マサツの必要性
マサツというと日米貿易摩擦とか乾布摩擦とかぐらいしか普通思い浮かばないが、ここで言っているのは人生における摩擦のことである(いきなり大上段)。
車はガソリンで走るのです。というCMが昔あったように思うが、実はそうではない。車は路面とタイヤの摩擦力でもって走る。タイヤや路面がつるつるだったらスリップしまくりでまともに走らない。一方、摩擦がありすぎてもタイヤは減るは、ガソリンは食うは、いいことがない。真夏にスタッドレスで、焼けついたアスファルトの道をぶっとばすがごとし。
適度な摩擦でもって車が動くように、人生にもある程度の摩擦が必要ではある。はやい話、人生のあらゆることがなにもかも順調だったら、ある日突然なにもかも空しくなって自殺したくならないだろうか?
だからといって毎日毎日が摩擦だらけだったら、苦悩のあまり胃に穴は開く、眉間にシワが寄る、これまた人生まっくら。それゆえ、あるていど本人が耐えきれる、ほどほどの摩擦である必要がある。もっとも世の中そう都合良くはいかないのが現実だ。
摩擦には自分で選べる摩擦と、選べない摩擦つまりいやおうなく発生する摩擦がある。選べない摩擦が多い、ともし貴方が感じるようだったら、少し自分の行動スタイルとか、生きていくための環境とかについて考えてみたほうがいいのかもしれない。むろん、摩擦に慣れてしまって自分にとっては一見あってなきがごとくになってる場合もあるのだが、そういうヤツは肝臓に食らったボディーブローのようにじわじわっとあとから効いてくる場合があるので要注意である。
どちらかというと選べる摩擦のほうが多いという場合は、その摩擦の質と量についてつねにチェックしておく必要がある。簡単な例を挙げれば、それは自分の担当している仕事の量とかレベルの問題である。能力に応じた適切な仕事量じゃないと体がパンクしたり、逆に自分は実は「窓際」ではないかと感じて鬱になったりする。
現代においては結婚も「選べる摩擦」の一種だろう。でも、自分でうまく折り合いをつけられないパートナーをもつと、摩擦過剰のために自分がスタッドレスタイヤのようにすり減ってしまうかも。いちばんいいのは愛し続けることができると自分で確信をもてるパートナーでしょうね。相手に愛された場合には、その愛が冷えたらどうにもなりません。まあ、これは余談。
若い人々の中には、あまりにも人生の摩擦が不足しすぎてそのために自分がまさに「空回り」しているような感じがしている人がけっこういるのではないかと思う。猿岩石のヒッチハイクがウケたのもそのあたりが主要な理由ではないだろうか。だったら、自分の能力にあった摩擦を見つけることが大切だ。ようするに「楽しめつつも、苦しめる」モノや「楽しませてくれつつ苦しめてくれる」相手を探すのだ。
プレステなどのビデオゲームにのめりこんでいる人を見るとよくわかるが、彼らは苦しみつつ楽しんでいる。わざわざやりくいこと、難しいことに挑戦して、それを乗り超えるときの快感を得ようとして頑張る。
ビデオゲームの欠点は「積み重ね」がきかないことだ。以前やったゲームでつちかった経験は、新しいゲームではまったく役に立たないし、また役に立つようではそもそもゲームの面白みが半減する。だが、シミュレーションではない現実の生活においては経験の積み重ねによってより大きな果実を得ることができる場合もけっこうあるのだから、そのあたりは仮想世界と現実世界へのエネルギーのそそぎかたにもバランスをとったほうがよかろうと思う。ストレス解消法としてはビデオゲームもそう悪くないとは思いますけどね。
苦しくないものは楽しくないし、楽しくないものは苦しくない。自分がなにもしないで楽しいことが一方的に降ってくるなんてことはまず有り得ない、それが世の中の大原則なのだ。学生さんたちも社会に出る前にそのことがわかったなら、たいしたものだろうと思うが、そんな原則なんて聞いたことないねという顔をしている子が現実には多い。偏見だろうか。
ただし、苦しいことは一方的に降ってくることもある。そこのところをうまく処理しきれずにいっきに「切れて」しまったりする子がいるのはやはり適度なマサツというものを経験していないせいかなとも思う。理想を言えばどんな苦しみがやってきてもそれを楽しめるようになるのがいいのだろうが、さすがにそんな人生の達人が存在するとも思えない。
ともあれ、角之進さんが歌うように「人生楽ありゃ苦もある」のではなくて、「人生苦楽が同時にある」のだ。できれば適切な苦楽にめぐりあい、あるいは選びたいと思う。
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