けがにりんご

 やあみんな。
 雪ふる街のキングオブハート、北川潤だよ。
 いきなり辛気臭い話をしてしまうと、俺は今、病院に入院しているんだ。
 なんでこんなことになっちまったのかというと、

「……お兄ちゃん? 一体誰に向かって話してるの?」
「ええい、今状況説明をしているのだから、お前は黙ってろっ」
「むー、変なお兄ちゃん。じゃあ、お見舞いここにおいてくから。わたしは帰るね」
「おおっ、もう帰ってしまうのか? そりゃ少しさみしくないかあわが妹よ」
「わたしだってひまじゃないもん。いろいろ忙しいんだもん。じゃあねっ」
「ちょっ、ああ、怪我人置いて行ってしまうのかっ」

 などと言ってみたが、妹はさっさと部屋から出て行ってしまった。

「……くそ」

 病室のベッドで思わずふて寝。
 病院生活というのは実に退屈だ。
 と、そういえばなぜ俺が入院しているのかと言う話だが。
 じつのところ、覚えていない。
 相当強いショックを受けたらしく、どうにもそのときの記憶があいまいなのだ。
 相沢が居候だと言う真琴ちゃんと一緒に俺の部屋へと来たまでは覚えているのだが。

「むー。退院したら相沢の奴を問い詰めねーとな」

 怪我自体はそれほど大したこともなく、もう健康体と言ってもいいのだが、一応今日1日は入院しておくことになっている。
 そうなると、問題なのは、退屈だということ。
 なにもせずにただ寝てるというのが、こうもしんどいものだとは。

「あー、誰か遊びに来てくれねーかなー」

 ベッドに横になってごろごろしながらうなる。
 休日だと言うのに、だれも見舞いにきてくれない。
 ちくしょう、みんな薄情だ。
 うなっていると、少し眠くなってきた。
 仕方ない。寝よう。もう寝るしかねえだろう。
 目をつぶり、シーツを頭からかぶって寝に入る。
 素人ならばここで羊を数える所だが、おれはちょっとひねって¥を数えるぜ。
 ……だからなんだってわけでもないけど。
 あー、これでなー、美坂とかが見舞いに来てくれたらなー。

「……北川くん?」

 こうなー、「大丈夫?」とか首かしげながら聞いたりして。
 そんでもって、「りんごでも食べる?」とか言いながら切ってくれるわけだ。

「……ねてるの?」

 にしてもなんで見舞いの人間は病人にりんご食わすんだろう。
 なにか決まりとかあるんだろうか。
 やっぱ栄養価が高いんだろうか。

「……みたいね。起こすことも無いし、かえろ」

 てかさっきからベッドのそばで誰かが喋っているような気がする。
 むー。俺の寝こみを襲うとは、一体誰だ?
 そーっとシーツから顔を出す。
 すると、そこにいるのは、クラスメイトであるところの美坂香里その人だった。
 なぜ美坂がこんなところに?
 まさか、俺の見舞いに来たのか?
 いや、そんなはずがない。
 『あの』美坂が、俺なんかのためにそんな殊勝なことをするだろうか?
 否、断じて否だ。するわけがない。
 しかし、俺の瞳には美坂が写っている。
 これははたして何を意味するのか。
 そう、結論は1つしかない。
 これは俺の脳が作り上げた、ドリーム美坂に違いない。
 ありがとう海馬。ありがとう大脳新皮質。俺にこんな幻を見せてくれるなんて、お前らは親孝行ものだ。
 さて、以上の推論により、これはドリーム美坂である。
 ドリーム美坂であるからには、何をしてもいいはずだ。そりゃもう。
 というわけで。

「みさかぁっっっ」

 ガバっとシーツを捲りあげ、俺はベッドわきに立っていた美坂に飛びかかった。
 ドリーム美坂ならば、抱きついた俺に対し「やだ、ちょっと北川くん?」とか言いながら顔を赤らめるはずだ。リアル美坂ならそんなことは絶対にないだろうが、なにせ夢だからな!
 さあドリーム美坂よ、俺と一緒に圧倒的な楽園へと旅立とうではないかっ!
 とか。
 思ってたのに。
 実際に、俺が感じたのは。

「……なにするのよ」

 という、冷めきったドリーム美坂の声と。
 右頬にえぐるように突き刺さる、拳の感触だった。
 美坂さん。いくらなんでもメリケンサックつけて殴るのはひどいと思います。
 ドリーム美坂は、崩れ落ちるように倒れる俺の胸倉を掴み、ぐっと引き寄せながら、

「北川くん。真昼間からそういうことをするのは、あまり感心しないわね」
「うっ、うっ、なんて俺に反抗的なドリーム美坂なんだ」
「なによドリーム美坂って」

 はっ。
 この冷たい視線と突き放したような口調は、もしや。

「まさか、お前はリアル美坂なのか?」
「人にドリームだリアルだよくわからない称号をつけないでちょうだい。ひょっとして寝ぼけてるの?」
「あ、ああ。そうだ」

 言われてみると自分でもなにかんがえてんだかよくわからなかった気がする。
 ともかく、俺の目の前にいるのはリアル美坂のようだ。
 それはそれでいいんだが。

「……なあ美坂」
「なに?」
「と、とりあえず手を離してくれないか? 意識が遠のいてきたんだが」
「ああ。そうね。もう害もないみたいだしね」

 美坂に手を離され、俺はどさっ、と音を立てながらベッドに倒れこむ。
 なんだか最近ろくな目に会ってないような気がする。
 数回ゲホゲホと咳きをして、なんとか落ち着いた。

「まったく。いきなりあんなことするから、驚いたじゃない」
「そのわりには、えらく冷静な対処だったと思うんだが」
「そんなことないわよ」
「……そうか? まあ、それはそれとして、なんで美坂がこんな所にいるんだ?」

 まさか、本当に俺の見舞いに来てくれたのか?
 淡い期待を抱く俺だったが。

「違うわ」

 と、一蹴にされた。

「……そうなの?」
「ここには、妹のお見舞いに来ていたのよ」
「妹さん?」
「ええ。もう手術も終わって、リハビリ中なんだけどね」
「そうなのか」

 美坂には、手術をするほど重症の妹がいたのか。
 知らなかった。
 詳しいことが知りたかったが、あまり聞くもんでもないだろう。

「それで、少し病院の中を散歩してたんだけど。そしたら、病室の1つに知った名前がかけられてるじゃない。もしかしたら、と思って」
「はー、そうなのか」

 それはなんというか。
 俺にとっては幸運だったと言うか。
 いや、そんなこと思っちゃいけないか。

「妹、か。美坂の妹なら、きっとかわいいんだろうな」
「そう、ね……かわいいわ。とても」

 『美坂の』ってとこをさりげに強調したのだが、気付かれなかったらしい。
 ちとむなしい。

「ふーん。俺にも妹がいんだけど、そいつは美坂のと違ってかわいくねーからなー」
「そうなの?」
「ああ。外面はそこそこいいんだけど、その実ぎゃーぎゃーとうるさい上に、兄を兄とも思ってないようなやつだからなー」

 やつにはもうちょっと目上の人間を敬うという気持ちを持ってもらいたい。
 などと思っていると、目の前の美坂は、妙におかしそうにしている。

「……なんだ? 俺なんか変なこと言ったか?」
「いいえ。その、北川くんと妹さん、なかいいんだなあ、って思って」
「今の話のどこを聞いてたらそうなるんだ? 俺はむしろあいつを敵と認識しているんだぞ」
「そんな風に気軽に悪口を言えるあたりが仲のいい証拠よ」
「そんなもんかあ?」
「ええ。そうよ。うらやましいわ」

 いまいち腑に落ちなかったが、美坂がそう思うのならそういうことにしておく。

「美坂の妹ってのはどんな感じなんだ? やっぱプチ美坂なかんじなのか?」
「プチ美坂って、さっきから変な名前ばっかつけないでよ。ええとね、うん。かわいいわよ」
「いやそれはわかったから。他には特徴はないのか?」
「うーん。アイスが好きね。季節問わずによく外でアイス食べてるわ」
「いやそれ本当に病人なのか?」

 体にえらい悪いような気がするんだが。

「……病人だから、よ」
「え? それはどう言う意味だ」
「そのままよ」

 わからん。

「でも……そうね。これからは、冬にアイスを食べることも無くなるのかも、しれないわね」
「もしかして医者に止められたのか?」
「どうかしら。でも、やっぱり食べるような気もするわね」
「なんか、さっきからさっぱり話が見えないぞ」
「べつにわからなくてもいいのよ。ひとりごとみたいなものだから」
「そう言われると気になるが、まあいいか」

 なんだかわからんことだらけだが、ひとつだけ、わかったことがある。

「美坂も、その妹のこと好きなんだな」
「え?」
「なんか、妹さんのことを話してるときの美坂、うれしそうだから」

 「何言ってるのよ」みたいな反応が返ってくると思った。
 なにせ、クールで名をはせた美坂さんだ。
 けれど。

「ええ、そうね。うん。好き。大好き」

 と。
 美坂は、なんというか、とても柔らかく、答えた。
 それは、べつに俺に言われたものではないのだが。
 その美坂の表情に、「すき」という言葉の響きに。
 ……どきどきした。

「北川くん? どうかしたの?」
「……え? いや、なんでもない。うん」
「へんなの。あ、そうだ。せっかくだから、このりんごでも剥いてあげようか?」
「なにぃっ、そんな優しげな態度をとるということは、さては美坂俺に気がぐはぁっ」
「……変なこと言わないの」

 殴られた。

「さっき布団の中にもぐりこんでたとき、りんごがどうしたとか言ってたから、食べたいのかと思ったのよ」
「え?」

 喋ってたのか。そいつは失言。

「いやあ。でもなんか悪いなあ」
「べつに。怪我人の心配をするくらい、ふつうのことよ」

 あー、そうですな。はい。
 そのていどのことなのね。ちょっとしょんぼり。
 でもいいや。

「はい。剥けたわよ」
「うむ」
「……って、口を開けてるだけじゃ食べられないわよ」
「いや食べさせてもら……なんでもない、です」

 そんな冷たい目で見なくてもいいじゃんか。
 しゃあないのでつまようじで食う。
 ああ、りんごの味がする。
 そりゃそうか。

「ずいぶん美味しそうに食べるのね」
「そりゃもう。美坂の手作りだからな」
「こういうのも手作りって言うのかしら」
「まあそう言うことにしといてくれれば、俺がうれしい」
「別にいいけどね」

 やっぱり美坂はノリが悪い。
 でもまあ、これはこれで、悪くない。
 
 しばらくしゃりしゃりとりんごを食べていたが、やがてそれもなくなった。

「食べ終わったみたいね」
「ごちそうさまでした」
「はいはい。じゃあ、私はもう行くから」
「帰っちゃうのかー?」
「そりゃ帰るわよ。なに? なにか用?」
「いや、べつに用はないけどさ」
「ならいいじゃない」
「退屈なんだよう」
「なに情けない声出してるのよ」

 そんな風に言われてしまったが、本当に退屈なのだ。 

「なんでもいーから、なんか楽しいことないかー?」
「急にそんなこと言われても……あ」

 と、美坂は何かに気付いたようだ。
 なんだか、妙に楽しそうな顔をしている。

「そうだ。そうね、うん。北川くん、病院の中は歩けるの?」
「あ? ああ、もちろん平気さ」

 ほんとは医者に止めろと言われてるんだが、医者より美坂の方が重要だろう。

「そう、よかったわ」
「なんだ美坂。俺にデートのお誘いかいやなんでもないです」

 だからその目でみるのはやめてください。

「ええとね。ヒマならついてきて欲しいの。妹に会って欲しいのよ」
「え? なんだ、実は美坂の妹さんは俺に気があったりするのか」
「それはないわ」

 速答ですか。

「ええとね、あの子絵を描くのが好きなの。だから、モデルになって欲しいのよ」
「モデル? 俺がか?」
「ええ。そうよ」
「そーかぁ、いやまいったなあ、確かに俺は絵になる男だからなあ。モデルとして選ばれるもの無理ね―か」
「……どっちかっていうとスケープゴートだけどね。父さんも母さんも看護婦さんももうモデルになるのいやがってるし……」
「なんか言ったか?」
「いえ。ぜんぜん。それより、話が決まったなら早いわ。起きられる?」

 そう言って、美坂は俺に手を差し伸べてくる。
 思わず、その手を取ってしまう。
 あれほどの鉄拳を放ってくるのだから、その手はごつごつしてたりすんのかなあ、と思っていたが。
 そんなことはなく。
 むしろ、その手は、小さくて、柔らかかった。
 ……美坂さん、今日のあなたは僕を惑わせ過ぎです。

「……なにぼーっとしてるの?」
「え? ああ、いや、なんでもない」
「ふうん。ほら、起きて」
「おう。よっと」

 美坂に引っ張られて、俺は起き上がる

「あとは1人でも平気でしょう。……って、手、離してよ」
「ああ、そうだったな。悪い」

 ちょっと残念。

「それじゃあ行きましょう。足元、気をつけてね」
「おう」

 病院のスリッパを履いて、道を案内する美坂のあとをついていく。
 先を行く美坂は、なんとなく、妙にうれしそうに見える。
 そんな美坂を見ながら、俺は思う。
 なんか、かわいいなあ、とか。
 うむ。
 今回のことは、これで痛み分けということで、相沢のやつは許してやってもいいかもしれない。
 まあ、一発は殴っとくけどな。

「北川くん? こっちよ」
「ん、あ、そうか。わりわり」

 そんな風に美坂に連れられながら、俺は歩いていった。
 うむ。
 こういうのも、悪くないな。
 そんなことを、俺は考えていた。

 で。
 これは後日談となるんだが。
 今回、俺は知ったことがある。
 美坂の妹さんの絵はその、なんつーか。
 前衛的すぎる。

終わる。