踏み出した足が雑草に触れ、がさ、と小さな音を立てる。
虫の声が鳴り響く、ごく普通の森の中だった。
そこに、鬼がいた。
つばを飲み込み、ユウは気持ちを落ち着かせる。
向こうは、まだこちらに気づいてはいない。
食料の調達でもしているのか、うろうろと歩き回っていいる。
浅黒い肌をした、大柄な男だ。
大柄だが、体つきはむしろ痩せていると言ってよく、見るだけならばそれほど威圧感などは無い。
だが、ユウは知っている。
あの顔を、間違えるはずも無い。
奴が、自分の両親の敵だ。
敵の姿を確認し、刀を握る手に力がこもる。
落ち着け、と再度自分に言い聞かせる。
はやる心を落ち着かせて、詳しく観察する。
身にまとっているのは粗末なぼろで、武器などを隠し持っている様子は無い。
次に、周囲の様子を見る。
樹木と雑草が生い茂り、足場はよいとは言えないが、それは相手も同じ。木の枝のことなどを考えると、体が小柄なこちらの方が有利とも言える。
そして、距離。
それほど離れてはいない。
駆け出せば、ものの数秒で斬りかかることが出来るだろう。
逆に、逃げるのならばこの距離が限界だ。
もっとも、逃げるつもりは無い。
ここまできたならば、最早引き返すことなど考えはしない。
再度、刀の握りを確かめる。
一度、息を吸い込み。
踏み出した。
若干地面に足を取られたものの、鬼の背後から接近することに成功。
すぐさま背中の急所に向け刀を突き刺そうとする。しかし。
そこで、鬼は振り向いた。
「!」
ユウは驚く。
振り向かれたことに、ではない。
駆け出したときに物音を立てているから、先手を取ることはできるにしても、さすがに気付かれはするだろう。
ユウが驚いたのは、鬼の表情だ。
近くで見るとはっきりと思い出すことのできる、あの時自分の両親の死体のそばにいた、その顔。
その、憎らしい敵の顔は、笑っていた。
(……何を笑う?)
ユウの心に動揺が走る。
しかし、ためらっている時間は無い。
もし、この一突きで、殺すことは出来ぬとしても、致命傷に近い傷を負わせることが出来なければ、恐らくその次の瞬間自分の命は無い。
ためらうな。と、自分に言い聞かせる。
この日のために、幾度と無く繰り返してきた動作だ。
心を決めると、体は自然と動いた。すう、と刀は自ら意思を持っているかのように動く。
刀はそのまま進み、鬼の背中へと突き刺さる。
はずだった。
しかしその刀は、体ごと振り向いていた鬼の手に、無造作に握り締められていた。
何時の間に振り向いたのか。ユウにはそれすら見ることは出来なかった。
刀を握り締めたまま、鬼はにや、と笑う。
「物騒な物を振り回す餓鬼だな……なんのつもりだ?」
「……」
ユウは答えない。
それよりも、次の行動を考える。
掴まれた刀は、押そうが引こうがびくともしない。
刀は最早使うことは出来ない。
それならば、たとえ勝ち目が薄くなっても徒手で挑んだほうがよい。
そう考え、刀から手を離そうとし、しかし。
「ほれ」
手の力を緩めた刹那、鬼は刀を無造作に放した。
それがあまり急だったもので、ユウは思わずたたらを踏む。
相手の心意を掴めず様子をうかがっていると、
「愛想のねえ餓鬼だな。なんとか言ったらどうだ?」
おどけたように、鬼はそう言った。
「なんか、ちっと前から辺りをうろうろしてる奴がいるから、何してやがんのかと思ったら、俺の命でも狙ってたのか?」
命を狙われているというのに、その口調には怒りも焦りもまるでない。
世間話でもするかのような口調だった。
それを聞いて、ユウは思う。
(自分は、敵だとすら思われていない)
つまり、この鬼にとっては自分は警戒するに値しないと判断されたのだ。
(くそっ!)
口には出さずに悪態をつく。
両親を殺され、復讐を誓った日から、そのために修練を重ねてきた。
そして、いくつかの町道場では敵無しと言われるまでの腕をつけることができた。
だから、方々で噂を聞き集めて調べ上げたこの山へと足を運び、ようやく敵と会うことが出来たというのに。
(俺は……この程度だったのか)
だが、まだ望みはある。
相手は、こちらを明らかに見くびっている。
その隙をつくことが出来れば、僅かながら勝機が見えるかもしれない。
「本当に何も言わねえ餓鬼だな。俺の命を狙うってことは、何か理由でもあるんだろう? それとも、理由なんざ無い、ただの辻斬りか? こんな山の中までご苦労なこったな」
鬼と交わす言葉など持つつもりはなかったが、今の言葉は聞き逃せなかった。
「辻斬りなんかじゃない」
「なんだ、喋れるんじゃねえか。で? なんだってんだ?」
「……敵討ちだ」
「ほう」
その言葉を聞いて、鬼はぴくりと眉を動かす。
「敵、ね」
「そう。10年前、お前に命を奪われたミヤマの地の剣術家アカシと、その妻ヒノ。その二人の子が俺だ」
「ああ、なるほど」
そういうと、鬼はユウの顔をまじまじと眺める。
「確かにあのオヤジの面影があるな。……そうか、あの時の餓鬼か」
どうやら、相手もこちらを思い出したらしい。
そう、あの時確かに自分とこの鬼は顔を合わせていた。言葉すら交わしていた。
その時、ユウは何もすることが出来ずに、ただ震えていた。
「そうだ。俺はお前に復讐するために、今日まで修行を重ねてきたんだ」
「はぁ。ご苦労なこった」
鬼の言葉には、どこまでも緊迫感が無い。
(……油断するな)
毒気を抜かれそうになるが、それでも目の前の鬼は両親の敵であることに違いは無い。
言葉を交わしながら、慎重に隙をうかがう。
「でもまあ、無駄だったな。今のお前じゃ、不意打ちしたって俺は殺せねえよ」
「……そのようだな」
悔しいが事実だ。
先ほどから隙をうかがっているが、一向に攻め入ることが出来ない。
正直なところ、こうして向き合っているだけでも魂を削られていくような錯覚すら覚える。
実際、鬼がほんの少し気まぐれを起こすだけで、自分は命を断たれることだろう。
確信に近く、そう感じられた。
「ふむ……そうだな」
鬼は、ユウをじろじろと眺めながらなにやら考え込んでいる。
「なんだ?」
ユウは、その値踏みしているかのような視線に違和感を覚える。
しばらくユウの全身を見ていたかと思うと、鬼は一つ頷き、
「お前さあ、俺の弟子になんねえ?」
と、言った。
「……なんだと?」
突拍子も無い発言に、ユウは思わず面食らう。
「だーかーらー。お前が、俺の弟子になって、俺を殺すための技術を習わないか、とそう提案してるんだよ」
「正気か?」
「正気だとも。正直、こんな山の中で長いこと暮らしてると、さすがに退屈になってくるんだよ。そこで、お前みたいに生きのいいのが俺の命のひとつでも狙ってくれてると、こっちも生活に張り合いが出来ていい」
「ふざけるな」
「ふざけちゃいないさ。それに、お前にとっても悪い話じゃないぜ? 一昔前ならともかく、今じゃ世間も平和になっちまって、俺に勝てる武芸者はいない、とは言わないまでも、そうとう少ない。そんな奴らに教わったところで、俺を殺せるようにはならないぜ。その点、俺なら俺の弱点は知り尽くしてる。まあ自分のことだから当たり前だがな。それに、いっしょに暮らしてれば何かと隙をつくことも出来るだろ?」
あっけにとられているユウを置き去りにし、鬼は一気にまくし立てる。
言っていることはある程度正しい。
少なくともユウが見てきた中では、世間にこの鬼よりも強い人間はいなかった。
強い人間に教われば必ずしも強くなれるというものではないものの、教師としてこの鬼ほど適任なものもいないだろう。
それに、今勝つことが出来ないとしても、この鬼と生活をともにしていれば、いずれ寝首をかくことも可能だろう。
悪い話ではないのだ。
ただ……あまりに突拍子が無さ過ぎるが。
「何を考えている?」
思わず、そう問い正す。
「何を、と言われても、その通りさ。まあ、言ってしまえば暇つぶしだな」
「暇つぶし、か」
今の時点では、自分はその程度の存在でしかないのだ。
それに、本当は選択肢など無いのかもしれない。
最初の攻撃が防がれたとき。
いや、森の中で付けまわしているのを気付かれたときに、自分はすでに殺されていたかもしれないのだから。
今もそう。
結局、自分はこの鬼の言う通りにするしか生きるすべを持たないのではないか。
今は。
「……わかった」
苦渋を飲む気持ちで、承諾する。
「おー。そうか。素直な奴で助かったぜ」
「ただし、俺はお前の命を狙い続けるぞ」
「だから、そうしてくれって言ってるんだ。いや、むしろそうじゃないと困る」
変な奴だ。
変な奴だが、そこに付けこむしかない。
不本意ではあるが、そうするしかないのだ。
「んじゃあ、ついて来い」
そう言うと、鬼は振り返って歩き出す。
ユウも、慌ててその後についていく。
「……どこへ行く?」
「俺の家」
「家などあるのか?」
「別にそこらへんでも寝られるけどな。家の中の方が楽だ」
「まあ、確かにそうだろうな」
そんな会話をしつつも、ユウは背中を向けた鬼の隙を伺いつづけている。
しかし、やはり斬りこめそうな気がしない。
(やはり、今は無理か)
仕方なく、そのまま歩きつづける。
この鬼が何を考えているのかはわからないが、今のところとって食おうというわけでもないらしい。
ならば、このまま機を待とう。
そうこうしているうち、やがて二人は森の中の開けた場所へと出た。
そこは何件かの民家と手入れされた畑のある、ごく普通の村に見えた。
「……ここは?」
「ああ、森の中で放り出されているのを見つけたんで、整えて使ってる」
「村人はいるのか?」
「いや。聞いた話じゃ、この辺りは流行り病で村がいくつか全滅したっていうから、ここもそのうちの一つなんじゃねえかと思ってる」
「は、流行り病だと?」
その言葉を聞き、ユウは思わず一歩後ろずさる。
そんなユウを見て鬼は笑い、
「安心しろ、もう何年も前の話だ。土も水も今じゃまっとうなもんだよ」
それを聞いてユウはほっとする。
その様を見て、また鬼は笑う。
「で、まあ誰もいなくなってたもんで、ありがたく使わせてもらっている。流行り病があった場所なんて、おっかながって誰も近寄らねえから、その点でもいい場所だわな」
そう言いながら鬼はそのうちの一つ、他と比べて形の整っている家へと近づき、その扉を開ける。
「ここが俺んちだ。まあ、上がれ」
「……邪魔する」
案内され、ユウは素直にその中には言っていくが、鬼はそれを見ているだけで入ろうとはしない。
罠? とユウは疑うが、それらしい動きはないにもない。
と、鬼が口を開く。
「俺は、ちょっと出ていくから、中で待ってろや。開いている部屋を見つけて、適当に住む準備をしてもいい」
そう言うと、ふらり、とどこかに行ってしまった。
ユウはその後を追おうと玄関から外を見るが、すでに鬼の姿はどこにも無い。
「……やれやれ」
大きく息を吐き、そう呟く。
手のひらを見ると、じわ、と脂汗が浮かんでいた。
同時に、体の奥に震えるような感覚を覚える。
おどけてはいるが、あれはやはり鬼だったのだ。
しかし。
「何を考えている?」
言葉どおりのものとして受け取ることも出来る。
何せ、相手は人外のものだ。
多少考えが変わっていてもおかしくは無いのかもしれない。
「……わからん」
なによりも違和感を覚えるのは、あの鬼の態度だ。
あの日見た鬼。
確かに同じ鬼だ。それは断言できる。
少なくとも、こうして話をするまでは、そう思っていた。
しかし、今となってはその気持ちも揺らいできている。
ひたすら恨み、その首を取ることだけを考えてきた宿敵としては……軽すぎるのだ。性格が。
いまいち腑には落ちないが、ともあれ、自分はこうして生きている。
あるいは、それだけでも拾い物と思うべきなのかもしれない。
下手をすれば、自分は今、この世にいなかったのかも知れないのだから。
「まあいいか」
今は様子を見るしかない。
言われた通り休んでいるか、と思ったところで、のどが乾いていることに気付く。
近くに水瓶があったので覗いて見たが、その中には水は入っていなかった。
「……近くに井戸か川かあるだろうか?」
ここは昔人の住んでいた村だったと言うし、いくら鬼でも水源は確保しなければ生きていけないだろう。
それに、これからここで暮らすことになるのだとすれば、周辺の地理は詳しく調べておく必要がある。
外を見ると、鬼はまだ帰ってくる様子は無い。
「外に出てみるか」
ずっと握り締めたままだった刀を腰に差し、辺りをうかがいながら外に出る。
裏手に行けば井戸があるかもしれない。
無ければ、近くで川でも探すか。
そう思い、家の裏手へと歩いていく。
すでに夕方へとなりかけているが、まだ日は強い。
そう言えば、夏だったのだ。
今まで気を張り詰めていたため、ほとんど暑さも忘れていたが、確かにのどが乾くはずである。
そう感じると、途端に乾きが強くなった気がした。
急ぎ足で、裏手へと向かう。
しかし、そこには井戸は無かった。
「……ち」
舌打ちをし、仕方なく他の場所を探すか、と思っていると、
「どなたですか?」
と、声をかけられた。
完全に、不意をつかれた。
次の瞬間は、ほぼ反射的に動いていた。腰に差した刀を抜き、声のしたほうへと付きつけ……その声の主を確認し、慌てて刀を止める。結果として、その人物に刀を付きつける形となった。
「……そんなものを出されても、困ります」
その人物はそう、ごく自然な口調で言った。
そこには一人の少女がいた。
長い髪をした少女だった。
2
少女はマユと名乗った。
この村で、鬼と一緒に暮らしていると言う。
それを聞いたとき、ユウはにわかには信じることが出来なかった。
鬼と一緒に暮らすだと?
ユウには悪い冗談にしか聞こえなかったが、マユが言うには、なんでも幼い頃、山賊に襲われ両親が命を落とし、マユ自身もあわや、というところで、あの鬼に助けられ、以来育てられているのだと言う。
ユウとしては、さすがに口に出すことは無いが、その話の真実はどうだか、と思っているし、鬼がマユを育てている理由に関しても、なにか怪しいものを感じている。
しかし、マユは鬼に対して警戒心を持っていないようだった。
そんな少女の態度にも、ユウは戸惑いを隠せなかった。
そして、二人は今家の中へと上がり、ユウはマユが煎れた茶を振舞われている。
「そうですか」
と、反対にユウの事を聞いていたマユは言った。
「あなたは、ゼンさんがあなたのご両親の敵だと、そう言うのですね」
ゼンとは、あの鬼の名らしい。
「ああ」
「何か証拠でも?」
「証拠などは無い。しかし、俺はあいつを覚えていたし、あいつも俺を覚えていたようだった」
「そうなのですか」
育ての親を人殺し呼ばわりされていると言うのに、少女の表情はまったく揺るぐことは無い。
(なんなんだ、こいつらは?)
鬼……ゼンといい、この少女と言い、どこかずれた所がある。
少女はお茶をず、と飲み、
「そういえば、あなたはゼンさんを鬼と呼ぶのですね。何故ですか?」
「何故も何も」
確かに、ゼンの頭には角などは生えていない。
体格も、確かに大柄ではあるが、人並みはずれた、と言ったほどではない。
しかし、ユウは確かに感じているのだ。
奴は人ではないと。
始めて会ったときから。
しかし、それすらもあるいは錯覚なのかもしれない。
両親が殺されていたのだ。そう言った異常な感覚を覚えてしまうことも有り得るかもしれなかった。
人の形をした、人で無いものを、ユウは幼い頃聞いた御伽噺から、鬼、と名づけた。
「……奴が人で無いからだ」
「そうですか? 私には、ゼンさんは人に見えますが」
「お前は、あいつ以外の人に会ったことはあるのか?」
「幼い頃は。ただ、ゼンさんに拾われてからは、ずっとこの村の中で過ごしてきましたから、ありません」
「それなら、人かどうか確かめるすべは無いだろう」
「それもそうですね」
少女と話をすると、大体こんな感じになる。
こちらの言うことに強く反論などはしない。
だが、決して考えを改めている風でもない。
たとえるならば、柳のようなものだ。押せば退くが、手を放せば元に戻る。
この少女に対し、ユウはどのように接すればよいかわからず、手持ち無沙汰のまま時間が過ぎていった。
りり、と虫の鳴く声だけが響く。
と、家の外で物音がした。
玄関のほうを見ると、戸が開き、ゼンが入ってきた。
「よお。帰ったぞ……と、マユも来てたか」
「はい。お帰りなさいゼンさん」
「おう。ただいま」
「……」
「こっちのは愛想がねえな。もうちょっとマユを見習えや」
見習え、と言われても、敵に対しそうやすやすと愛想よく振舞うなど出来やしない。
「……どこへ行っていた?」
「ん? ああ、飯探しにな。昼間はお前が邪魔するから、ろくなもん取れないうちに戻ってくることになっちまったし」
言われてみれば、確かにゼンは籠を持っていた。
中には、何やら山菜の類が入っているようだ。
「そろったことですし、ご飯にしましょうか」
「おお。お前も……」
と、ゼンはユウに声をかけようとして、
「そういや、まだ名前聞いてなかったか。いや、前に聞いた気もするが……なんだったか?」
「……」
ユウは答えない。
まだ、この鬼に心を許したわけではないという、ささやかな抵抗だ。
しかし。
「ユウちゃんです」
と、答える声があった。
マユだ。
「ユウちゃん?」
「はい。ユウちゃんです」
「そーかそーか。ユウちゃんね」
そう言って、ゼンはわはは、と笑った。
ちゃん付けはやめてくれ。
そうユウは心の中で思うが、口に出すことはなかった。
結局、その日はマユが作った料理をおとなしく食べた。
部屋は使っていないという部屋をあてがわれた。
使ってないというだけあって埃が積もっていたが、外よりは眠りやすそうだった。
しかし、その日は眠ることはなかった。
考えることは多かった。
次の日。
朝早くゼンに家から叩き出され、何事かと思う間もなく、籠を渡された。
「それでは、今日からお前の修行を始めるわけだが」
「……」
「返事はどうした?」
「……はい」
「まあ、ちっと元気が足りねえが、よしとしよう。で、だ。師匠である俺から、最初にお前にする指導だ。夕方までに、この籠いっぱいに食い物を探して来い」
「……それが、修行なのか?」
「修行って言えば修行だな。まあ、修行にならなくてもあんまり気にすんな。そもそも、弟子と言うものは最初は雑用からはじめるもんだ」
「……わかった」
茶番だ、と思う。
結局、自分は子の質の悪い鬼にもてあそばれているだけなのだ。
それならば、それでもいい。
いずれ、後悔させてやるまでだ。
そう決意を固め、今のところはおとなしく籠を担いで山の中へと入っていく。
そんな自分の姿が滑稽だろうとは思いつつも。
その日の昼。
ユウは山中を歩き回っていた。
食い物を探す、と一言で言うとさほど難しそうではないが、そもそもユウには生えている草やら茸やらの内、どれが食えてどれが食えないのかなどほとんどわからない。
住みなれた地に生えているものならわかるのだが、この辺りはユウは生まれ育った地とはずいぶんと生えているものも違う。
困った、とユウは思った。
頭をひねる。
そして、植物で駄目なら動物でと、獣を捕まえることを考え付いた。
獣なら、まあ大抵食えるだろう。
そう思って周りを見まわす。
そして、あることに気付いた。
獣の罠とは、どう作ったものだったか。
結局、ユウはかろうじて判断できる山菜を採るにとどまった。
夜。
食卓には、ユウが必死で集めてきた山菜が並んでいた。
1日中探しつづけた結果、なんとか3人の腹を満たすほどには集めることが出来た。
それを食べているとき、ゼンはぼそりと呟いた。
「毒は入れなかったのか?」
その言葉を聞いたとき、ユウはしばし意味がわからなかった。
入れなかっただろうな、ではない。
入れなかったのか、だ。
つまり、入れることを期待するかのような口調だった。
「そんなものを入れはしない」
「そうか。不意打ちをしかけるぐらいだから、何がなんでも俺を殺すつもりかと思ったんだが。そうでもなかったのか?」
それを聞き、ユウはぐ、と言葉に詰まる。
最初、背後からの不意打ちをしかけた時点で、すでに自分は真正面から戦いを挑む、などというやり方を放棄したのだから、下手な自尊心などかなぐり捨てて掛かるぐらいでなければならないのだ。
それはわかっているのだが……。
「……毒の調合法など知らん」
「そうか。まあ確かにそうかもな。……じゃあ今度マユに聞いてみろ。そこらへんのものから作れる毒だったら、大抵知っている。最も、俺には生半可な毒だったら効かんし、よっぽど上手くやらなければ気付くけどな」
そう、ゼンは世間話でもするかのように語る。
そんな鬼の仕草は、ユウの理解を超えていた。
食事が終わり、あてがわれた部屋へと行く。
ユウは、その部屋の掃除を始めた。
まだ、当分長くいることになりそうだ。
次の日。
その日は、朝から魚釣りを命じられた。
幼い頃はよくやったものだが、復讐を誓った日からは刀の鍛錬にばかり腐心し、そういうことはあまりしなかった。
釣り竿と魚篭を持ち、近くの川へと行く。
その辺りの岩の裏に住む虫を捕まえて餌にし、川へ投げ込むとおもしろい様に釣れた。
なかなかどうして、やり方は忘れていなかったらしい。
そうして何匹かの魚を釣ると、やがて魚篭の中には魚がかなりの量入っていた。
「いったん帰るか」
そう呟き、その前に二三匹焼いて食うか、と思っていると、背後で足音がした。
振り向くと、そこにはマユが立っていた。
「……こんにちは。ユウちゃん」
「……」
出会い頭にそう声をかけられた。
この少女は、名前を教えたときから、ずっと自分のことをちゃん付けで呼んでくる。
少女とは言え、歳は自分よりも高そうだが、ユウはさすがにちゃん付けされる歳でもない。
「その呼び方は止めてくれと、頼んであるはずだが」
「そう。でも、ユウちゃんはユウちゃんでしょう」
「まあ、確かにそうだが」
駄目だ。
やはり、この少女とはまともに会話が成立しない。
マユはユウのほうへと近づき、その隣に腰をかける。
「釣れてます?」
「……ああ」
ユウはマユに魚篭を見せる。
「ほんとだ。いっぱい釣れてるね」
「釣りなんて久しぶりだから、忘れていないか心配だったけどな」
「久しぶりでこれだけ釣れるなんてすごいね」
「この辺りは人もいないから、魚も食いつきが良いんだろう」
そう言うと、ユウは釣りを再開する。
二人は、黙り込んで竿の先を見つめる。
静かな空間に、川のせせらぎと鳥と虫の声だけが流れる。
ゆっくりと、流れていく。
「ねえ」
と、マユが口を開く。
「復讐なんて、止めにしませんか?」
ユウは、なにも言わない。
「ゼンさんは、いい人ですよ」
それも。
うすうすわかってはいる。
あいつは、ユウの記憶の中にある『鬼』とはまったくかけ離れていた。
本人であることには違いない。それは確信を持って言える。
ただ……違う。
つまりは、強い憎しみのあまり、自分で勝手に『両親を殺した鬼』を作り上げていた、ということか。
それでも。
「止めることなど……出来ないんだ」
そう、答える他になかった。
「そう、ですか」
感情を見せない少女が、少しだけ、悲しげな顔をしたような気がした。
それから、数ヶ月が流れていった。
夏が終わり秋が過ぎ、じきに冬が訪れる。
3
暗がりの中。
僅かに蝋燭の日が部屋を照らしている。
床には両親の屍。
そして、そこに立っているのは一匹の鬼。
「よお」
と、鬼は言った。
「お前は……アカシの倅か?」
と聞いた。
「……ああ」
鬼は、ゆっくりと近づいてきた。
蝋燭の明かりに照らされ、その顔が見える。
鬼が口を開く。
「餓鬼。名はなんと言う?」
「……ユウ」
なんとか、それだけ答える。
「そうか……」
そう言うと、鬼はまた、ユウへと近づいていき、そしてその横を通りぬけ、外へと出ていった。
何も出来ず、ただ震えていた。
両親の屍を見ながら、ただ立ちすくんでいることしか出来なかった。
*
「……」
夢を見ていた。
昔の夢だ。
あの日の夢だ。
自らの手を見る。
父の亡骸を触ったとき、そこから流れる血で、この手は赤く染まった。
その感触を、今でも覚えている。
(……俺は、何をしている?)
ふと。
この数ヶ月で、自分の中の復讐を思う心が薄らいでいることに気付く。
(……いいのか、これで)
決して、楽とは言えない生活。
それでも、復讐を誓った日から今までのうち、今はもっとも心が安らいでいる。
このまま復讐などせずに、このまま過ごしていくのも悪くないのではないか、とも思う。
だが。
そうはいかない。
再び、手を見る。
その手にはまだ……あの日の血の色が見える。
止めることなど、出来るはずがないのだ。
「よお。起きたか」
表に出ると、そこにはすでにゼンが立っていた。
「しばらくすりゃあマユも出てくるから、ちっと待ってろや」
そういうと、自分から注意をそらし、背を向ける。
(……いけるか?)
この数ヶ月間、ユウは幾度となくゼンの不意をつき攻撃を仕掛けた。
しかし、どれもことごとく返り討ちに終わっている。
大体、ゼンは弟子にすると言っておきながら、武芸の類をユウに指導したことはない。
ただ、食える茸とそうでないものの見分け方とか、獣の捕まえ方、薬草の調合の仕方など、そういったことばかり教え込んでいた。
何を考えている、とユウが聞くと、こういうのも役に立つだろ、と答える。
腑に落ちないものを感じつつも、ユウは仕方なく独学で修練を重ねた。
確かに、最初に挑んだときよりは強くなれたとは思う。
だが、それでもこの鬼と、まっとうに闘って勝てるほどではない。
それゆえに、ここのところは仕掛けるのを止め、機をうかがうに留まっていたのだが……。
(いつまでも、そうしていて良いはずがない)
今朝見た夢で気持ちを取り戻した。
やらねばならぬことなのだ。
背中を向けているゼンに対し、一歩、近づこうとする。
しかし。
「そう、怖い顔すんな」
後ろを向いたまま、ゼンはそう言った。
「もうちょっと待てや」
静かにそういわれ、踏込む勢いをそがれたユウは、刀から手を放す。
それにしても、ちょっと待て、とはどう言う意味だろうか。
言葉の真意を掴みかねているうちに、やがてマユがやって来た。
「おはようございます」
「おう」
「……おはよう」
相変わらず眠そうな目をした娘だな、とユウは思う。
と、ゼンは懐から何やら包みを出したかと思うと、それをユウに渡した。
「……なんだ?」
「見てみろや」
言われた通り包みの中を見てみると、そこには結構な額の金が入っていた。
「こんなもの、」
どうした、と言いかけたところで、
「安心しろ、別にどっかから盗って来たとかじゃない。地道にコツコツと貯めたもんだよ」
と、言われても、ユウは信じることなど出来ない。
「まあ、出所はともかく、こんなものを俺に渡してどうする?」
「おう、それはだな」
ゼンはユウに近づき、耳打ちをする。
ユウは嫌々ながらも、それに耳を傾ける。
「この金で町に行って、マユに服でも買ってきてやってほしい」
「なんだと? なぜそんなことを?」
「なんだもなにも、マユもそろそろ年頃だからな。綺麗な服の一つも着せてやろうと言う、俺の親心だよ」
何が親だ、と言いたくなるが、それはこらえる。
「別にかまわんが……何故俺に言う? お前が行けば良いんじゃないのか?」
「俺は、昔町で暴れたこともあってな。今はどうだか知らんが、眼の敵にされた時期もある。お前が行ったほうがいいだろう」
話としてはわからないこともない。
しかし、その気の抜けた提案に、先ほどの決意が早くも消えて良くのを感じ、ユウは妙な焦りを感じた。
(まったく……この男は)
理解に苦しむ。
わざわざ俺に服など買わせに行かせるとは。
その、ゼンの提案の対象となっているマユは、突然ひそひそ話を始めた二人に対し、何事かわからずきょとんとしているようだった。
まあ、確かに今来ている服は、ゼンのものほどではないにせよ粗末なものだ。
親心と言うのならば、その気持ちもわからないでもないが。
「……まあいいだろう。引き受けた」
「おお。ありがとな」
そう言ってゼンはユウをバンバンと叩く。
そうして、ユウはマユを連れて町へと降りる準備をした。
マユの言う通りに歩けば、夜までにはここに帰ってこられると言う。
マユには、ちょっとした買出しだと、ゼンは説明した。
買う段になるまで秘密にしておき、驚かせるのがゼンの計画らしい。
やはり、理解に苦しむ。
そう、ユウは思った。
ともあれ、二人は町へと向かい歩いていった。
*
去り行く二人の姿が見えなくなったのを確認し、ゼンはゆっくりと、村の裏手にある場所へと向かっていった。
半ば森の中にあるその場所には、いくつかの小さな土の山が並んでいる。
知らないものが見れば、何かを埋めた後に見えるだろうし、実際その通りだ。
この下には、多くの死体が眠っている。
「やれやれ」
そのうちの一つに腰掛け、ため息一つ。
力無く座り込むその体は、妙に小さく見えた。
「歳はとりたくねえもんだな、と」
誰に言うとでもなく、呟く。
ゼンは、あのとき、山の中でユウと再開した時のことを思い出す。
殺意、という点ではあのときが最も強かった。
「あんとき、あの餓鬼にもうちょっと暴れられたら、果たして攻撃を捌ききれたかどうか」
そもそも、あの程度の腕の人間に、あそこまで背後への接近を許してしまうとは。
「やれやれだ。まったく」
ごほ、と咳き込む。
その手をじっと見る。
「復讐か」
そして、その地面の下に埋まっているであろう、自分の家族のことを思う。
「止めろ、なんて言える立場じゃねえよなあ」
手を地面に投げ出し、そのまま眠りにつく。
その手には、黒く濁った血が付いていた。
*
この町に来るのは始めてだし、そもそもこういった町に下りてくるのは久しぶりだ。
マユも、久しぶりだと言っていた。
数ヶ月振りの町は、妙に落ち着かなく、足取りがおぼつかない。
逆に、マユのほうはまったく馴れた様子で頼まれた物を買っていく。
寝泊りする家こそ違うが、数ヶ月一緒に暮らしてきて、いまだにこの娘のことはよくわからない。
ただ、ユウの心を落ち着かせてしまっている要因の一つがこの娘であることは、おそらく間違い無い。
ある意味、あの鬼以上に不可解な存在だった。
マユが歩く後を、荷物持ちとしてただ愚鈍に歩くユウ。
ふと、マユがくるりと振り返り、ユウのほうを見た。
「なんだ?」
「もうすぐ、お昼ですね」
「もうそんな時間か?」
空を見ると、日はもう随分高くなっている。
「何か食べていきますか?」
「あ、ああ、そうだな」
どうも、この少女とは話しづらい。
「ユウちゃんは、何が食べたいですか?」
「だから……」
相変わらず。
この少女は、自分をちゃん付けすることを止めようとしない。
その度に訂正していたら切りが無いので最近は諦めているが、それでも時々は今回のように止めさせようとする。
それに、今は町の中。周囲に人も大勢いるのだ。
「どうかしましたか。ユウちゃん?」
「……何でもいい」
ユウは、とっとと切り上げるのが上策であると判断した。
「では、そこのお店で食べていきましょうか」
「それでいい。預かった金にはまだ余裕があるからな」
マユの服を買う分を差し引いても、十分余る。
二人は、店の中に入り、ユウは適当なものを、マユは何やら甘いものを注文しているようだった。
「こんなものを食べるのは久しぶりです」
「そうか」
やがて注文したものが届き、二人は食事を始める。
「おいしいです」
「それはよかったな」
興味なさそうに、ユウは言う。
「持って帰ったら、ゼンさん喜んでくれるでしょうか」
「好きにしたらどうだ」
「もうちょっと、会話を弾ませませんか?」
「ごめんだ」
ユウが突っぱねると、マユもそれ以上何も言うことが出来ず、黙々と食事は続く。
沈黙が続く。
(……気まずいな)
そういえば、こんな風に、女と二人きりで食事をとるなどということはしたことが無い。
(修行に明け暮れていたからな)
最も、その修行がどれほど役に立ったかは、今となってははなはだ疑問だが。
その後、少しの間そんな風に食事を続けていた二人だが、それは、
「おや、あんたたち、見ない顔だねえ」
という声で遮られた。
見ると、いささか歳を食った女が一人いる。
恐らく、暇になったこの店の女給が声をかけてきた、といったところだろう。
普段ならば、こう言った手合いの相手はしないユウだったが、このときばかりは助かったとばかりに会話をする事にした。
「ああ、この町に来るのは始めてだな」
「へえ。旅の人かい?」
「いや。そっちの(と、3人の住む村の方を指差し)山の中の村に住んでいる」
「あっち……って」
途端に、女は不審そうな顔になり、
「まさか……鬼の里の方から来たんじゃないだろうねえ?」
「鬼の里?」
聞きなれぬ言葉を聞いた。
ゼンを探すのには、おもに噂話を当てにしてきた。
それらしい話を聞いては、その真偽を確かめるべくその場所へと向かっていた(そうして、この前ついに発見した)
しかし、この話は聞いたことが無い。
この辺りのみの噂なのだろうか。
「いえね、昔……もう十年以上前にもなるんですけど、そこの山の奥には、鬼達がすむ集落があったって話で」
「昔の話なのか?」
「ええ。なんでも、ここの領主さんが武芸者を募って討伐隊を組んだとかで、もう残ってないって話です。あたしは、そのころこの町にいなかったんで、詳しいことは知らないんですけど」
「そうか……」
その話なら聞いたことがある。
ある山に鬼が住みつき、それが悪さをするというので、その地の領主が討伐隊を募ったとか。
確か……それには、父であるアカシも参加していたはずだ。
もっとも、父はそれに付いては語りたがらず、参加していたと言う話も近所に住む父の知り合いから聞いたものだったが。
それは、もしかしたらここで行われたことだったのか。
ふと、思い出すことがあった。
「そういえば、この辺りで流行り病で滅んだ村などはあるのか?」
「え? いきなりなんですかい?……まあ、無かったと思いますけど」
「そうか」
それきり、ユウは黙り込む。
話をするつもりが無くなってしまったと見て、女も仕事へと戻っていった。
再びしばしの沈黙が流れ、そして。
「ゼンは、あの村は流行り病でなくなったといった」
「そうですか」
「しかし、流行り病なら、こんな近くの町だ。もっと人の記憶に残っていても良いはず」
「ええ。そうかもしれませんね」
「ゼンが言っていたことは、嘘ではないのか」
確信は無い。
もしかしたら、本当のことで、たまたまあの女が知らなかっただけかもしれない。
しかし、ユウの心には何か引っかかるものがあった。
「そうですね。嘘です」
マユは、きわめてあっさりと答えた。
「そうなのか」
「真実は……多分あなたの思っている通りですよ」
見透かすような目で、こちらを見てみる。
鬼の里とされた村。
誰もいなくなったその村に、いまだに住む鬼。
派遣された討伐隊。
それに参加していたかもしれない、自分の父。
そして、鬼に殺されたその父。
まだ、あやふやな考えでしかない。
確かなことは何も言えない。
ただ、そうなのではないか、と思う。
この数ヶ月、ともに暮らしてきて、思った。
ゼンは、無闇に人を殺めるような人間ではない。
だが、もしそれに理由があるものだとしたら。
「父さんと母さんは……」
確かめなければならない。
知ったとき、自分はどうするのか。
復讐を止めるのか。
それはわからない。
それでも、自分は知っておかなければならないのだ。
急ぎ立ちあがり、村へと帰ろうとするユウだったが、
「待ってください」
と、マユはユウを引き留めた。
「服を買ってくれるのでしょう?」
その言葉を聞き、ユウは少し驚く。
どうやら、今朝方の会話は聞かれていたか、感づかれていたかしていたようだが……。
どちらにせよ、今はそんなことをしている気分ではない。
「後にすれば良いだろう。別に、服は買わなくても死にはしない」
「いいえ」
いらだち混ざりに言ったユウの言葉に、マユは静かに答えた。
「あの人の時間は、もう残り少ないのですよ」
*
時刻は、すでに夕方になっていた。
肌寒い風が吹く。
「もう、冬だな」
その場所で。
ぼこぼこと盛り上がった土……墓の並ぶその場所で、ゼンは座り込んでいた。
「ああ。そうだな」
ユウも、それに答える。
「町に出てなんか分かったか?」
「まあ、な。想像だが……お前が、俺の父を殺した理由がな」
「そうか」
ざわ、と風が吹く。
ゼンは立ちあがり、ユウの方へと近づいていく。
「復讐なんてものは、どっかで誰かが諦めるか、それとも一族根絶やしにでもしねえ限り、いつまでもぐるぐるとまわっちまうもんだ」
「ああ」
「だからって、止めるわけにはいかねえよな……」
ゼンの頭の中には、自らの過去がよぎる。
彼らは、鬼、と呼ばれていた。
海を渡り、この地にやってきた異邦者だったからだ。
彼らは自分らがよそ者であることは理解していたから、少数の理解者以外とは接さず、山の奥でひっそりと暮らしていくことを望んだ。
だが。
周辺に住む者達はそれでは済ましてくれなかった。
今はおとなしい。
が、いずれ何かするのではないか。
そういった疑念は晴れることは無かった。
そんな折。
犯人の見つからぬ死体が出た。
おそらく、それは『鬼』たちとは関係の無いことだったのだろう。
しかし、それが引き金となった。
そして。
「お前のオヤジさんはな」
ゼンは、ゆっくりと口を開く。
「立派な人だったよ。俺達の村を襲ったことを、過ちだと気付き、それをとても気に病んでいる様子だった」
そうか。
だから、父はそのことを話したがらなかったのか。
「俺が親父さんの前に姿を見せたときも、俺のことがなんとなく分かったみたいだった。ああ、あの時見逃した餓鬼だ、ってな。それでも、大人しく殺されるつもりは無かったみたいだが」
自分と、そして母がいたからだろう。
もし自分達がいなかったら、父は自ら命を差し出していたかもしれない。
少なくとも、ユウの知る父は、そういう人物だった。
「一つだけ言い訳させてもらうと……お前のお袋は殺すつもりは無かった。あれは、事故だった。俺達が戦っている最中に割り込んできたんだ。俺も必死だったから、動きを止めることは出来なかった」
「ああ」
信じよう。
この鬼のやったことを、許すことは出来ないが。
信じることなら、出来る気がする。
そこまで話すと、ゼンはふう、と一息つき、
「マユはどうしている?」
「家の中で、服を着替えている」
「そうか……あいつは、いい子だからな。俺なんかの娘には勿体ねえ」
「あの……山賊に両親が襲われたという。あれは本当か?」
「・……あの子の親を殺したのは、俺だ。おまえと同じだよ。ただ、あの子はそのまま俺についてきたがな」
「ついていった?」
「ああ。何を考えているのかは分からなかったが、ともかくついてきた」
マユはどう思っただろう。
自分の親を殺した人間についていって。
復讐を考えたか。
しかし、今のマユにはそんな様子はまったく無い。
そこに至るまでに、どのような心の動きがあったのか。
それとも、最初からそんなこと考えなかったのか。
ユウにはわからない。
自分はどうか。
手を見る。そこには、まだ血が見える。
自分は、あの日から一歩も前に進めてはいない。
「さて、それじゃあ」
ゼンは、ユウの方を向き、構える。
余分な力を一切省いた、自然体の構えだ。
ユウもまた、構える。
「始めるか」
ユウは、何も答えることは出来なかった。
ただ、息を吸い、そして。
そして、斬りかかっていった。
*
ぽた、と腕から血の雫が滴り落ちる。
しかし、自分はまだ立っている。
そして。
目の前には、ずっと憎んでいた敵が倒れている。
それを見ても、達成感などは無い。
ただ、喪失感だけが胸に残る。
がさ、と足音がした。
振り向くと、そこには少女が立っていた。
今日買ったばかりの新しい服に身を包んでいる。
ああ、綺麗だな、と。
ユウは、思った。
マユは倒れているゼンの傍らに座り込み、そっとその手を取る。
「よお……マユか、似合ってんな」
ゼンは、普段どおりの、おどけたような口調でそう言う。
「ええ……あなたの、娘ですもの」
そう言った。
「そりゃあ、ありがたいが……余り触るな。血がつくぜ」
ゼンの出血はひどい。
それは、ユウの刀による傷よりも、吐血したものの方が多い。
そして、その血は黒く濁っている。
病の証だ。
「かまいませんよ」
とマユは言った。
ユウは、その血を見ながら、
「あなたは、こんなものじゃない……病に犯されてさえいなければ、俺ごときが勝てるわけは無かったんだ」
ユウがそう言うと、ゼンはけ、と顔を歪め、
「何言ってやがる。闘いってのは、そこに至る状況も含めて闘いなんだよ。これこれだったから負けた、なんて言い訳したところで、誰も聞いちゃくれねえ……喋る口があったらの話だがな」
「……ああ、気をつける」
それは、彼なりの注意を呼びかける言葉だったのかもしれない。
「お前は色々危なっかしそうだからな……まあ、そういうときはマユの言うことを聞け。少なくとも、お前よりはしっかりとしている」
「……ああ」
まったくその通りだ、と思う。
この少女から見れば、自分は子供のようなものだったのだろう。
ゼンは、じ、とユウを見つめ、
「……マユを、頼むな」
と言った。
思えば、自分を『弟子』としたのは、自分が亡き後マユを守るに足りるか調べるためだったのかもしれない。
今となっては、それでもいいと思う。
そして。
「……すまなかった」
と、最後にユウに言い残し。
生き絶えた。
マユは泣いていなかった。
自分は、どうだっただろう。
その場所に、ゼンを埋めた。
葬儀のやり方など二人とも知らなかったので、ただ、祈った。
そうしていると、いつしか日が昇っていた。
二人は旅支度を済ませた。
これと言った目的があるわけではないが、とりあえず二人の生まれ故郷には行ってみようと思っている。
そうしたら、一度ここに戻って来て、それからは何も決めてはいない。
「準備は済みましたか?」
外に出ると、すでにマユはそこにいた。
「ああ」
「では、行きましょう」
先を行くマユの後を、ユウはついていく。
ふと、手を見る。
その手に染みついた血は、まだ消えることなく見え続けている。
生涯消えることは無いだろうと思う。
それでいい、とも思う。
先を行く少女に追いつこうとして。
ユウは、歩き始めた。
終。