K2 Expedition 1994

(5)第1次アタック ◆8/ 1(月) BC→ABC          いよいよアタックに向けて出発。みんなに見送られ,声援を受けて出発。カメラのフィルムも入  れ替えて,またドキュメント風に初めから撮っていく。戸高氏のザックの『MASA』がいつも写っ  ている。15:25 BC出発。17:30 ABC到着。                ◆8/ 2(火) ABC→C2          5:35ABC出発。雪解けの進行が非常に速くブーンと唸って近付く落石,また何の前触れのない  落石がいきなり直撃してくる。途中落石を一発,膝にくらう。13:50 C2到着。     ◆8/ 3(水) C2→C3           10:40 C2出発。3:20C3到着。今日はC3に成田氏も泊まるので,C2よりテントをもう1つ  持ち上げて張る。            ◆8/ 4(木) C3→C4           初めの予定では,『C4に長居をしても衰退する一方なので,遅くC4入りをして短い仮眠でア  タックするのが良いのでは』と考えていたが,隊長は早く入って長い仮眠を取ることを勧め,『で  きるだけ長い間横になれ!』と言うので遅い出発を止めて,8:40C3をスタート。2度目のC4へ  のルート。今回も右手のセラックを乗り越えクレバスを越え,途中でフィックスロープを張り足し,  垂壁を越え,もう一つの巨大なセラックを回り込む台地に到着。戸高氏の後を付いて行くが余り調  子良くない様子。でもそこまで来れば後はわりと楽。  そこから北村氏がトップに立ちクレバスを抜け上がっていく。左手にトラバースしたかと思うと  雪庇が見え,右手には黒い岩峰と懸垂氷河そして赤旗…あれ〜と思うとそこはもう上部プラトー。  C4は直ぐ目の前。この間の下降の長かったことを思い出すとまだまだ先のような気がしていたが,  何時の間にかC4に着いてしまった。13:30 着。とは言っても今日は上部がガスに隠れたり出たり  で,なんとも山頂が遠くに見えた。この間はとても近くに見え,そのまま歩いたらその日のうちに 登頂してしまうのではないかと思えたが,今日の頂上は違っていた。  先に到着した3人は,テントをもう1つ張って自分が到着する頃には張り終えていた。成田氏は  ここで終りということで,写真を撮ったり生徒からもらった旗を出して記念撮影をしていた。それ  から一人8000mラインまで上がって行った。こちらは北村氏と一緒に酸素ボンベにレギュレーター  を取り付け,マスクを付け点検。200気圧と180気圧らしい。その後2つのテントに分かれ,戸高と  北村が右手のテント。加藤は酸素ボンベ2本と一緒に左のテントに入る。   それからは雪を溶かして湯を沸かし,スープやお茶をたらふく飲み,シュラフに入って仮眠を取  る。しかし途中で寒くなったので高所服を出して着込む。そうするととても良く眠れた。でも心臓  拍数は横になっていても 100を越え、やはり高所の影響が出ている。今夜は,23:00に出発の予定な  ので 21:00に起きて準備の予定。BCとの交信は21:17 にする。2人から比べれば1人なので寝や  すいと思うがやはり寝苦しい。  20:50に目が覚める。隣のテントからも音が聞こえるが,さらに風と雪の音も凄まじい。『加藤  さん,外が見えますか?』と北村氏の声。開けるとそこはブリザードの世界。これでは外に出られ  ない。『しばらく様子を見よう』と,ひとまず寝て待つことにする。   次の交信は24時。BCの神ちゃんも寝ずに待っている…。しかし12時の交信時も,風は少しおさ  まってきたが雪は依然降り続き……これ以上待てなく…タイムリミット。今夜のアタックは中止と  なる。残念。あんなに期待していたのに…(と思いながらも内心ホットしてしまうなぜか不思議な  気持ち)。隊長の言った通り,1回で成功するはずがない…という声が蘇っては反芻する。それは  ないよ〜と思うが現実は失敗。  一日早ければ…と後悔…。次回に懸けるしかない。その夜はC4で朝まで眠る。 ◆8/ 5(金) C4→ABC          5:50起床。早く起きたくない。歩きたくないけど,風と雪のこの高所に長居は無用。お茶,雑炊,  汁粉を食べて出発。風雪で視界の悪い中だるい体を動かし昨日のルートを頭に思い浮かべながら下 る。雪がかなり積もってルートを隠し,急斜面の深みに足を入れるのは不安定。慎重に下る。一歩 一歩クライミングダウンしたりして神経を使う。やっとセラックの台地に到着して交信。今日は何 処に泊まるかの協議。隊長はC2を勧め,戸高氏はABCを主張。とりあえずC2に下ってから…… という話になる。ガスと風雪の中,それでも1時間でC3到着。雪を溶かしお茶を飲み,また交信。 とりあえずここでもC2に下ってから……という。体調は一人一人違うが,これからの日程や天候 を考えると……とかなり強い口調で迫ってくる。まったく外れている訳ではなく,反論する証拠も 無い…只聞くだけ。疲れた体だから休養が必要。だから戸高氏はC2では休養にならないと言う。  自分はC2でも良いような気もするし…。でもABCの方が休養にはなるなと納得する……。   この先は経験者でなければ判断できないことか…。結局 17:00の交信でABCに下ることを決め る。成田氏の『危険なフィックスロープが多い。』というアドバイスを聞き,さらに緊張して下る。 雪がかなり消え浮き石がごろごろ。落石も多くフィックスロープを傷付けている。まいった。こ の下りときたら天下一品。これより悪い下りはないよ…と半分なきべそ気分。 ◆8/ 6(金) ABCステイ           8:00起床。交信は8:17,12:17,18:17の3回。12:17 の交信でいろいろと頼むと成田氏が夜ABC 入りしてくれる。一旦寝たが 20:00に起きて食事を取り 21:00に就寝。 ◆8/ 7(土) ABCステイ         2:00起床。4:35ABCをスタートするが,昨夜の寝不足もあるのか『なんだか気分が悪い,この まま行きたくない』という事でABCに戻る。戸高氏は過去の経験から『不吉な予感のようなもの を感じ,この様な状態では過去には行かなかった』ということだった。        ◆8/ 8(日) ABC→C2           3:30起床。4:45ABCスタート。8:15C1到着。テント内の水もどし餅やスープ,餅,ガスカー トリッジをザックに入れる。8:40C1発,12:40 C2着。この日松井氏は鈴木氏の補助でC3上部か らのパラパント飛行に挑戦するが,条件が整わず明日に持ち越す。         ◆8/ 9(月) C2→C3            6:00起床。 10:00出発。14:40 C3到着。松井氏のテイクオフは今日もできず,16:55中止。諦め て下って来るが遅くなりC3泊。しかしテントに余裕がなく,アタック隊に迷惑をかけてはまずい と言う事で,鈴木氏と一緒にパラパントにくるまってのビバークになる。      天候はまた悪化してきて,降雪となる。    ◆8/10(火) C3停滞 (雪)         本当なら今日C4に入り,明日アタックの予定だが,昨夜からの雪で今日はC3で沈殿。どうも 天候が見方してくれない。8:17の交信で「あのとき加藤に『C2に残れ』といったがABCに降り たのは敗北だったのだ」という言葉。それは仕方なく,またその後の天気も悪かったのだからそん なことを言ってもしょうがないと思うのだが,こんな状況になってくるとそんな言葉も発してみた くなるものか。まずはいい天気になることを願うしかない。     もっと天気が読めればいいのだか,ドイツ隊のファックスにしても読め切れないのだから仕方の ないこと。BCの気圧計もあまり当てにならないし…。8日に『モンスーン入りした』という報道 は,確かに当たっている。しかしなんとか早く登って遠征を終りにしたいね。     ◆8/11(木) C3停滞 (雪) [行動]戸高・北村・加藤 C3ステイ     松井・鈴木    C2ステイ           他 BCステイ   昨夜は「どうかこの雪よ止んで下さい」とお祈りして眠ったものだが,夜中に二回も除雪に起き, 雪を掻いてしまった。おまけに,「上のセラックから雪が流れ落ちてくるので…でっかいのが来た ら埋まってしまう。アウトになっちゃうよ」という人がいる(MASA)。そしてこのまま降り続 いたら,全員撤去命令が出るかもしれないし,下山も一苦労だろうな。なんて話していると,最後 のアタックだというのに悲しい結末になってしまう。            でも,そんな願いが届いたのか…朝方から雪の降り方も優しくなり,晴れ間の太陽らしい強烈な 熱と光をテントの中に差し込ませるようになってきた。BCの高度(気圧計)が,5280mというの がこの3日間続いているが,12時の高度が5260mになったと言う。これでやっと悪天もおさらば, 「最後のアタックに花を持たせて欲しい」と思うのは私一人ではないだろう。 それにしても外はブリザートで,テントを叩く雪の音がうるさい。             ◆8/12(金)         [行動]戸高・北村・加藤 C3←→7700m 松井・鈴木    C2→BC           他        BCステイ       5:30起床。6:17の交信で,今日がアタックに向かう最終日となる。今日C4に入って,夜アタッ クという予定である。下ではみんな帰りのキャラバンの用意に入っている。3晩続いた雪もやっと 止んで,ひさしぶりの登山日和。と言いたいところだが,8:30スタートすると,直ぐに膝から上, 腰までのラッセル。十メートル先の韓国隊の潰れたテントまで行くのも一苦労。それから先は言わ  ずもがな。この量にこの傾斜だと,雪崩の心配もある。傾斜が急で胸までのラッセルのところで,  トップは加藤に代わり,雪を崩して前進するが『雪崩れそうだ』という顔で見られてしまう。クレ  バスのところで戸高氏と交代。クレバスを越えるが,ミシッという亀裂の走った音がして……「こ  れは雪崩れそうだ」ということで,その場からC3のテントに戻った。   10時の交信で,そのことを話し,また3人で協議。「行けるところまで行こう」「このままア タックしないで引き返すのは…」「アタックしないなんて…」ということで,慎重を期して10:40 C3を再出発する。先程の到達点を通り過ぎ,直線でセラックに向かうが,ラッセルは深かったり, 雪崩れそうな雪でなかなか高度を稼げない。また,ラッセルが厳しすぎ,最後はもぐらないように はいつくばったりして,なんとかやっとセラックの台地に到着。かなり疲れているが頑張る。でも セラックの影に隠れると気温が急に下がって手足が寒くなる。羽毛ミトンを出したり,手袋を替え たりして保温するがそれでも寒い。足も冷えて,足踏みするが効果なし。50メートル進むのに2 時間位かかり,上部プラトーまであとわずか100メートル位というところでとうとう時間切れ。 このまま上がってもアタックはできないほど疲れ切ってしまったので,17:00 丁度にC3に戻るこ とに決める。18:00 C3到着。これでもうアタックできないのか…と思うと寂しかったが,交信で 「明日C4に上がってくれ。これが本当に最後だ。BCのみんなはアタックを待っている」という 言葉に励まされ,夜は食って飲んで直ぐ眠る。
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