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 ブリュンスタッドさんちのアルクェイドさんは、このごろ少し変でどうしたのかなと巷の噂になっていた。

 遠野志貴が遊びに行っても、シエルがケンカを売っても、いつも答えは同じの「あとで」であり、周囲としてはとてもつまらなかった。

 この事態に関しては当局からの様々な憶測、例えば「イメージチェンジを狙ったのではないか」「ヘンなものでも広い食いされたのではないかしら?」「いーかげん寿命なんじゃないでしょうか」「志貴さま金返せ」「日本を印度にしてしまえ」「いや違う、大人しくして見せているのはただの迷彩だフェイントだ。実は裏で恐ろしい陰謀を企んでるに違いないそうに決まってるああ恐ろしい」「にゃあ」などが飛び交ったが、どれも決定的な破壊力には欠けていた。

 さておき、そんな周囲の声をものともせず、アルクェイドさんは絶賛落ち込み中であった。彼女と敵対し普段はいかにして亡き者にするか、という事ばかり考えている遠野秋葉ですら、その大人しさには一抹の不安感を隠しきれずにいた。

 また、この地域に住む彼女を良く知る人物の中で、唯一友好的な態度の持ち主である遠野志貴は、持ち前の変な人の良さで何があったのかを聞き出そうとするが、そのたびにアルクェイドさんは微妙な態度をとりはぐらかすだけであった。どうでもいいがアルクェイドさん友達少ないな。

 そんな中、1人微妙な態度をとっているのがカトリック埋葬機関所属のカレー魔人シエル先輩である。彼女はアルクェイドとの付き合いが旧く、ある意味旧知の仲と言ってもいい。一回殺されてるし。とはいえその間柄は吸血鬼と化物殺し。基本的には敵対しているわけなのだが。

「……」

 と、落ち込んでいる(らしい)アルクェイドを見ているとシエルもなんだか微妙な気持ちになってしまう。自分は彼女の事を心配しているのか、という考えを慌てて振り払う。そんなわけはない。今の所は休戦状態だし、時々雑談なんかしてしまったりもするが、基本的にあれと自分は相容れぬ存在なのだ。あれは自分の敵なのだ。カレーの神に誓って絶対なのだと、形式上でもキリスト教とならそっちの神に誓っとけよとのツッコミに見向きもせず自分を誤魔化すシエルだった。

 だが、そんな考えも長くは続かなかった。ある日、いつものように夜の街を泣く子はいねが悪い子はいねがとパトロールしていると、人気の無い鉄塔で、誰も知らない知られちゃいけないとばかりに座り込み月を眺めているアルクェイドを発見した。彼女がスーパーフライのスタンド使いで鉄塔から出られないので無いとすれば、一体こんな所で何をやっているのだろうか。少しずつ近くにより観察してみると、やはりどことなく悩んでいるように見える。そもそも、自分がこれだけ気配をあからさまにして近づいているのに、まったく気付く様子がないというのからしておかしい。どうしたものかと、きっかり3秒だけ悩み。

「あなた」
「え? あー、シエルか」

 話しかけた。少し距離を置いてアルクェイドの側に立つ。完全に警戒体勢を解くことが出来ないのがなんとなく嫌だったが、それはそれで仕方ないと思いつつアルクェイドの横顔を見る。とても整った、美しい顔立ち。それがこうもアンニュイぎみな表情をしていると、同性だと言うのにどきどきしてしまう。いや違う自分はそんなことを考えに来たんじゃない、と必死にその考えを打ち消して話しかける。

「こんな所で、なにをしているのですか?」
「え? 別に」

 と、そっけない態度をとられてしまった。そんなことを言われても、その表情もその態度も、別に何でもない風には見えない。そんなアルクェイドを見て、シエルは思う。この人は変わった、と。この街に来て、あの少年、遠野志貴に出会うまでは、こんな態度をことは決してなかった。それは完璧なる白く冷たき真祖の姫。その頃を知っている者として、強く思う。彼女は、変わった。そしてたぶん、それは自分も同じこと。

「あなた……最近、なんだか様子がおかしいですけど、なにかあったのですか?」
「え?」
「いえ。私の今の仕事は、この街が平穏を取り戻すことですから、その、あなたが大人しくしている、などという異常事態を放って置けないだけです」
「そう」

 普段なら「わたしが大人しくしてるのがそんにゃにおかしいかーっ」ぐらいの反論をしてくるはずのアルクェイドは、しかしその言葉になんの感慨も覚えないかのように、再び月を眺めている。その横顔を見たときシエルの心に浮かんだのは、およそ自分でも信じがたい感情だった。すなわち、「力になりたい」。極めて単純に、そう思えた。そう思う自分と、それを否定しようとする自分とがガチンコバトルを繰り広げた結果。

「……なにか、悩み事でもあるのですか?」
「え?」
「これでも一応修道女の資格も持っています。悩み事を聞くのは、本業とも言えますし」
「うん。そういえばそうね。じゃあ、聞いてもらおうかな」

 意を決してそう問いかけるシエルに対し、アルクェイドは素直に従う。ひゅうひゅうと風の音だけが響く中、彼女は語り始める。

「あのね。私、この間暇だからこの街の図書館で色々読んでたんだけど」
「……ああ、そう言えば一時期そんなこともしてましたね」
「そのとき知ったんだけど、この国で男女が結婚すると、女の方が男の方の苗字を名乗ることになるんだよね」
「まあ、婿養子とかのケースとかを除けば、現状概ねそうなっているようですね」
「でさあ、考えてみたんだけど、わたしと志貴が結婚するとさ、わたしの名前って遠野アルクェイドになる訳っしょ?」
「……え?」
「いやー、全国の遠野アルクェイドさんには悪いけど、それってなんだか勘違いして新進気鋭の気分になってる芸術家気取りの変な人っぽいじゃない」
「……」
「それで、『ああわたしたちが結ばれるにはそんな高いハードルがあるんだなぁ』って乙女の小さな胸を悩ませたりしてたわけなの」
「……」
「うん。でも、なんだか人に話したらちょっとだけすっきりした。ありがとねシエル。あはは、わたしがシエルにお礼言うなんてね」
「……ななこ」
「って、どうしたのシエル? そーんな刺青浮き上がらせて戦闘モードに入って第七聖典なんか構えちゃったりして。なにかただ事ならぬ雰囲気だけど」
「……ごーっ」

 シエル先輩、最終兵装第七聖典に宿る精霊ななこ(最近そう呼べと主張してる)であたっくあたっく。

「たっ、あたたたっ、いたい、いたいってばっ。いきなりなにするのよシエルっ」
「うるさいっ、人のことさんざん心配させといて、その理由はなんですかっ」
「んー?」

 と、襲いくるななこを、猫アルクと変化することによる当たり判定の減少を利用して避け、猫のままシエルに問い掛ける。

「なんでシエルがわたしの心配をするのかにゃー?」
「え、そ、それは……」

 なんでかにゃー? といいながら、シエルの周りをぐるぐると回る猫アルク。それの中心で、思わず紅くなってしまうシエル。

「あー、シエルが紅くなったー。どうしたのかにゃー。もう生まれ変わった不死身の体じゃにゃいんだから、動悸息切れ老衰肥満には気を付けにゃきゃいけにゃいにゃー」
「誰が肥満ですかっ」

 禁句を言われたことにより怒り心頭になり、どこからともなくとりだした秘密兵器の数々をかなり容赦無く叩きつけていくシエル。さすがの猫アルクも、あまりの本気っぷりに恐れをなした。

「にゃーっ、シエル、タンマタンマッ、いやむしろ死ぬ、死んでしまう、オトメのぴんちぃー」
「やかましいです。もーいいですからちゃっちゃと死ねこの吸血鬼野郎っ」
「うにゃーっ、シエルキャラクターが変わってるーっ」

 などと言いながら、必死で逃げる猫アルクを追いかけるシエル。ある意味お魚加えたドラ猫を追いかける永遠の主婦みたいなもんである。さておきシエルは怒っていた。アルクの悩みがそんなくっだらないことだったことに。その不敵すぎる考えに。そもそも遠野志貴は自分の獲物なんですよという事実が世間一般に知れ渡って無いことに。そして、なによりも。

 アルクェイドの悩みが、そんな小さなことでよかったと、ほっとしている自分自身に対して、腹を立てていた。

 *

 後日談となるが、ブリュンスタッドさんちのアルクエィドさんは「そうだ、ちょっとハイソに『アルクェイド遠野』にすりゃーいいじゃん。なんか十傑集っぽくて胸キュン?」などとのたまい、またしても他のヒロイン連中を敵に回していた。

 まあ、そんなこんなの、概ねにして平和な日常。

終わる