ハードブレイク芽依子様

 ちと気になることがあったので、芽依子を呼んでみる事にした。

「おーい、芽依子ー」

 しかし返事はない。

「芽依子ちゃーん」

 それでも返事はない。

「芽依子様ー」
「呼んだかね?」
「うおっ」

 ほんとに来やがった。

「なんだ。せっかくきてやったのにその態度は」
「いやいやいや。つかどっから来たんだよ」
「呼ばれたから来たんだろうがーっ」

 蹴られた。

「……いてえ」
「で、なんのようだ? もしわざわざ呼んでおいて、つまらない用事だったら、」

 芽依子の目が光り、

「……斬る」
「斬るなよ。ちょっと気になったことがあったんだ」
「ほう。彼方さんは向学心が旺盛だな。で、何を知りたいんだ? 私のスリーサイズ以外なら教えてやるぞ」
「いやそれは壮絶にどうでもいい」
「なんでっ? 今なら澄乃のあんな秘密やこんな秘密もつけるのにっ」

 それはちょっと気になったが、とりあえず本題に入ることにする。

「まあとにかくだな。本題に入ると、お前、いつも本持ち歩いてるだろ」
「ん。まあな」
「医者の娘というインテリっぽい立場を強調するためなのかもしれないが、実際のところ、その本はなんなんだ?」
「ふむ。これか。まあ、その日によって違うのだがな」

 そうだったのか。
 てっきり、毎日同じ本を持ち歩いているのかと思っていたのだが。見た目同じだし。

「例えば今日はこれだ。読んでみるか?」
「ああ。なになに……『いますぐ殺(や)れる。実践! 護身術講座(はぁと)』!?」
「うむ」

 護身術でやっちゃだめだろとかはぁとマークがついているのはなんのつもりだとか言いたいことはあったが、まあ芽依子の持ち物なのだから仕方あるまい。
 しかし。

「こんなもの持ち歩いて、お前格闘マニアかなにかなのか?」
「そんなことはない。しかし、なにかと物騒なこのご時世、護身術の一つも身につけねばな」
「ふーん。そんなもんか」
「ああ。彼方さんはなにか武術をたしなんだことはあるかな?」
「いやー、俺そういう野蛮なことは苦手だし」
「このばかちんっ」

 殴られた。

「なにをするっ」
「彼方さんが現実を見ない発言をするからだ。いいか、仮にもこの手の話の主人公たるもの、普段は瓢瓢としておきながらも、いざという時には無意味に強くてギャルにモテモテウハウハという状況を作りださんでどーする。それがご都合主義ってもんだろーがっ」
「『この手の話』ってなんだよ。しゃあないだろ、俺は今まで割と平和に生きてきたんだから」
「きええいっ、ダメだダメだダメだっ。彼方さんのノウズイはまるでオハギのようだっ。いいかね? これからは強い男がもてる! その野趣あふるる魅力にナオンはメロメロなんじゃよーっ」

 なんかキャラが混ざりすぎているが、 芽依子の言わんとしていることは判らんでもない。

「そうか……これからは力、すなわちパワーの時代か!」
「そうだぜ……アンタのガタイなら世界を狙える……アタイに命をかけてみないかい?」
「よし、やる。俺やるよ! お前の描くでっけえ夢に騙されてみるよ!」
「へっ、今時見ねえ目をしてやがる……バカヤロウの目だ。だけどアタイ、そんな目をしたやつ、嫌いじゃないよ……」

 俺達はがしっ、と腕を組む。
 二人してキャラクターが意味不明になってきたが、これはこれで楽しい。

「で、なにをすればいいんだろう?」
「そうだな。いきなり過度のトレーニングをするのは逆効果だ。医者の立場から言っても、基本からしっかり鍛えあげることこそが肝要だ」
「ふむ」
「例えば打撃技なら、拳をしっかり作らないとパンチも打てない。下手な握り方だと、手首を痛めてしまう。その点、掌底を使えば、その問題もない」
「掌底って?」
「手の平のここ、親指のつけねあたりだ。ここでこんな風にして、」

 と、芽依子は今まで俺に見せていたその手を、ものすごい速さで俺の顔に近づける。いや、正確に言うと「近づけていた」だ。そこに至る過程が俺には見えなかった。背筋に冷たいものが走る。

「相手の顎を打ち抜く。すると脳を揺らせるから、さして力もいらずに相手を倒せる。効果的だ」
「あ、ああ。そのようだな」
「よし、彼方さん、やってみるか?」
「え? ああ、よし」
「当てるつもりで構わないから、やってみるといい」
「いいのか」
「うまく受けるから、心配はいらない」
「そうか」

 なら遠慮せずにいこう。
 普段ならば相手は女性。そう言われても手加減するところだが、まあ相手は芽依子だ。大丈夫だろう。
 しかしこんなことはひさしぶりだ。俺は少し緊張しながら、見用見真似で構えを取り、芽依子の顎を見据えて、そこに向けて手を伸ばし、
 途中で、オチが判った。
 とはいえ、手を止めることなど出来なかった。

 たゆん、と柔らかな感触。

「……」
「……」
「……あ」
「……あ」

 時が止まったように思えた。
 もしこの地に時を止めるスタンド使いがやってきて、このまま本当に時間を止めてくれたなら、どんなによかっただろう。
 しかし、無情にも時は動き出す。

「は、」

 呟く。

「……82?」

 死ぬ前に、いいものを見た。
 芽依子が、赤くなっている。

「か、彼方さんのっ、ばかーっ」

 芽依子が体を引き、構えを取る。俺のへっぴり腰などとは比べ物にはならない、まるで本当に死地をくぐりぬけたことがあるような構え。その構えからはじき出されるように右拳が打ち出され、俺の胸を貫き、
 衝撃はむしろ背中に走る。
 息が出来ない。
 次いで、芽依子が左の拳を構えるのを見る。よけろ。無理。受けろ。無理。腕が動かない。否。体が動かない。拳が迫る。死に際の集中力なのか、必要以上に拳がゆっくりと見え、しかし体は動かず。
 こめかみに、鈍器で殴られたのごとき衝撃。
 耐えきれず、転倒。地面の雪が冷たいとすら思えない。
 心臓を強打されると、人は一瞬心臓が停止し、身動きがとれなくなるという。
 これが。ハートブレイクショットか。

「あ、あ、あっ」

 芽依子が息を切らせながら、なにかを言おうとしている。
 俺は朦朧としたまま、その言葉を聞く。

「兄上のっ、ばかーっっっ」

 いつ俺はお前の兄になった。
 そんな言葉を発することも許されず、俺は薄れいく意識の中で、走り去る芽依子を見送った。
 俺はそのまま、今までの人生を、そして大切な人達を思いだした。
 澄乃……えうえう。
 あさひ……すぴ。
 桜花……歯ぁみがけよ。
 しぐれ……ゴメン、今のシナリオじゃ出てないや。
 そして、つぐみさん。
 ――給料、増やしてくれ。
 大切な人に別れを告げ終え、俺はゆっくりと瞳を閉じた。
 やがて、世界が光に満ちる。
 ああ、なんだか。あったかいや。
 まるで母の腕の中のような温もりに包まれ、そして俺の意識は薄れていった。

(王大人死亡確認・完)