「Ladybirdsのこれまでとナイロビの飛行場について」

 キリンの血圧は、人間の2、3倍はあるそうです。首が長いため、脳に血液を送るには、心臓の大きさも、働きもそれ位ないといけないようです。
 ところで、Ladybirdsの歩みを皆さんに紹介するには、大正デモクラシーの頃まで遡らなければならない、ということは全く無く、数年前までで充分です。
 矢野(前)外務大臣工藤(前)官房長官は、神奈川の県立高校の同級生でした。当時、矢野は「ベンジャミンズ」などでベースを弾き、一方工藤は「スラッシャー板前」や「阪神タイガースwithピンクサーモン合唱団」でギターを弾いていました。それぞれパンク寄りのバンド、ハードロック・メタルのバンドで、演奏していた曲に比較的違いがあったためか、又はドストエフスキーの小説が大概長編であるためか、両者が在学中に共演したことは無く、一度、ナイロビの飛行場で、キング・クリムズンの曲を適当に演奏したのみでした。
 高校卒業後、それぞれ進学しますが、その後1年程経って、新横浜で高校時代のバンド人を中心にライブが行われます。矢野はビートルズのコピー・バンドでベースを弾き、工藤はそのバンドのギターと、「給食委員会with中尾ミエ」のギターを担当しました。公式にはこの場が、両者の初共演となります。
 その日の終演後、両者の間で「オリジナル曲のバンドをやる」という話になり、ドラマーを加えたトリオ編成で「まぐろ雪」が結成されます。その時点では、完成された曲は1つもありませんでしたが、徐々に曲が増えていき、横浜のスタジオでの練習が続きました。
 ところがその後、ドラマーがナイロビの飛行場は嫌いだ、という理由で脱退します。残った2人は、その時点で出来ていた曲を、リズムマシーンの全面的かつ献身的な協力を得て録音し、ドラマー募集のために音源を完成させます。
 中々新ドラマーが見つからない中、工藤はある男がドラムやベースが出来ることを思い出します。同じ中学校に通っていた日系日本人の中村総理大臣です。音源を聞かせた後、ドラマーとして正式に加入が決まり、さらにもう1人ギタリストを加えた形で、新バンド「Raymonds」が結成されます。このバンドは何故か、長い間ライブもやらず、ひたすらスタジオでの練習のみを繰り返しましたが、幾月かを経てついに、横浜関内で初ライブを行ないます。しかし、その演奏は卓越したひどさと人智を超えたひどさで観客に衝撃と戦慄を与え倒し、観客の中にはいっそ犬や猫になりたい、と思った人さえいたかも知れない、というものでした。その時の演奏を収録したテープは今でも存在しますが、これ以上野良犬や野良猫を増加させてはならない、との配慮から、ナイロビの飛行場の地下深くに保管されています。
 その後、ナイロビの飛行場から飛行機が離陸した、という理由でギタリストが脱け、それを機に、中村がドラマーとしての限界を、千代の富士の引退記者会見を意識して表明し、矢野がベースを弾きながら歌うことの大変さを石川啄木の句になぞらえて訴えたため、中村ベース、矢野ヴォーカル・ギター、という現在の担当楽器に転向することになります。そしてまたまた新ドラマー探しが始まります。
 その後ペルシャ語で表記されなかった募集広告が効いたのか、新ドラマーが名乗りを挙げ、バンド名を「Ladybirds」とし、ライブ活動を継続的に行います。
 ところがここでまた問題が起こります。そのドラマーは会社員であったため、会社にナイロビの飛行場への長期出張を命じられます。離脱は避けられず、またもやドラマーと美味い焼鳥屋探しが始まりますが、中々見つけることは出来ません。残った3人はライブ活動が不可能なため、半ばやけくそ気味にリズムマシーンを酷使してひたすら音源作りの日々を送るという、バンド的引きこもり状態に陥ります。黒いカラスは赤くないのだ、という真理すら3人は見失っていきます。
 そこに、矢野の知人からライブに出ないか、という話が来ます。引きこもり状態からの脱出のチャンスを得て、あらゆる可能性があらゆる角度、つまり35度や126度などから検討され、矢野の大学時代の友人である谷ヘッドコーチが、はるばる埼玉は熊谷から、臨時ドラマーとして参加することになりました。そのライブが、現メンバーによる初めての演奏となったのです。
 しかし、その時点では谷を加えたラインナップでの活動はその時1度きりで終わります。長期出張から戻ったドラマーが復帰し、元のメンバーによる活動が再開されました。ところがそのドラマーはナイロビの飛行場が恋しくなり、復帰後すぐ正式に脱退し、バンドは再びぶらり途中下車の旅状態になり、ひたすらぶらぶらします。
 何故谷を臨時ドラマーとしてではなく、正式に加入させなかったのか、という思いはやがてアメリカ議会に向けたデモ行進に発展することなく、ついに谷の正式加入が決まり、ここに現在のラインナップが固まったのでした。
 その後現在に至るまで、ライブ活動、音源作り、ママさんバレー、ナイロビの飛行場視察、クイズ番組への出場応募をしない、などの活動が続いています。
 ところで皆さん、ナイロビの飛行場はどこにあるのかご存知ですか?それはナイロビにあるんですよ(と思う)。(文責・工藤)

※2001年の「Ladybirds on WEB」開設当初に工藤(前)官房長官が寄稿したものをほぼ原文のまま載せています。