
小池清通氏作
ポンポンとパタパタの街、浜松に生まれ、何かを感じてか、知らず知らずながらも
かれこれ20年オートバイに乗り、日本では単気筒に惚れヤマハSRの会「ユ
ニコーン・ユニオン」の東海支部代表を勤めさせて戴き、SR里帰りミーティ
ングを始めたのがもう14年位前になる。その後渡米し、ここコロラド州デン
バーに根をはってから早くも12年になる。旅行が好きで旅行業界に入り、地
元の日系人の方々からのサポートを戴きつつ生活させて戴いている。
コロラドの仲間達には特に昨年の90周年記念のミルオーキーへのツーリング
にかなりしつこく誘われたが、仕事上、特に夏は日本からのグループの受け入
れ、手配に忙しくどうしても行けなかった。アメリカではHOG(ハーレー・
オーナーズ・グループ)のライフ・メンバーとして、時間をみてはコロラドの
チャプターの集まりに顔を出す。日本とはハーレー・デイビッドソン・イーグ
ルズ・クラブの野口氏(関西支部長)を通じて「同じ穴のムジナ」の方々と直
接・間接的にお付き合いさせて戴いている。
そんな状況の中、初めてあの「スタージス」に行ける機会を得られたことに感
謝しつつ、簡単にこの2泊3日のツーリングのレポートを様々な主観、経験も
交えて書かせて戴く。
ハレーデイビッドソンそのものを所有出来たのはそれほど前の話しではない。
1990年の夏も終わりに近付く頃、行きつけの「ロッキー・マウンテン・
ハーレー・デイビッドソン」に寄り、車両販売部の責任者をしているマークと
話しをしていると、彼が、「新しいフレームのモデルが出るらしいが興味ある
か。」と入ったばかりの1991年モデルのフルカタログの1ページを見せて
くれたのが運命の悪戯であった。あのブラックとレッドの何とも言えないカ
ラーリングに目を奪われてしまった。限定モデルとも知らず、その時は、まだ
値段も分からないまま注文したのがFXDB(スタージス50周年記念モデ
ル)であった。1600台限定販売(限定と言ってもさほど気にもしていな
かったが後々手放すときには利子が付いて売れたのには驚かされた。)の66
号車であった。
余談になるが、初期のFXBのショベルヘッドとは違いエボであったので故障
は少ないと言われつつ、心配もしていたが、こいつとは1991年には約
5000マイルの旅を共にしている。デンバーからワイオミング州のグラン
ド・ティートンとイエローストーン国立公園。ジャクソンホールで友人の青木
氏のコンドを借り、丸3日両国立公園を走り回った。霜のおりるジャクソン
ホールを後にしてローヤル・フレーミング・ゴージを抜け、恐竜の化石で有名
なダイノソー・ナショナル・モニュメント。そして、ユタ州のモアブについた
ときには気温は40度を越えていた。ハリソン・フォードの「インディアナ・
ジョーンズ」の第三部作、ショーン・コネリーが親父役で出る「ラスト・クル
セード」の最初のシーンで有名にもなったアーチズ国立公園の「ウィンドウ
ズ」、「アダムとイブ」などと名付けられた風化が作り出した石の芸術を見て
まわり、灼熱のソルトレークシティーからコロンビア・ゴージを抜けてオレゴ
ンのポートランドに。ワシントン州はシアトルまで、10何年か前に大爆発を
起こしたマウント・セント・ヘレンズ(その爆風で吹き飛んだ大木はマッチ棒
のように数キロに渡り横たわって残っていた)、マウント・レニアーを見てま
わったのが大きな思いでである。
それ以後、仕事の関係もあって長距離ツーリングとは御無沙汰していたが、先
頃、友人のロンと同時に、納車数が限られて1995年モデルになると言われ
ていた為、94年式、たまたま全くの同色のカラー(ブラック・シルバーの
ツートン)のロードキングの納車が決まり、2人で競うようにして慣らしを終
え、この「スタージス」への出発準備を始めた。当初は4人で行くものと思っ
ていたが当日参加組も入れて7人(ロンFLHR、ボブFXRS・CONV、
ハリーFXRS・CONV、トムFXDWG、リッチFLSTN、マイク
FLTと私)となり、早い朝食の後デンバーを後にし、左手にアメリカンロッ
キーの山脈群を見ながら、一路インターステート25号線を北進し、給油を兼
ねた休憩を入れながら、フォートコリンズ、ワイオミング州のシャイアン、
ウィートランドを通過。シャイアンを越えると殆ど町らしい所がなくひたすら
に広がる地平線と格闘しながら、この頃には太陽もかなり高く上がり燃え盛
り、暑さの中の高原砂漠地帯をひたすら走った。
ハイウエイ26号からガームジーで簡単な昼食を取ってから、270号に移
り、20号をラスクまで進み、まるで集合場所のように賑わうガススタンドで
休んだ後、85号を北進し18号よりサウスダコタ州に入る。途中、マイクの
帽子がとび(彼はヘルメットはテイルボックスに入れておいて野球帽をかぶっ
ていた)、先頭軍団をおいて帽子探しの一幕もあったが、無事に、宿泊予定
地、ラピッドシティーに到着した。ホテルのチェックインを済ませ、滞在用の
荷物を下ろした後、早速、スタージスへ向かう。ラピッドシティーからはイン
ターステート90号線を使って20分ほど。ハイウエイには上下線相互に群が
るほどのオートバイの数。ラリーの前日と言うのに既に相当の人数が集まって
いるらしい。噂通りの盛り上がりに興奮する。
雑誌でも何度か見ていたメインストリートは真ん中に2列と両サイド1列ずつ
で4列のオートバイが道路一面を埋めるように数ブロック続くこの通りを賑や
かなものにしていた。その90%以上がハーレーデイビッドソンと言う。その
殆どがブロックヘッド(エボルーションV2)に思えたのは気のせいであろう
か。ノーマル車、カスタム車などそれぞれ個性を生かしたハーレーたちがひし
めいている。そのメインストリートをパレードするかのように徐行走行した
後、あちこちに分かれて駐車し、見物に歩き回る。矢鱈とTシャツ屋が多く、
他、皮製品を扱っている店や入れ墨をする店などいろいろ。日本の縁日の風で
ある。メインから1ブロックはずれてもオートバイが道をうめ様々な出店が花
を咲かせていた。
本や雑誌で見ていたものと変わりがなく、ただ実際にその場にいることが一つ
の感動になるように思えた。警察の数も多く、治安にはかなり力を入れている
ようである。10万台とも20万台とも言われる夏のこのイベントへの訪問者
達は、昔、日本でも年に、もしくは、一生に1度はお参りにと言われたお伊勢
参りに行く人達の気持ちに似ているかのようにも思えた。特に宗教が関係して
いる訳ではなく、かといって、宗教的なイメージもある不思議な54年の歴史
を見せられた思いである。日本のように古い歴史のないこの国の人々の誇りは
「愛国心」に例が上げられ、その代表的なものとして、このハーレーデイビッ
ドソンという、現在(インデアンが再興するらしいが)、唯一の国産オートバ
イに注ぎ込まれているようにも思えてならない。
200年ちょっとの歴史のアメリカ合衆国に根強く愛国心を仰ぎつつ生き続け
る「ハーレーデイビッドソン」というオートバイとそれと共に生きる人々の関
係を直に体験するばかりでなく、その中そのものに入り込んで生活出来る有難
さを強く感じている。様々な国のいろいろな人との出会い。人生の不思議な一
面を見た思いである。
その後、ロンと私は先にホテルに向かい、途中、混みあってかなり待たされた
後軽く夕食を済ませ、疲れを癒した。他の仲間達もほぼ同じ頃ホテルに戻り就
寝したようである。
8月8日月曜日。早朝にトムは一人、デビルズタワー(ワイオミング州北東部
にあるあの「未知との遭遇」で有名になった所)に向かい、特大レザーサイド
バッグを付けたFXDWGは彼と共にそのまま行方不明となった。彼は思い
立ったらなんとやらで、不意にいなくなるのがいつもの事である。
まず恒例の(私にとっては初めて)ディーラー訪問ということでブラックヒル
ズHDディーラーに寄ってお土産のTシャツを買う。小さな体育館ほどの建物
は人で埋まり特設のレジもあったが数列出来、暫く待たされるほどの混み具合
であった。ショールームには、(総て売約済み)既に95年式のビュエルS2
サンダーボルト(赤)があり、カスタムバイクだと一瞬勘違いした95年式の
FLSTNほかもあった。大きな店舗で品数も多く驚いた。駐車場は数100
台のハーレーで一杯で入口と出口が別にあり一方通行になった位ある。サービ
ス部のドアには数10台のHDが整備の順番を待っていた。他の連中との立ち
話も旅の楽しみであり、ハーレーライフの喜びであるように思える。アクセサ
リーやパーツの情報を交換した後、一時ホテルに戻る。
ロンと私はその後、朝からの濃霧の中、私にとっては11年ぶりのマウントラ
シュモアー(4人の大統領の顔が岩山に彫刻されている所)へ向かう。ほかの
仲間はスタージスに直行。途中、100台を越える数のオートバイと出会いな
がら霧と小雨で濡れる路上を飛ばしてマウントラシュモアーの駐車場に。霧に
も関わらず満車でオートバイは芝生の上に停めさせられた。
展望台に向かうが肝心の大統領たちは恥ずかしいのか、霧に隠れて見えたのは
首だけであった。カスター・ナショナル・フォーレストの中を走る。トンネル
から丁度大統領の顔が見える名所があったがまだ霧が濃く見えなかったが、途
中、4、50頭のバッファローの群れに遭遇し、4年前に行ったイエロース
トーン国立公園での「遭遇」を思い出した。ロンと交互に、バッファローを気
にしつつ記念写真を数枚撮る。ロッジにてバッファロー肉のスープを食べス
タージスに向かう。
途中、クレージーホース(岩山に彫刻をしている観光名所でまだ完成はしてい
ない)を右にして北進していると休むことなく反対車線を南下するオートバイ
の中に、偶然にもトムとFXDWGを見つけて驚く。彼とはそれっきりとな
る。
デッドウッドを抜けるともうスタージス。メインストリートの端に2台のロー
ドキングを停めると、すぐその角で、タバコメーカーのキャメルがロードキン
グが景品となる有料のくじ引きを開いていた。当然というか、私たちには声が
かからなかったが、他、FXDWGなどを景品にした店も出ていた。
様々なカスタムバイクとそのオーナーの趣味でいろいろな格好をしている連中
が祭りムードを盛り上げていた。買い物と見物を済ませホテルに戻り、他の仲
間達と合流し、夕食のプライムリブ(500グラム位の中サイズのもの)を食
べ、ホテルから2ブロックにあるコンベンションセンターへ歩いて行き、ハー
レーオーナーズグループ(HOG)メンバーのみ招待という初日の展示会に顔
を出す。この日の昼間はディーラー向けの展示会があって私たちは夜まで待っ
たことになる。
中では95年モデルの他、HDトレーラー(HDのロゴ付きのペイントで折り
たたみ
垂直に立てて置ける1台積載用と2台積載用、そして収納箱付きとそうでない
ものがある。タイヤは14インチ。)やHDグッズが揃い、皆顔色を変えて歩
き回った。偶然にもあのウイリーGに会うことが出来、一緒に撮らせてもらい
嬉しく思った。かなり、初日とは言え、お疲れの様子であったが暖かい笑みを
浮かべて気軽にサインをしたり写真に写ったりしていた。思っていたより小柄
な方だったので驚いた。私は疲れていたのか不覚にも無愛想に写ってしまっ
た。
95年式のFXSTSB、バッドボーイが渋く仕上がっていて興味深いものが
あった。限定ではないようだがプレミアが付きそうなモデルである。会場内で
2、3台展示したあった。
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FLSTNは前年度モデルとほぼ同じようだがこの色合いは渋く仕上がってい
て熟年層にはうけそうに思えた。
限定車はエレクトラグライドの30周年記念モデルでFLHTCのウルトラの
展示はされていなかった。
一時期のFLHS的な位置にはいるであろうニューモデルがFLHTエレクト
ラグライドスタンダード。FLHRを昨年モデルで発表した後、また違った形
でこの手のモデルを出したいというHDの考えなのかもしれない。他のツーリ
ングモデルと比べて格安なので人気がでると思われるモデルである。これも展
示場にはなかった。今年の秋から店頭に出る予定だそうである。
94年モデルとしてデビューしたFLHRロードキングはオプションが拡張さ
れ、ツアーキングバッグ(フルサイズのテイルボックス)やクッションシー
ト、ライダー用のバックレスト(背もたれ)、サイドボックスレイルなど、こ
のモデルも3、4台会場に展示されておりHDのマーケティングが力を入れて
いるモデルであることが分かる。
他はハーレーグッズの展示で車体色に合わせた色のヘルメットやニューデザイ
ンの皮ジャケット、コレクタブル製品、時計などかなり多くの商品が目に付い
た。
帰りにHOGの記念ピンを貰ってホテルに戻る。これは登録インフォメーショ
ンを総てコンピューターで処理していた。後日「スタージス」参加のバンパー
ステッカーが郵送されてきた。
翌朝はロン、ハリーと私の3人で帰途についた。マイクはソロで出発し、ボブ
とリッチはもう1日滞在となった。この朝も霧が出ており、多少の雨が心配さ
れたが、曇空のまま昼まで続き涼しく走れて助かった。ラスクのガススタンド
では偶然にもマイクと出会った。ミシガンから来たロードキング、ニューメキ
シコから来たローライダーカスタム達と話しをする。ワイオミング州に入って
から太陽が顔を出しあの灼熱の中を走った。
全走行距離が約1000マイル(1600キロ)と8年前に1日で1300マ
イル(約2000キロ)、3日半で3400マイル(5440キロ)をカリ
フォルニアまで単車で走った経験から比べると、久し振りで疲れたが、まあま
あのツーリングとなった。また、2月に腰を痛めた後で、無事に目的を達し、
また、有意義な時を仲間達と過ごせたことに感謝している。
皆各々それそれの思い出を胸に、日常生活に戻っていった。