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「オペラを聴くコツ バレエを観るツボ」(加藤浩子/守山実花:著)へのニッチな疑問


                                                  碓井央



はじめに


 この「オペラを聴くコツ バレエを観るツボ」(加藤浩子+守山実花著,学習研究社)という本を買うに至ったのは単純な理由で、この本のオビにまず「オペラ&バレエのあれこれを人気絶頂、女性評論家2人が語りつくします!」とあり、さらに「オペラはなぜ死にそうでも歌い続けるか…? バレエはどうしてピチピチ白タイツなのか…? オペラの謎、バレエの不思議を解きほぐす!」などというなかなかに画期的な文言が書いてあったからです。それというのも、長年クラシックバレエの表現形式における「謎」についていろいろと考察を重ねてきた私ですが、「バレエはどうしてピチピチ白タイツなのか?」などという過激な言い回しでこの問いに正面から答えようとなどいう本はこれまで見たことがなかったので、思わず注目したのです。で、購入してみたわけなのでありますが……まあ、そこでその該当項目での文章(対談形式)の内容についてなんというかある種の感慨のようなものを覚えたわけです。とりあえず、注目度が高かった「なぜ男性ダンサーは白タイツなのか?」「女性の衣装なぜチュチュか?」という文章について、順に引用しながら考察してみたいと思います。



なぜ男性ダンサーは白タイツなのか?(本文 p96-97)


──バレエというと、男性のタイツ姿を思い浮かべてしまって、それがどうしてもひっかかる、という方もいらっしゃるんじゃないでしょうか?

加藤 私ね、ダメなんですよ、あの白タイツ(笑)。あんまり美しいとは思えないんだな。なんであんなに全部出さなきゃいけないの? って思ってしまう(笑)。

守山 昔は履(ママ)いてたんですよ(笑)。20世紀のアタマくらいは、かぼちゃパンツみたいなのを上に。で、どうもニジンスキーが帝室劇場を首になったのは、履かないで舞台に出ちゃったのが理由だというのを何かで読んだことがあります(笑)。

 ここのやりとりは要するに男性ダンサーの白タイツが男性固有の器官の形状を強調してしまうという機構について語っているものと思われます。かぼちゃパンツ(キュロット)を穿いていた(ちなみに『履』いていたという字のあてかたはおかしい。履くというのは履物という言葉があるとおり、靴や草履などに対する字である)という話をわざわざ守山さんが出しているわけだから、これは間違いないところでしょう。

加藤 へえ、そうなんですか。あれはやっぱりちゃんと見せるためですか?

 この加藤さんのツッコミ、とりようによってはなかなか大胆ではあります。つまり局部を見せるためなのかと問いかけているともとれます。

守山 そうです。筋肉の動きとかを全部見せるためにはタイツの上に何も履いてない方がいいわけですよ。特に後ろのお尻の部分は。あの、ダンサーってお尻から脚じゃないですか?

 ここで守山さんは「ダンサーってお尻から脚じゃないですか?」と言っています。これは言葉を補完して解釈するなら、「ダンサーの美しさってお尻から脚に重要なポイントがあるじゃないですか?」というところでしょう。

加藤 お尻から脚ですか?

守山 要するにお尻も右と左にあって(笑)、そこからもこう分かれていて。こう……。

加藤 ああ、分かれてますね(笑)

 ここらへん、なんとも意味不明な感じですが、要は守山さんがダンサーのお尻と脚のイメージを身振りで表現しているのでしょう。ただ、逆に言うと、こういう一見意味がとりにくい言葉が出てくるところに、彼女が言葉では伝わりにくいニュアンスをなんとか表現しようと苦心している様子がうかがえます。お尻が右と左に分かれてるのは当たり前の話だもんねえ。

守山 つまり腿から下だけではなくて、お尻から全部使ってるってことなんですよ。そうなると、余計なものがない方が踊りやすいでしょ。やっぱり脚をパーッと開いたときの一直線の感じとか、かぼちゃパンツなんて履いていたらわかりませんし(笑)。

 前半の二つのセンテンスでは、「お尻も使っているから、お尻を覆うものがない方が踊りやすい」と言っています。ところが後半では、「お尻と一体となっている脚の輪郭が、かぼちゃパンツなどをはいていると損なわれる」と言っている。「踊りやすさ」と、「お尻を含んだ脚線の美しさ」が述べられているのですが、この両者にはとくに因果関係はありません。ただ、どちらも「お尻を覆うものがない」ことによって得られるメリットであるという共通点はあるのですが……。

 でも、キュロットがない方が踊りやすいなんてことは実はあり得ないですね。キュロットをはいていると脚が開かない? ジャンプができない? 回転ができない? そんなことはないと思います。レッスンのときにキュロットのようなズボンをはくことだってある。だいたい、「海賊」のアリなんてキュロットよりもっと裾の長いゆるゆるの長ズボンをはいてすごい激しい動きで踊ってるじゃないの(ちなみに私が見たアリはキーロフのファルフ・ルジマートフ。ただしビデオ)。だから、動きやすさとタイツ丸出しってのは関係ないです。

加藤 まあ確かに。

守山 19世紀はまだパンツを履いたんですけれど、それはあの時代の王子は踊らなくてよかったから。踊る役はキャラクテールにまかせて、王子はダンスール・ノーブルっていうんですけど、ノーブルな人は動かないで(笑)、お芝居と女性を支えるエスコート担当。だから当時は40〜50際のおじさんでも王子をやっていたりしたんです。

加藤 へぇ。

 この辺は面白かったですね。昔は王子は踊らなくてよかったんですな。

守山 でもだんだん作品が変わってきたり、ダンサーも王子役でもキャラクテール並に踊る人が出てくると、王子だろうがキャラクテールだろうが、どんどん踊るわけですね。今水泳でも男の人は総タイツでしょ? 水の抵抗が少ない方がいいから。体操だって…。

 ちょっとマテ。何?「今水泳でも男の人は総タイツでしょ?」うそや。それはうそや。水泳じゃなくて、スピードスケートの言い間違いでしょ、守山さん。編集さんもこのへんちゃんとチェックしてくださいよ。いくらなんでも、総タイツのスイマーなんて聞いたことないぞ。

 それに、水の抵抗と空気抵抗を一緒にしないで下さいよ。それは大槻先生あたりに噛みつかれますぞ。まあ、仮にスピードスケートのつもりで言ってたとしても、スケーターが受ける空気抵抗と踊ってるダンサーの空気抵抗を一緒にしては問題がありますよ。スピードスケートって時速50キロ以上出るんですよ? それに、むしろバレエよりよっぽど空気抵抗の問題がありそうなフィギュアスケート男子は、ズボン姿で滑って(踊って?)たりしますよ? 空気抵抗軽減のためなら、いっそフィギュア男子にも白タイツをはいてもらったほうがいいってことにならないですか?

加藤 うんうん。

 うんうんってアンタ……。

守山 やっぱり近いものがあるし、だから結局ね、スポーツに近いと思うんですよ、そういう意味では。余計なものがない方が踊りやすい!

加藤 確かに。

守山 まあ、上着が重厚であればあるほど、下がタイツだと不自然、っていうのは判るんですけれどね。履きわすれちゃったみたいで(笑)。だからそうですね、男性のタイツ姿が乗り越えられるかどうかが、バレエ・ファンになれるかどうかのポイントかもしれませんね(笑)。

 守山さんは、タイツをはかなくてはいけない理由として「踊りやすさ、スポーツ的な激しい動きに適応する必要性」という点をやたらと強調しています。でも、守山さんは前半に自分でモロに言ってしまっている。「ダンサーってお尻から脚じゃないですか?」これこそが、この一連の文章の中での真実の言葉ではないかとわたしは思う。「踊りやすさ」という面で下半身がタイツだけになってしまったという理屈は残念ながらあまりにも牽強付会の感をまぬがれない。キュロットをはこうがズボンをはこうが、クラシックの動きが損ねられるということはない(そりゃオフィス用スーツのズボンじゃ無理でしょうが、でも尻の周辺にゆとりがあれば問題ないだろう)。

 だから、そんな理屈なんかつけなくても、こう言ってしまえばいいのである。「わたしは王子様の白タイツのお尻や脚を観たくてタマラないんですう!」と。そして、この心の叫びを共有できるか否かが本当の意味での「バレエ・ファンになれるかどうかのポイント」なのだと。いや、まああくまでポイントのひとつですよ? one of them ですはい。

 むろん守山さんがそういう魂の叫びをお持ちかどうかは定かではない。ただ、後半、あいづちを打つだけの加藤さんの反応がなんとなく、「よしよし、そんなにムキにならんでもだいじょうぶよ」と言っているかのようで、わたしとしてはなんとなく胸の中に生暖かいものを感じてしまったのは確かです。守山さん、「余計なエクスキューズがないほうが語りやすい!」かもですぞ?


女性の衣装はなぜチュチュか?(本文 p98-99)


──眠れる森の美女などを見ると、まわりは豪華なドレスを着ているのに、主役のお姫様は脚出しのチュチュ姿ですよ。これもやっぱり……。

守山 踊るためですね、やっぱり。その点は男性のタイツと一緒です。『眠れる森の美女』や『白鳥の湖』なんかで着ているチュチュは、クラシック・チュチュといって、脚を全部出した短い…まあバレエといってイメージする衣装ですよね。でも『ジゼル』とか、いわゆるロマンティック・バレエはロマンティック・チュチュという、長いチュチュを着ているんです。それは踊りの型がどちらかといえば、腕とか身体とか上半身の動きだからなんです。身体もまっすぐ立っていなくてちょっと傾いているんです。それが19世紀の終りになってプティパが出てくると、まっすぐ立つようになって、もっと大きな動きができるようになるんですね。そうすると踊りの型も脚を上げたり開いたり、それから回ったりと、より脚の動きをたくさん見せるように変わってきたので、もう短くしちゃいましょうと。まぁある程度、男性サービスの部分もあったんだと思うんですけど(笑)。

加藤 なるほど。

 ここで守山さんはクラシックチュチュの形状については、男性のタイツと同じだと言っています。ということは、「踊りやすさ」に理由があるということです。ただ、「脚の動きをたくさん見せるようにかわってきたので」スカートを短くしたというのは、「踊りやすさ」よりはむしろ「どう見せるか」という演出上の理由のように思えます。しかも、ある程度「男性サービスの部分もあった」とも付け加えていますから、その意味だと解釈していいはずです。にもかかわらずしょっぱなには「踊るため」と言っているので、どうも、このあたり混乱を招きそうな文脈ではあります。

守山 ただ、それでも昔はそんなに脚を上げなかったんですよ。今は全部めくれて中が見えちゃうくらい脚を上げるでしょ? テクニック的にも上がるようになったから。でも昔は中を見せるっていうのはやりすぎ。

加藤 へぇ。

守山 やりすぎというか、下品と思われていたんですよね。ガバーっと見せちゃうのが(笑)

 ここで守山さんは重要なことを言っています。「昔は中を見せるっていうのはやりすぎ」「やりすぎというか、下品と思われていた」この言葉を裏返すと、スカートの中を見せるのは、現代においては別にやりすぎでも下品でもないということになります。つまりそういったコンセンサスがバレエ界には形成されているており、バレエという表現のひとつとして受け容れられているわけです。しかし、前の文で「男性サービスの部分もあった」ということと結びつけて考えると、どういうことになるのか判然としません。チュチュのスカートを短くしてガバーッと見せることは、バレエの表現として、性的な意味合いを含んでいるのでしょうか、そうではないのでしょうか。

守山 それにチュチュ自体も、衣装として本当はそこまで挙(ママ)げることを想定していないんですよ。あんまり上げるとスカートの部分がよれちゃって、それは美しくない。だから新しい作品はスカートがついてない場合が多いですよね。総タイツとかレオタードとか。あとは逆に、今は生地もよくなっているので、踊るときに邪魔にならないしシワにもならなっていうことで、膝下くらいの少し長めのスカートにしている作品もありますね。

加藤 ふーん。

守山 『椿姫』や『ロミオとジュリエット』『マノン』みたいな演劇的な作品だと、ロングではないけど、膝下すこし長めのスカートにしてますね。なので、バレエの衣装は男性にしろ女性にしろ、踊るためにはどうか、見せるためにはどうか、ということが第一ってことですね。

 「チュチュ自体も衣装としては本当はそこまで(脚を)上げることを想定していない」というのは、明らかにロマンティック・チュチュのことを指しているのでしょう。クラシック・チュチュでは脚を上げてスカートが縒れるということはないからです。しかし、冒頭の流れからいえば、ここで話題になっているのはクラシック・チュチュの独特の形状であるはずなのに、どうも話をそこから遠ざけているのではないかという印象を受けます。

 裾長のロマンティック・チュチュが、踊りやすさや美しさ(見映え)の点で現代の技法に適していないのは判りますが、だったらその論法をクラシック・チュチュに適用するとどうなるのか、ということについては述べられていません。それに触れずに「だから新しい作品はスカートがついてない場合が多い」というのは強引でしょう。

 最後の「演劇的な作品は、ロマンティック・チュチュよりすこし丈が短いタイプの衣装を使う」という話は、現代のバレエが進展している環境においては「踊りにくく、美しくない」ロマンティックチュチュに、改良が加えられたという話です。でも、それはクラシック・チュチュの特異性とはまったく別の話です。それならば、演劇的ではない作品でクラシック・チュチュを使われ続けるのはなぜなのか。あるいは、もっと突き詰めて、クラシック・チュチュを使うということは作品演出上どういう意味があるのか。このあたりをもっと突っ込んで説明していただきたいと感じました。


おわりに


 わたしとしてはこの本は、女性バレエファンの心理というか、心の襞を垣間見る資料として非常に役に立った本でした。対談というのはセリフの固まりですから、そのセリフの向こう側にある心を読むというのは、ある意味小説を読んでいるのに近い楽しさというのがあるわけです。守山さんのバレエ評論家としての知性とその裏側に潜む熱いモノが両方ないまぜになっているところが見えたのはよかった。まあ、わたしのような者に勝手に想像されるのは迷惑かもしれませんが。あと念のためですが、この文章では本の内容に対して悪意を込めて語っているわけではけしてないということは、守山さんもしくは守山さんの支持者に対して申し述べておきます(まあ予防線ととられても仕方ないけど)。



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