ミミカキ

 ミミカキ片手に真琴が話しかけてきた。

「ねー祐一、みみかきしてあげるよー」
「なに。別にいいぞそんなの。子供じゃあるまいし」
「いーじゃない。 真琴の耳掃除は、保育所の子供達にも評判なんだからね」
「そうなのか?」
「うん。もう真琴がミミカキを手にしようものなら、保育所の子供達が大殺到。たちまち長蛇の列が出来ちゃって、もう整理券なしでは手のつけられないあり様になっちゃうんだから」
「おいおい」

 真琴の物言いは少し大げさすぎる。
 どこでこんなインチキくさい喋り方を覚えたのだろう。後で原因をつきとめねば。
 まあ、それはさておき。

「まあ、なんいしろそんな大人気なことを俺にしてくれようというわけだ」
「うん。ありがたいでしょ」
「ああ。ありがたい。ありがたすぎてこの身に余る。よって謹んで辞退させてもらおう」
「えーっ。なんか、なんだかんだ言って嫌がってない?」
「そんなことはないぞ。別に、真琴なんかに耳の中というデリケートな部分を触らせる気分にはとてもならないなんて思ってもいない」
「うー、祐一、そんなこと思ってるんだー」

 真琴はしょんぼりとしている。
 ええい、思ってないと言っているではないか。
 いや、思ってはいるのだが。
 真琴はいじけたように床に転がるぴろを撫でまわしている。ちょっと力が強い。
 このままではぴろがセンベイになってしまうと心配した俺は、仕方なく、

「そう落ち込むな。まあ、いいだろう。耳掃除を許可しよう」
「ほんと? わーい」

 俺がそう提案すると、真琴は途端に上機嫌になる。
 さすがお子様だけあって復活が容易だ。

「しかしだ。俺だけ耳掃除をしてもらうのは、これは不平等と言えないか?」
「え? どーゆうこと?」
「つまりだな。男女平等の原則にのっとり、厳正なる勝負の上でどちらが耳掃除をするかを決めるのだ。それが平等だ。バランシングアクトだ」
「えーっと、よく判んないけど、勝負って何するの?」
「じゃんんけんだ。最初はグーで行くぞ。ほいっ」
「え? わっ!」

 俺はパー。真琴はグーを出していた。

「わわ、祐一嘘ついたっ」
「勝負の場において、親切にも敵に本当のことを教える奴はいないだろ」
「うー」
「ほら、負けたんだから覚悟しろ。ミミカキはこっちによこせ」
「なんか騙されてる気がする」
「気のせいだ」

 真琴は納得のいかない顔をしながらも、俺にミミカキを渡してくる。
 真琴よ。俺だって別にお前が憎くてこう言うことをしているわけではない。
 ただ、これから生き馬の目を抜く時代を生き抜いていくには、お前はちょっと迂闊だから、心配なんだ。
 などと三秒ほどかけて考え、ともあれ真琴の耳掃除をすることにする。

「ほれ。この相沢祐一の黄金の膝に、その頭を預けるがいい」
「なんでそんなにえらそうなのよっ」
「別にいいじゃないか。さ、乗せれ」
「うー……これでいい?」

 胡座をかいた姿勢の俺の足に真琴の頭を乗せ、さらさらの髪の毛をかきわけて小さな耳を探し出す。
 ひょいと真琴の顔を覗き見ると、なにやら少し緊張したような顔をしている。
 その真琴は、小さな猫のように、儚く見えて。
 だから、俺は。

「よし、真琴。覚悟しろ」
「何の覚悟っ!?」
「安心しろ。興を削ぐので黙っていたかったが、鼓膜は破れても再生するんだ」
「わ、わわわっ、なに物騒なこといってんのよっ」

 いじめてみることにした。

「あんたみたいな物騒な奴に、みみかきなんてさせてらんないわっ」
「甘いっ、今更逃げられると思うなっ」

 俺は左手と足をうまいこと使って真琴が逃げられないよう固定する。
 こんなこともあろうかと渋川流を習っていてよかったよかった。

「あ、あうーっ、離してーっ助けてーっ」
「あっはっは。ええい、大人しくしていれば、痛くしないでやるぞー」
「ゆ、祐一なんか妙に嬉しそうっ」
「さて。なんのことかな?」

 暴れる真琴。押さえる俺。
 しかし悲しいかな、古来より戦とは高所を確保した方が圧倒的な優位を手にすることが出来るのである。次第に真琴の動きを封じこめ、遂には身動きが取れない状況にまで追いこんだ。

「どうやらここまでだな」
「あうーっ、助けてぴろーっ」
「にゃーっ」

 真琴の支援要請を受けぴろがやってくる。
 しかし所詮は仔猫。引っかかれたところでさして痛くもない。

「無駄に終わったようだな」
「うー」
「にゃー」

 まさに時代はわが春。
 今の俺を止めることなど、誰にも出来はしまい。
 はっはっは。

「祐一さん」
「……はい」

 秋子さんが見てた。
 怒られた。

 まさに傍若無人である。
 権力を手に入れた人間とは、こうも増長するものなのか。

「はーい祐一、覚悟してねー」
「なんの覚悟をするんだなんの」
「安心してー、鼓膜は破れても再生するそうだからー」
「どこで覚えたんだそんな知識」
「どの口がそういうこと言うのかなー? 耳の奥の奥まで掃除したら、ちょっとは記憶力もよくなるかもね」
「止めてくれ。あーもうちくしょ」

 そういうわけで、秋子さんのバックアップを手に入れた今、真琴はもはや俺の敵う相手ではない。
 俺に残された道はただ一つ。まな板の上の鯛のごとく、大人しくしているしかない。

「なんかさー、こうしていると、祐一もちっちゃい子とあんまり変わらないよね」
「子供扱いすんな。さっさとやれ」
「もーすねちゃって。やっぱ子供みたい」
「だから……もーいいや。はぁ」

 そんな感じで、それから俺は散々子供扱いされながら真琴に耳掃除をされた。
 記憶から消し去ってしまいたいような、屈辱的な時間であった。
 でも。
 まあ。
 真琴の耳掃除が保育所で人気があるというのも、ちょっとだけ、わかったような気がした。

end