ACONCAGUA 1992〜93 (4)キャンプ1、キャンプ2の建設 12月28日(月) [BC.4230m→←C1.5400m]荷揚げ 6時起床。成田氏は、5時半頃起きて、外でMSRをつける。体温や脈搏を計り記録、隊長にも報 告する。外で支度をするが、寒いので中で食べる。 そして、8時50分出発。3人はストックを両手に持ち、荷物を担ぐ。成田氏は、テント一式とMS R、ガソリン。栗田氏は、足の調子が良くないので、軽めの食料。自分は、食料の重い物とコッフェ ル。またまた最も重くなる。「個人装備で持てる物は持っていけ」と隊長に言われたが、持つ余裕は まったくなし。隊長、栗田、私、成田のオーダーで出発。テント場前の雪渓をトラバースして、大斜 面に飛び出す。そこからは、富士山の登りと同じで、延々と続くジグザグ登り。1時間ほど登ると差 が出てきて、約2時間で細い雪渓をトラバースするが、この辺りで完全に遅れを取り、とうとう追い 付けなくなる。まだまだジグザグ登りは続き約2時間で5200mの仮C1に到着するが、もう他の3人 は5400mのC1に到着していると言うほど自分は、遅れてしまった。5200mの仮C1から5400mのC1 までは、なだらかな雪原の斜面で、すぐそこ見えるが、これがくせもので、一歩一歩が実に苦しい。 約1時間半で着いたのだったが、5〜6歩あるいては、1〜5分休む(という感じがした)の繰り返 しで、これは本当に『気力、体力、精神力の山』であると実感した。一人で来たなら、さっさと仮C1 5200mで諦めていただろう。 しかし、ここでおっぽりだしたら(荷物等)これこそ「恥」である。 なんとか張った。途中で「1時間40分ほど待ったが、来ないので下ってきた」という3人と出会う。 そして、「C1はぐそこだ」と励まされる。 数分後、コンドルの広場とよばれるコル状の広場、C1に到着。5〜6張テントが張ってあった。 その中には日本人の物らしきテントも混じっていた。先着の3人が張ったテントに入り荷物を置き、 何時もなら手放さないカメラもデポして、少し休んで下る。 しかし、下りは荷物が軽くなったせい もあり、駆けて降りる元気が出て(もうポーター役も終わったという安堵感もあり)雪の斜面は、ラ ンニングとスタンディンググリセードの連続、ジグザグの下りは、富士山の砂滑りと同じ様に、これ また、ズルズルと砂利と一緒に崩れながら、滑り降りた。なんと1時間ちょっとで、下ってしまい、 みんなにあきれられる。まるで、スキーで下ったようなスピードであった。しかし、運動靴は泥だら けプラスぼろぼろで、再起不能の状態になってしまった。 今日もまた、テントで宴会かと思ったら水がなかったので、水場に行くと増田さん宅でバイトをし ている花田君に出会う。本荘山の会のテントキーパー&通訳として来たという。本荘の行動予定の事 や他の日本隊のことなど話す。水場の順番待ちも大変で、流れが細くなってきたおまけに、ムーラ使 いが20gのポリタンを2〜3本待ってくるので、非常に時間がかかってしまった。 テントに戻り、また、酒盛りが始まるが、あまり酒欲・食欲なし。早々に寝る。 12月29日(火) [BC→C1]C1入り とうとう高度障害が出る。体温も高め、夜は寝付かれず、喉が渇く。今日はプラブーツを履き、登 山の支度をし、テント本体とポール、個人装備、水を持ってC1入りする。 昨日に引き続き、苦しい登り。今までの疲労が一気に足や体に来たようで昨日より荷は少なく軽い というのに……結局同じぐらい時間がかかり、約1時間、ひとり遅れてC1入りであった。 前夜は、ほとんどそれまで高度障害が出ていなかったので、「加藤は高度に強いのかな。でも前半 調子が良くても、6000mとか、上に行くと突然ダメになっちゃう奴がいるから、どうせ一度はなるの だから、早いうちになった ほうがいいなぁ」と言っていたが…。 12月30日(水) [C1→←C2.5800m]C2荷揚げ *[自分はひとりBCに下る] とうとうピークがやってきた。高度障害である。朝8:30起床。体温38.6℃心拍数100という高い数値。 食事のあと直ぐ、強い解熱剤を飲むが、一向に熱が下がらず、逆に38.9℃になってしまう。普通なら 30分で、急激に下がるという薬らしいが利き目なく、このままでは歩行不能になってしまうというの で、一人下山する事になる。 11時にC1を出発。前前日に、1時間ちょっとで下ったところを再び下る。外は涼しくてとても いい気持ち。やはり熱は高い。半分ぼんやりしながら、でも意識をしっかり持ち、ゆっくりゆっくり 確実に下る。BCに着いたのが2:30で、3時間30分もかかってしまった。ポールのないツェルトに潜 り込み、死んだように眠り込む。そのうちBCからC2を往復してきた成田氏が帰ってきたが、自分 は水だけ飲んで何も食べず、ひたすら眠る。隊長と栗田氏は、数時間後に5800mに到着し、C2を建 設したという。 12月31日(木) [C1→C2]C2入り *[自分はBCからC2入り] 1992年も今日が最終日。明日1月1日の登頂を目指して、C2入りする。 昨日は結局、朝食以外何も食べず、飴をなめただけで、眠りこけていたが今朝は、ジャガイモの煮 物をたべて元気をつけ、C2に出発。成田氏は、明日の登頂に向け休養日という。 C1までは、また苦しい登り。二度と登りたくないと思った登りを、今日で3度目である。そして、 C1からC2の登りは、まだ行ったことのない道。ガスがまき、雪も降ってきた。積雪でルートが良 く分からなくなるが、トレースをじっくり探して、上部へ向かう。ガスが濃くなり、雲で陽が隠れ雪 が降って暗くなったりすると不安になるが、ここではへたばれないので頑張るしかない。トレースが 消えないうちに…と、ほとんど休まず歩き続け8時ちょっと前にC2に到着。今にも1992年の陽が暮 れようとする間際だった。その最後の陽を一瞬の晴れ間に見て、長かった一日が終わった。 テントの中では、調子の悪いMSRを使って夕食を食べ、水を溶かし明日を迎える。