戸高雅史 チョモランマ遠征レポート 99


ここでは、FOSの杉山さん、前田さんのご協力により、現在単独のチョモランマ登頂を目指している、
「日本FOS チョモランマ登山隊 1999」 
の戸高雅史氏とBCマネージャーの優美さんのレポートをお届けいたします。


レポートbT

カイラス巡礼−戸高雅史編−

7月15日 カン・リンポチェにやってきた
カン・リンポチェにやってきた。巡礼の基点となる街タルチェン。ティンリか
らなかなかタフなドライブだった。タルチェンに着いたのはいいが、僕の中で
疑問がおこっていた。「僕はここにくる意味があるのか?ヒマラヤの最高峰な
らまだしも、僕にとってここは本当にくるべきところなのか?」
だが夕食後、巡礼の人々のテントの方へ歩いてゆき彼らの姿に触れたとき、僕
は自分を生きるためにこの地にやってきたのだと了解した。僕はひとりの巡礼
者。ここカン・リンポチェの麓に集まっている人々も一人一人がかけがえのな
い魂の旅人なのだろう。この旅がどういう旅になるのか分からないが自分の周
りに起きるすべてを受け入れ歩いてゆこう。

7月16日 順応のためギャンダ・ゴンパ(5050mへ)
宇宙がそこにあった。信じられないような世界があった。折り重なりそびえる
山々。右奥にかすかにカン・リンポチェの白く丸みを帯びた頂。後ろには谷の
向こうに青く水を湛えるランガリ・ツォ(湖)。自然の造形とはいえ、そこに
は何らかの創造者の存在を感じずにはいられない。人々はこの地に充ちている
力に癒され、力づけられているのだろう。ここの場の力に呼応し、自己の内な
る存在が目覚め、力強く喜びつつエネルギーに充ちてきているようだ。ここに
やってきたのはチョモランマ峰の為のトレーニングという次元ではない。僕に
とって生きていく上でひとつの転換点における大切な魂の旅といえるのではな
いか。明日からいよいよカン・リンポチェのコルラ(巡礼)に足を踏み入れる。

7月17日 カン・リンポチェのコルラ(巡礼)1日目 
      タルチェン→チェク・ゴンパ
このコルラはチベットの人は1日で、旅行者は3日でまわる人が多いようだが、
僕らはすべても荷を自分たちで担いでゆくし、まだ高所順応が不十分なことや、
ゆっくりとこの地に溶け込みながらコルラをしたい等から3泊4日でまわるこ
とにする。昨日の疲れは残っているが今日はチュク・ゴンパ(寺)として出発。
荷が重くて息がしんどい。2時間ほどでタンボチェに到着。ここにはサガダワ
という祭りの時に立て替えられる立派な柱が立てられている。地図では鳥葬場
がこの近くにあるらしい。是非見たいと思い優美には待ってもらい地図から判
断して山の方に登ってみる。ひとつの頂まで登ってみたがここではなかった。
下りながらそれはタンボチェのすぐ先の台地の上であることに気づき、急斜面
をトラバースして向かう。台地に到着するとそこにはチベット人がいて、手で
「来るな!」というように追い払われてしまった。決して興味本位だけではな
く、死という現実に深く触れることができるかもしれないと思ったのだが、チ
ベットの人から見れば気分のよいものではないだろう。自然に対しては自分な
りの感性で自由に深く入っても良いだろうが、その他の人々の慣習や風習、文
化に対しては謙虚さと慎重さが必要だ。追い返されたことで大切なことに気づ
かせてもらった。僕がこの地にやってきた原点に還ろう。
初日はチュク・ゴンパ下のラ・チュ(川)の辺、緑の草の上にテントを張った。
やはりキャンプは心地良い。近くに山羊飼いの少年がやってきた。お茶を沸か
そうとしているがヤクの糞が湿っているのだろう、苦労している。焚き付けの
紙を持って行ってみた。すると彼は一心不乱に声をだして何かを読み上げてい
る。近づいてみると、それは木版に印刷された厚い経典だった。「はっ」とす
ると同時になんともいえない熱い想いが込み上げてきた。片言のチベット語で
聞いてみると、このチュク・ゴンパのラマだという。山羊の放牧をしながら草
原で経を読む。(放牧と言っても時折、思い出したように声をあげたり、小石
を投げたりして次の草場へ山羊を動かしているだけのようだが。)その優雅な
学びの姿にはなぜか感心してしまった。午後6時、対岸をボン教の巡礼者達が
タルチェンへ向ってゆく。彼らは仏教徒やヒンズー教徒とは逆に左回りでカン
・リンポチェをコルラする。ボン教とはチベットに仏教が伝わる(7世紀)以
前からあった民間信仰の集大成のようなもので、アニミズムやシャーマニズム
が特徴である。僕は最近アミニズムというものに魅力を感じてしまっている。
「アニマ」とはラテン語で生命・魂を意味するものとされており、「アニミズ
ム」とは自然や他者、物一般に「アニマ」すなわち生命や魂を認めることだと
いう。つまり宗教というものが生まれる以前の太古の昔から人間はこの世界に
人間の力を超えた偉大なものがあるらしいと気づいていた。すなわち目には見
えない超自然的なものの存在を感じ取っていたのだと思う。そして現代の物質
文明の社会に生まれ育ってきた僕たちや若い世代にとってそういった感性は失
ってはならないもののように見えるのだ。夕食後、少し先の方に歩いてみた。
そろそろ戻ろうと向きを変えたとき、僕の目にうつった光景はギャンダ・ゴン
パへの道すがらに眺めたものを同じく、宇宙の摂理を感じさせるものだった。
両岸の大岸壁、ラ・チュ(川)の流れ、草原の広がり、茶色の山々、そして巧
妙な岩や石の配置。この地はすべてがマンダラである。(マンダラとはサンス
クリット語で本質を表わすものを意味しており、部分と全体、個人の存在と宇
宙などの合一を目にみえるように表わしたもの。)
午後9時過ぎ、ひとりの年老いたボン教のラマが下っていった。どうしたらあ
んな表情になるのだろう。くもりのない清らかな顔だった。この地のもつエネ
ルギーは凄まじい。それは決して攻撃的ではない、深く地の底を流れる水のよ
うに一定のリズムで静かに響いてくる。ただそれだけのように思う。だが僕の
魂は圧倒されている。
夜の稲妻は僕を古い記憶、アニミズムの世界にひき戻すものだった。岩壁に挟
まれた谷も向こうから稲妻がテントに近づいてくる。稲妻の動きをこんなにも
間近に直接的に見たことははじめてだ。しかもそれは徐々にまるで生き物のよ
うに僕らの方へ向ってくる。一瞬、カメラに手が伸びた(稲妻を撮る術は知っ
ている)が、これはこの稲妻の背後に在る何か大きな存在としっかり向き合い、
受け入れるべきだと感じる。天の意志?
なんという地だ、あなたは。僕はこの地に足を踏み入れる準備ができているか?
畏れ、畏敬の心。謙虚な心。自らの心が純粋無垢でなければ弾かれてしまう。
このコルラは厳しい。大自然のトレッキングという状況ではない。まさしく自
分自身を真摯に問う旅、魂の旅だ。

7月18日 チュク・ゴンパ→
対岸の岩峰群のもつエネルギーに圧倒されながら歩く。五体投地(キャンチャ)
をしながら進む二人のラマを対岸に見る。昨日からのわずかな時間の重ね重ね
の心にズジンと響く出来事に、もう「参りました!」という感じだ。しばらく
二人のラマの動きを見つめる。彼らはどんな想いでキャンチャをしているのだ
ろうと考えたとき、僕は彼らの根源的な動機が分かった気がした。もちろん人
々がカン・リンポチェをただ眺めるだけで良しとせず歩いてまわることも。こ
の聖なる地と深く交わろうと思ったとき、「歩く」という行為に、そして「周
囲を回る」ということになったのではないか。「歩く」ということは人間にと
って基本的な「動き」のように思う。そしてもっと深く接したいという想いが
全身でこの地に触れながら進むキャンチャとなったのではないだろうか。では
「登る」ということではどうだろう。本質的な想いは同じだと言いたいが、山
の周囲を回る行為に対して決して「征服する」というイメージは湧かないが、
頂に立つ行為は沸いてくる場合があるように思う。その意味では「登る」とい
う行為の方がより「心」を問われるものかも知れない。カン・リンポチェはも
ちもん未登、この山の頂に立ったものは誰もいない。この地にふれた者は誰も
登ろうという想いは抱かないだろう。仮に抱いたとしても深く入ってゆくにつ
れ、その想いは消えてしまうに違いない。ガイドのドルジからとても興味深い
話を聞いた。シガチェの北方にセポ・カンリという標高7千m位の未登の山が
ある。この山に英国の著名な登山家が'97(秋)と'98(春)の2回、大きな登
山隊を組織して挑んだ。この山はボン教徒にとって聖地としてカン・リンポチ
ェと同様、大変重要な山である。山の麓で長年修行しているボン教の行者がい
る。彼は水だけで30日間断食をする行を何度も体験している非常にレベルの
高い地点まで到達している行者さんだ。「登頂できるか?」とメンバーが彼に
聞いたところ彼は次のように答えたという。「心が問われるよ。」「もしメン
バーが何人いるから全員の心がピュアに、そしてひとつにならなければならな
いだろうう。」
結局この2回の遠征は頂には立てなかった。好天が連続しアタックに行こうと
すると急に悪天になったりアタック中、あと1日あればというところで天候が
急に変化したり、突然BCに1m近い雪が降ったりしたそうだ。(チベットの
BCでそんなに雪が降ることは滅多にない)

7月19日 ドルマ・ラ(峠)を超えた。
力を抜いて自分本来のリズムでゆっくりと無理なく。呼吸ごとに完結する歩きで。

7月20日
キャンプ地からジョン・チュ沿いに下る。谷を抜けたとたん、何か重い圧迫か
ら解放された気がする。この神聖なコルラの最後の1日を歩きながら感じたこ
と、いや僕の中で明確になったことといえるだろう。それは僕の旅は、登山は
巡礼なのだということだ。タルチェンに戻りあらためてこのコルラを降りかえ
ってみた。この地は、地のもつエネルギーとともに集まってくる人々の想いも
加わって気場が生まれているように思う。続々とやってくるインドのヒンズー
教徒たちもしかり。凛とした気を持つカン・リンポチェ。僕はこの4日間。か
つて経験したことがない程の重圧を感じていた。ジョン・チェの谷を抜け、初
めて自分がどれ程の影響を受けていたのか知ったのだ。マパム・ユムツォ(マ
ナサロワール)は果たしてどうだろう?
夕食後、巡礼者達のテントの方へ行った。薪の明かりに照らされたひとりのラ
マの姿。小さなテントの前でじっと炎を見つめている。彼の心はどこに向って
いるのだろう。通常チベット人は1ヶ月程滞在し12〜13回コルラするとい
う。ほぼ1日おきということだ。そして人によってはその後キャンチャで回っ
たり中には長期に滞在し108回コルラする人のいるという。胸が熱くなる。
僕の想いに彼らに通じるものがあるだろうか。そのつもりだ。生まれ育った環
境や道筋は違えども、向うところは同じ。自分の道を精一杯に歩いているつも
りなのだが。
にぎやかさの中にも静寂の空間の点在する街タルチェンの暮れ、それは僕の魂
の琴線に触れるものだった。

7月21日 マパム・ユムツォ(湖) コルラ1日目
タルチェンに別れを告げ、マパム・ユムツォ(マナサロワール)巡礼の基点チ
ュウ・ゴンパに向う。午後1時、5日分の食料、キャンプ道具一式を持って巡
礼を開始する。チュウ・ゴンパから眺めたマパム・ユムツォは青々と輝いてい
る。それはこのコルラがきっと味わい深いものになると予感させるものだった。
それにしても大きい。1周が100〜110Km。九州の地で100kmウォ
ークを主催して13年になるが、これは究極の100kmウォークといえるか
もしれない。タルチェンを去る時、インドの女性がずっと僕のことを見つめて
いたのを思い出す。もしかしたら彼女とは何か縁(それは過去か未来か分から
ないが)があるかもしれないと思い写真と撮らせてもらった。
チュウ・ゴンパを出発して間もなく反対にまわってくるインドの老婦人に出会
った。彼女はネパールのポーターを3人供に連れていた。彼らと「ナマステ」
とあいさつを交わす。すると僕の荷を見て通じるものが驚いたのかコルラする
者への共感なのか、僕にお布施をしてくれたのだ。国も宗教も貧富も超えて通
じるものがあったのかもしれない。マパム・ユムツォのコルラはこうして暖か
くいざなわれるようにに始まった。湖岸沿いを約15km歩き、午後6時半、
ランプナ・ゴンパの近くにキャンプする。

7月22日 マパム・ユムツォ(湖) コルラ2日目
      ランプナ・ゴンパ→セラルン・ゴンパ
キャンプ地を午前10時に出る。湖岸はブヨが多く、また今日は湖へ注ぐ川の
渡渉があるので300m程内陸を歩いてゆく。心地良い草原がしばらく続く。
やがて内陸にも小さな湖が現れ、湿地帯となる。すさまじいブヨの数である。
優美のイライラ度はどうやらブヨの数に比例してようだ。ゆるい流れの膝まで
の深さの川を渡渉し再び湖岸沿いを進む。ようやくブヨが姿を消した。疲れが
たまってきたところで午後5時半、セラルン・ゴンパの先のテントを張る。こ
こはとても気分のよいところ。設営が終わるとさっそく湖の中に入ってみる。
この湖水で体を洗い、この水を飲む。この水が僕らを癒してくれる。出発点の
チュウ・ゴンパは遠くからみても顕著な三角の岩山の上にある。ここから見る
とまだ残りの方が圧倒的に長い。歩くにつれ刻々と景観が変化してゆくカン・
リンポチェのコルラと異なり、このコルラはずっと湖岸沿いだ。しかし、ブヨ
の襲来や川の渡渉、そして光によって色の変わる湖や寄せる波、吹きあれる風
など味わいは豊富だ。特に夕暮れの空の色の変化は一日の疲れをなんなく吹き
消してしまう程のものだ。陽が沈むにつれ、まず左手のナム・ナニ峰が紅く染
まる。そして次はチベット特有の低い雲たちに舞台がうつる。北や南の雲が鮮
やかに色づき、東の雲、そして最後に西の雲に舞台が移って天の劇団のショー
が終わる。と思いきや今度は東の山並から月が姿を表わしてくる。カン・リン
ポチェで「グゥー」と内に向って集ってきたエネルギーが、ここでは「じんわ
り」と広がって現れてくるようだ。満ち足りた心地で寝袋に入る。

7月23日 マパム・ユムツォ(湖) コルラ3日目
セラルン・ゴンパ→トゥゴ・ゴンパ(6km手前)
カン・リンポチェから連続行動の疲れがでてきたこともあり、朝をゆっくり過
ごす。優美にとってもかなりハードな旅となってしまったが、彼女は不思議な
力を持っている。彼女がいると自然への扉、目に見えない世界への扉がより開
かれてくる気がするのだ。二人でコルラすることにきっと何か意味があるに違
いない。11時半パッキングを終え歩き始める。しばらくは湖岸沿いの歩きや
すい道が続く。
誰もいない。太陽の光にマパム・ユムツォがキラキラと輝く。湖面では水鳥た
ちが楽しそうに群れ飛ぶ。時間がとまってしまったような感じ。一歩一歩、た
だ50分程歩いた頃に感じる肉体的な疲れ具合いが時間の単位。そしてゆった
りと休む。そしてまた歩きはじめる。6時間ほど歩いたところ大きな川の渡渉。
濁流で流れが速く、腰まで浸かるかなり神経を使う渡渉だった。同じようなリ
ズムの中にこういった渡渉がアクセントをそえる。(と気軽に言えるほどラク
なものではなかったのだが・・)
二人ともかなり疲れが出てきたが、そこからさらに一時間半歩き午後7時半、
静かな水辺にテントを張る。この夜も空の光りの祭典に目を奪われる。

7月24日 マパム・ユムツォ(湖) コルラ4日目
      トゥゴ・ゴンパ(6km手前)→ゴツク・ゴンパ
       →チゥウ・ゴンパ(5km)手前
午前9時過ぎ歩きはじめる。トゥゴ・ゴンパでお参りをし、またブヨの多い湿
地をを回りこんでゆく。ここまで来てようやく出発点のチュウ・ゴンパに向っ
て近づいてゆく感じがしてきた。このあたりからのマパム・ユムツォは深い緑
色。じっくり歩いてきた湖岸を目でだどってみる。見覚えのある地形の一つ一
つが自分たちの歩きぶりを思い出させる。よくここまで歩いてきたもんだ。こ
こを初めて歩いた人はどんな気持ちであっただろう。ひたすら頑張って歩いた
のだろうか。それとも時折、波や音や風を感じ、湖の輝きや夕暮れの空模様に
心奪われて歩いたのだろうか。もちろんこの湖を一つの地から眺めるだけでも
良いものかもしれない。しかし周りを歩いてゆくことでよりこのマパム・ユム
ツォに深く交わることができるように思う。このエネルギーは充たされ、そし
て癒されてゆく気がするのだ。ともあれ肉体的には重荷と連続移動でけっこう
疲れがたまってきた。無理をすれば今日中にチュウ・ゴンパにもどることも可
能だがそれなコルラをするつもりはない。もうチュウ・ゴンパの5kmほど手
前までとし、ゆっくりじっくり歩き続ける。崖が終わり湖岸が左に開けてきた。
心地良い風が西から吹きつけてくる。すると南の前方の雲が晴れ、なんと前方
にカン・リンポチェが姿を見せている。夕暮れ間近の強い西陽に照らされ、ま
るで僕らを祝福してくれるかのように丘の向こうに浮かんでいる。歓喜の言葉
が口から溢れる。「お、お・・・、お、お・・・!」それ以上はは言葉になら
ない。この瞬間を共有していることにはるかこの地に二人でやってきたことの
必然を知る。

7月25日 マパム・ユムツォ(湖) コルラ5日目
      チゥウ・ゴンパ(5km)手前→チゥウ・ゴンパ
コルラ最後の1日を湖岸でゆっくりと過ごし、お昼前キャンプ地を出発。午後
1時15分、チュウ・ゴンパに到着。4泊5日のマパム・ユムツォのコルラを
終えた。この10日間急ぎ過ぎたり、早過ぎたりすると僕はすぐに調子をくず
してしまった。早すぎず急ぎ過ぎず、ゆったりと大地と空と風と水と交感、交
流しながら歩んでいく。一歩一歩。一呼吸一呼吸。ただそれだけのこと。しか
しその中に深い「心の世界」があることを知った。聖なる地での一歩一歩の完
結する歩みを通して外なる「アニマ」に呼応、触媒され内なる「アニマ」が静
かに高まってゆく。「歩く」という行為を介在として。
カン・リンポチェとマパム・ユムツォ。この地への旅は僕を新しい世界(次元)
へ導くものである気がする。それは優美にとっても同じことだろう。
旅はまだまだ続く。
いやまさに新しい旅がようやく始まったように思う。
(戸高雅史)