ACONCAGUA 1992〜93
4行動記録
(1)地球半周の旅
     −成田からメンドーサまで−

12月22日(火)
 学校から帰り約10分で着替え、家族4人でまた深谷駅に向かう。学から手紙をもらい、『おみや
げ買ってきて』と学とバイバイする。あゆみはママと手を振っていた。16回夜を空けるのは初めて。
みんな元気にやっていけるだろうか。こちらも頑張るので、3人とも頑張ってほしい。そういうこ
とを考えると、家を長く空けるのはなかなか辛いものである。
 午後1時40分、京成上野駅に到着。既に成田氏が来ており、スカイライナーの切符を取ってくれ
た。ザックは、ICI石井の 100gザックだった。ピッケルとストックを持っていたが、栗田氏の
物だと言う。自分はとうとう車のトランクの中に入れたまま、持ってこなかった。
 その後、坂原隊長の奥さんが先に現れ、次に坂原隊長が息子にザックを担がせて登場。全員が集
合する。さっそくスカイライナーに乗り込みビールで乾杯。いよいよ出発である。
 スカイライナーの中でチケットを受け取るが、このチケットは「変更ができない」というチケッ
トだという。成田に到着し、すぐ南ウイングのあるターミナルに行く。入り口でパスポートのチェ
ック。
 ユナイテッドのカウンターは、バージン・エアーの隣、すぐ並んで、荷物のチェック。その後、
チケットを出して、搭乗券をもらう。同時に荷物を預けるが、3人で調度75s。超過料金を取られ
なくて良かった。それから、自分だけまだドルに両替をしていなかったので、近くのバンクでチェ
ンジ。千ドル取り替えようと思ったが、日本円でいくら交換するかという申し込みの仕方だったの
で、カードもあるしと思って10万円だけ取り替えた。1$=126.1 円だった。そうこうしているう
ちに、みんな出国のカウンターの方に行ってしまい少し迷子。空港使用料を自動販売機で買って下
に降り、無税の日本酒を買い、出国カウンターでスタンプを押してもら、いいよいよ飛行機に搭乗
する。38番カウンターで搭乗券を半分ちぎられ、バスに乗ってB−747に乗り込む。天候は曇り。も
う薄暗くなってきた。一番奥の56-Dが自分の座席。坂原隊長と交換し、57-Eに座る。さっそく日本
酒で乾杯していると、隣の座席の叔父さんが話しかけてきてアコンカグア登山のことを話すと、友
人の山本という人が、早稲田の隊で登ったと言う。何と言う偶然だろう。早稲田隊が登ったのは1952
年の事だ。調度40年前の登山者の関係者に会うとは…。
 もう一度、今回の日程や行動計画を読んでいると、成田さんがどこかの隊の詳しいガイドを見せ
てくれたが、なかなか分かりやすい。もう少し早く見せて欲しかったと思う。なんとかコピーでき
ないかと考える。また、診断書は要らないかもしれない…と言っていた。その後、「Doc.NAKAI」と
いう用紙を成田さんが持っていて、それに英語で記入した。でもそれでおしまいみたいだ。参った
なぁ〜。あれだけ悩んだのに…。夕食と朝食の二回の機内食をたべたりして、都合9時間でサンフ
ランシスコ着。その後、荷物を受取りブルーレーンという簡単な入国審査でスタンプを押してもら
い、ひとまずアメリカに入国したことになる。あと出国まで20分位しかない。再び荷物を預け、86
ゲートに向かう。その後、4時間でシカゴに降り、1時間後に出発。3時間後に、フロリダ半島の
マイアミに到着。2時間の待ち合わせで、ブエノスアイレス行きの飛行機に乗り、やっと南アメリ
カに入る。フロリダは、やや暑かったが冬、これから降り立つブエノスアイレスは、赤道を越える
ので夏の真っ盛りになる。日本が暖冬で多少は暖かいものの、真夏への突入はちょっと体調がもつ
か。今日は日付変更線を越えてしまったのでやっと長い一日が終わる。

12月23日(水)
 マイアミから約9時間で、アルゼンチンのブエノスアイレス・エセイサ国際空港に到着。現地時間
は午前10時45分。すぐパスポートに入国カードを出してスタンプを押してもらい、荷物を受け取り、
あとはザックのナンバーとチケットのナンバーを確認されて、そのまま出口に出てしまった。やっと、
アルゼンチンの人になる。
 到着後すぐ、帰りの便のリコン・ファームをし、後、国内線のホルヘ・ニューベリー空港へ行く。
タクシーで1時間。              
 しかし、ヨーロッパ的な町並みだというブエノスアイレス市内を巻いて通ってしまったため、印象
はなんともいえなかった。白タク代は50ペソ(=US$)だった。クーラーもなく窓を開けて走るが、
工業地帯では悪臭で鼻をつまむ。定期バスは、出入り口を開けっ放しで走っている。凄い。それに走
っている自動車はほとんどがおんぼろで道の脇に止めて、なにやら修理している車がいたる所にあっ
た。
 空港に到着して、すぐ搭乗手続きをし、上の階で食事にする。さっそく、現地のセルベッサ(ビー
ル)をたのみ乾杯。つまみにサラダやスパゲッティ を頼む。成田で買ってきた日本酒も飲んで、また
酔っ払ってしまう。出発時間が近付いたので、ゲートの近くで待つが、遅れているらしい。暫く待っ
て、やっとリムジンバスに乗り飛行機に乗るが、アルゼンチンエアーではなく、イベリア航空の飛行
機だった。この時は、まったく知らなかったが、アルゼンチンエアーは、12月の初めからストライキ
中で、イベリア航空が代行していたらしい。なにやら、イベリア航空が、アルゼンチンエアーを買収
するということでのストらしい。乗れただけ良かったと言う。
 現地時間5時17分、テイク・オフ。ここからめざすメンドーサまでは、2時間の飛行。パンパとい
う草原地帯の上空を西に向かってひたすら飛ぶ。
 現地時間5時50分(ブエノスアイレスとは1時間の時差がある)、メンドーサ到着。タラップを降
りると、わんやわんやのお祭り騒ぎ、さすが南米の国民性と思ったが、これもストライキの一部だっ
たようだ。荷物がなかなか出てこなかったが、やっと外にでられた。増田さんのところから来たと言
う青年(セルシオ)が来て、すぐ荷物を車に乗せ出発。プラタナスの並木を通って、6時30分増田
農園に到着。さっそく、登山手続きと絵画展の話をするが、どちらも問題があった。登山の許可は、
24.25日がクリスマスで役人は休み。今日23日も、6時30分で閉まってしまったらしい。セ
ルシオ青年の知り合いが局にいるから裏を使って許可を取ろうという事になったが、「今年からコン
ピューターによる登録になったので、電源を切られているからできない。」ということになってしま
った。ということは、早くても26日の出発になってしまう。これにはまいったが、どうしようもない。
 また、絵画展のことも、手紙が届いたのが1週間前で大変忙しかった。ちょうど学校は夏休みの最
中で生徒はだれもいない。でもクージュ大学の学長さんに話をしたら歓迎してくれ、会場は押さえた
という。8時に大学の関係者が会ってくれると言うので、すぐ行ってくれという。荷物を下ろし、花
田しげと君という名古屋の学生が通訳としてついてくれて、近くのお店にとりあえず、2〜3日分の
食料の買い出しに行く。
 その後メンドーサ市内へ行き、関係者に会う。予定は、28日にパネルにして、29日から観光局に飾
ると言う。その後、増田さんの娘さんの家に行き、アルベルト・ゴンサーレというプロデューサーの
人と会い、美術の先生をしていたという、女性芸術家に会う。そしてやっと今日のお勤めが終わった。
 宿についてから、晩飯を作り、明日の予定を考えていたら、午前様になってしまった。明日の予定
は、エルプラタ(6310m) の麓の山に高度順化に行くことにしたが、タクシーの値段によっては、変更
あり。なにしろタクシーの値段がばか高いのだ。これでは、日本国内と変わりない。増田さんの話し
だと、やはり外国人からお金をたくさん取ろうとする政策らしい。難題を抱えて、眠りに就く。

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