ジリリリリと、目覚し時計が朝であることを主張する。
 もぞもぞとベットから這い出して、目覚し時計を掴み取る。裏側にあるスイッチを切ろうとするも、寝ぼけた頭ではなかなか見つけられない。
 しばし苦戦し、スイッチオフ。周囲は静けさに包まれる。まだ眠い。寝なおしたいと思いつつ時刻を確認。そんな余裕無し。やれやれと思いながらも、重い腰をあげて温かい布団を払って起床。
 月本真一の2月14日はこう始まった。
 服を着替えて、鞄を引っつかんで、あくびをかみ殺しながら部屋を出る。
 目標は我が家の冷蔵庫。のぞけばなにか食うものがあるだろう。
 と、台所まで出たところで姉と出くわす。
 そりゃここの家の住人であるのだから居てもおかしくは無いが、こんな時間に起きているとは珍しい。
 とりあえず一言挨拶「よお」。
 姉、月本碧はそのやる気なさげな挨拶に対し同じく「よお」。この姉弟は似たもの同士らしい。
 腹を空かせた真一が台所に行こうとするが、碧は呼びとめて、

「弟。いいものをやろう」
「……なんだ?」

 と、言ってどこからか取り出したのはなんの変哲も無い板チョコ(税抜き100円)。
 ぽいっと放り投げて真一に渡す。
 真一、よくわからないがとりあえずもらったから食べようとする。
 そんな真一を、碧はにやにやと笑いながらみているものだから、

「なんだよ、気持ちわりいな。なんか用か?」
「なんか用か、とはまた随分な言いぐさだな。
 まあいいか。ともあれ、これで一個もチョコをもらえないと言う状況だけは回避できたわけだ。感謝するように」
「はあ?」

 意味がわからない。

「なんの話だよ?」
「む?」

 碧、ちょっと考えて、

「ああ、そうかそうか。うん。そうだな。悲しい結末が予想できているものだから、最初から無かったものと思おうとするその態度。姉はしっかり理解したぞ」
「……だから、」

 なに言ってるのかわからねーよ、と続けようとして、やめた。
 結局この姉の考えはわかりっこ無いし、あまり口論していたら、メシを食う時間も無くなる。
 とりあえず、先ほどもらったチョコの包装紙をやぶり、中身をかじりつつ、当然それだけでは足りないので他に何か無いか探す。
 ……待てよ。
 チョコ。2月。なんか、あったような気がする。
 しばし考え。
 ああ、そういえば。
 確か、それに関係するイベントがあったような。

 真一はマジで忘れていた。それはそれですごいかもしれない。

 大丈夫、大丈夫。
 うん。全然へいき。
 ぱっと行って、挨拶して。
 そして、こう、さりげなく渡せばいいの。
 ああでも。
 緊張して、声が裏返っちゃったりしたらどうしよう?
 ヘンなやつだと思われたらどうしよう?
 やっぱり、止めようかな?
 ……。
 ううん。
 やっぱり、それじゃ、いけない。
 深呼吸一つ。
 ……。
 よし。

 世の中には3種類の人間がいる。
 勝者と敗者。そしてその外側にいた奴だ。
 時と場合によって、それらは変動する。
 しかし、その日。少なくとも勝者と敗者は、悲しいほど、そう、悲しいほどはっきりと別れていた。「もらえたもの」と「もらえなかったもの」だ。
 でもって、真一は外側にいた。
 ……楽しそうだな。
 それぞれにそれなりのストーリーがあったのだろう、悲喜こもごもなクラスメイト達を見る。
 そういうのを見ても、どうも、そういう少し引いた感想しか持てない。
 ……俺、まだガキなのかなあ?
 もしくは枯れているのか。そっちの方が嫌だが、どっちにしてもあまり「あっち側」に参加する気になれない。
 青春の無駄遣い。そんなフレーズが脳をちらつく。
 ま、仕方ないか。あまり考えてどうにかなるものでもないし。
 
 そんなこんなで放課後になり、彼は部活へと向かった。

 その頃セリオ(偽)は昨日自らが調理し、自宅へと運び込んだチョコレートケーキを眺めながら主人の帰りを待ちつつ、我慢しきれなくてちょっとつまみ食いしていた。

 部室に行ってみると、すでの他の部員二人、そしてすでに準部員っぽくなってすら居る夏樹がいた。3人はなんか喋ってる。

「ちーす」
「あ、しんちゃん。やっほー」
「こんにちわ、真一さん」
「あんた、部長なんだから一番最初に着なさいよ」

 約一名の挨拶が気に食わないが、あまり気にしてもいられないので、

「夏樹お前さっさと自分の部活に行けよ」

 軽く文句言う程度にとどめておいた。
 夏樹はそのセリフが気にくわなったようだが、特になにも言いはしなかった。
 反論が無いことに多少拍子抜けしつつ、部活動を始めようとする真一だが、その時ユニが鞄をなにやら探り出した。

「なにしてんのユニちゃん?」
「ちょっと待ってくださいね……あ、ありました」
「……なんだ?」

 そう言ってユニが取り出したのは二つの包み。

「はい。真一さんと、裕司さんに」
「あ、ありがとユニちゃん」
「はい。義理人情は大切だそうですから」

 さわやかにそう言い放った。そのさわやかさはある種残酷。

「ああ、ありがと……」
「んでも、なんで今になって? 教室で会っただろ?」
「ああ、それは」

 ユニ、ちょっと考え込む振りをして、

「忘れてましたので」
「……僕ら、忘れられるくらいの存在なんだね」
「まあ、そんなもんだろ」

 裕司はるー、とした顔をしながら、さりげなく夏樹のほうを見る。
 捨て犬のような目で。

「……ああ、わかったわよ。はい。私から」
「わーい。ありがとなっちゃん」

 夏樹からも渡される。包み方が似通っているので、二人は共同して作ったのかもしれない。
 ともあれ、夏樹はなんかやる気なさげに渡してくる。
 そんな態度がちょっときになるが、どうするでもなく、真一が受け取った包み二個を鞄に入れようとすると、

「ねえ、しんちゃん。全部でいくつもらったの?」

 裕司が質問してきた。

「これ混ぜて三つ」
「へえ。あと一個って、誰から?」
「姉」
「そおかあ、碧さんから。いいなあ、僕も欲しいなあ」
「頼め。多分くれる。金は取るかもしれんが。そう言う奴だ」
「むー」

 裕司を適当にあしらい、今度こそ部活動を始めようとする。

「そんじゃ、私はこれで」

 そう言って、夏樹は部屋から出ようとする。
 別れの挨拶をするユニと裕司。
 そんな中。
 真一は、ぼそりと。

「夏樹ぃ」
「なによ?」
「……がんばれ」
「……うん。ありがと」

 今度こそ去っていく夏樹。
 残される三人。

「……ねえ、しんちゃん、今のって、どういう?」
「……知らね」

 自分でも良く分からないが、たぶんこれでいいのだと思った。

 その頃、妙に帰りが遅い主人にいらだつセリオ(偽)はいらだちを押さえるために手じかにある甘いものを食べていた。

 物陰に隠れて、じっと待つ。
 まるでストーカーみたいだな、と思ってちょっと苦笑い。
 やっぱり、自分のキャラクターとはずれているような。
 でも。
 ま、いっか。
 鞄の中の袋を取り出して、大切そうに抱え。
 さっきの言葉を反復。
 うん。
 がんばる。

 放課後。校門。
 月本真一は面食らった。
 意外だった。
 世の中には色々な人物がいるな、と思った。
 去り行く、見知らぬ下級生の背中を見ながら。
 ヘンな趣味だなあ、と思った。
 そんな自分に自信なかったのか俺、とも思った。
 そんで、
 それはそれとして、夏樹がどうなったのかが気になった。
 少し。

 その頃、はた、と気づいてみたらなぜか目の前にすっかり食べ尽くされたチョコレートケーキの残骸があり、いつの間にこんなことになったのだろうと不審に思いつつも、事態の深刻さを感じ慌ててチョコの材料を調達しようと商店街に出かけるセリオ(偽)の姿があった。

 同時。
 真一たちより一足速く下校したユニは、自宅前でしばらくじっとしてきたが、家の玄関からまるで自分で作ったチョコレートケーキを間違えて一人で全部食べてしまい慌てて材料を買い足しに出かけたかのように急いでいるセリオ(偽)に対し。
 その前に立って。
 ちょっとうつむいて。
 顔を赤く染めて。
 大切そうに抱えていた袋を差し出した。
 他とは、気合の入り方が違っていた。
 いわゆる本命だった。
 

 僕が家の帰ったのは、もうあたりがすっかり暗くなった頃。
 連絡は一応入れておいたけど、それでもさすがに遅い時間。
 扉を開けて中に入る。電気はついているけれど、妙に静か。
 なんだろうと思って、その中にいるだろう人物を探すと。
 いたいた。
 こたつに突っ伏して寝こんでいるユニちゃんと。
 台所で椅子に座り込んで、同じく寝こんでいるセリオ(偽)。
 ……昨日も、帰りが遅かったし。眠くなっても無理無いかも。
 ふと、台所のほうから甘いにおいがしてくるのに気付き、良く見てみると、そこには。
 それと、片付けるひまが無かったのか、テーブルの上に置きっぱなしになっている、ケーキがはいるくらいの箱を見て。
 大体の状況はわかった。
 苦笑。それから、二人に毛布をかけて、僕はセリオ(偽)の横の椅子に座る。
 彼女は、すーすーと眠っている。
 そんな彼女を見ながら、僕は。

「ありがとね」

 寝顔にお礼を言った。 リーフのコーナー