さあ、出かけよう。

 さあ、出かけよう。
 準備はOK?
 背中のリュックサックには必要などうぐいっしき。
 むぎわら帽子にはきなれた靴で、そうびはばっちり。
 お尻のぽっけをぽんぽん、と2回叩く。
 そこにいるのは私のあいぼう。
 これから始まる旅がどんなものになるのかは、割とこの子にかかってる。
 どんな感じ?
 おっけーだよ。
 機嫌はいいみたいでひとあんしん。
 空はとってもいいてんき。
 旅にでるにはとってもいい日だ。

「ねえ、お母さん」
「ん? なにかな」
「私ね、旅したいの」
「そうなの。じゃあ、もうすぐ夏休みだし
お父さんに話してみましょ」 
「ううん。そうじゃなくてね」

 歩きなれた道を、小走りに進む。
 ずっと決めていたこと。
 旅に出る日には、この町を全部見てからにしよう、って。
 そうして改めて見てみると、この町でも知らない場所とかある。
 ちっちゃい町だと思ってたのに、なかなかあなどれない。
 そういえば、あっちの角は曲がったことが無いかも。行ってみたいな。
 ううん。
 首をぶるぶると振る、だめだめ。
 あの角は、今日はおあずけ。
 帰ってくるときまで、我慢しておこう。

「だめです」
「そんなぁ」
「だって、あなたまだ子供なのよ?」
「もう、子供じゃないもん」
「とにかく、だめです」
「うー!」

 すれ違う知り合いのお姉さんに挨拶する。
「志野ねーちゃん、こんにちはー」
「あら、往乃ちゃん。こんにちは。お出かけ?」
「うんうん。私、これから旅に出るのっ」
「旅? へえ。いいわねえ若い子は」
「またまたぁ。志野ねーちゃんだって十分若いですって」
「ありがと。それで、どこに行くの?」
「行き先なんて決めてませんよっ。それが、旅ってもんじゃないですかっ」
「うーん……そうかもね」
 行き先はきめない。
 ただ、なんとなくよさそうな方向へと。
 何があるかわからない。
 それは、きっとわくわくする。

「ねぇっ、ドア開けてよぅ」
「だめです。反省するまで、そこから出しませんからね」
「むむぅっ」
「おい、いくらなんでもやり過ぎじゃあ……」
「黙っててよぉっ。まったく、君がちゃんとしてないからこんなことに……」
「父さんは悪く無いのに……」

「ぴこ」
 学校の近くについたとき、その声を聞いた。
 この声は、まちがい無い。
「師匠?」
 私は辺りをきょろきょろと見まわす。
 そこには、思ったとおり白い犬みたいな毛玉であるところの師匠がいる。
「どうしたんですか?」
「ぴこっ、ぴこっ」
「え、あ、はい。わかりました」
 なんだか、師匠もついてくるみたい。
 できれば、一人旅がよかったのだけど、師匠の言うことでは逆らえない。
「ぴこ」
「はい。それじゃ、バス停まで行きましょう」
 こうして、旅の道連れはふたつになりました。

「……そろそろいいかなぁ。えーと、ご飯、食べる?」
「……」
「返事が無い……開けるよ」
「(しーん)」
「え? 誰もいない……逃げたぁっ!」

 海辺でうーん、と伸びをする。
 ここまで来れば、バス停までもうちょい。
 振りかえって、町を見る。
 しばらく、ここには帰ってこない。
 そう考えると、ちょっと寂しい。
 なんだか、きゅう、って気分になる。
 ちょっとだけ。
 止めようかな、って気分にもなる。
 でも。 
 それよりも、ずっとずっと大きい気持ち。
 知らない場所に言ってみたい。
 知らない人にあってみたい。
 そして。
 いつか。
 あの空の向こうに。
 ただ、気になることがひとつ。

「ねっ、どこに行ったかわかんない?」
「んー。まあ、大体わかるが……」
「じゃ、教えて」
「教えると、捕まえに行くだろお前は」
「あたりまえだよぉっ」
「じゃあ、教えない」
「……お小遣い、減らすよぉ」
「……汚ねえ」

 結局、お母さんには許してもらえなかった。

「心配な気持ちも、わかるけどさ」
「わかってないっ!」
「いや、わかる」
「……うん。そうだね」
「だけど、な」
「……うん。でも、でもっ」

 私、悪い子。
 でも。
 この気持ちは、どうしようもないの。
 私は、バス停に向かって歩き出そうとした。
 そのとき。

「往乃」
 声が聞こえた。
 どこから?
 すぐ、近くから?
 振り向く。
 そこに、お母さんがいた。
「お母、さん」
お母さんは、なにも言わず近づいてくる。
私は、なにもしないで、ただじっとしていた。
そして、私のすぐ目の前に来て、口を開く。
「……ちゃんと、ご飯食べるのよ」
「うん」
「危なそうなところにいっちゃ、だめだよ」
「うん」
「生水は飲んじゃだめだよ」
「うん」
「連絡はしてね」
「うん」
「体はちゃんと綺麗にしててね。女の子なんだから」
「それは、ちょっと……頑張るけど」
そう言って、お母さんは、笑う。
私のお母さんだけど、その顔を見て、私は。
とても、綺麗だと思った。
と、お母さんは1枚の布を渡してくれた。
古いバンダナだ。
「これを持っていって」
「これ、なに?」
「ううん……お守り、かな」
「お守り?」
「そう。これがあれば、どこにいても、目印になるから」
「うん……」
「いつか、あなたが大人になるまで。これを持っていて」
「……うんっ」
「じゃあ」
ふ、とお母さんの匂いがした。
ぎゅっ、って、お母さんは私を抱きしめた。
ふと、私は思った。
私は、幸せなんだ。
そして、お母さんの声を聞いた。
「いってらっしゃい」

「……」
「頑張ったな」
「頑張ったな、じゃないよぅっ。あの子、行っちゃう……」
「そら行くさ。俺たちの子供だからな」
「往人君が風来坊だったりするからっ」
「それを言われるとちと辛い」
「……ねえ、私、ちゃんと言えたかな」
「ああ。言えたさ」
「帰ってくるよね?」
「ああ。もちろんだ」
わたしは往人くんの胸の体を預ける。
そして、あの子が歩いていった方向を見る。
もう、その姿は見えないけれど。
最後に、わたしはもう一度呟いた。
「……いってらっしゃい」
大好きな、私の娘へ。

 そして、旅の道連れはみっつ。
 流れる風と夏の日差しを受けて、私の夏休みが始まる。
 最後に、一言だけ呟く。
「いってきますっ」