ACONCAGUA 1992〜93
(7)下山から帰国まで

1月3日(日)
[BC→]下山
 今日はBCを撤収し、下山する。できることなら今日中にメンドーサに着けばいいのだが、と思う
が、そうはいかない。なにしろ今日は日曜日だ。
 起きたのは何時か分からないが、陽が出てから起床。そして、荷物を整理して、ムーラに頼んで下
ろしてもらう物(これは、10時までに頼む)、担ぐ物、燃すもの(うまく燃えなかった。他の人達は
燃していなかった)を分けてパッキングする。食料、ガソリンがかなり余っている。その前に飯を作
らなければ…。肝心のMSRがまったく使い物にならず、アコンカグア・トレックという何処かのト
レッキング会社のメス(炊事)テントで、ガスを借してくれると言うので、栗田氏と一緒にラーメン
と御飯を炊きに行く。そして、久々に温かいものが食べられた。余った食料とガソリンは、そのテン
トの人にあげる。そして、また、砂漠のようなオルコネス谷を下る。12時10分出発。
 この時、自分は足に靴づれができて大きくなってしまい、運動靴で歩くとそれが動き痛〜い。ほと
んどビッコのような格好で(でも分からないように)歩く。行きでは、ストックで越えた川の流れも、
もう構わずジャブジャブ入ってしまう。初めは、いい気持ちだったが、流れは、真っ茶色の泥の流れ
で、乾くと泥が一皮剥ける。足の靴づれは最高潮に達する。コンフレンシアへの下りが特にシンドか
った。   
 そして、また流れを右手に見ながら、今度はアコンカグアを振り返り振り返り下った。最後、行き
の車から下り立ったところから登山口、そして、プエンテ・デル・インカの町までの2qの車道歩き
は最悪。もう真っ直ぐに歩けない。泣きたいくらいの痛さだった。アコンカグアに登ったのにこの様
では、恥ずかしき実態であった。8時25分到着。
 先行してきた、成田氏もホステリアからの電話がまともに通じず、1回かけるのに30分以上暇がか
かり、増田さんのところからマイケルに連絡が取れないと言う。自分たちが、到着する前に何度もか
けたようだが、マイケルは掴まらないらしい。ホステリアで電話待ちの間、ビールを飲んでいると、
こちらの電話は、9時で終りと言う事だった。これで、とうとう連絡は取れず、明日朝早くのタクシ
ーは期待できなくなった。では、今晩はどうするか、ホステリアに泊まるかどうするか交渉している
と、ムーラ頭のリカルドが来て、「おれの宿に来い、安くする」と言うので、結局一つ東のテニテン
トという街まで車に乗せてもらい、リカルドの宿の前の「HOTER Ayelen」という宿に泊まる。
 この夜、自分の部屋はお湯が出ず悲惨だった。また、顔が痛く、足が痛くて歩く元気もなくなる。
とうとう夕飯は、食べなかった。でも、心残りは、アコンカグアのTシャツが買えなかったこと。ホ
ステリアに合ったが、気が付いたのが、リカルドの車に乗る直前で買えず、テニテントに期待したが、
全然無くて……本当に残念。あ〜あ。

1月4日(月)
[→メンドーサ]移動、
 一日早く下山したのに、結局予定通り4日の午後3時過ぎ、タクシーが迎えにくる。マイケルは今
度は、行きに登山者を乗せて来た。また、ダニエルの代わりに英語のできる女性を連れてきた。(こ
の人はガイドとして、アコンカグアに登ったことがあるらしい。テレホン作戦は、失敗に終わる。や
はり日曜日は休息日なのだろう。遊び人のマイケルは、きっと夜遅くまで遊んでいたに違いない。だ
から、本当にこの日は、半日以上ひまだった。お土産を買おうかと近くを歩いてみたが、どこにも売
っていず…つまらない。
 マイケルの車に乗ってメンドーサへ向かう。途中で雨が降ってきたので、ドライブインにより、雨
宿りして、車に幌をかける。ここで、ピザを食べたり、アンデスという0.9g入りのビールをしこた
ま飲む。これでは、いくら金が有っても足りない。どんどん$が無くなっていく。御土産が買えなく
なる。
 8時30分、やっと増田宅に到着するが、すぐさま最後の夜を過ごすため街へ出かける。しかし、こ
こでも10時には、ほとんどの店が閉まってしまうという。買い物がしたいと言ったら、最近できたデ
パートに連れて行かれたが、そこではつまらないので町中に行く。しかし町中も、閉まっている店が
多い。電話をしたかったので、それでは10時の待ち合わせと言う事で、電話局に行ってみた。電話の
かけ方はちょっと面倒で、ヨーロッパのようにはいかない。まず、受け付けで何処に電話するかを予
約する。電話番号を伝えるが、英語は全然駄目で、スペイン語は覚えていなかったので、紙に書いて
渡す。その後、5〜6個あるボックス(小部屋)の開いたところに入り、ダイヤルを回す。家に電話
し、無事戻ってきたことを知らせる。学やあゆみとはうまく話せなかったが、女房と話せたので良い
ことにする。その後、受け付けでまた待って、料金を払う。このとき丁度20ペソと言うので20$を払お
うとすると、「$は駄目だ、ペソで払え」と言う。…そんなこと言われてもペソは持っていないよ〜、
と英語で言っても相手にしてくれない。これは、本当にまいりました。何度もドルで…と言うが、ノ
ーと言って首を振るだけ。これでは平行線。どうにもならない。他の人がなんだどうしたんだという
顔でこちらのやり取りを見ている。あ〜絶望、とおもっていたら、幸いにも栗田氏が丁度20ペソ持っ
ていたので交換してもらい、一件落着。無事払えて良かった。
 それから待ち合わせの場所に行くとマイケルがファミリアらしき自家用車でやってきた。それに、
4人乗って…途中で昼間の彼女を拾って、夕食を食べに行く。でも、町中は、ほとんどの店が閉まっ
ていて、郊外の○○に行こうと行ってみるが閉まっている。途中でサンマルティン広場に寄ったり、
水車の船がある公園に行ったりして…また色々探すが開いていない。同じ所を何度も行ったり来たり
して、やっとイタリアンレストランらしき店に入る。そこで、ワイン、ビール等を飲み、肉を食べ、
サラダを食べ(まだ口が痛い)、シャンペンを飲んで…やっとお開き。増田宅に帰ってきたのは、25
時だった。今夜は、民宿の方に泊まり、暑い。すぐ宿代を計算してもらい、お金を払ったり(もう完
全に予算オーバー、追加追加の徴収だ)、宿のノートに山行記録を書いたり…眠い目を擦りながら、
明日の準備もした。

1月5日(火)
[メンドーサ→]移動
 いよいよメンドーサとのお別れ。もう二度と来ない町だろうと思うと、やけに懐かしく思われる。
自分の故郷のような気持ちになる。マイケルは時間通り午前6時40分に来て、飛行場へ連れていって
くれる。車の荷台からポプラ並木を眺めるのは、とてもいい気持ち。朝の空気も爽やかである。見渡
すと、遥か西方にエルプラタの山並みが見える。アンデス山脈の端である。
 飛行場で、堅い握手を交わし、別れを告げる。そして、飛行機を待ち、また長旅がはじまる。マイ
ケルのお陰で(そう、マイケルがチケットを交換してくれたのである。)、今日はゆっくり時間を過
ごすことができる。
 メンドーサからサンファンという空港に一回降りて、また飛び立ちブエノスアイレスの飛行場に到
着。そこから、とりあえず国際空港へタクシーを飛ばす。空港で荷物を預けて市内へ出ることにする。
まだかなり早かったので荷物を預けるのに一寸手間取ったが、なんとかOK。日本語の通じる受付け
嬢だったので、成田氏は日本料理屋のことも聞く。時間があれば車を出してくれそうな事を言ってい
たが、今日はダメとのこと。でも、このユナイテッドのお姉さんは、本当に良い人だった。
 その後、シェラトンホテルの日本料理屋『つる』へ行って、かつ丼定食を食べる。味はまあまあ。
でもお茶はとても懐かしかった。それから、街の中心地:五月広場まで歩くことにする。途中で御土
産屋さんにより、なんとか最低限度の土産を買う。手持ちのドルが少なく、VISAカードが使えな
く思うものが買えなかった。(アメリカン・エックスプレスなら使えた。)でも、一通り買えたので、
義務を果たせそう。それから、五月広場でブラブラ昼寝をし…もう夕飯を食べに行こうということで、
今度は『北山』という日本料理屋(一杯飲み屋のようなところへ行った。ここで、刺身定食を食べた
が、大変旨かった。日本のビールも有った。後ろの席には、西遊旅行のパタゴニア・ツアーの一行が
15人位いた。これは、とっても凄い。こんな所にこんなに沢山の日本人がいるなんて…。やはり、
アルゼンチン・エァーの遅れ(スト)で、予定がかなり変わったようだ。そのあたりのことを色々弁
明していた。今晩の夕食は、その御礼ということらしい。
 あまり遅くなると飛行機に乗り遅れる…と焦ってタクシーを拾い、空港へ向かう。そして、まずは
アメリカに向かって旅立つ。

1月6日(水)
[→マイアミ→]移動
 アルゼンチンからマイアミに飛ぶ。
  午前4時30分マイアミ着。また待合室で待つ。今度はビールにありつける。
7時40分マイアミ発。10時17分ロスアンゼルス着。ここでまたも待ち時間あり。やっとVISAカ
ードの使える売店があったので、子供用にチョコレート、家族にTシャツなどを買う。13時出発。

1月7日(木)
[→成田]帰国)
 ずうっと飛行機の中。食べるのも疲れる。シートに座っているのも疲れる。日付変更線を越え、半
日損をする。午後4時20分、成田着。成田の税関は簡単で、ほとんどノーパスで、外に出られる。そ
して、京成の急行で上野に行き、ここでみんなと別れ、ひとり深谷へ向かう。電車に乗る前に家に電
話をして、迎えにきてもらうが、子供は一瞬自分の顔を見て他人だと思ったらしい。女房も、どこの
人か……とおもったらしい。まいったこの顔。明日、学校の子供達に合わせる顔がない。          
                              
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