Nightmare

「うわあああっっっ」

 スズメたちがちゅんちゅんと鳴き、部屋には太陽の日差しが入ってきている。そんなさわやかな朝の風景の中で、シエルはそんな声をあげながら飛び起きた。寝汗がひどい。心臓がばくばく言っている。見えないけれども、多分顔は赤くなっている。ちょっと布団をどかして、自分の体を見てみた。泣きたくなった。それからの行動は早かった。まず乱暴に服を脱いでシャワーを浴びた。そうすれば穢れが落ちると思っているかのように3度も体を洗った。気が済んだら体が乾ききるのも待たずにとっておきの服に身を包んだ。滅多なことでは着ることの無い、完全戦闘用の法衣。着替えが終わったなら持てるだけの武装を身にまとい、まだ完全に目覚めていない街へと踊り出る。目標はただひとつ。

 あの、あーぱー吸血鬼。

 そのあーぱー吸血鬼ことアルクェイドは吸血鬼としては非常識なことに朝の日差しの中公園を散歩などしていた。彼女ほどになれば太陽の光は大敵になり得ないが、それでも不愉快であることには違いないだろう。にもかかわらず、彼女の顔はご機嫌そのもの。肩には猫なんか乗っけて、るんるん気分で歩いている。その秘密は、その手に持つ日傘。高級品ではなさそうだが、シンプルで趣味はよい。これがその秘密である。ヒントそのいち。これはプレゼントである。ヒントそのに。彼女の知り合い(あるいはそれ以上)である遠野志貴という男は、彼女が陽光を好きでは無いことを知っていた。ヒントそのさん。そしてその男は若干世話焼きな所があった。

 まあ、そういうことだ。

 ゆえに、アルクェイドがその襲撃に気付けなかったのは、浮かれ気分が原因であるという言い方が出来る。いかにここの所若干平和ボケしているとはいえ、素の状態でならそれに気付けない彼女ではない。とはいえ、それでも遠野志貴からのプレゼントである日傘には傷1つつけることなく守り抜いたのは、まあ、なんというか愛の力か。そういうわけで。

 日傘をさして歩いているアルクェイドの頭上に、概念武装兵器の集中砲火が舞い降りた。

 びびった。相当びびった。そもそも油断などほとんどした事の無い彼女にとって、油断していたところに攻撃を受けるということ事態経験薄いことであるし、これほどの気合の入った攻撃(というか、すでに怨念すら感じる)を受けたのも久しぶりだ。肩に座っていた猫は、ずり落ちそうになったところを必死にしがみついている。その部分がちょっと冷たくなってしまっているのも、まあなんというか責めることも出来ない。責めるとしたらあっち。

「しししし、シエルっ、朝っぱらからいきなり何するのよっ」

 シエルは取り合わない。

「うるさいです。さあ、祈りなさい。あなたが信じるものに。そしてお別れを告げなさい。この世界に残すものすべてに」
「って、なんかシエル目がマジっ。わたしなんにも悪いことしてないのに、なんでこんなことすんのよっ」
「なにもしてない、ですって?」

 シエルは馬鹿でかくかつ馬鹿みたいに凶悪な馬鹿兵器を取り出した。第七聖典。かなり本気で心臓を狙っている。あれにやられると、さすがにシャレではすまない。かといって、わけもわからないこの状況ではどう対応していいかわからない。やるとしたら本気で立ち会わなければならないだろうが、そんなことをしたら。

 この傘が、無事ではすまない。

「そうよ。何怒ってるのか知らないけど、わたし悪くないもの。あ、この傘について嫉妬してるんだったらお門違いだからね。そういうことは志貴に言ってね」
「そんなことは……問題ですけど……今は問題ではありません。犯人はその猫……夢魔ですか?」

 そう言って、シエルは第七聖典の狙いをアルクェイドの猫、レンに向ける。ずり落ちそうな所をこらえていたレンは、今度こそずり落ちた。アルクェイドならシャレではすまない程度ですむが、レンの場合はもうどうしようもない。走馬灯のように、自分をなでてくれた魔術師の姿などがまぶたに浮かぶ。私もどこか遠くに行けそうです。

「ちょっとちょっと、レン怖がってるじゃないっ。ねえ、本当にわたし何もしてないよ? ほんとだよ?」
「……そんなわけ、ありません」
「ぶー、なにを根拠にそんなこと言うわけさあ」
「あなたが、何かしたのでなければ。ないのなら」

 そう言って、シエルはうつむく。その顔が赤い。言いづらそうにもごもごと口を動かしたあと、意を決したように、叫ぶ。

「私がっ、あんな淫猥な夢を見るわけがありませんっ」

 そう。
 叫んだ。
 アルクェイドの目が丸くなった。

「……いんわい?」
「そうですっ。おおかたなにかの嫌がらせのつもりでしょうがそんなことでくじける私ではないのですよかつて教会の非道な責め苦にも打ち勝った私なのですからねさあコトの原因であるその猫をこちらに引き渡すかそのまま死ぬかしなさいっ」
「えーと、あの、シエル? それって、ただの夢なんじゃん? ほらぁ、教会の方々ってなにかと禁欲的だから、その、色々たいへんなんじゃないかなー、って素人ながらに思うんだけど」
「そんなはずはありませんっ」
「いやでもさ、どうせ志貴あたりが出てきたんでしょ? それならわたしにしてみればむしろ羨ましいくらいだしわざわざなんでわたしがあなたにそんなことしなきゃならないの?」
「出てきたのが遠野くんなら、ここまでのことはしません……じゃなくて、ともかく、遠野くんが出てきたわけじゃないです」
「えー。じゃあ、だれ? だれが出てきたの? 教会のだれか? わたしの知ってるやつ?」

 問う。と、とたんにシエルは黙り込む。これだ。これが突破口だ。アルクェイドはそう悟り、さらに問い詰める。シエルはしばらく答えなかったが、やがて小さく口を開いた。

「……です」
「え? ごめん聞こえなかった。もう一度、言ってくれる?」
「あなたですっ」

 時間が止まった。

「わた、し?」
「そうですっ、あなたがあつかましくも私の夢に登場して、その上、その、なんというか、口に出すのもはばかられるようなことを私にしたのではありませんかっ」
「えーと。あの、具体的には、どんなことをしたの?」

 そう言いながら、アルクェイドはそっとシエルに耳を近づける。シエルは赤くなりながらも、その耳にぼそぼそと耳打ちをした。とたん、アルクェイドの白い頬が真っ赤に染まった。

「えええええええーーーーーーっっっっっ」
「ちょ、ちょっと、声が大きいですよっ」
「シエル、そんな、わたしにそんなことさせたの? そんな、そんな……そんなこと、志貴にもしたこともしてもらったこともないのにっ」
「って、遠野くんにそれするのは生物学的に不可能でしょっ、じゃなくて、何貴方が慌ててるんですか。犯人は貴方ではないのですか?」
「だから、違うって言ってるーっ。う、うわぁーんっ、わたしシエルに汚されたぁーっ」
「ちょ、ちょっとっ、何言ってるんですかっ」

 アルクェイドの目にじわりと涙が浮かぶ。それは大きな粒となり、ぼろぼろとその頬を伝って落ちる。想定していなかった状況に、シエルもおろおろとうろたえる。やがてアルクェイドは、「シエルのばかぁーっ」と言い残しその場を去っていった。後には、呆然と立ち尽くすシエルのみが残される。ひょっとして、ただの自爆? だとしたらやばい。あのアルクェイドの状況からして、だれかに聞かれたらこのことを答えてしまいかねない。なんとか、追いかけて、口を封じなければ、とそう思う。だが。

 さっきの、アルクェイドの泣き顔が目に浮かんだ。
 夢の中に出てきたアルクェイドの映像がフラッシュバックした。

 足が止まった。決意が鈍る。ついでにどきどきする。なぜどきどきするのと自分に問い掛ける。そんなことをしている場合ではない。早く追いかけなければ。例えば、この話が、そう。遠野志貴の耳に入ったら、えらいことだ。だが、そう考えるシエルの目の前に、1人のメガネ男が現れた。彼こそが、色々渦中の人物である遠野志貴だ。

「遠野、くん?」
「はい。その、おはようございます、シエル先輩」
「あの、遠野くんがなんでここに?」

 フル武装して朝の公園で佇んでいる自分のことはとりあえず棚においといて、シエルは遠野志貴に問う。

「ごめん、聞くつもりはなかったんだけど、散歩してたらつい……耳に入っちゃって」
「えと、その、ですね、遠野くん、今の一連の会話は、なんというか、新手のパーティージョークというか」
「わかってますよ、先輩」

 そう言って、志貴は優しげな瞳でシエルを見つめた。やはり遠野くんは違う。世界中のすべてが私に敵意を向けても、彼だけはわかってくれるだろう。とかシエルがじーんとしているところに、志貴は言葉を続ける。

「俺……育った家が、オヤジはロリコン兄はシスコン妹はブラコン女中は不感症メイドは洗脳探偵って、そんな特殊な環境だったから……その、そーゆー恋愛のカタチにも理解あるつもりなんだ」
「え? あの、遠野くん? いったい何を言いやがってるんですか?」
「でもさ、先輩には覚えていて欲しいんだよ。遠野志貴って言う……先輩のコトを思ってた、一人の馬鹿がいたってことをさ」
「いや遠野くんいつもどおり1人の世界に浸っちゃってるのはいいんですけど少しは私の話を聞いてはくれないのですか?」
「わかってる。もうわかってるんだ。じゃあ……さよなら、先輩っ」

 そう言って、志貴も脱兎のごとく駆け出した。その横顔にちらりと見えたのは……涙?

「いや、『涙?』じゃなくてっ」

 ツッコミをいれても一人。風はさわやかだがどこかよそよそしい。まるで世界に1人取り残されたかのように、シエルはその場に佇んでいた。

 やっぱり、シエル先輩は不憫な子だった。

終われ。