ごはん

 加速する。接近する。回避する。破壊する。
 高宮研のエクストラである知佳と知登にとって、戦闘テストというものは極めてシンプルなもので、それらの動作を状況に合わせて選択するのみだ。その選択もほとんどは脳内に焼き込まれた反射プログラムが行うため、二人の表層意識は戦闘中、ほぼ作用してないとすら言える。ほとんど夢を見ているような気持ちのまま、二人はテストターゲットを破壊する。
 その日のテストもまた、そのように行われた。

「知佳、知登、お疲れさま。今日はこれくらいにしましょう。シャワーを浴びてからここまでいらっしゃい」
「はい」
「はい」

 テストルームに据えつけられたスピーカーから響く、彼女らの主人たる高宮エレンの声を聞き、二人は答える。体内の状態制御プログラムを操作し「戦闘」から「平時」へ。脳内の興奮物質の分泌量が低化し、体温が急速に下がり、心臓のクロックが落ちる。このときはいつも少しだるくなる。ねむい、と二人は思う。けれども、そんな仕草を見せることは無い。「高宮エレンの最高傑作」たる自分たちがそんな様を見せてはいけないと、二人は思っているから。
 もっとも、二人がそう言った状態であることは、モニタールームで二人の各身体状況を逐一チェックしているエレンには、それこそ手に取るように判ってしまっているわけだが。
 さておき、二人はゆっくりとした足取りでテストルームを出、シャワールームへと向かう。その後ろ姿を、高宮エレンはモニタールームからカメラ越しに見送る。
 それを共に見ている助手の桐田篤子が、モニターに表示されたデータを見ながらエレンに話しかける。

「今日のテスト、二人ともちょっと負荷が大きかったようですね」
「そうね。長時間の戦闘の際には、まだ少し性能にばらつきが見られるわね」
「やはりあの小さな体では、体にストックしておけるエネルギーの量が限られてしまいますからね……そう言えば」

 と、篤子は思いだしたかのように呟く。

「なに? 篤子」
「ええ。津名川さんとこのエクストラ。最近固形物を食べてるらしいですよ」
「固形物?」
「ええ。と言っても、まだおかゆ程度らしいですけど。成分調整した専用食料と違って、栄養過多とかアレルギーとかに気をつけきゃいけないから、大変らしいです」
「へえ……津名川の、ね……」

 篤子の言葉を聞いて、エレンは考え込む。研究所内での活動のみを考えるならば、わざわざ通常の食事を採れるようにする訓練など行う必要は無い。しかし仮にこの子たちが実践配備された場合、栄養補給のために専用食料が常に完備されているとは限らない。通常の食事を採る機能もまた、実践には必要だろう。それになにより。
 津名川のエクストラに出来て、うちの子たちに出来ないことがあっていいはずがない。
 公的な建前と私的な本音を織り混ぜつつ、エレンはその結論に達する。思い立ったが吉日とも言う。ふむ、と少し考え、

「ねえ、篤子。ごはん、どこかにあったかしら?」
「あ、はい。確か給湯室に、所員の夜食用のがあったと思います。パック入りのやつですけれど」
「そう。それでいいわ。あの子たちがやってきたら、給湯室に来るように言って頂戴。私は先に行っているから」
「ええ。そうですね」

 そう言って、篤子は軽く微笑む。

「きっと、あの子たちも喜びますよ」

 それを聞いて、エレンは何を言っているのだか、と思う。
 別に、あの子たちに喜んでもらうためにするわけではない。

 給湯室で少し探したところ、そのパック入りごはんはすぐに見つかった。電子レンジで暖めればすぐに食べられるというものだ。とりあえず手順通りに暖めてから、知佳と知登が食べられるように加工しようとする。最初から無理はさせられないだろうから、とりあえず材料は米だけでよいだろう。鍋を取り出し、水を張り、ごはんを入れて煮込む。詳しい手順は知らないが、まあこれでいいだろう。
 それにしても、とエレンは思う。自分で料理をするなど何年振りだろうか。エレンにとって食事とは単に栄養分の補給であり、必要な要素が短時間で過不足なく摂取できればそれでよく、味などは極端に酷くなければどうでもよい。誰かと外食に行く、などと言う行為は必要に応じられたときにしか行わないし、それも愚かな行為だと思っている。だがその軽視のせいであの子たちの食事摂取の必要性について考慮できなかったのだから、少しは反省すべき点なのかも知らない。
 と、そんなことを考えていると。

「来ました」

 入り口が開き、そこからそんな声が聞こえた。振り向くとそこには、知佳と知登が立っていた。二人ともシャワーを浴び終えたようで、お揃いの服に着替えている。こうしていると一見どちらがどちらだか判らない。一応区別のために髪型を変えてはいるが、それでもときどきどちらがどちらだかエレンにも判らなくなる。
 まあ、どちらがどちらでもそれほど問題は無い。
 エレンが鍋を見、お玉を入れて状態を観察する。米はほとんど形を失い、ペースト状になっている。それをかき混ぜてから、薄目の部分を選んで掬い、少し味見。ほとんど水に近く味は薄いが、最初はこれくらいでいいだろう。皿に分け、スプーンを添えて二人を呼ぶ。

「知佳、知登。これを食べてみてくれる?」
「それを、ですか?」
「ええ。あなた達にも通常の食事を採れるようにする訓練を施そうと思うの。とりあえず今日は試しだから、厳密にデータを採りはしないわ。食べてみて、どんな感じか聞かせてくれる?」
「はい。判りました」
「ええ。熱いから、気をつけてね」
「はい」

 知佳と知登は言われた通りに、スプーンと皿を手に取り、近くにある椅子に座ってそれを食べようとする。が――。
 かちゃり、という音が響き、エレンがそこを見ると、知登が皿からおかゆをこぼし、服に小さな染みを作っていた。見ると、スプーンを持つ手が少し震えている。エレンは即座に判断する。おそらく、戦闘時に神経を極端に緊張状態にしたため、平常状態に戻ったばかりの今は、副作用で末端まで上手く信号が行き渡っていないのだろう。隣の知佳を見るとそんな様子はない。これは二人の個体差によるものだろうか。あとでデータを検証してみよう。
 エレンがそんなことを考えていると、その黙り込んだ姿を見て、不機嫌になったと思ったのであろう知登が、おずおずと、

「……すみません」

 と、言った。
 その言葉を聞いて、エレンは我に返る。研究者にありがちなことだが、彼女も思考に没頭すると周りが見えなくなるところがある。知登は、あまり感情を表に出さない彼女にしては珍しく、とても落ちこんでいるように、エレンには見えた。
 そんな知登を見て、エレンは苦笑しながら、

「いいのよ、知登。問題はむしろ、あなたたちの状態を考慮しなかった私の方にあるのだもの。とりあえず、」

 と、エレンはポケットからハンカチを取り出し、知登の服に零れ落ちたおかゆを拭き取る。そして、知登の手から皿を受け取り、スプーンを手に持って、

「――私が食べさせてあげるわ。ほら、冷ますから、口を開けて」
「え? あ、はい」

 言うなり、エレンはスプーンの中にはいったおかゆに息を吹きかけて冷まし、それを知登の方へと差し出した。知登はしばし戸惑っていたようだが、やがておそるおそるながらも、それを口にくわえる。こくん、とその小さく白い喉が動き、エレンは無事摂取することが出来たと満足げな笑みを浮かべる。そこでふと横の知佳を見ると、彼女は手を止め、こちらを見ていた。

「知佳、どうしたの?」
「あ、いえ、なんでもありません」

 とは言うが、明らかにこちらを気にしているようであった。エレンはそれを見て、「ごめん、ちょっと自分で持っていてね」と知登に皿とスプーンを返し、

「ほら知佳。お皿を貸してみなさい。あなたにも食べさせてあげるから」
「えっ、いえ、いいです。わたしは、自分で食べられます」

 寡黙な彼女にしては珍しく、慌てた素振りでそう否定する。しかしエレンはそれに対し、

「いいから。私は、あなたたちを平等に扱うことにしているの。同一環境における個体差の計測も、あなたたちの研究におけるテーマの一つなのですもの。だから、ね」
「……はい。判りました」

 エレンがそう言うと、知佳は知登と同じように皿とスプーンをエレンに渡し、同じように食べさせてもらう。エレンはその様を見守り、そして二人に問う。

「とりあえず、問題は無いみたいね。二人とも、どう? 体内になにか問題はある?」
「いえ。摂取した食物は問題無く胃に到達しました。消化活動も、滞りなく進行している模様です」
「こちらも同上です。問題ありません」
「そう。よかったわ」

 彼女らは嘘は吐かない。問題があれば問題があると言うだろう。ゆえにエレンは二人の言葉を信頼し、そして誇らしく思う。津名川に見せてやりたい気分だ。私のこの子たちは、あなたの子たちに、何一つ負けてはいないのだ。
 そしてエレンは思考を切り返る。問題がないのならば、段階を本格的な実験に移そう。こんなままごとのようなものでは無く、きちんと数値も計測して。
 思い立ったが、吉日。

「篤子。ちょっと準備をするから付き合って頂戴――あなたたちは、ここで食べていて。食べ終わったら、モニター室まで来てね」

 突然、エレンは入り口付近に向かってそう言うと、そちらに歩き出した。そこからは、いつからいたのか、篤子がばつの悪そうな顔で顔を出していた。知佳と知登もそれを見て、目を丸くする。戦闘時ならともかく、平常時の彼女らの知覚能力は一般的な少女のそれと大差ない。

「え、エレンさん……気付いてたんですか?」
「別に。ただそんな気がしただけ。それと、覗き見は趣味が悪いわよ」
「え、ええっと……ごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいわ。さ、ほら行くわよ」
「あ、はいっ」

 そうして、二人はその場から歩み去る。
 あとに残された二人は、しばし去った後を眺めていたが、やがて食事を再開した。知登はまだ上手く食べられないようであったので、知佳がそれを手伝ってやりながら。
 その僅かな量のおかゆを、かなりの時間をかけて食べ終えた後、どちらが言うとでもなく、小さく、呟かれた。

「おいしかったね」

「それにしても、エレンさん、すごいですね」
「なにが?」

 歩きながら、篤子はエレンにそう話しかけた。

「知佳と知登ですよ。あの二人の区別、完全に出来ていたじゃないですか。シャワー浴びた後で、髪型も分けてなかったみたいですよ」
「ああ、そうだったの」

 エレンはあまりそういう瑣末なことは気にしないので、気がつかなかった。
 しかし、言われてみれば、自分は確かにあの二人を見分けていたような気がする。むしろ、それは自明のことであり、考える必要などないように思えた。
 しかし、その曖昧さはエレンにとって気持ちが悪い。何か理由はあるはずだ。考えてみる。それでも、明確な答えは出ない。
 そんなエレンをよそに、篤子はなにやら愉快そうな顔をしながら、

「なんだかそれって、いいですよね。こう、親子、って感じで」
「……なにを言っているのよ」

 からかうような篤子の言葉に対し、エレンはそっけなく応える。が、心の中には、冷静な彼女には珍しいほどの動揺が走る。
 そんなわけはない。
 彼女達は確かに、自分の優秀な作品であり、そう言った意味での愛着はあるかもしれない。しかし、それは、親子のものとか、そう言ったものとは、違うのだ。
 ……たぶん。

 おわり