ACONCAGUA 1992〜93
(5)頂上アタック
平成5年1月1日(金)
 [C2→←頂上直下6635m]   *[第1次アタック敗退]
                               *[成田氏はBCより10時間で登頂]
  いよいよアタック日。出発前よりこの日を待ち望んでいたが、とうとうその日が来た。しかし、
MSRの調子が今朝も悪く、記念すべき朝の出発も手間取る。でも、やるっきゃない。今日は、隊長
や栗田氏に遅れまいと、隊長の後にぴったりとくっついて頑張る。さすがに5800mを越えると朝は寒
く、手袋に直ぐミトンを着ける。服装もいつもとは違い、寒さ対策を万全にしてきた。高所帽と薄い
目出帽を毛の二重の目出帽に変え、ヤッケも羽毛服に変えた。下は、ズボン型からサロペット型に変
えた。その下は、いつものオーロンのズボンで、ももひきははいていないけど。まあこれで、寒さは
特別感じない。また、暑くもない。行動がゆっくりなので、汗もかかない…ということか。しかし、
風が吹くと顔が冷たい。
 出発から3時間登ると、そろそろ砂利の急登になり、登りにくくなる。クーロアール状のところを
天井目指して登り切ると6300mの小屋(ガイドでは6400mとなっているが、高時計の実測による)に
到着。C2と同様で、木の三角屋根の小屋であった。一人の男性あり。リタイヤした模様。風を避け
て少し休み、また直ぐに出発。そこから雪の斜面になり、途中でアイゼンをつける。隊長、加藤は直
ぐつけられるが、栗田氏は手間取る。かなりの急登で、登り切ると尾根に出る。そして、そこから大
きなトラバースとなる。約半分は、砂利まじりの道。その後は、雪のついた道。その後、グランド・
クーロアールという「魔の登り」が待っている。
 尾根で休んで、いよいよトラバースの始まり。前半は、それこそ水平なので、どんどん歩くが後半
はアイゼンをつけ雪の斜面。あゆみが突然スローになる。途中で一本とる。隊長は小キジ終了後、バ
ランスを崩して、倒れ掛けてしまう。この時この先大丈夫かな?と一抹の不安。
  そして、また雪の斜上トラバース。2〜3人追い抜いて、グランド・クーロワールの手前に来る。
一休みして…また登り出すが、…あゆみがスローになる。アイゼンをつけて砂利道を登るのだから、
登りにくい。また一本とる。「この先、行けるかな」と不安になる。そうしていると、上から下って
きた5人パーティーの一人が話しかけてくる。この人はかなりの疲労で、二人に前後に付いてもらい、
引っ張ってもらっている感じだ。その人が言うには、「ここから山頂までは、あと4時間かかる。も
う3時を過ぎているのだから、これから前進するのは常識はずれだ。引き返すべきだ。」と言う。そ
の話を聞くと、「今日無理して突っ込んで山頂まで行けないとなると…」「明日もう一日可能性があ
るし…」という声がしてくる。自分としては、せっかくここまで来たのだから…そのつもりで登って
来たのだから、という気持ちがあったが、そのようなことを言い出していると言う事は、今日はもう
行く気が無いなと判断し、…でも、もしかしたら、今日の疲れで明日がダメになったら…「あ〜あ」
という気持ちになる。高度計は6635mを指している。あと、300mの登り。自分は密かに石を2〜3個
ポッケに突っ込み、おもむろに写真を撮る。もしかしたら、これが最高到達地点かもしれないからだ。
40万円以上懸けて、学校を休んでやってきたのに、登れないなんて…。と空しくなる。
 決断は、やっぱり下山!!
 4時に、その6635mを後にし、往路を戻る。自分は、途中まで一緒に二人と歩くが、あまりのあゆ
みの遅さに、一寸前を行くと…あれよあれよという間に、間が開いてしまう。途中でユックリ休んで、
感傷に浸ったり、また歩いたりして…物思いにふけりながらC2に下った。
 その夜、MSRは最低になり、ローソクの火よりも弱い火力になってしまう。火が無いということ
は悲惨だ。たまたま隣りに日本人のテントがあったので…、ストーブを借りに行く。登研の人らしい
が、EPIのストーブとオプティマスの古いガソリンストーブを貸してくれる。ガスストーブは、テ
ントの回りで何個もカートリッジを拾ってきたらしく、みんな種類が違っているが、元気に燃えてい
る。ガソリンストーブは、あまり調子が良くないのでガスで間に合わせる。雪を溶かしたりスープを
作ったり、御飯を炊いて…水を作るのも大変だったが、明日早く出発するには、水が必要なので、一
人で必死に作った。ということで、寝たのは10時過ぎだった。 
 そう成田氏といえば、この日、BCから山頂に1day accentを試み、10時間20分で登頂に成功。そ
のままBCに戻ってくる、という快挙を上げた。

(6)再び頂上アタック

1月2日(土)
[C2→頂上6959m→BC]   *[加藤 第2次アタック成功・単独]
 昨夜は、登頂失敗の悔しさと今日への不安とであまりよく眠れず。横になっている間に、色々と今
日の作戦を練る。いろいろと考えた揚げ句、筋書きは、『まず、6時に起床。直ぐ水一本(1g)を
もらい、出発を告げる。そのままアタック』というものだった。どうしてかというと、どうせストー
ブの調子が悪いので、朝ちゃんと食べようというのは不可能。だったら水だけでもしっかり確保して、
とにかく出発しようという魂胆。なにしろ、時間は早いに越したことはない、とおもった。でも結局
のところ、6時に起きても言い出せず、朝飯の用意をしていると、アッという間に昨夜作った水をす
べて使い果たしてしまう。隊長や栗田氏の調子はあまり良くないらしく、食欲がなくなっている。で
も、食べ終わるかいなかという時に、「隊長、今日の予定は?」と切り出す。また、「自分は、もう
一度アタックしたいのですが!!」と間髪入れずに話す。隊長は、栗田氏の希望を聞き、考えたあげく、
一度は「もう一度アタック。栗田はC2にステイ」と言ったが、食事の片付けをしていると…「やは
り栗田を残すのは心配だ。自分は栗田と一緒に下る。…クエルノ山にいかないか?」と言われるが、
自分は、「クエルノ山に行くには、今日1日では行けないと思う。距離があり過ぎる。それに、アコ
ンカグアに登りに来たのだから、もう一度チャンスが欲しい、昨日もそういって下ってきたではない
か!!」と言う。
 隊長もこの後、色々と考えた末、「 やる気のある者の意欲を無視することはできない…」という判
断から、自分ひとり行くことを許可してくれた。「ビデオを上げてくれ」と言われたが、「昨日の疲
れも有るかもしれないので、できるだけ軽くして行きたい」と告げ断る。(悪かったなぁと今反省し
ています。)そして、また雪を溶かし水を作って、またまた昨日と同じ8時過ぎに準備完了。予定よ
り2時間遅れの出発となり、昨日のスピードでは、またまた登れないと、前半、大いに焦った。でも、
昨日じっくりと見てきたところなので、ルートも間違えず、余裕をもって登った。6300m小屋まで、
2時間ちょっとで到着。昨日より1時間速い。ここで、まず、今日の調子が良いことを確認。そして、
そこから2時間弱(昨日は3時間ちょっと)で、昨日の最高到達点に到着。都合2時間の短縮となる。
そして、いよいよグランド・クーロワールの登りに入る。なにしろここは、ここに来て敗退する人が
多いと言う、これこそ正真正銘の「気力・体力・精神力」の見せ所である。
 アコンカグアに登れない人は、この途中でみんな引き返すという名所である。今回は、昨日の様子
から、このクーロアールの右手の雪の付いた斜面をできるだけ上に登り、雪の無くなったところから、
人の一番多く通ったであろうと思われるところを登ろうと考えた。高度差約 300mである。
 まず、緩んだ雪の急斜面を登る。アイゼンは、トラバース後に一度外したが、この雪の斜面で再度
着ける。5〜10歩登るとハアハアと息の切れる、高度との戦い。10歩進んで10回深呼吸とか、20歩進
んで20回深呼吸とか、故山田昇氏の様に、煩悩の数 108つ数えて一息入れるとか、毎回毎回趣向を凝
らして…ダマシダマシ登る。クーロアールの約3分の1を登ったところで、雪が消え、いよいよ「1
歩進んで2歩ずり落ちる」不安定な砂利と岩の登りが始まる。先に登っている他のパーティーは、雪
面からそのまま右手のニセ尾根を登り詰め、山頂の吊り尾根に到達するルートを採る者、左手の大き
な岩の間をぬっていく者などがいた。どこにしようか色々迷ったが、自分は人がたくさん通ったらし
き跡が残る中央のルートを採った。初めのうちはわりとしっかりした岩が多かったが、登るに連れ足
場が不安定となり、小石が混じってくると、ガラガラと崩れてくる。岩や石が崩れているので、白く
筋ができ、ルートのように見えたのだ。下りならまだしも、登りではきつい…と思ってみたものの、
今更右や左のルートに変更するわけにもいかず、また、下から他のパーティーがついてきたりしたの
で、このまま頑張ることにする。
 しかし、これはくたびれた。登っても登っても景色は変わらない。多分もうそこだろうと頑張って
みても、なかなか届かない。しかし、ここまで来たんだ、あと少し…あと少し…と自分自身を励まし
ながら頑張るしかない。そして、右手のニセ尾根から先行する登山者が近づいてきて…いよいよ最後
の登りとなった。右手には、吊り尾根の上に、白い南峰が見えてきた。垂直の南壁の上部が見え、凄
まじい様相だ。多少ガスってきて…山頂の近いことを知らせる韓国隊の隊員を抜いて、左手にトラバ
ースし、一段高い所から尾根に飛び出したと思ったら……、そこは正しくアコンカグア6959mの山頂
だった。 3時9分、もうこれ以上登るべき高い所はなかった。ここが目標の最高地点だった。涙は
出なかった。登れて当然だと思った。だけど、やっぱりうれしい。感激のひとときだった。
 上には3人の登山者がいた。アルミカンで作ったような十字架があり、またプラスチックで出来た
ようなマリア像があった。十字架には、バンダナが巻き付けてあり、韓国隊の一人は、そのバンダナ
を自分のものと取り替えた。そう言えば、こういう風にするのがしきたりだと、何かに書いてあった。
自分はその人に写真を撮ってもらう。いや初めに撮ってあげて、次に撮ってもらった。それから回り
の写真を撮りまくる。ガスって良く見えないけれど、何はともあれ撮る。山頂は、少し傾いた平坦な
三角形の一枚岩の様である。辿り着いた所が最高点で、下に行くと、雪の斜面が広がっている。自転
車乗りができる山頂と言われているが 、確かに乗れそうな所だった。(但し雪が少なければ)(でも、
かなり傾斜があった)自分はそれから、山頂の端から端へと歩いて、そこから俯瞰する下の様子をフ
ィルムに収める。東の先端まで行って下を撮ったり、南峰の方へ行って南峰や南壁、その下部の様子
を撮る。上から覗いたグランド・クーロワールも撮る。また山頂に戻り、もう一度登頂記念の写真を
セルフタイマーで撮る。そして、おもむろに近くの石を拾い、袋に詰め込む。今回の御土産は、これ
しか無いのだから…といって15個も拾ってしまう。もちろん小さなかけらを…。
 40分ほど山頂にいたが、とうとうガスが切れなかった。晴れ間を期待したが、儘ならず。帰りの心
配もあるので下山することにした。先程苦労して登?ったガラガラの斜面を、出来るだけ落石を起こ
さないように降りるのは難しい。ストックが無いのでピッケルでバランスを取りながら降りる。でも、
心の中は登頂の喜びで、苦労なんて感じない。登りから比べれば、天国と地獄の違いである。途中で
交信時間となったので、トランシーバーをつけ、呼び出すと成田氏が出た。3時9分に登頂したこと
をつげると「おめでとう」の祝福の言葉。これは嬉しかった。登ったという実感が、やっとわいてき
た。
 そして、隊長や栗田氏の事を話すと…まだBCには戻っていないという事だった。「少し遅いな」
と思ったが、隊長がいるのだから…と考え、ともかく自分はしっかり下ろうと思った。その後またア
イゼンを着け、雪の斜面を慎重に下り、トラバースも一歩一歩踏み締め、アイゼンを脱いで下った。
 インディペンシン小屋(6300m) を過ぎると、それほど急斜面もないのでのんびりゆっくり、昨日と
は違った心もちで下っていった。もう二度とここへは来ないだろう。だからこの景色をじっくりと目
と心に焼き付けようと……。そんな気持ちで居たので、また、昨日と同じくらいの時間をかけて山頂
から下ってきた。C2に近付くと、さらにスピードが弱まって、石灰岩の特異な彫刻が林立した幻想
的な空間を、観賞しながら歩いた。
そして、調度6時にC2のテントに到着。中は殺風景で、シュラフと食料が少しと、つかないMSR
が置いて在った。となりには、まだ登研の人と本荘山の会のテントが張ってあった。登研の人は、ク
ルツのスキーを担ぎ上げてきたらしく、登頂後、雪の斜面を滑ってきたらしい。
 また交信の時間になったので、呼び出すと「登頂おめでとう…(略)……調子はどうだ。今日BC
に下ってこれないか」という声が飛んできた。「調子は、上々。ゆっくり休みたいが、下れない事は
ない」と言うと、「では、帰国の事もあるので、下ってきてくれ」と言う。今日はC2でゆっくりと
思っていたが、、思い切って『了解』と返事して、自分の心に活を入れて、交信を終わる。そして、
テントを撤収し、荷物をパッキングし、6時55分、隣のテントに別れを告げ、BCに向かって下る。
 下は、天気が良く、2日前にこんなところを通ってきたのかと…まったくあの時見えなかった風景
を楽しみながらも、かけ降り滑り降りた。
 懐かしのC1跡を確認し、また雪面を駆け下り、仮C1を通過し、また大下りを今度は、暮れなず
む夕空を眺めながら下る。振り返ると、C1の空高く、凛とした三日月が輝いていた。
 そして、BCのテント場の近くの雪渓の流れで顔を洗い、水をしこたま飲んで歩き出すと、「トオ
ーオー」という成田氏のコールがかかる。こちらからも「トオーオー」のコールを返す。3人に迎え
られ、無事BCに到着。それは、陽が暮れたばかりの9時15分だった。
 すぐテントに入って食べよう…なんていうが、とうとうMSRは2台とも調子が悪くなり、さめた
スープを飲んで、後は宴会だった。
 自分は、何時の間にか寝てしまい…シュラフを出して寝た。
何時にも増して、長い一日だった。

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