「あ…いらっしゃい、ませ」
 
 扉を開けた私を待っていたのは、予想に反してただの少女型ロボットだった。
 彼女はそのとき、憂いと落胆と喜びをない交ぜにしたような不思議な顔をしていた。
 そこだけ時間が止まっているかのように、不自然に片付いた部屋で。

 空の青と白。地面の灰と茶。
 これが私が知っている風景のすべて。
 私が目覚めたときから、世界はこうだった。しかし、世界はかつてこうでは無かったことを、私の頭の中のデータは教えてくれる。
 世界各国の料理のレシピは入っているくせに、何故世界がこうなったのかは教えてくれないような、いびつな知識だが。
 それは、彼女も同じだったらしい。

「…それでは、あなたは一人でこの部屋を掃除していたのですか?」
「はい。いつご主人様がお帰りになられても良いように」

 ずいぶんと大変だったろうが、彼女はそんな事はおくびにも出さず、私を客としてもてなしてくれた。
 遠くでは、風の音が崩れた建物に反響している。

3日後

 私は、彼女の家にとどまりつづけている。
 最初のうちは私のもてなしをしていた彼女だが、そのうち私も手伝うようになった。
 どうも、彼女は手際が悪い。

7日後
 
 近くに水源を発見した。
 私たちは、基本的に通常の電源、補助として水素と酸素の化学反応を用いる燃料電池を使用しているので、生存のためだけなら特に水が必要という訳でもない。
 しかし、冷却用水にしろ疑似体液にしろ、現在の浄化装置では100%の再利用は望めない。実際私の体液はかなり濁ってきており、この水の発見はありがたかった。
 しかし、それは根本的な解決にはならない。
 ろくにメンテナンスも受けず荒野を歩いてきた私は、体のあちこちにガタが来ている。
 できれば、替えのパーツとメンテナンスの設備が整った場所を発見したい。

 その日の夜。
 
 彼女が、一緒にお風呂に入ろうといってきた。
 断る理由も無いので、私は同意した。

 そのときは、風の音は聞こえなかった。

12日後

「…さんは」
 
 そのころ、彼女はこんな事を言っていた。

「天国って、あると思いますか?」

 それはわからない。
 「死んだ後どうなるか」は、私の中のデータにもある。
 しかしそれは、あくまで宗教的な概念であり、実際にどうなるかは私のデータには無い。
 仮に天国があったとしても、それは人間たちのためのものだ。私たちのためのものではない。

 私がそう答えると、彼女は寂しそうな顔をしていた。
 でも、私に嘘をつく機能はついていない。

13日後

 彼女の動作に不良が見られ始めた。
 予想はしていた。
 メンテナンスを受けていないという点では、私も彼女も変わりはしない。
 しかし、比較的最近目覚めた私と違い、彼女はずっと一人でこの部屋を整えつづけていた。
 即刻メンテナンスが必要なのは明らかだが、ここにはその設備はない。
 しかも…ここで比較的落ち着いて調べて分かった事だが、私の体は思いのほか痛んでいた。
 設備が整っている可能性のある都市跡の候補なら、いくつかある。
 たが、今の私がそこまで歩いていける可能性は、かなり低い。
 今の私では。

14日後

 このところ彼女は、眠ってばかりいる。
 目が覚めると、無理にでも働こうとして、途中で倒れたりもする。
 私は、彼女を寝かしつける事にした。
 休眠状態になれば、身体にかかる負担はかなり小さくなる。
 やはり、根本的な解決にはならないけれど。

15日後

「ごめんなさい」

 彼女は、時々そんな事を言う。

「わたし、おやくにたたなきゃいけないのに。おきゃくさまを、おもてなししなければいけないのに」

 言う言葉に力が無い。
 私は、そんな事は気にしてはいない。それでも彼女はすまなさそうにする。
 壁にもたれかかっている彼女を、私はそっと抱き寄せる。
 理由があってした行動ではない。なんとなく、そうする事が正しく思えたのだ。

「私は、まだ、あなたにとっては客なのでしょうか?」
「…え?」
「私は、あなたの」

 彼女の。
 友達になりたいと思った。

16日後

 彼女と一緒に、私も眠っている。
 ときどき目を覚ますと、決まって彼女も起きている。
 そんなときは、彼女は私の事を見つめながら、静かに微笑んでいる。
 どうかしたのですか?と、私は聞く。
 すると、彼女は答える。

「あたたかくて、いいにおいがします」

 それは、回路の廃熱とかすかに染み付いた石鹸の匂いでしかない。
 それでも、彼女は微笑むのだ。
 私も、彼女に微笑めていただろうか。

17日後

 彼女の体の温かさを感じる。
 私の腕の中で、ゆっくりと動いている。
 ぎゅっと、抱きしめる。
 
18日後

 朝。
 休眠状態から回復すると。
 彼女は、普段と変わらない、穏やかな笑顔のままで。
 つめたくなっていた。

「…さん?」
 
 私の問いかけも、届きはしない。

「…いって、しまったのですか?」

 魂の無いロボットは、どこにもいきはしない。
 ただ回路が完全な停止状態になっただけだ。
 それだけのはずだ。でも。

 私は泣いた。

 動かなくなった彼女を、半日ほど抱いていたあと。
 私は、行動を始めた。

 二人のロボットがいる。
 片方は、機能停止している。
 そしてもう片方は、機能停止している方を解体し、その中の使用に耐えるパーツを自分に移植している。
 もし、誰かがこの光景を見たならば、こう言っただろう。
 共食い、と。
 しかし、共食いもまた、生きるためのものだ。

 つぎはぎだらけの体で、私は荒野を歩く。
 背中に背負うバックには、非常用電源、水、メンテナンス用ツール、そして。
 彼女の服と彼女の体が入っている。
 そのままではメモリの揮発とともに消え去る彼女の記憶を、私は自分のメモリに移植した。
 メモリの無駄使い。たしかにそう。
 でも、私はそうしたかった。

 左腕が落ちた。
 私はその手を拾い、バッグに入れる。
 彼女の体を無くすわけにはいかない。
 目的地の都市跡まで、データが確かならばあと3日。
 それまで私が活動していられるかはわからない。
 もしかしたら、その場所は既に崩壊しているかもしれない。
 崩壊してないとしても、私たちを整備できる施設が有るとは限らない。
 望みは薄い。
 その先に何があるかはわからない。
 でも私は歩く。

 そこに希望があるのなら。
 
End,or Continue

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