形か
 らウクライナ隊の物と判断する…とすれば,それは帰らなかった3人のアタッカーのものと思われる。
 もしかしたら,発見されなかった1名はこの斜面を滑落したのだろうかと思うとゾッとする。
  ここで下と交信し,加藤も酸素を吸うことにする。北村氏の酸素ボンベは調子が良くないようで,
 止まっているときは良いが,動いているときは酸素が出てこないらしい。加藤の酸素ボンベは調子が
 良く,以前試しに吸ったときよりも効果が有りそうだった。
  その露岩から,頂上に向かって,さらに急峻な胸以上の深さのラッセルを加藤が切る。露岩のとこ
 ろでは,戸高氏と北村氏が休憩し何か話している。3〜40分頑張って,10〜15m程ラッセルを
 切ったが,後から付いて来る気配が無い。ラッセルはあと100mは必要か…。その先は,少し緩く
 なって……希望がもてるのだが……。この数十メートルが大変……。ちょっと前の交信で「あと3〜
 4時間ぐらいじゃあないかな」と加藤は答えてしまったが,隊長は「6〜7時間かかる」と言った。
 先の見当がつかないので何も言えないのだが…。もっと良く,先のルートを調べておけば良かった…
 …と後悔しきり。                     
  『8400m地点から,胸までのラッセル』とよく報告書に書いてあったが,それがどれ程続くのかは
 確かでなく,情報の中には含まれていなかった。HAJは,このラッセルをいれて頂上まで4時間だっ
 たのではないかと思うのだが…。しかし今更どうしよもない。この現実を,どう判断し対処するかだ。
 3人で相談となった。
  この不安定で急な下降のことを考えると,仮に登頂したとしても,ウクライナ隊の二の舞いかも…。
 またそれがなくても,フラフラで登頂した後,8500m以上の超高度でビバークとなると,眼底出血で
 目は見えなくなり,手足の指を無くすことは必至。
  12:30 『安全第一』だったわけではないが,「ここで断念しよう」ということになり,下降を決意
 する。加藤は,子どもに作ってもらった寄せ書きの入った日の丸を出し,最高到達地点での記念撮影。
 高度計の針の写真や届かなかった頂上部の風景をカメラに収める。
  13:30 下降開始。さきのピッケルを支点にして戸高氏が確保し,北村氏がトップで下り,加藤がミ
 ドルで下る。とても急で不安定。ズルズルと滑ってロープにテンションが掛かる。ロープが無かった
 らと思うとゾッとする。
  ロープを使っての下降を2回繰り返し,瓶の首のトラバースのテラスに下り立つ。トラバースもロ
 ープをつけて慎重におこなう。終点からは,固定ロープを伝って下り,末端にさきほどの50mロー
 プを固定し,それを下降し……後は,自由にC4に下っていった。そこからC4へは,わりと緩めの
 斜面を適当に下っていくのだが,ガスが舞い視界を遮るようになった。ここで,北村氏は幻視,幻聴,
 幻覚の体験をしたという。どこかのスキー場のように見え,そばをスキーヤーが滑っていく……とか。
  加藤は,特別そんな物も見えず,ただひたすら…「これで終りか…」と溜め息をつきながらゆっく
 りゆっくりと歩みを続けた。                              
   17:10 加藤もC4に戻り,昨日と同じメンバーでテントに入り,早々に眠りについた。
◆8/15(月) C4→C1(雪)      
  6:00起床。テントを畳んで,9:10スタート。11:09 C3着。ここで戸高氏は,酸素を吸って元気を
 出す。スープや暖かいジュースを飲み13:10 C3発。テントは氷り漬けで撤収不可能なので放棄。
 15:30 C2着。1時間程休む。ここのテントも氷り漬けで放棄。16:30 C2発。
  加藤はかなり遅れて,暗くなる寸前の19:00 C1着。結局ここで泊まることにするが,テントは1
 張りしか使えず北村氏はツェルトビバークとなる。すぐさま雪が激しく降りだす。
◆8/16(火) C1→BC(雪)      
  雪がまたもや30センチ以上も降り積もり,下降路は姿を一変し,7月上旬の姿に戻ってしまった
 ようだ。完全に,モンスーンがここカラコルムにもやってきたのだ。その後ABC跡での休息。非常
 に寒かった。衰退し乾いた体に,その雪解け水はシンシンと凍みた。それまで,ABCと言えば,唯
 一の地面のテントサイトで『暖かい』という言葉を発するのが常であったが,テントのかたづけられ
 たその別天地は,同じく冬を迎えていた。
  そこからのBCまでの道程は,果てしなく遠いものであった。半月以上も御無沙汰していたゴッド
 ウィン・オースチン氷河は,様相を変え私たちを手間取らせた。セラックの崩壊が予想以上に激しく,
 トランシーバーで受けた情報が理解できない。「ロープはいらない」は,アタックを終えた(敗退で
 あるが…)体には厳しすぎる。
  残されたフィックスロープの安全を確認し通過するが,トップで通過した戸高氏は,ここの一歩で
 肋骨を痛めてしまった。更に足指は凍傷に犯され,歩行が困難となる。しかし,歯を食いしばっての
 下山である。氷原に出るまでも様子が一変し,ガスと降雪で視界がきかず,哀れにも赤旗も倒れ方向
 が定まらず難行する。 
  トランシーバーで戸高氏のことを連絡すると早速コックのアリと従兄弟の叔父さんポーターがこち
 らに向かったと言う。その後,成田氏も出発して,こちらの応援にやってきてくれた。途中でアリと
 出会い,荷物を担いでもらう。戸高氏,北村氏はゆっくりと歩いていく。自分はアリとポーターの踏
 み跡を追いかけ,踏み跡が積雪で消えないように,両者の中間に入って,一人ポツネンと歩く。この
 一人歩きがたまらなくいい。少し寂しいのだが…。そう言えば,アタックを8400mで諦めた後の,瓶
 の首からの下りは1人だった。ガスに覆われ,視界がよくなかったが,ひとり寂しくも悦に入った心
 境で歩んだ。そして,2人よりも1時間以上も遅れてC4に到着したっけ…。
  しばらく歩くと赤旗を振った黄色い人影。成田氏である。熱いお茶を持って迎えに来てくれた。彼
 は,キャラバン初日から体調を崩し,BC入りしても,C1,C2と進んでいくうちに高所順応が遅
 れ,ついにはアタッカーになれなかった。彼の最終到達高度は,8050mだが,それは自分たちが1回
 目のアタックに入った(C4)当日であった。本来なら,その後一週間アタックが伸びたので,アタッ
 クの可能性も有ったのだが,その時点で彼のK2は終わったらしい。生徒からもらった旗を出し,写
 真を撮っていた。彼は4年前のナンガ以降,このK2を目標に日夜トレーニングに励んでいた。それ
 も,水泡と帰してしまった。アコンカグアでのBCからの日帰り登山,フルマラソン,富士山のマラ
 ソン登山等そのどれもがずば抜けていたが,それは結局低酸素濃度の世界では通用しないのか…。
  自分などは,隊長と会う度いつも注意されていたが…,まったくトレーニングもせず,努力もしな
 かった。『仕事を一生懸命やればいいんだ』とホラを吹いていたが,こういう人がまったく高度の影
 響を受けず,やっていけたというのは,とても不思議である。しかし,やっぱりトレーニング不足で,
 最後のラッセルで力が入らず,敗退の要因になってしまったのである。これは大きな後悔で,もう少
 し体力とスピードがあればいいのだが……と反省する。       
  成田氏からは熱いお茶と飴をもらい,またひとりポツネンと歩いていると,後ろの2人が追い付き,
 計4人で歩くようになる。氷原からモレーンとなり,岩屑の中を歩く。石を乗せて解け残った氷柱は,
 そのほとんどが崩れて石を落とし,最後の幾つかが残っているばかり。7隊もあった各国のBCのテ
 ントも今は我々の隊のみ。その姿が見え出す頃,八尾さん,神ちゃんがやって来る。八尾さんはザッ
 クを持ってくれる。テント跡の小山を幾つも乗り越し,とうとうBC到着。みんなで迎えてくれるが,
 恥ずかしいやら疲れたりで返す言葉も少なめ。至れり尽くせりのもてなしも,疲れて喉を通らない。
 作ってくれた人,暖かく歓迎してくれた人には申し訳ない。その後はメステントの撤収のため外に出
 され,個人装備をボックスに詰め込む。びしょびしょに濡れてしまった物もパッキングせねばならず,
 しかたなしのパッキング。おまけに天候も崩れっぱなしで雪になり,なんとも寂しいBC最後の夜。
 それでも,昨夜よりも暖かいと何時の間にか眠りに就いた…。

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