ACONCAGUA 1992〜93
(3)ベースキャンプへ
12月26日(土)
 いよいよアコンカグア登山のはじまり。日本を出発して5日目にしてやっと目標の山に入れる。観
光省での手続きはいたって簡単。こちらで記入する必要はなく、マイケルが役人に話しをすると、パ
スポートを見ながらパソコンにタイプしていく。そして、印刷が終わると本人と確認し、登山料一人
80$を払い、許可証を受け取って終りである。待っている間、45$でアコンカグアの本を売っている
というので買う。観光省が開くまでに、最後の買い物をし、ガソリンを10リットル買う。許可証を取
ってから、帰りのチケットの変更をしようとアルゼンチンエアーに行ってみたが、やっぱりやってい
ない。仕方なく、バスターミナルに行き帰りの夜行バスのチケットを買う。50ドルなり。街での仕事
をすべて済ませやっと登山口のプエンテ・デル・インカに向かう。すでに10時45分。
 途中、2回ほどポリスの検問。車を飛ばし、約3時間でプエンテ・デルインカに到着した。街の取
っ付きでムーラ頭のリカルドに会い、交渉する。そこから、ムーラのいる広場に行って荷物を整理し、
預ける。できるだけ預けるものを軽くしようと言う事で、自分は靴とアイゼン、本等を約6キロ預け
るが、他の個人装備とテント一式、コッフェル、水、ビーノを担ぐ。非常に重い。他の人は、かなり
の荷物を預けていた。まいったなァ。まあ、初めての経験なので仕方ないか。頑張ってはやく認めて
もらいたいと思った。結局総量は 135sで、300$となる。ムーラの計算は、1頭60sで150$。2頭120
sで250$。3頭180sで350$という話し。ここで、15s軽くすると言うのは至難の技なので、交渉のす
え300$で手を打つ。その後、もう少し先まで車で運んでくれると言うので、また荷台に乗って車道を
上って行く。途中、アルゼンチンの旗の立ったテントのところで許可証を見せて、チェックを受ける。
ここでサインをする。それからまた先まで進んで、小さな沢の流れの前で車が止まった。
 「車から降りろ」と言う。沢なので崩れるのかと思い、降りて歩くが、戻れと言う。そう、車はこ
こまでと言う事だ。荷物を下ろし、別れを惜しむと、マイケルが隊長にお守りを渡す。何と言う心遣
い。頭が下がる。本当に有り難い。車で上ってきたので、約1時間の歩きを得したようだ。
 右手に、オルコネス川の濁流を見下ろしながら歩くと、すぐ道は狭まり、車道が崩れ落ち、あそこ
で止まったことが分かった。少し行くと、対岸に渡る。早くも徒渉かと思ったが、しっかりしたジュ
ラルミンの橋が架けられていた。ラッキー。この辺りは、観光客が入ってくるのか、ごみ箱も在って、
その中にはビーノの瓶が必ず入っていた。左手にココア色の流れを見ながら前進していくと、どんど
ん流れが下になる。4時に歩き出すなんで、日本では考えられないが、まだ陽は高い。汗を流しなが
ら進むが、やはり栗田氏の体調が良くなく、食料を持つ。また荷が増えた。
 しかし、逆光のアコンカグアを眺めながら頑張る。それにしてもでかい。ここまで来ると、山に来
て良かったと思う。今日までの登山の手続きと準備は、何一つ確実なものがなく、ハラハラドキドキ
連続だった。でも、ここに入ってしまえば、後は登るだけ。目標は明確である。ただそのために、全
力を尽くすのみである。何もかも忘れて…。うれしい。
 南壁からのオルコネス谷との合流点に、今日のキャンプ地、コンフレンシアがある。そこへ行くに
は、とうとう『渡渉か』と思っていたが、ここにもしっかりした橋が架かり、渡渉せずに対岸に渡り、
丘を越えてオルコネス川を渡り(板橋)、コンフレンシアに到着。ここは、谷間のオアシス。清らか
な水が流れ、飲むことができる。水の流れで少し湿ったお花畑がある。幕場は川岸。大きな観光用の
テントもあり、ムーラもいる。
 三三五五、各国の登山隊が到着。
 車でかなり奥まで登ってきたので、1時間のアルバイトが減った。大変楽な入山日。夕飯を食べな
がら、ビーノを飲む。GOOD!しこたま食ったらあとは、寝るだけ。早々に寝る。夜目が覚めトイ
レに行くと、南の空がひっきりなしに花火のように光っていた。カミナリか?。

12月27日(日)
 コンフレンシアからは、砂漠のような広い河原歩き。渡渉が何度もあり、栗田氏のストックに助け
られる。やっぱり自分も持ってくれば良かったと後悔する。それにしても熱い。日陰が欲しくなる。
高度の影響は無いようだが荷物が重くてかなりくたびれる。 しかし、今日頑張ればポーター役も終
りかと思うとホットする。教員隊のテストもこれで終れば、と思うばかりである約6時間でテントの
密集したベースキャンプ(BC):プラサ・デ・ムーラス4230m に到着。荷物がちゃんとあるか、直
ぐムーラの所へ行くが無い……。でも、直ぐ見つかって良かった。
 成田氏がテント場を探しに行き、丘の外れの高いところに見つけ、荷物を移動する。そうこうして
いるうちに、「お前は日本人か、英語が話せるか。」と外人に話しかけられる。「日本人だが、英語
はほとんど話せない。」と話すが、通じない。栗田氏がペラペラのはずなので、相手をしてもらうと、
日本人がいるので来てほしい、とのことで外人テントに行くと、一人の日本人青年がいて、ひどい疲
れと日焼け! 話を聞くと、一昨日BC入りして、昨日は上部でキャンプし、今日頂上をアタックし
てきたということらしい。あきらかに高山病にやられた状態である。坂原隊長が通ったので、話すと
「薬をやれば!」ということで『ダイナモック』とかいうのをやったらしい。下のコロンビア小屋跡
に荷物(テントなど)を置いてきたということで……下るようにする。それにしても自殺的行為であ
る。6ヶ月前にキリマンジャロに登ったとしても……、余りにも過激すぎる。植村直己じゃあないぞ!!
と思ったりした。それにしても、そんな登り方ができる山。絶対登らなければ…と、闘志がわく。        
 テントを張り終え、用意ができたので外で食事をし、ベースキャンプ開きとする。今日も飲み過ぎ
て、酔っ払って御飯が喉を通らない。それにしてもどうしてこんなにしょっぱいものばかり食べるの
だ−。俺は、口が痛くて食べれない!!
 しかし、今日初めて『砂糖』が出る。紅茶に砂糖を入れて飲んだら、旨いことこの上なし。夜もか
なり喉が乾き、水筒の水が直ぐ無くなってしまった。他の人は大丈夫なのだろうか。

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