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研究所日誌(2007年10月)

この日誌も含めたご意見ご感想などは[この場所]でどうぞ。

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2007/10/02(火)

21:33

 5年振りぐらいに風邪を引きました。ちなみに風邪薬を出してみたら使用期限が2002年でした。おかげさまでいろいろと大変なことになりましたが、だいたい一日で峠を越えたようです。昔は風邪を引くと直りきるまでに3〜4日は必要だったものですが。もしかすると昔に較べると免疫力は上がってるのかしら。結局薬も使わなかったしね。

 ところで急激に話は変わりますが、かつて「マルチメディア」という言葉が盛んに用いられることがありました。だいたいこのマルチメディアのキーポイントは二つあって、ひとつは双方向性、もうひとつは異なるタイプの情報の混在を許容するという点にありました。いまとなってはネット上の世界はその柔軟なアクセサビリティと情報のバリエーションの豊富さ、規模の巨大さという点ではまさにマルチメディアシステムそのものだと言えるでしょう。つまり、ある意味ではマルチメディアはすでに具体的な「実体」を持ってしまったために、言葉としてはあまり意味をもたなくなってしまったわけです。

 マルチメディアという言葉が最初に出てきた頃には、実はマルチメディアが具体的にどのようなものになるか見えていませんでした。したがって、人々のマルチメディアという言葉に対するイメージもバラバラであっただろうと思います。早い話、CD-ROMドライブが内蔵されているパソコンがマルチメディアパソコンとか呼ばれてましたから。CDぐらいでマルチでもなんでもないだろという感じですが、ただ、このころからQuickTime(Appleの動画符号化・再生技術)のような技術が発展しつつありましたので、いまの動画コンテンツ全盛期の予兆はすでにあったわけです。

 ただ、マルチメディアの実体がない頃のあの混乱というか曖昧な雰囲気というか、業界も研究者もどういう方向を目指したらいいもんだか分からないような気分というのは振り返ってみると、まさに黎明期というのは「ぐだぐだ」なものだなあと思う次第です。いろいろなシステムが提案されては消滅し、したり顔した連中に踊らされて大損こいたケースもけっこうあったでしょう。栄枯盛衰夢ならず。滅びた者に対してはもう誰も振り返ってはくれません。

 マルチメディア以前のキーワードとして「情報化社会」というのもあったんですよね。しかし、いまとなってはもうその中身についていろいろ議論するよりも、この社会状況をよく見てみ、というところです。しかし、問題はその次……つまり無数の情報と情報媒体が形成する網の目によって包み込まれた社会の中で個人という「情報媒体」がいかにして、その独自性を保つかということです。もはやヒトという生命体は多細胞生物の細胞のひとつのような存在になりかけているのかもしれないのです。結局、そこでは情報のフィルタリングが重要な役割を果たすとともに、個人対個人での情報のやり取りのありようがあらためて見直されなくてはならなくなるでしょう。情報とはinformationつまり「内部において形成されたもの」なのであり、最終的にはその出所はみなヒトなのです。ですが、わたしたちが日常において接する情報は、そのヒトが発する情報にいわばさまざまな添加物が入った状態にあるわけで、そこのところを認識するためにはナマの状態で仕入れた情報、すなわち「一次情報」に接する機会を、少なくとも一種の参照点としてもつ必要があると思います。そのためにはヒトのナマの声を聞きましょう。ですから素人のラジオもたまには聞いてみてね。単なる宣伝かよ。


2007/10/04(木)

23:55

 アナログ地上波放送が終わるとき、おそらくわたしはテレビを見なくなると思います。すでにテレビの必要性が極小に落ちてますので、いつでもやめられる用意はできている状態です。地震とかだって最近は2chをまっさきに見てしまう。だって、テレビより早いんだもん。テレビそのものはむろんなくなりはしないでしょう。けれども、その影響力はおそらくゆっくりと落ちていくでしょう。マス・コミュニケーションのありようも変わってゆくでしょう。

 ところで、東京のタクシー代が上がるんだそうですよ。大丈夫かね。お客、減らないですかね。たぶん、値上げの効果はけっしてタクシー業界側にはプラスにならないですよ。だって、地方じゃ値下がってるのですよ。わたしんとこの近辺だと、一割近く値下げして、迎車料金はゼロになってるし。運転手さんも「全然ダメ」っていう人多いしね。まあ一地方のことだけで断言はできませんが、タクシーの需要自体は絶対に下がってると思うんですがね。おそらくは、「回転率」が下がってると思いますよ。だからこそ経営的に苦しくなってるんでしょう。そこで収入を確保するために値上げ。でも需要が下がってるところに値上げしたら需要は確実に減るよね。まあ、答えは一、二年のうちに出るでしょう。

 ついでに身近な例なんですが、先日、近所のスーパーが改装したのですよ。この時期になんでそんなことするんだろうなと思ったのですが、そもそも改装っていったって商品の位置を変えただけなんですよ。その程度のことをなぜわざわざやるのか。こっちは慣れた配置のほうが買い物がやりやすいんだから、やめてくれよ、って本当は言いたいところなのです。で、すこし気づいたのですが、細かいところで商品の変更があるのね。たとえば納豆の種類がしぼられていました。7〜8種類あったのが半分ぐらいに。そして、見たこともないブランドの商品が「当店イチ押し」として多数並んでいました。これってもしかして大豆価格高騰が背景にありますかね? あとね、パスタの海外品が姿を消しましたよ。それどころか、国内の商品一種類だけになっちまった。なんだこりゃ。でも、あれなんだよね。いま、イタリア本国でもパスタって高くなってるらしいから。それに、基本的には小麦の価格が上がってるせいなのでしょうか。蕎麦食うようにしようかな。いずれにしても、スーパーとしては利益率が低い商売を極力なくしていこうとしていて、そのために商品を入れ替える。でも、それが目立たないように改装をしたのではないか、と思えるわけですよ。これ、そう的外れじゃないと思うんですがね。


2007/10/07(日)

23:15

 TBSラジオの「伊集院光 日曜日の秘密基地」を聞いていたら、日本への海外からの観光客の数はここ3年間で4割も増えたのだそうです。いろいろなパターンがあるらしいのですが、韓国からゴルフをしにくるとか、オーストラリアから北海道の倶知安へスキーをしに来る人が増えて、リゾート建設ブームで土地の価格が3割も上がったとか、その北海道が、「アジアのスイス」などといわれて台湾からの観光客を集めてるとか。いろいろ需要があるんですね。台湾では例の「白い恋人」の賞味期限切れ問題が新聞の一面で報じられたそうですよ。それだけ観光地としての関心が高いということらしい。あと、みやげ物屋として都内の100円ショップが受けてるとか。ガイド本まであるらしい。でも作ってるのは日本じゃないんですがね……でもまあ、日本用のものだからいいってことか。

 日本が観光立国としてやっていくのはなかなか簡単じゃなさそうな気もしますが、円安のいまのうちにどこどこと外貨を落としてもらうのも悪いことじゃないかもしれません。ただ、これからは中国の金持ちが日本に大量に来る時代になるような気がしますよね。かの地には総資産100万ドル、つまり邦貨にして一億円を超える資産をもってる人が500万人いるそうですよ。これだけでも相当な人数だよね。彼らがとりあえずいちばん手近な海外として、日本に行ってみようという気になるのは当然という気がしますな。しかも日本の大都市って、いろいろなものが何でもとりそろえられている見本市的な性格もあるしね。彼らのために高級品作って外貨稼ぐなんて時代も遠くないのかもしれません。なんかあんまりアレな世界ですが、いままでさんざん彼らの国から労働力を搾取してたわけですからな(中国製の安い商品の恩恵を受けるというかたちで)。因果応報と考えとけばそれもまたよしか。


2007/10/08(月)

23:40

 とりあえず今期スタートのアニメは「CLANNAD」と「みなみけ」を見た。原作を知ってるので、とりあえず絵と動きを楽しんだというところです。「CLANNAD」は渚の声(中原麻衣)がちょっと違和感あり。しかし聞いているうちに慣れるとは思いますが。もうすこし高いトーンの声だというイメージを持ってたんで。「この学校は好きですか」という最初のシーンはもうすこし時間をかけてもらえると良かったような気もします。きわめて重要なシーンだと思うので。「みなみけ」は原作の背景とかが貧弱な分、全体の印象は鮮やかな感じに思えます。ただ、原作にあった独特の「間」の再現はむずかしかった模様。あと演技もちょっといまひとつ。たぶん声優の能力というよりは音響監督の世界観の解釈によるものでしょう。ただ、キャラの造型は非常に良い。これだけでも評価はできます。

 このほか、「ご愁傷様二宮くん」と「Myself;Yourself」を見てみたけど、初回からちょっと期待薄な雰囲気。前者はキャラへの感情移入がしにくい感じ。後者は描写が丁寧なのはいいんだけど、なんとなく進行に緊張感がない。理由についていろいろ考えると勉強になりますが。その意味では、第一回って重要だよね。導入部で重要なのはやっぱり、密度ですね。エピソードの密度を高めて、キャラと世界に関して受け手のアタマを初期化してやらなきゃならない。別の言い方をすると、その話の内側に引きずり込まなくてはいけない。そのあたり、内臓が痛むほど考えないとダメなんだろうなと思います。ちなみにTVシリーズのアニメで密度の濃いものとして挙げるとするとやはり「R.O.D The TV」の第一回でしょうか。二十六回のうちの一回分とは思えないほどに密度がありますよ。二十数分でこれだけ詰め込めるってのはやはり相当な腕力です。舛成・倉田コンビはこの第一回のシナリオを上げるまではきっと相当に考えたと思いますよ。


2007/10/09(火)

20:47

 種無しの柿が売られてたので買いました。しかしあれだね。種無しってことはつまり不妊ってことですよ。そういう不妊の柿を人為的な交配でもって作ったわけですよ。考えようによっては恐ろしいことですよね。一種の畸形だと考えてもおかしくはない。でも、結局おいしくいただいてしまったのですがね。人間の食べ物にとして問題なければいいというわけです。ご都合主義ですよなあ。

 遺伝子組み換えの作物とか話題になってますが、人為的な交配と遺伝子組み換えにどういう差があるのかというとよくわからんですよね。遺伝子の変化・欠損というものが自然の状態で起きないという保証はなにもないわけだし。でも、遺伝子を人為的変更は、人為的交配よりもさらに輪をかけた気持ち悪さはやっぱりまだあるんだよねえ。単なる感覚的なものでしかないのかもしれませんが。というか、偏見ではありましょうね。できあがったものの成分がどう変化しているかを検証してくれればいいんだけどね。たんぱく質とかデンプンの組成や分子構造がこう変わりますとかね。それぐらい、簡単にできないものかね、と思いますが。

 人間の遺伝子だってすこしづつ変化してる可能性はあるわけだし、その意味では世界中の生物が世代を重ねるごとに変化しているわけですよ。ただ、それが表立っての「変化」として現れていないだけであってね。「種」としての変化っていうのは、ずっとあとになってみて「区切り」をいれてみると「あーここらへんで大きい変化があったかな」というのが分かるぐらいのものであって、変化の最中においては分からないものなのかもしれませんね。その意味ではいわゆる「歴史」の一部なのね、生き物の遺伝子変化も。


2007/10/10(水)

22:44

 コミケの受付ハガキがきました。さて受かるかどうかね。

 今日はちょっと用があって外出してました。いい天気だったので洗濯したかったけど。ついでに寄った本屋で黒田硫黄の「セクシーボイスアンドロボ」ってーのを買いました。IKKIで連載してたのが月刊化とともに中断。なので未完。こういうのってたぶん復活はしないんだよね。本人が書く気失せてんだろうから。なんでも今年実写ドラマ化したらしい。「アンダルシアの夏」といい、地味に映像化してますね、黒田先生。いまは再販してるけど、ほっとくとまた絶版になるだろうという勘が働いて買ってしまった次第。あっ、でもこれ文化庁のなんちゃらを受賞してるらしいんだよな。そこまでの作品じゃないような気もするが。ちゃんと終わらせてからにしろよ、そういうのは。

 わたしは個人的には「茄子」に出てた高間先生に再会したい気もするのだが。高間ってのは「大日本天狗党絵詞」に出てた変態親父教授なんですけどね。「茄子」のはパラレルでまともな人。やっぱこの作者の持ち味はストーリーラインよりも変なキャラですね。絵柄にあったキャラというか。少女マンガの顔じゃ、無理なキャラです。そういうのを無理にやると明智抄になっちゃうね、たぶん。すまん、マニアックな話ばかりして。

 久々にカレーを作って食いました。カレーなんて正直料理のうちには入りませんけどね。もうルーの段階で味が完成しちゃってるわけですから。下手にいろいろあとから調味料を加えるより、そのまんまのほうが美味いって「試してガッテン」でもやってましたよ。そういや、お気に入りのスパゲティーのレトルトが近所のスーパーから消滅したんですよ。こりゃ自分で作るしかないかな。今度東京行ったらブイトーニとか買いダメしてこようか。ママースパゲッティーの1.6mmなんて正直アレですよ、舌触りがフトいですよ。あれはブヨブヨめにゆでてナポリタンにするっきゃねえ感じだ。でもあいにくとわたしはナポリタンはあんま好きじゃないんだよ。ケチャップの味がそのまんまって感じでね。あと、やっぱ基本的には1.3mmぐらいの細麺が好きだよ。バリラの1.4も捨てがたいけどね。


2007/10/11(木)

23:33

 アニメ「さよなら絶望先生」の二期が決定したらしい。いきなり2クールは恐ろしかったので、とりあえず1クールずつで様子を見ましょうという話だったのかもね、当初から。でも新房監督作品で二期が出るのは初めてみたいですね。

 さよなら絶望先生という作品は、たとえば同じ学園もの(かつ大多数が女子キャラ)のマンガである「ネギま!」あたりと比較すると、女子キャラ同士のからみがあまりないという点がひとつの特徴だろうかと思います。基本的には絶望先生と二のへの生徒の「1対N」の関係、すなわちスター結合型のからみなのね。ネギまではネギが中心にいるのは確かなんだけれども、女子の横のつながりもいろいろとストーリーにからみます。ところがそういうのはあまり絶望先生には存在しない。むしろ糸色先生をめぐっての「暗闘」があったりするという……。恐ろしい。主人公が実にうらやましくないモテ方をしているという点で、凝った演出だなと思います。

 いまのところ先生に積極的にアプローチしているのはまといと千里、それに霧ぐらいだと思いますが、可符香もかなり特殊な執着をもって彼に接しているところが見えますし、晴美も独特の方向性で萌えているようです。しかし、みんな屈折した性格ですからなあ。物語の最後に誰かとくっついたりするのだろうか? いずれにしても、少女時代にいちばん地獄を見てるのは可符香かもしれないので、できれば彼女が救われる結末になるといいなと思いますが。久米田さんはきっと安直な終わり方はしないだろうと期待しています。まあ、まだまだ連載は続くでしょうけどね。


2007/10/13(土)

23:45

 本日は、ゲーム用のシナリオを10KBほど書きました。結局ストーリー性のあるものになりそう。でもまあ、ストーリーというほどのアレではない気もするが……。言葉にしにくい状況をあえてなんとか言葉に置き換えるというのは本当にわけ分からんものだ。結局、全部説明をしなくてもいいから物語という形式をとるのかもしれん。言葉は説明するものではなくて、それじたいがイメージを引き出す触媒のようなものなのだ。問題はそのイメージが実は作者のひとりよがりかもしれんという可能性があったりして。

 アニメは「ナイトウィザード」というのを見てみましたが……うーん、あんまりピンとこないかな。いきなり異界って言われてもね。キャラもなんだかつかみどころがないかな。「BLUE DROP」は演出がなかなかよい感じです。とりあえず期待。「げんしけん2」は原作通りという感じで可もなく不可もない。「もやしもん」も原作通りです。菌が動く感じはなかなかいいけどね。長谷川遥の演技がちょっといまひとつですかね。たぶんこれも声優じゃなくて演出の問題のような気はするけど。「レンタルマギカ」はこれまた無難なつくり。でもこういうタイプの作品では初回にインパクトを与えてくれるようなものが欲しいです。


2007/10/14(日)

22:58

 ゲームにしろマンガにしろ小説にしろ、エロが主眼となっている作品に「ストーリー」が果たして必要なのかどうかということはこれまでもいろいろな人が論じていることだろうと思うます。わたしが今のところ個人的に思うのは、エロが主眼となっている作品の場合、キャラへの思い入れ(=妄想形成)によって脳内の「エロ温度」とでもいうべきものが増すため、そのキャラへの妄想を形成する足がかりをつくるためにストーリーを構成せざるを得ないのではないかということです。特に純愛系の作品は、恋愛行為に至る過程に「禁止」や「障害」という要素をからめないと恋愛の「純度」が上がらないというお約束があるので、純度を上げる過程を描かざるを得ないのです。

 さらにフェチ要素がからんでくると、フェチ要素がからむ必然性を話の中に組み込んでやらないと、とってつけたような空虚な感じの話になります。「ある日目覚めると女子は裸エプロン姿が当たり前という世界になっていた」という作品も成り立ちますが、そういった「なんでもあり」的なムードは最小限存在すべき緊張感のようなものを削いでしまうのも確かです。

 そんなわけで、わたしのように純愛でフェチでなおかつ最小限のリアリティを確保しようなんてことにでもなれば、世界の構築=ストーリーの構成、にならざるを得ないのです。同じフェチでも、メイドさんとかだと、導入が容易です。なにしろ、「いわゆる」メイドさんはフィクションの中から飛び出してきたものなので、フィクションの中での様式をそのまま受け継いでいるわけです。本来のメイドの衣裳としてはあり得ないスカート丈であっても、秋葉原あたりではそのまま三次元化しているのです。そういう存在を、フィクションの構成物として再利用するのは難しいことではありません。

 ところがクラシックバレエをフェチの題材としてフィクションに展開しようとすると、いろいろと条件をクリアせねばなりません。そもそもバレエの衣裳を登場人物に着せるまでに段取りがいります。なにしろ舞台用の衣裳なのですから、本来は舞台でしか着ることがないものなのです。それを日常的な空間で着せるにはそれなりの工夫が必要になります。

 いちばん簡単なのは、非常識な行動をとる人物を登場させることです。その人物が強制的に他のキャラに対して指示・命令ができる環境があれば、どんなフェチな状況も容易に構築できます。しかし、そういう「主人と奴隷」的な人間関係は、当然のことながら純愛系のストーリーには不向きです。もちろん、SMとか陵辱から純愛へと展開するストーリーもなくはないですが、それはそれで丁寧な構成が必要になるでしょう。いずれにしても、陵辱系の絵とかはモチベーションが湧きませんので、パスせざるを得ません。

 いまのところわたしの場合はバレエ教室に通っている少年少女の話が大半です。ほかにこれといった算段を思いつかないからですが、もうすこし「はじけた」感じの状況設定を試みてみるべきなのかもしれなません。ちなみに、個人的にはメイド属性をお持ちの方をどうにかしてコチラに引き寄せられないもんかしらとコソコソと考えているのが現状です。メイドさんの衣裳はゴシック風味に富んでいるという点で、ある意味バレエの衣裳デザインに近いように思うからです。エプロンドレスとチュチュを融合させた衣裳とかをデザインしてみるのもいいかもしれない。

 メイドさんとの融合ネタとして、安直な例を挙げてみるならば、複数のメイドさんが常駐しているお屋敷があって、彼女たちはそのご主人(男性)からバレエのレッスンを受けるのが義務になってるとか。なぜなら、彼女たちはとある理由で身体の柔軟性を維持しなければならないからであった……とか? うーん、どうですかねえ。こういうお屋敷モノってアリガチですよな。でも、ある意味、入りやすい設定かもしれませんね。

 安直ついでにもう一個。バレエを習っている女子をメイド喫茶のスタッフとして採用。店では単に客への配膳等だけではなく、優美な踊りなども小ステージで見せる、とか。ちなみに、現実にそういう店があったらけっこうウケるかも、とも思うけど、人件費がたぶん高くつくだろうな。ふつうのメイド喫茶よりは高給にせざるを得ないだろう。ただ、バレエっていう言葉だけでもう「敷居の高さ」を感じる人が多いかもしれないし、収支は微妙かもしれないな。難しいねえ。むしろハルヒダンスやもってけセーラー服でも踊らせたほうがウケますか?


2007/10/15(月)

22:25

 Mac の調子がどうもおかしいなと思ってたら、キーボードが静かにぶっ壊れていた。というかShiftキーが押しっぱの状態になってしまっているらしい。毎回セーフモードで立ち上がるのでヘルプでセーフモードの起動方法を調べたらShiftキーを押しっぱなしにすると書いてあったので、ああそういうことねと。しょうがないのでG4 Mac風のスケルトンなキーボードを引っ張り出して使うことに。ちょっと重くてごっついんですけど、でもこっちのほうがスイッチの接点が丈夫だからね。

 また「授業をサボって進級できない」という夢を見た。しつこいなあ。でもこれは自己警告の夢なんだよね。ちゃんとやることやれやという。自分で警告を発することができるだけまだマシですよな。しかし、早起きしないとダメだ。早起きできないというのは、ある意味生命エネルギーが衰えている証拠でございますよ。だって、起きたくない、寝ていたいってのは極論すれば「意識を失っていたい」ってことなんだから。ある意味、希死念慮ってヤツに近いんですかね。

 とりあえず、今日はまた某ファミレスでノートPCで長編の原稿の続きを書きましたよ。やっぱり何もない環境ってのは集中できる。この調子で行けば、年内に完結できるかも。もう折り返しは過ぎてるからな。しかし、問題は読んでくれる人がいるかどうかだ。

 
2007/10/16(火)

23:57

 今日はゲームのキャラデザインなどいたしました。まだ完全じゃないけど、とりあえずたたき台を作って、いろんなアングルの絵とかを描いてみます。顔の再現性を高めないとイベントCGの直しとかが結局必要になるからねえ。今回のヒロインはちょっとロリ気味にしてます。逆に男子のほうはすこしイマ風にしてみました。いや、なにがイマ風なんだか実は何も分かっちゃいないんだけどね。いままでのとはちょっと風味を変えてみたのですよ。

 ところで初音ミクがイヤんな感じでTBSに取り上げられたのだとか。テレビって要はどういう方向性であれインパクトを求めるほうに行くからね。でも、要は制作スタッフの品質が低下しているということに尽きるのではないですか。そしてそういうスタッフにぶん投げて番組を作るTBS本体も劣化してるんだろうけどね。「気持ち悪いオタクの遊び道具でしかない」みたいなイメージになっていたのはソフトの開発元としてはさぞかし無念であったことでしょう。でもまあ、無視しときゃいいんだよ。物事をきちんと伝えようという努力をしないメディアなんて、衰退していくから。個人レベルで映像制作できる環境が整っていくにつれ、彼我の立場はいまにひっくり返っていきますよ。


2007/10/18(木)

23:44

 「魔法先生ネギま!」の20巻を読みました。今回ちょっと気になったのは、本筋の話の進行が遅いなということ。キャラクターが多いのでそれをフォローするのにいろいろと手間ひまがかかるのは分かるけど、サービス精神というのはやはり適度にバランスをとって発揮しないといけないんではないかという気がいたします。でもおそらく作者の赤松さんもそれについてはいろいろと悩んでいらっしゃるのではないかとは思いますけどね。

 ところで、ステ六などでIDOLM@STARの画像などを見てますと、基本的にアニメ系キャラが踊る姿というのは、それだけで十分に魅力的な映像として成立するものなんだなと改めて思いました。アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」のEDや、「らき☆すた」のOPなど、二次元の作画による踊りの動きも相当なインパクトを与えるものだということを示しましたが、3D技術が加味されると、今後より精緻かつ滑らかな動きを再現する方向へと展開してゆくことは間違いないと思います。

 アニメの中割りと彩色(陰影の調整)に3Dが応用できるようになったとき、「ANIMATION DIRECTOR(仮)」みたい感じの、総合アニメ自作ソフトが出現するのではないかという気もするのです。むろん、プロの作品と等質なものはできないにしても、がんばればそれなりの水準に達することができる、ぐらいのツールとして。この場合、音声に関しても「初音ミク」のようなヴォーカロイドの発展形が成立していることを前提とします。そして、そこで多くのアマ・クリエイターの制作ターゲットになるコンテンツとして、「少人数キャラによる歌+踊り」という形式は有力なカテゴリーたりえるのでは、という気がするのです。体型や動きなどの基本的なデータを作者間で共有できると、制作スキルが発展途上の人でも細かい変化を追加してゆく楽しみなどがあるわけで、裾野の広い創作ジャンルが成立してゆくんではないかと。こういうとき、「踊り」がより取り上げられる方向なんかいかないかしらと期待をしてみたりするわけです。物語のついたアニメを作るのは大変でも、歌と踊りならば単独でもチャレンジできるのではと思えるのです。どんなもんでしょうかね?


2007/10/22(月)

00:36

 とあるメジャーな少年漫画誌でヒット中のとあるマンガ作品(というか、引用元は明確に→「ハヤテのごとく!」です)に、こんなことをいう少年がいました。
 
 こう、クルッとターンしたときの…
 ブワッと広がるスカート!
 これが大事なんだよ!!

 ちなみにこれは「メイド魂」について語ったセリフです。

 なるほど、それがメイド魂ですか。でも、メイドはどういうときにターンするんでしょうね。たぶん日常の作業でそんなことする必然性はまったくありませんね。まあ、シャー○ーみたいにメイド服そのものにピュアなあこがれを抱いていた少女だったら、鏡の前でそんなことをしてみたりするのかもしれませんが、それだってひとりきりでの行動ですからな。要するに「ターンしてスカートがブワッ」ってのは男の「性的妄想」の世界ですよね。実際、この少年(ワ○ルくん)は自分の仕事を手伝ってくれているメイドさんに「ターンしてくれ」とリクエストしたら「ちょっとワイセツなにおいがします」と断られてしまいました。敵も勘がいいね。しかしワ○ルくん、「ターンしてスカートがブワッ」がデフォルトになってしまったのが、クラシックバレエの衣裳なのだよ。すでに十二分に裾が釣りあがってるし、生地も軽いから、ターンすると「ブワッ」じゃなくて「フワッ」ぐらいだけどね。

 さらに、彼はこんなことをも言います。

 他に言うならつま先立ちだよ!
 こう、高いものを取るときに「クッ!!」と上げるあの感じ!

 これは案外深いですね。女性のつま先立ちの緊張感にエロスを感じるとは、ワ○ルくん、君は既に人の道からはずれかかってますな。というか、「同志よ!」って感じですね。そこからバレリーナのつま先立ちのエロスを理解するまでの距離はもう半歩もないですよ。

 さらにもう一点。

 あとは姿勢だな。
 背筋がピンと伸びてないと、話にならない!!

 これはダンサーにおいても基本中の基本ですね。基本的なポジションにおいては背筋はきっちりと伸びていないと美しくありません。

 てなわけで、ワ○ルくんの「メイド魂」に関する意見は、かなりクラシックバレエの魅力に近いところにあるということが分かりました。ということは、つまり作者である火田先生の認識も同様であるということですね。火田先生、そこまで鋭い認識をお持ちならば、メイドさんばかりではなくぜひ踊り子さんもキャラとして出しておくんなましよ。

 ところで、このあと、実際にメイド喫茶でメイドをやってる女の子の意見も出てました。

 メイドさんにとって特に大事なのは…
 作り笑顔ですかね?

 まあ、これが現実なんでしょうけどな。妄想と現実の落差ってのはかくも激しいものなのですね。

22:25

 商品が生産され、消費されるプロセスというのは、つまるところ、資本主義という舞台におけるレギュラー出演者であるところの「資産家」が、資本主義そのものに直接タッチできない「労働者」から、労働力を吸い上げる(搾取する)プロセスであると考えることができる。とりあえず、人間の世界は人間の行動によって成り立っているのであって、要は他者の労力=時間を搾取すれば、富を得ることが出来るのである。であるからして、「投資」という活動は、カネという媒体を賭けることで他者の時間を奪う試みなのである。

 さて、いまや先進国においては生産&消費活動はモノからサービスや情報(記号)へとシフトしつつあるが、ここで、資産家たちにとっては困ったことが起きている。情報系の生産物=コンテンツをタダで提供する人々が次第に増殖しているのである。これは、カネという媒体を伴わない生産・消費プロセスなので資産家が関わることができない。

 資産家の意を受けている大手企業としては「自分たちが支配している商品を効率よく消費者に提供する」というプロセスを死守せねばならない。そこで、場合によっては、こうした無償コンテンツの生産・消費活動の合法的な妨害をするという可能性は大いにあり得る。とりあえず某大手ソフト会社と某フリーOS提供組織との戦いなどが良い例である。

 ただ、大手企業の中には、無償コンテンツの流通に関して、自社商品の販売促進プロセスとして利用しようとする動きも見られる。無償コンテンツの多くが、有償の商品・サービスから派生した「二次創作」的な形をとっていることが多いためだ。だが、そうした動きに対しては、否定的な態度をとる企業ももちろん多い。

 なので、今回話題になった「初音ミク」画像検索ハブり騒動に関するさまざまな陰謀説も、すくなくともそういった陰謀の成立を疑われるような土壌はすでにあるといっていいだろう。少なくとも、大企業が提供する商品・サービスよりも優れた無償コンテンツの循環プロセスは次第にその勢力を拡大している。これらの対立・せめぎあいが具体的な社会現象となって現れるのはもはや時間の問題だろう。


2007/10/24(水)

00:12

 初音ミクの画像がGoogle の画像検索でもヒットするようになった。でもなんか「一時的な措置」のような感じがする。騒がれたのでしかたなく対処したという雰囲気がありありとする。なにしろ、hatsune miku というローマ字での検索では相変わらず無反応なのだ。ライバルのMSNのLive Search ではローマ字検索でもきっちりとミクの画像がヒットするにもかかわらず、だ。とりあえず日本語の分だけ対処した、という風にしか思えない。マスメディアによる陰謀説はともかくとして、どう考えてもGoogle の検索エンジンそのものに何か重大な欠陥なり恣意的な操作なりがあったのではないかとしか思えない。とりあえず、わたしもGoogle ばかりではなく、MSNも活用するようにしようかと思う。やっぱ、一社ばかりに依存する体勢はよろしくないもんね。それに、「バレエ 研究所」って検索すると、ウチのサイトがMSNだと4位ぐらいになってるよ。Googleより高めです。MSNを贔屓しちゃおうかな。


2007/10/25(木)

19:40

 バルトークの「管弦楽のための協奏曲 Sz.116」を聴きながら立ち絵の原型を描いてました。これまで立ち絵はキャラごとに描いてたんですけれども、今回は方針を変えて、まず「ポーズ集」的な原型を先に描くことにしました。そんで、キャラの性格に合わせてポーズ原型をいくつか選んであてはめるという方式です。プロポーションの基本調整とかは、顔乗せたり服着せたりする前にやったほうがいいかなと思って。わたしみたいに基本がない人間はそういう逃げ方をするしかないのさ。でも下手な人間も下手なりに工夫を試みるものなのですよ。

 ところでアフタヌーンの12月号を買ったけど、読むとこが減っちゃったという印象ですよ。もう来月からは買うのやめようか。とりあえず続きが気になるのは「VINLAND SAGA」と「大きく振りかぶって」ぐらいなんで。単行本派に戻っちゃおうかな。かつての「看板」はどれも根元が腐食してる感じですよ? ところで植芝さん、画面が白いです。あの「ディスコミュニケーション」初期の偏執的な描きこみはいったいどこへ行ってしまったんですか。たぶん楽しんで描いてないでしょう? 大きなお世話だろうけど。

 あー、しかし現代音楽ってアタマ空っぽになりやすい感じでいいね。下手に情緒的な曲がかかってると単調な作業には向かない。ちなみに単調な作業ってのはアタリに沿ってベジエ曲線を引く作業です。そういえば、イベントCGっちゅーかぶっちゃけ交尾シーンもとちあえず先に構図を決めて、自分なりにパースの調整とかを先にすることにしました。やっぱあとから見るとおかしーんですよね、いろいろと。だもんで、プロのCGとか参考にしつつ構図を考えたり。でも、実はあんまりエロゲーのとかは参考にならんです。なぜかっていうと、女の子だけのCGが多いんで。男女のカラミの絵って比率的には少ないですよ。江戸時代の春画って、わりとカラミの絵が多いんだけどね。まあ、エロゲーは主人公視点の構図という伝統がありますからな。

 気分転換にQOH99(Queen of Heart '99 : 渡辺製作所という同人サークルが出していたLeafキャラによる対戦格闘ゲーム)をやってみました。Win Vista on dynabook RX1でもちゃんと動きますよ、すごいねー。320x240の解像度だけどね。でも画面いっぱいに表示されるからよし。メインは由綺ですが、とても「由綺使い」というレベルではなくて。なにしろエリアルとかちゃんとできませんし。あかりも使ってみてるんですけど、彼女の技はみかけに較べると相手に対するダメージが低くてね。やっぱコンボをつなげませんと。でもPC相手だと、立ち大とケミカル・インパクトだけでだいたい勝てます(ただしHardで。Nigtmareとかは私には無理)。


2007/10/27(土)

23:40

 QOH99で由綺のエリアルの練習をしました(ナニやってんだか)。要はジャンプキャンセルのタイミングなんですけどね。攻撃がヒットした後のジャンプ(キャンセル)の入れ方なんですよ。最初は、なんか眼と耳と指が神経バラバラなんですが、そのうちだんだんとつながってきて、いつのまにか適度なタイミングでキャンセルできるようになるという。不思議なもんですね。いちおう二段続けてのエリアルができるようになりましたが、やっぱ大切なのはトドメの必殺技が入れられるかということですよ。由綺の場合、俗に言う昇竜コマンド(623ともいう)でアイドルサマーという6連発回転蹴りを出せるんですが、これを百発百中で入れられるかってと簡単じゃないのね。でもこれを出さないとダメージが一定の水準を超えないので。QOH99では、ライフゲージが満タンで10000ですが、3000〜4000ぐらいのダメージが出せないとコンボ成功って感じがしないのです。コマンドといえば基本の波動コマンド(236)も練習ではほぼ百パーでも本番だとダメなんだよねえ。由綺というキャラはゲームの作者にはかなり愛されているようで、この波動コマンドで出すレーザーディスク投げというのがダメージ大なんです。しかしこれを適切なタイミングで出せないと、由綺の魅力は半減してしまうのです。最終的にはこの技でガードキャンセル(攻撃を防御している間に必殺技コマンドをいれて、反撃に転じること)がかけられるようになりたいなーと。ここまで書いてしまうと初心者であることがバレバレですなあ。そもそも対戦格闘ゲームは同人ゲームしか知らない、しかも美少女ゲーム系ばかりという。QOH99(Leaf系)、パーティーズブレイカー(こみパ)、エターナルファイターゼロ(key系)、メルティブラッド(月姫)、グローブオンファイト(いろいろ)と。いやはや。

 ところで今日はエッチな短編小説を思いついて書き始めてしまったよ。とことん趣味に走って道をおおきく踏み外す方向でがんばってます。踏み外した場所にまた新たな道ができるってもんさね。あと他の短編のプロットとかアイディアも思いついては書いていました。頭の状態って、構想に向いているときとか、単調な作業に向いてるときとか、いろいろありますね。

 世の中を見渡すと、フェチの道も、だいぶんバリエーションが広がってるみたいで、けっこうバレエ物もありますね。でもなんか、三次元はやっぱ無理かなあ。なんかね、あの手の作品に出演してるひとたちってバレリーナって顔じゃないんですよ。顔が醜いとかそういうのじゃなくて、わたしなんかのいだく幻想からは少なくともかけ離れてるのね。現実的な欲望があからさまに顔に出てるの。エネルギーに満ち満ちててね。そういうのはバレエ向きじゃない感じだなあ。もっとね「ぼあっ」とした雰囲気の顔つきのが好きですよ。要するにお嬢さんっぽさがもっと欲しいぜということなのかしら。

 バレエの場合、古典系の主役に限って言うと、やはり生まれながらの「お姫様っぽさ」は必要なんだと思います。「育ちのよさ」とか「おっとりした感じ」なんて言い方は語弊があるとは思うけどね。とんでもねー高ビー女(←死語)で性格が極悪でも「お姫様」っぽいオーラを出せる人はいるでしょうから。ただ、どこか浮世離れしてる感じはどうしても必要かな。ネジが半分はずれかけてるようなイメージね。こないだ井上喜久子さんのラジオ(中原麻衣とやっているCLANNADのラジオ)を聞いていて、この人は若い頃きっとお姫系だったんだろうなと思いました。実際、ベルダンティーとかやってたそうですから。ただ、わたしが最近の井上さんの仕事で印象に残ってるのは「ぽてまよ」のナレーターだったりする。「お前は小学生か」とかのツッコミをのんびりとあの声でやられた日にはたまったもんじゃありませんよ。そういや、びんちょうタンの「ナレーションのおねえタン」もこの人だっけね。

 世の中、戦闘美少女から始まってツンデレ系の女子キャラが隆盛をきわめてますので、ぼわーっとしたお姫様キャラはなかなかメジャーな位置には来れないという感じではありますな。「ゼロの使い魔」のルイズとか、あそこらへんが典型的な「お姫様」らしいから。「らき☆すた」のみゆきさんなんて「みWiki」とか言われてちょっとウザがられている雰囲気があるもんね。「ぱにぽに」で言うと、メディアさんあたりがおっとり系かな。ちなみに、彼女の中の人(松来未祐)もちょっとネジ一本外れてる感じがありますね。「あずまんが大王」だと実はお姫様はちよちゃんだったりするわけだが……うーぬ。でも、ぼわっとはしてないな。そこがある意味キャラ割りとしてはうまい。ほんとは大阪あたりがそのポジションを占めるべきなんだが、あの人は姫というより観音様ですからね。「ネギま!」だと近衛木乃香ということになりそうだけど、あのひとは和風の姫だからな。あえてピックアップするなら哲学娘の綾瀬夕映あたりか? あの人、実はいいとこのお嬢様なんじゃないかという気がするのですが。ちょっとバイアスかかってますか、そうですか。


2007/10/28(日)

10:17

 バレエ物のエロ小説ないしゲーム脚本を書く場合、男の子つまり王子役の少年の性格設定は工夫を要します。すくなくともいまの自分の中ではちょっとワンパターンになっています。とりあえず、男でありながらバレエ(←女の子の領分と世間ではみられがち)に関わっているということへの引け目・後ろめたさに焦点をあてており、そこから生まれる屈折が性格上の機軸なっているのですが、もっと体育会系なノリとかをもった男の子など、変化が必要なのかもしれません。ただ、そういう子にもエロい想いは間違いなくあり、そこを表現させようとすると、たちまちバレエ少年としての一種の精神的トラップに引っ掛かるかな、という予感があります。

 洋の東西を問わずクラシックバレエのエロティシズムには間違いなく本音と建前が厳然としてあって、そこがある意味ひどくバレエに「いびつ」な雰囲気をかもし出す要因となっています。業界の方からは反論があるでしょうが、すくなくとも日本のバレエ界の経済的基盤を支えてるのは古典系のエロスです。言い換えるなら、王子とお姫様の恋物語、記号化された性行為のとしてのパ・ド・ドゥーのイメージです。

 そして、この本音と建前のはざまにあって抑圧され、性的スポイルを余儀なくされているバレエ少年はいろいろと苦悩しているに違いありません。典型的にけしからん想像をしますと、バレエ少年は自慰行為のお惣菜になにをお使いだろうか。十中八九、バレエがらみのおかずを使っていらっしゃる。実際のパーセンテージがどの程度かはともかく、少数派ではけっしてありえないと確信してます。

 とくに白タイツをはいて王子役を務める、ジュニア版ダンスール・ノーブルともなれば、性に関しては相当に複雑な葛藤があるでしょう。まず、王子という女の子のあこがれのイメージを演じることへのナルシシズムの裏側には、自分が「恋のヒーロー」を演じることへの引け目がぴったりと糊付けされています。男の子にとって「恋」というイメージ自体が照れくさい上に、女の子の側からの理想像である王子という役柄を経由して演じるということが堪らなく恥ずかしいのです。おそらく男の子の場合、男として何かを達成した報酬として女の子との恋の実りを得るというイメージが理想であり、恋の枠組みそのものを演じる対象として与えられることには違和感を覚えるのでしょう。

 むろん、踊り手として優れた資質をもち鍛錬によって能力を高めた上でダンスール・ノーブルとしての地位を獲得したのならば、王子を演じる自分を本来ならポジティブに受けとめていいはずです。ただ、バレエ少年には「王子という役柄を演じたいからバレエをしているのではないか」という他者からの疑惑に対する恐怖もあります。「王子を演じたい」という欲望には、「女の子にモテたい」というごく普遍的な欲望のほかに、女の子の理想に合わせてスポイルされた優男を演じようとする性的なマゾヒズムも感じ取れるからです。それはバレエという女の子の領分にわざわざ入り込んでまで「理想の男子」を演じたがっている、というような解釈にもつながります。

 さらに、王子の記号である白タイツには、女装の臭気があります。傷つきやすく汚れやすい白タイツは、記号的なペニスとして機能する王子の下半身全体に被せられた「包皮」であり、その意味では性的なスポイラーなのですが、その作用をより一般的に(とくに思春期の少年少女たちに)分かりやすく再解釈したイメージが女装です。極端な例えをするなら、バレエにおける王子とは作動しないペニスを備えた美少女なのです。ところがその一方で、王子は恋のヒーローとして女の子を支える役柄を演じますから、その機能的なポジションはあくまでも男性です。結果として、この扮装は、「ふたなり」的な忌まわしさをも備えることになります。

 「性的マゾヒズム」「性的スポイル」「女装」「ふたなり」。こうしたネガティブなイメージを背負ったバレエ少年の性は、シュバルツシルド半径の内側のように極限まで屈折せざるを得ません。彼を支えるのは、王子という役柄を演じるポジションにあることでもたらされる具体的なメリット、すなわち自分が王子の扮装に身をつつむこと、そしてエロティックな扮装をした美少女と一緒にパ・ドゥ・ドゥーを踊り、擬似的ではあっても彼女との恋愛空間に浸ることができること、この二点です。となれば、抑圧されている性的な衝動が、最終的に「王子とバレリーナの扮装のもとでの性的行為」のイメージへと向かう、という流れはそれなりに説得力を持ち得るでしょう。おそらく、パートナーと一緒に踊った発表会のビデオを観てオナニーしているバレエ少年は必ず実在します。発表会の本番で、身体の局部変化が生じる事件など当たり前にあるでしょう。その際どのようなトラウマが彼の身に襲いかかるのか、想像するに余りあります。

 そんなわけで、バレエ少年のちょっといびつな性衝動を描くにあたっては、さまざまな想像をめぐらせることができるのですが、バレエ少女の側に関しては想像さえもなかなか難しい。男の子が外に向かってフェティシズム的に発現させる要素は、女子の場合は自己の内なる欲望の自然な発露として消化される可能性が高いからです。別の言い方をすると、バレエ少女にとっては自分自身がフェチの対象であるからです。ただ、具体的にどんな感情なり欲望なりがその心の中に渦巻くのかがいまひとつ掴みきれません。

 この手の話はもうさんざんしてるとは思うのですが、白タイツの王子に対する女性からの「嫌悪感」の表明はネット上ではあちらこちらに存在します。しかし、パンチラし放題の女性ダンサーのチュチュが気色悪いとおっしゃる女性はなぜかいない。それは、基本的には女性が性的存在であることを明示的に主張することは現代においてはごく当たり前になっているからだと思います。

 では、その一方で王子の白タイツがなぜ嫌悪の対象となるかといえば、その性的主張が特定のポイントに集約される形になっているからでしょう。すなわち局部の強調・誇示です。しかし、そういうことなら、チュチュの胴部もえぐるようなV字ラインで乳房を強調してると思うし、中途半端なスカートに隠された股間はもう「ここに性的シンボルがある」という主張そのものです。したがって性的主張に関しては本質的にはそんなに大きな差はありません。ですから、バレエの王子の性的主張が気持ち悪いというのは、ある種の「言いがかり」でしかないでしょう。もちろん、生理的な嫌悪感は本人としてもどうしようもないものですから、気持ち悪がるなとは言えませんが。

 その一方で、王子の白タイツに惹かれる女の子も確実に存在するはずです。ただ、そこにフェティシスティックな想いがからむかどうかは難しいところです。女性はあまり即物的なものでエロ感情を促進しないのではないか。むしろもっと間接的なもの、抽象的なものからイメージを拡げるという方向じゃないか。エロの現実的基盤は女性自身だから、ちょっとしたいわば「種結晶」にあたるものがあればいいので、統合的なイメージを提供するようなビデオや写真をおかずにオナニーするケースは少ないでしょう。

 ただ、たとえば、バレエ少女が稽古着やチュチュを着けてオナニーするという状況は考え得ます。もちろん、現実的には後始末が大変ですから、そういった「暴挙」に出るにはそれなりの動機付けと覚悟が必要ですが、あり得ないことではない。なぜなら自分が着ける衣裳は、性的基盤たる自身を拡大するものだからです。そして、その自分を補って完全なものとするはずの王子のイメージを喚起するにはふさわしい道具立てでもあります。ちなみに男性の場合は性的な基盤というか基点になるものが、男性器そのものしかない。だからこそ、むしろそれを向ける「先」に関するより具体的かつ詳細なイメージを求めることになるのでしょう。

 王子とのパ・ドゥ・ドゥーそのものによって女の子の性的興奮が高まってゆくという状況も十分あり得ます。ただ、問題はそのことを女の子の側から相手に伝えることができるかということですが、たとえふたりが恋人同士の関係にあったとしてなかなか難しいことでしょう。何かのアクシデントで、言い訳にできない状況に陥れば別でしょうが、乳首が立っていたり股間が濡れているのが男の子にバレるなどというアクシデントをもってきたら典型的ご都合主義と言われそうです。むしろ、現実には男の子が興奮して勃起がバレる場合が多いでしょう。

 男の子の側から女の子をエロい行為に導くのは、状況設定としてかなり困難です。そもそも現実の男性諸氏だってそこにもっていくのに苦労なさっているのに、さらに特殊な「バレエの衣裳を着用した状態での行為」へと導くのは、至難の業です。普通に考えれば、女の子の側が抵抗するのが当然で、けれどもそこで話が終わってはどうにもならない。正攻法は、やはり「私的空間でのふたりきりのパ・ドゥ・ドゥー、ないしそれに近い行為」を成立させることでしょう。

 汎用性の高そうな道具立てとして、コスチュームプレイという行為を軸にした状況も考えられます。では、コスプレさせる動機付けをどうもってくるか。ひとつは前にも書いたと思いますが、力をもつ者を登場人物として配して、その状況を強制するというのがもっとも容易な方法ではあります。たとえばカップルの一方または両方がお屋敷のご主人様に飼われている身で、そういう恰好を強制される、などです。このバリエーションとして第三者が「まっとうに見える理由」でそうしたコスプレ状況を発生させるというパターンも考えられます。とにかく、最初の障壁を越えさせれば、あとは「習い性となる」的な流れにすることもできます。

 ほとんど創作ノートのような内容でしたが、とりあえずここまでとしておきます。


2007/10/29(月)

12:30

 作画参照用のキャラの体型図(と呼ぶのかどうか知らんけど)を描きました。やっぱそういうことをしないとプロポーションの調整とか困難です。わたしはダンスシーンではロングに引く絵が多いので、きちんとそこらへん対処しとかないと見苦しいことになるかなあと。まあ、そもそも全身が見えていないと満足でけんというわたし自身の体質によるのですけどね。いや、しかし全身を見たいというのはごまかしだな。あえておのれを掘り下げると、脚をきちんと見たいということなのだ。糊塗してはいかん。ただ、脚だけというのはやっぱちょっとね。キャラへの感情移入にはやはり顔が必要です。

 髪型とかも研究中です。バレエダンサーの髪型っていうと、とくに古典系では前髪をきっちりと上げちゃってオデコを出しているというのが多いと思いますが、それだとやっぱ変化に乏しいので前髪もありということにしてます。ただ、横に流したりするのはつらいかな。踊ってる間に乱れるのは目に見えてますから。とりあえず真ん中分けが無難ですね。左右対称なのでアングルが変わっても描きやすいし(←むしろこっちが本当の理由か?)

 王子のほうはあんまし髪型のバリエーションってない感じだけど、すこし長めにしたりするほうが雰囲気は出るのですがね。肩あたりまでかかってるとかさ。より中世的&中性的な方向ですよ。しかし昨日の文を読み返したけど、「王子とは作動しないペニスを備えた美少女」っていうのはわれながら名言かも。いや、自分で勝手に思ってるだけです、すいません。とにかく百合志向っぽいナニカがあるのは確かかもしれませんね。ただ、反転すると、たちまち薔薇志向もあり得たりして……「そんな穴はない!」。

 結局、アーキタイプ(原型)としてのバレリーナの仕様が「特定の女性的部分」をとんがらせたものになっているわけで、パートナーの王子がそれに引きずられる形で中性化するのはやむを得ないのかもしれません。ただ、そのあげく、なんとか性的に差別化しようとして、王子のもっこりという淫靡な記号を生み出してしまったのかも。ちなみに個人的には常時もっこりが露出するような衣裳より、裾を垂らして隠れてるようなタイプの衣裳が好きです。イタリアルネッサンス風ですか? とりあえずゲームの次回作での王子の衣裳は、「チェーザレ」(惣領冬実、モーニングKCDX)とかを参考にしようかと。あそこらへんの服って襟が首のところまできっちり塞いでるのね。ただいま検討中です。


2007/10/30(火)

22:27

 今日はイベントCGの「アタリ」を描いてました。アタリとは目鼻とか手足・胴などの身体のレイアウトをあらかじめとることで、いわば下書きの下書きみたいなもんです。わたしは以前はこのアタリをとるというプロセスがある意味自分の描画能力の低さを示すようなものの気がして避けていたのですが、紙に描かないではじめっからタブレットで描くという習慣になったため、この際、きちんとそこらへんに時間をかけてもいいんじゃないかという気になっております。

 だいたい、作画の手間を考えれば、身体のプロポーションの微調整は先にやっておくべきなのだと気づきました。衣裳とか着せた状態で、身体の位置を調整するのはムダに手間がかかるもんね。線画を一度に大量に描かなきゃならないプロの漫画家さんやアニメーターさんと違って、こちとら細かい色塗りも全部自分でやるわけだし、無理に白紙から線画を一発で描かなくてもいいんじゃんと。いや、そりゃ頭の中のイメージをいきなり絵に反映できればそれに越したことはないんですが、そんな能力がこの先身につく保証は全然ない。それよりも、確実に期間内に絵を仕上げるようになれる方が先決である……と考えました。ま、果たしてこの考え方でうまくいくのかどうかは分かりませんが。

 ちなみにわたしのゲームのイベントCGといえばつまるところダンスシーンと○ッ○シーンの二通り(というか男女のカラミという点では同じか)なわけでして、あらかじめそれぞれの構図を多めに考えておいて、そこから取捨選択という考えになってます。前は話のディテールが決まってから考えてたんですけど、それだと作画作業が後ろになっちゃうんで。

 萩尾望都パーフェクトセレクションの3、「11人いる!」を買った。掲載時のカラーページが再現されているということで買ってしまいました。小学館さんは商売がお上手。まあもともと文庫しかもってなかったんで、大きな絵で見たいということもありましたけどね。あらためて読んでみますとやはり名作ですよ。SFマンガって時間が経つと古びた感じになることが多いんだけど、この作品はそういうところがないですね。こんな作品がいまから30年以上も前に描かれた(「11人いる!」が別冊少女コミックに掲載されたのは1975年)なんて信じられんよ。

 「11人いる!」の世界に奥行きを与えているのはやはり登場人物の出身星域における体質・風土・文化などが独特の発想から描かれている点ですね。代表的なのはフロルとヌーのナニのネタですとか。続編の「東の地平西の永遠」でも双子星の日食とかが描かれてました。神話のからめかたも巧みですね。SFというよりはむしろ優れたハイ・ファンタジーであると言った方がいいのかもしれない。そこらに出回っているファンタジーもどきなんかにゃとても太刀打ちできん高い水準ですよ。

 ちなみにこの作品は海外では"They Were Eleven"というのだそうで。「彼らは11人だった」ってわけですな。ここらへんの英語圏とのニュアンスの差ってのはよーわかりませんね。わたしなんかの感覚だと、"Here Are Eleven!" じゃないの? って思うんですけどね。


2007/10/31(水)

23:40

 今日は立ち絵のアタリを描いて、脚本の続きを書きました。脚本はファミレスで書いてました。まわりに適度に雑音があるとなぜか集中できてしまいます。おばちゃんのしゃべり声なんか全然気にならん。そして600円のランチだけで3時間以上いても店員さんは怒らない。もっとも、すいてる時間帯に行ってますけどね。しかしあれでホントに経営が成り立つのかな。絶対赤じゃないかと思うんだが。

 その脚本なんですが、自分で言うのもあれですが内容がすんげえマニアックになってきちゃった……お客さん、ついてきてくれますかね。それとこれまでよりちょっと話が長めになるかな。もうすこしペース配分について見通しがつくようになれば、HP用の絵とかも描きますけどね。なにしろゲームの絵はここでは公開でけんので。ごめんなさい、絵を目当てに?ここにいらしてる方。でもこのあいだ版権ネタを見つけたので……たぶん近いうちに描きます。

 エンヤの「Celts」をiTMSから買いましたよ。さすが絶望先生が「旅立ちパック」(自殺用の小道具一式)に「エンヤのCD」を入れてるだけあって、「あーなんかこの曲聴きながら死んでくといーかもー」みたいな雰囲気が漂ってますね。とにかく眠くなってく感じがあるのは確かだ。でもケルト系民謡ってみんなこんな感じなんでしょうか。いわゆるイギリス民謡とはまたちょっと違うかな。でも似てる雰囲気もあるが。中高の世界史の授業って四大文明はいろいろ解説しても、ヨーロッパの紀元前についてはあんま細かく解説してませんからな。まあWikipediaでもそれなりにいろいろ書いてはあるけどね。

 ところでいまふと思ったんですが、キリスト教文明圏やイスラム教文明圏では世界史のしょっぱなってどう書いてあるんだろ。わたしのもってる山川出版社の「詳説世界史研究」は猿人→原人→旧人→新人の進化の話から始まってますが、これって一神教信者にはたぶん受け入れられない話なんだよね? そういう場合、クラスを分けるのかな? あるいは選択科目? いちばんいいのはそれに触れずに四大文明あたりから話を始めるってことか。ちゅーか、四大文明というコンセプト自体が時代遅れなんだっけ。某考古学者のキートン先生がそう言ってましたな。彼の持論ではドナウ川沿岸にもヨーロッパ文明の起源に重要な影響を与えた古代文明があったっていう話だしな。

 わたしら、ヨーロッパの古代に関してはけっこううといんだなあということを「VINLAND SAGA」(幸村誠、アフタヌーンKC)あたりを読むとわかります。イギリスが、デンマークにあんなに侵略され放題だったなんて知りませんでしたわい。しかもデンマークとイングランドがひとつの王家に支配されていた時期もあったとはね。勉強になりましたよ。そういう勉強面はともかくとして、このマンガは結構おすすめですよ。絵もいいし。ただ戦闘・殺戮場面がけっこう出ますけど。まあそれほどグロではないので大丈夫です。

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