余談だが、天野美汐の家の電話は昔懐かしき黒電話のような気がする。
 いや、いくらなんでもそこまでは、とも思う。
 だが、我らが天野美汐ならば、それぐらいはやってくれてもおかしくはないと思うのだ。
 ともあれ。
 美汐は、りんりんと鳴っている電話の受話器を取った。

「はい、天野です」
『あ、美汐ぉ、やっほー』

 美汐はその声を聞くと、間髪をいれずに、

「真琴。電話をかけるときは、まず自分の名前を言わなければいけませんよ」

 と言った。

『あ、そうだね。えと、もしもし、真琴だよっ』
「はい。こんにちわ、真琴」
『美汐、こんにちわー』

 挨拶をしあう二人。
 でも、なんだか真琴の様子がおかしい。

「どうかしたのですか。真琴」
『え?』
「なんだか、とてもご機嫌なようですけど」
『あ、わかる?』
「ええ」

 こと感情のわかりやすさにおいては、真琴はかなりのレベルだ。

『えっとねえ、真琴がどこから電話かけてるか、わかる?』
「え? 水瀬さんのお宅からではないのですか?」
『ふふふ、違うんだよー』

 なんだろう。
 家の電話でないとすると、電話ボックスか何かからかけているのだろうか。
 しかし、それぐらいで『どこから』にこだわるとはあまり思えないし。

「……降参です。真琴、どこからかけているのですか?」
『えとね、美汐の家のすぐそばなんだよ』
「え?」
『うん。もーすぐ着くの。あ、見えたっ』
「……あ、もしかして、携帯電話を買ったのですか?」
『ぴんぽーん! 秋子さんがね、真琴用に買ってくれたの』
「そうなのですか」

 携帯電話ひとつで、これだけ大騒ぎ。
 美汐は、真琴らしいな、と思う。

『うん。使い方を覚えるのが、ちょっと大変だったけど』
「……そうなのですか?」
『祐一は『お前にはムリだろ』とか言ったんだよ。悔しいから、真琴一生懸命頑張ったんだ』
「そう、なのですか……」

 美汐は想像する。
 暗い部屋に、いくつもの壊れた携帯電話が散乱している。
 真琴が一生懸命使い方を覚えようとして、でも覚えられなくて、かんしゃくを起こして蹴りくれて壊して、でも諦めずにまた覚えようとして。
 真琴は不器用ですから、覚えるまでいくつの携帯電話を壊したことでしょう?
 さらに考える。部屋が壊れた携帯電話で一杯になった。その努力は誰にも知られることはなかったけど、真琴は頑張って、やっと携帯電話を使えるようになったのだ。
 頑張りましたね真琴。えらいですよ真琴。でもその壊れた携帯電話が相沢さんに見つかり、物を粗末にしたとして真琴はおしおきを受けることに。止めて下さい相沢さん、真琴は、ただ一生懸命頑張っただけなのですよ。
 でも、無力な真琴は相沢さんのなすがまま。えっ、そんなことまで!? そんな、そんなことにぴろをっ!!
 ああ真琴、こうして見ていることしか出来ない私を許して……。

『……しお、美汐っ!』
「許してください……」
『何を許すの?』
「え? あっ、いや、その……なんでも、ないです」

 美汐、少女っぽい多感な想像力を働かせていた様子。
 おしおきを受ける真琴の様を想像して背筋ゾクゾクとかさせていたようだがそれはさておき。

『真琴の話、ちゃんと聞いてた?』
「……ごめんなさい、もう一度言ってもらえますか?」
『むー。えっとね。今近くにいるからね、これから美汐の家にいってもいい?』
「あ、はい。どうぞいらしてください」
『うん。じゃあ、つくまでちょっとお話しよ』
「はい。そうですね」

 普段の美汐ならば『歩きながら電話をしてはいけませんよ』ぐらいは言うところだが、まだちょっとばかり混乱がとけずにいた。

『でもすごいよね。こんなにちっちゃいのに、どこでも電話出来るんだから』
「そうですね……技術の進歩とは、すごいものです。私の若いころには、そんなものありませんでしたから」

 確かに無かったかもしれないが、『若いころ』とはあまり言わない気もする。
 と、美汐はあることに気付いたかのように。

「そういえば、どの携帯電話を買ったのですか?」
『あう?』
「携帯電話には、色々種類があると聞いたのですけど」
『あ、うん。そうだね。なんだっけ。ちょっと待って、見てみる』

 しばし間。

『わかったよっ』
「はい」
『あうー』
「はい?」
『だから、あうー』

 美汐、ちょっと首を捻り、

「真琴、それは『ええゆう』なのでは?」

 横文字の発音はちょっと苦手。

『え? あ、うん。確か祐一はそう言ってたかも』
「そうですか」
『でも美汐、そんなの聞いてどうするの?』
「いえ……私も、買おうかな、と思ったものですから
『え? そうなの?』
「ええ。それで、どうせなら真琴とおそろいがいいかな、と」
『うん。それいいよね。おそろいおそろいっ』

 真琴は喜んでいる。
 その声を聞いて、美汐もなんとなく嬉しい。
 光景を想像してみよう。
 なんでもないことで、すぐ美汐に電話をかける真琴。
 それを、表面上はちょっと困ったように、でも嬉しそうに受ける美汐。
 二人は仲良し。
 いい感じだ。

『えーと、あ、もう美汐の家のすぐ前……ドアの前まできたよ、ノックするね』
「はい」

 とんとん。

「真琴、どうぞ」

 がちゃ。

「おじゃましまーすっ」

 大きな声で挨拶する真琴。

「いらっしゃい、真琴」

 家の中に上がる真琴。
 笑顔で迎える美汐。
 そして、ここからは二人の時間。
 では、そういうことで。
 

おしまい。
 

 余談だが、美汐が電話を買おうとした理由は、けして、
『狐の真琴が持ってるのに人間の私が持ってないなんてイヤン』
 ではない。
 ないよ。うん。
 

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