現代に生きる 宮本武蔵「五輪書」 文・落合冬至
序の巻
万事において我に師匠なしと記している如く、朝夕の鍛錬により、おのずから兵法の道に出会う事ができるのである。即ち他人に教わる事ではなく、鍛錬の結果、自然に身に付いたものである。「五輪書」はこの理念で最後まで貫かれている。現代においては、スポーツ、芸術芸事の修行、経済活動等に参考になるであろう。例えばあきないの道においても、その身々々のかせぎ、その利をもって世わたる也。の如く健全な経営方法を記している。
地の巻
世の中をみるに、諸芸をうり物にしたて、我身をうり物のやうに思い、諸道具につけてもうり物にこしらう心、花実の二ッにして、花よりもみのすくなき所なり。即ち上辺のみ、飾り立て、中身は空虚である。これを売り物にして、教える方も、習う方も、損得におぼれている。これでは実戦の兵法に役に立たない。足が地に付いていないのである。嘘と実の見極めが大切である。これを体得すれば、応用能力即ち一事を見て万事を知る事ができるのである。
水の巻
みずを本として心を水になる也。水は方円のうつわものに随ひ、一てきと也。さうかいとなる。ここでは固定観念を取り除き、如何なる状況においても、瞬時に対応できる事を述べている。例えば、構えありて構えなしと言うことは、固定した構えを常用すれば、戦術を読まれてしまうので、状況に応じ、変化しながらの対処も必要になってくる。この場合、客観的判断のために、常の心に替る事なかれと説いている。
火の巻
敵山と思はば海としかけ、海と思はば山としかくる心 同じ事の繰り返しでは、効果はない。事は進展しないのである。予想外の事を行うのも重要である。大きなる所は見えやすし。ちいさき所は見えがたし。予想外の事は見え難いので、相手の手の内を瞬時に見抜く鍛錬も必要である。これは教えて教えられるものでなく、自らの努力で得るものである。わが気を振捨て、物毎をあたらしくはじむる心 固定観念はすて、常に創意工夫に心掛けて、石火の如く対処するのが重要である。
風の巻
むかしより大は小をかなへるといへば、むざと長きをきらふにあらず、長きとかたよる心をきらふ儀也。長い太刀を嫌うわけではなく、単純に「長ければ良い」と言う偏った考え方を嫌うのである。又とりわけて目をつけむとしては、まぎるゝ心ありて、兵法のやまひと云物になるなり。 多くの方法に気を取られて、それに迷わされて、兵法の欠点になる。その道に熟達すれば、迷う事はない。目先の事ばかりに、囚われない心の重要性を強調しているのである。
空の巻
道理を得ては道理をはなれ、兵法の道に自由ありて、おのれと奇特を得 一つの道理に拘る事無く相手の状態に応じて自由に、瞬時に対処する事、これが「空の道理」である。空を道とし、道を空と見る所也 雑念の無い心、これが「空」であり、無限の修行、これが「道」である。
現代においては、経済と結びつけて考えると、経済力の強さと、勝負強さとは、必ずしも一致しない。ハングリー精神等はその例である。又経済一辺倒では、その歪がでてしまう。実の道を極めざれば、小(すこし)心のゆがみに付て、後には大きにゆがむもの也。ここに 剣一通にしては、まことの道を得がたし。が生きてくる。倫理、教育、経済、公害等に多くの歪みがでてしまうのである。武蔵の道理は個人ばかりでなく、社会にも通用している。
武蔵の前半生は、戦乱の時代、後半生は平穏な時代、この後半の人生に「画人」としての優れた作品を残している。剣人でなければ出来ない筆さばきは見る者を圧倒する。国宝としての価値有る存在である。
「五輪書」は飽く迄も勝つことを目的として書かれている。一言でいえば「心技一体」の兵法論である。又海を越えて、欧米でも英訳されて広く読まれている。この背景には空手や柔道等の人気、禅や武士道等への関心もある。武蔵は「サムライ」の代表格であろう。