K2 Expedition 1994
◆7/12(火) BC停滞 (雨・雪) 朝から雨,ひょう,雪になり一日中降りっぱなし。C2で耐えていた戸高・北村もBCに下山。 成田とABCに居たウルドカス隊はそのままABCにステイ。お昼過ぎに韓国隊の隊長ともう一人 が訪問してきて色々話す。夕食前には登頂を祝って日本酒を持ってドイツ隊を訪問する。ロブ・ホ ールなどプロが多い。メステントには大型の机と椅子がそれぞれありテーブルクロスが敷いてある。 ドリップ珈琲を戴く。また,衛星回線を利用してファックスも利用できるとか…登頂のときは山頂 から家に電話をしたとか…もう一人は,頂上の50m手前で奥さんに電話したら引き返した方がい いといわれ,下ったとか…進んでいますね。 ◆7/13(水) BC停滞 (雪・雨) 今日も天候が悪くBCに停滞。ABCのみんなも下ってきて,久し振りに11人が揃う。小西隊 の招待を受けて夕食に招かれる。コックがとても上手で,うまいカレーやゼリーを戴く。 久し振りにまとめて日記を書く。夜は,韓国隊からギターを借り,遅くまで歌いまくる。 ◆7/14(木) BC停滞 (雪・雨) 停滞3日目。一日はがきを書く。 ◆7/15(金) BC→ABC この日から,日記の記録がなくなる。行動記録のみとなる。 成田・加藤の2人のみ、夕方後ABCに入る。13sの荷上げ。夕食は,揚げ餅に韓国隊の海苔 を巻いて何枚も食べる。久し振りに成田シェフの食事を頂く。 ◆7/16(土) ABC→C2 (荷上げ) 今日も13sの荷上げ。4時間20分でC1それから5時間かかってC2到着。降雪でテントが またまた潰され,掘り起こしに苦労する。 ◆7/17(日) C2←→7370m (C3手前まで荷上げ) 成田氏とC3の建設に向かう。7:30C2スタート。テント場の上の岩稜ぞいの雪面を登る。45分 でワイヤーラダーの地点に到着し,休憩を取ってから乗っ越す。さらに上昇し,黒いピラミッドと 呼ばれる岩壁を,細いザイルを頼りに登る。そして,C3手前の最後の岩峰から先は急な雪壁を登 り,雪庇を乗り越えて下部プラトーに出る。しかし,フィックスロープは雪に埋まり,20m程掘 り返したがあとは深すぎて断念。ここまで来ればいいと考え,最後の岩峰にテント類をデポして下 る。C1から登ってきた戸高・北村も,成田と同様,ピラミッドの手前から引き返した。 ◆7/18(月) C2←→C3 (荷上げ) 今日は3時に起床し,6:30出発。戸高・北村・加藤で今日こそC3建設を目指す。昨日と同じ様 に登り,ワイヤーラダーの上部のギャップを越えたところの平坦地で休憩。過去の隊のキャンプ地 の様だが風が強い。昨日のデポ地からは急な雪壁を登り,雪庇を乗り越えて下部プラトーに出る。 そして,ロープを出してフィックスロープを延ばす。しかし,ロープがメチャクチャのスパゲッティ になってしまい,大変手間取る。その間に戸高・北村はC3に到着し,ココアを沸かして待ってい てくれた。12時到着。積雪が激しいので,テントを張ってもすぐ埋まってしまうだろうということ で,セラックにアイスハーケンをねじ込みデポする。 13:00下降を開始,15:15 C2到着。2人は 14:30到着。黒いピラミッドの下降は2度目だが今日も緊張。何度も通りたくないなぁ。松井さん もやってきてステイ。朝から咳がひどくなる。 ◆7/19(火) C2→BC 昨日,今ステージの課題『C3建設』を果たしたので,一旦BCに下る。あとは『酸素ボンベ』 をどうするかだ。朝の交信で,小西隊の俵屋氏が一人下山したことを知る。 ◆7/20(水) BC←→ABC (大神田搬出) 休養の予定が10時の交信で女性隊員の大神田さんがC1への登行中落石を受けたという通報が 入る。すぐに北村と加藤が,担架用のベッドを畳んで担ぎ,迎えに行く。10:40 BC出発。 12:00ABC到着。傷口の消毒や包帯を巻き直し, 13:00出発。ベッドは運びにくいので,背負 子に座ってもらい,ザイルで固定して搬出する。セラック帯を過ぎるまで北村が背負い,その後加 藤が背負う。なかなか重い。重さが肩に食い込み,額に汗が走る。途中から,成田・戸高・アリも やってきて,順番に背負い3:00BC到着。 その後,ドイツ隊のフランス人医師とアメリカ隊のインターンが話し合い,フランス人医師が縫 合をおこなうことになる。麻酔や針を用意し計5針縫う。1時間かかってやっと終わる。 その後,手術の成功を祝って日本酒で乾杯。ベースにいた各国の隊員が集まり,国際交流。 ◆7/21(木) BC停滞 (休養) 昨日の事件で,1日休養を延ばす。なにをしていたのだろうか。天候は良かったが,K2のみガ スがかかり天気は悪そう。