キスのベクトル

 相沢祐一が水瀬家に帰宅したとき、玄関には靴が真琴のものしかなく、おや、と思いながら茶の間へ行くと、そこには床に寝転がり漫画を広げつつ菓子を貪り食らいながらテレビを見る、という自堕落極まりない沢渡真琴の姿があった。
 なんとだらしない姿か、と思いつつ、祐一は真琴に尋ねる。

「真琴。秋子さんと名雪はどうしたんだ?」
「え? あ、祐一お帰りなさい。秋子さんは山に芝刈りに行ってるし、名雪は川に洗濯に行ってるわよ」
「なるほどな。それで本当のところはどうなんだ?」
「うん。秋子さんはよく判んないけど商店街の話し合いとかで今日は遅くなって、名雪はよく判んないけど部活の果たし合いとかで今日は遅くなるって」
「ふむ、なるほど。と、言うことは、今日は二人きりなわけだな」

 そう言って、祐一はニヤリと笑った。
 そのとき、祐一の顔に現れた「それ」を、真琴は見逃しはしなかった。いい加減付き合いも長いので、さすがに判る。「それ」は、祐一がよからぬことを考えているときに現れる、微かな癖。もっともこのあんちゃんは常によからぬことを考えているようなものなのだが。
 真琴は身構える。さあどう来る。そうそういつもからかわれっぱなしではいられない。こちらにもプライドがある。不退転の決意にて、真っ向から立ち向かってやろう。

「なあ真琴」

 来た。
 祐一の性格からして、初撃でもっとも強い攻撃で繰り出すと言う、先手必勝の作戦を取るはず。と言うことは逆に、それをそらすことさえ出来れば、こちらにも勝機が生まれるはずだ。
 よし。
 さあ、来い。

「えっちぃことしようぜ」

 沈黙は、たぶん一瞬だったと思う。
 声にも顔にも仕草にも、動揺は見せなかったと思う。
 ただ自然に、落ち着き払った声で、まるで「散歩にでも行くか」「うん」と言う会話をするかのような気安さで、真琴は応える。

「うん。しよっか」

 祐一の沈黙は、一瞬ではなかったと思う。
 やった。表に出さないまでも、真琴は心の中でガッツポーズをとる。これはかなりのカウンターになったはずだ。セクハラまがいの言動をよくする祐一ではあるが、その実意外とそれ系の話題は苦手なのだ。祐一のキャラクター性からして、この状態から「えっちぃこと」に持っていくことは不可能なはず。
 勝った。完全なる勝利だ。
 勝利の美酒に酔いしれつつも、しかし真琴の行動は止まらない。いい機会だ。普段の借りを返してやろう。真琴はそう思い、ゆっくりと祐一の方へと近づいていく。見ると祐一は明らかにうろたえている。笑いを噛み殺し、シリアスかつ少しの恥じらいを忘れない表情を保ったまま、立ち尽す祐一のすぐ側まで到達。上目遣いにじっと見つめる。
 近くに来てふと思う。祐一の体は意外とおっきい。
 まあ、それはさておき。

「それで。まずはなにするの?」
「あ、えーっと、そうだなあ」
「どーしたのぉー? はやくぅー」

 ちょいと舌足らずな喋り方で場を演出。漫画好きの真琴は演出効果も細かい。困った風の祐一に対し、真琴はさらに間合いを詰め、ちょっと胸を突き出して強調しつつ悩ましげな――少なくとも、真琴はそう思っている――視線。人間社会で学んだ知恵の数々をフルに発揮し、真琴は祐一を追い詰める。よくは覚えていないが、野生時代に戻ったような気がする。よくこうやって捕まえたネズミとかをいたぶったような。いや覚えてはいないけど。
 さて。
 真琴の会心のカウンターにより、状況は祐一にとって圧倒的に不利となったかのように思えた。しかし、祐一とてやられたままではいられない。人として、真琴に負けっぱなしでいることなど、許されるはずがない。確かにこういう状況は苦手であるが、気合を入れればなんとかなる。こうなったら、と祐一は覚悟を決める。
 やってやる。
 両手で少し強めに真琴の肩を掴む。その突然の動作に、真琴の顔に動揺が走り、両手を胸の前でぎゅっとにぎりしめ、戸惑うような瞳で祐一を見る。その肩の思いがけない小ささに祐一は戸惑いつつも、音を立てないように唾を一回飲み、そして、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「じゃあ」一回区切り、
「……まずは、キスから、か?」
「……うん」

 なにが「キスから」だ、と祐一は思った。
 なにが「……うん」だ、と真琴は思った。
 ヤバイ、と二人は思う。元々は冗談だったのに、二人ともそれは判っていたはずなのに、いつのまにか場に妙なベクトルが発生している。それはお互いの唇に向かっている。ヤバイヤバイ、と二重に思う。名雪か秋子さんが帰ってくるでもいい、テレビから場違いな音が聞こえてくるでもいい、ぴろが空中三回転をかますのでもいい。とにかくなんでもいいから、誰かこの場の空気を止めてくれ。
 その二人の思いは、しかし無情にも天には届かず、ただ静かで張り詰めてどこか甘い空気だけが周囲を漂う。自分の心臓が高鳴る音と、相手の吐息の音だけが聞こえる。
 祐一は真琴を見て思う。普段ばかやっている間には気付かなかった――いや、気付かない振りをしていたこと。真琴の体は小さく、けれどもそれは確かに女の子のもので、そして――かわいい。
 真琴は祐一を見て思う。普段いじめれてばっかで憎たらしいと思ってたけれど――いや、本当は憎いなんてもう思ってはいなくて、けれども心の奥に閉じ込めていた気持ち――祐一の体に、ぎゅっと、抱き着いてみたい。
 普段押し込めていた二人の気持ちが、ここぞとばかりに押し寄せてくる。二人の目が合う。逸らすことが出来ない。祐一が体を屈め、真琴が少し踵を浮かせて、二人の顔が近づいていく。これが最後のチャンスだ、と二人とも思う。これ以上進んだなら、もう、たぶん。

 止まれない。

 どちらからとでもなく瞳を閉じる。視界が薄闇に落ち、他のすべてがノイズと化し、ただお互いの体温と鼓動と感触と匂いだけが世界を支配する。
 真琴は祐一に肩を掴まれたまま、ぎゅっとその手を握りしめる。手の平は汗でじっとりと湿っている。握る手に力が入る。これではだめだ、と思う。握りしめたままの手では、祐一に抱きつくことは出来ない。
 そこまで考えて、自分は何を考えているのだろう、と真琴は思う。祐一に抱きつきたい、だなんて。頭の表面の真琴は、必死にそれを否定する。けれども体の奥底の真琴は、全力でそれを肯定する。二人の距離は今や半歩分も無く、ただ、少し体を前に傾けるだけでいい。それだけで、空気すら二人の間を遮る事は出来なくなる。けれどもその僅かな距離は、真琴にとって果てしなく長い距離に思えた。
 だから、真琴は、じっと待つ。
 祐一は真琴の肩を掴んだまま、少しずつ、本当に少しずつのペースで顔を近づける。肩を持つ手の力が強すぎはしないかと心配するが、しかし少しでも力を緩めたならば、その手が真琴のどこを触ろうとするのか、自分でも判らない。この指を一ミリでも真琴の体に這わすことが、ものすごい罪悪であるかのように思えて、動かすことなどできやしない。ただ、服越しに伝わる感触を、握りしめたら壊れてしまいそうな儚なさを、その微かな震えを手の中に包みこむ。無限とも思えるその一瞬が流れていき、そして。
 二人は、唇に違和感を覚えた。
 それがなんであるのか、とっさには判らなかった。柔らかく温かく湿っているそれが、お互いの唇であることが判るまで、時計の秒針が四分の一進む程度の時間を必要とした。それだけの時間をかけて、やっと気づく。
 自分達は、キスをしている。
 そのことに気づいた瞬間に、真琴の緊張は頂点に達した。おそらく、今自分の顔は真っ赤だろう。祐一が目を閉じていてよかった、と思う。こんな赤い顔なんて見られたら、ますます恥ずかしくなって、もしかしたら死んじゃうかもしれない。
 でも、本当に、これはキスなのだろうか。今自分は目をつぶっているから、祐一が何をしているか判らない。もしかしたら、これは唇なんかじゃなくって、祐一はただ自分の唇に指か何かを当てているだけで、真っ赤になっている自分を見てにやにやしているのかもしれない。いやいや祐一の手は自分の肩を掴んでいるのだから、それは不可能だ。しかし祐一はイジワルなことをするためには死力を尽くすタイプだから、何かしらの手段を講じているのかもしれない。けれどもそれならそれでいい。本当にそうなら、祐一はもうすぐ堪えきれずに笑い出すはずだから、そうしたら怒ってやればいい。それで、この場は終わる。また何事も無かったかのように、ばかを言いあったり出来る。それなら、それでいい。
 けれども。
 祐一が笑い出す気配は、無い。
 判っている。心の中でどれだけ御魔化そうとしても、自分達はすでに引き返せない場所まで来ている。心臓の高鳴りも顔の火照りも唇に触れる感触も、すべてがその先に向けて自分をつき動かす。「ん」と言う吐息を聞く。自分から発せられたものとは一瞬気づけないほどに、それは湿り気を帯びていた。なんだかえっちくさい、と真琴は思う。祐一はこの声を聞いてどう思うだろうか。やっぱりえっちくさいと思うだろうか。それとも単に変な声だと思うだろうか。もしかしたら、いやらしい子だとでも思うだろうか。それはちょっと、いやかなりいやだ。そんな風には思われたくない。けれども、もしかしたらその通りなのかも知れない。体の底から、うずくような感覚が走る。自分は、今、とても。
 きもちがいい。
 それまでで一番強いベクトルが背中を押す。二人の体を隔てる僅かな距離が疎ましく思える。ほとんどまともな思考は出来ない。ただ祐一の体に触れたくて、真琴はその最後の半歩を踏み込もうとする。

 スパイシーであるな、と祐一は思った。少しだが唇の先がちりちりする。そう言えばさっき真琴が食べていた菓子の中に、辛口のポテトチップスかなにかがあったような気がする。やはりこう言うことは歯を磨いてからやるべきだっただろうか。自分は大丈夫だろうか。そう言えば今朝納豆食ったが問題無いだろうか。
 現実逃避も大概にしよう。
 自分達がキスをしていることに気づいてから、全力で関係無いことを考えつづけてきた祐一ではあるが、それも限界に近づいてきた。自分は確かに真琴とキスをしているし、心臓は痛いほどに高鳴っているし、干したての布団のような真琴の髪の匂いと、明らかに自分のものとは違う汗の匂いを嗅いでいる。長くさらさらとした真琴の髪が頬に触れている。「ん」と言う真琴の声を聞く。それは確かに聞きなれた真琴の声であったのだけれど、にわかにはそうと信じられないほどに、魅惑的な甘さを含んでいた。その響きに、最前線で絶望的な戦いを繰り広げている理性に退役を申しつけたくなる。何も考えずに、ただ真琴の体を抱きしめて、その肌に指を這わせ、その汗を舌で味わい、そして、そしてその中に自らを突き入れたい衝動に駆られる。けれども、ぎりぎりでそれに押し留まる。真琴のすべてを奪いたい。けれども、力づくではしたくはない。それに、真琴を汚してよいのだろうかという思いもある。誰にも秘密にしているが、真琴の事を思って自慰行為を行ったことは幾度もある。そんなときはいつも、強い快感と罪悪感を同時に覚える。真琴は見ていて危なっかしくて、いつも守ってやらなければ、という気持ちにさせる。祐一にとって、真琴は保護すべき対象としての面が強い。けれども、それと同時に、あるいはそれ以上に。
 真琴は、女の子でもある。
 祐一にとって、大切な、女の子。
 その矛盾が祐一の心の天秤を拮抗状態に陥らせる。引くことも押すことも出来ずに、唇を合わせたまま、祐一は立ち尽くす。そんなときに、真琴の体が動くのを感じた。寄りかかるようにして、自分の体に近づいてくる。その肩が掴む手から逃れそうになり、慌てて思わず祐一は手を背中に回してしまう。真琴は両手を祐一の胸に当て、体全部を祐一に密着させる。真琴の胸の、腕の、体全体の柔かさを体全体で感じ、祐一は衝動的に背中に回った手で強く真琴を抱き締めるる。そのことが祐一に、真琴の体を更に強く感じさせる。未だにキスを交わしたまま、二人は強く抱き締めあう。しばらく二人はそうしていたが、さすがに息苦しくなってきたので、祐一は顔を引き、唇を離す。真琴は名残惜しそうにしていたが、ともあれまずは一息。
 そして、二人は眼を開き、お互いの赤い顔を見つめあう。
 えへ、と真琴は笑いながら、

「キス……しちゃったね」
「……ああ」
「……祐一、まっかっか」
「……お前だって、そうだろ」
「うん……そうだね」

 祐一は真琴の顔を見る。頬は赤く染まり、瞳は潤んでいるように見える。その瞳には祐一を魅了する効果がある。どきどきする。唇を見る。先程まで触れていた、唇。その事を考えると、また、どきどきする。
 真琴も祐一の顔を見る。たぶん自分と同じように赤い顔をしている祐一を見て、男の人をこう言う風に言うのはどうだろう、と少し思うけれども、かわいい、と思った。そして――愛しい。
 二人はそうしてしばらく見つめあう。それはなんだか照れくさかったけれども、だけど、悪くないと、二人は思う。真琴は祐一の胸に顔をうずめ、すりすりと鼻先をこすりつける。その様はじゃれてくる子猫のようで、祐一はなんとも微笑ましい気持ちになる。思わず手をその頭に当てて、優しく撫で、その二房にまとめた髪の片方を指でそっと梳る。普段の真琴ならば「子供にするような」こんな仕草は、極端にいやがる。けれども今の真琴はそんな素振りも無く、ただ気持ちよさそうにそれを受けている。子供のようなその仕草を、祐一はとても、とても可愛らしいと思う。

「……今日は、素直だな」
「え?」
「いつもなら、こんなことされたらいやがるのに」
「……いつもはいつも。今は今」
「そんなもんか?」
「そんなもんよ……ううん。本当は、いつも、こうして欲しい、って思ってる」
「そうなのか?」
「うん……でも、祐一ってばいつもイジワルばっかするんだもん。からかわれたら、って思ったら、恥ずかしくてそんなこと言えないもん」
「あー、そりゃ、悪かったな」
「うん。でも、そんなに悪くはないよ。そういう祐一も、」

 目を逸らし、

「――好きだから」

 そう、言った。
 祐一は、その言葉を飲み込むまでに一瞬を要し――そして、赤い顔をさらに赤くした。

「……なかなか、照れることを言う奴だな」
「こんなときじゃなきゃ、言えないわよ……なんかヘンだもん。真琴も、祐一も」
「……だな」
「うん。祐一の胸、すごくどきどきしてる」

 真琴は祐一の胸にあわせた自分の手を見ながら、そう言う。祐一にとってそんなことは、言われるまでもなくそれこそ痛いほどに判っている。ふと、祐一は疑問に思う。真琴は、どうなのだろうか。
 その疑問を感じ取ったのか、真琴は少し首を傾けながら、囁くように、祐一に言う。

「ねえ……触ってみる?」
「な、に?」
「真琴の、胸。真琴も、すごく、どきどきしてるんだよ」

 言いながら、真琴は自分の髪に触れる祐一の手を取る。そしてゆっくりとその手を、自分の二つの膨らみの間へと導く。祐一はなされるままに、真琴の胸を――彼女の服と、その向こう側で高鳴る胸の鼓動を、感じる。柔らかく温かなその感触に、祐一はとても、とても満たされた思いを得る。手の平を翻して真琴の手と合わせ、その指の一本一本を確かめるかのように、指と指を絡め合う。祐一は真琴の指の小ささを、真琴は祐一の指の大きさを感じながら、お互いの指を強く握りしめる。それはただの握手よりも、ずっと繋がっているような感じがした。

「ねえ……祐一」
「ん?」

 そうしているうちに、唐突に、真琴が口を開く。赤い顔をさらに赤くさせて、少し困ったような笑っているような、微妙な表情をして、瞳を閉じ、唇を軽く突きだして、そして、その唇から言葉を紡ぐ。

「……もういっかい、キス、しよ?」

 その言葉が、祐一の中の何かを致命的に破壊する。比喩でなく眩暈すら覚える。片方の手を真琴と合わせたまま、真琴の背中に回す手に力を込め、強く抱き寄せ、瞳を閉じ、少し乱暴に、もう一度唇を合わせる。強く、強く。次第に唇を合わせるだけでは足らなくなる。もっと深く結びつきたいと思う。が、しかし戸惑いもある。やはり舌を入れるのはまずいだろうか?
 祐一がそんなことを考えていると、唐突に、唇の先に何かが触れた。熱く、滑り、蠢くそれは、真琴の、舌だった。そのことが衝撃となって祐一に襲いかかる。真琴が、キスで、舌を入れてきた。それは祐一の真琴に対する既成概念を覆すに十分足る事象であった。子供っぽくて、生意気で、心配で、そして、かわいいと思っていた真琴が、そんな行動を取ることを、祐一はにわかには信じることが出来なかった。その違和感が、祐一にさらなる興奮をもたらす。真琴が、自分を、求めている。そう思うと、思考が沸騰しそうになる。そしてその沸いた思考回路で次なる行動を考える。舌を入れてきたということは、こちらも舌を入れてよいということだろうか。むしろ、これは言うなれば相手が握手を求めてきたのと同系統のことであり、その場合にはこちらが手を出さないのは失礼に当たる。ならば、ここで自分が真琴に舌を入れないのもまた、失礼に当たるというものだろう。よし、入れてやる。
 やはり祐一の頭は沸いている。
 真琴も真琴で沸いている。「キスをしよう」とは言ったものの、こんなに急にされるとは思わなかった。その乱暴さに少しどきどきしたり、ちょっとだけ気持ちよかったのも確かではあるが、しかしこういうことはやはり優しく行ってもらいたい。そう主張すべく口を開こうとしたが、しかしてその唇は祐一の唇によって塞がれている。結果として、口を少し開き舌を突きだすような感じになってしまった。その舌は当然、祐一の唇に触れる。
 つまり、祐一が「真琴が舌を入れてきた」と思ったのは誤解である。真琴が入れたいと思っているか否かはともかくとして、少なくともこの段階ではそうするつもりは無かった。真琴は先程のように、触れあうだけのキスでも十分だと思っていた。この辺り二人は微妙に噛みあっていない。が、過程はともあれ、問題は現在の状態である。突きだした自分の舌に対し、祐一もまた舌を絡めてきた。その感触が、粘りつくような水音が、そして何よりも、祐一の体の一部を自分の中に入れているという事実を実感すると、真琴はなんだかものすごくいけないことをしているような気がしてくる。背徳感から背筋にぞくりとし、気持ちいいような気持ち悪いような不思議な感覚が走る。足がふらつき、祐一の首に手を回して、必死に体を支える。たぶん気を抜いたら倒れる。倒れたら、祐一と抱き合っていられない。それはとても悲しい。だから、真琴は頑張って、立ちつづける。心の中で自分を応援する。がんばれ、ふぁいとよ、さわたりまことぉーっ。
 二人とも思考が沸きたったまま、ただただ深いキスを交わしあう。舌はお互いの口内に侵入し、その形を確かめるように舐めまわす。位置的に下になる真琴の口の中には、祐一の唾液が流れ込む。普段なら嫌悪感を覚えるであろうその液体を、真琴はただ享受する。頬に口からこぼれた唾液が伝う感触を覚える。口を塞がれていることと興奮から、呼吸が上手くできず、喉で引っかかるような吐息となって口から出る。祐一が隠し持っていたえっちなビデオを誰もいないときにこっそり見たことがあるが、あれの女の人が出していた声に似ているような気がする。それを思いだしたことを真琴は後悔する。あれでしていたようなことを、これから自分達は、するのだろうか。そう考えるとますますヘンな気持ちになってくる。膝から崩れ落ちそうになる。腰に力が入らない。もっと繋がっていたいのに、体が言うことを聞いてくれない。バランスを崩す。祐一に倒れかかる。

「……まこ、と?」
「う、ん……」

 真琴の動作に驚き、祐一は唇を離し、真琴の様子を見やる。顔が赤い。それはずっとそうだから言いとしても、その顔に少し困ったような色が見える。少し足がふらついているようにも見える。
 真琴の体調不良は、あの頃のことを想起させる。
 衰え、力尽きようとしていた、あの終わりの日々のことを。
 急速に頭が冷える。ものすごい後悔が祐一に襲いかかる。何を調子に乗っていたのだろう。真琴に何かあったら、どうするつもりなんだろう。あの時のことを、いつしか自分は忘れていたのだろうか。真琴は大切にしなきゃいけない。もう、二度と、離さないために。
 祐一の瞳に涙が浮かぶ。真琴はゆっくりと、それを見上げる。祐一が泣いている。そのことが真琴の胸を締めつける。あの「終わりの日々」のことは、真琴はよく覚えていない。それでもうっすらと、こうして祐一の顔を見上げていたような気がする。祐一には泣いて欲しくなかった。笑っていて欲しかった。いつもみたいに、馬鹿なことを言って、自分を怒らせていて欲しかった。その涙を、指で拭ってあげたかった。けれども、自分の手は動かなかった。
 あのときは。
 でも、今は違う。
 手を上げる。祐一の頬に触れる。出来るだけ優しく、その涙を拭い、頬を撫で、頭を自分の胸に抱き寄せる。そして、囁くように、言う。

「泣かないで、祐一。真琴は、もう、大丈夫だから」
「……え?」
「今の真琴は、祐一の涙を拭えるの。もう真琴は、あの時とは違うの。だから。
 ――泣かないで」
「……うん」

 言いながら真琴は、祐一の髪を優しく撫でる。くす、と笑い、そして、

「……なんだか、さっきとあべこべだね」
「そうだな……子供になった気分だ」
「祐一のあまえんぼ」
「言うな。お前だってそうだろ」
「……うん。あ、それとね。さっき倒れそうになったのは、調子が悪かったからじゃないよ」
「え?」
「うん、ええと、ね」

 真琴は祐一の耳に口を近づけ、囁くように、祐一の他の誰にも聞こえないように、小さな声で、顔を赤くしながら、言う。

「……きもちよくて、立ってられなくなっちゃったの」
「……は?」

 祐一はその言葉の意味を必死に解釈し、そしてそれが終了すると、ものすごい疲れたような声で、

「お前、な。心配かけさせといて、そりゃないだろ……」
「ごめん。ほんとにごめん。えと、でね。それは今も続いてたりするん、だけど」
「はぁ」
「えと、だから、その、出来れば座るか寝転がるかさせてもらえるとうれしいかなっ、て思ったり」
「……はぁ」
「……なによぅ、そんな呆れたような声出さないでよっ。もーっ、真琴のことえっちな子だとか思ってるんでしょーっ」
「思ってるもなにも、事実じゃないか。沢渡さんちの真琴さんってば、女の子から舌を入れて来たり挙句に立ってられないくらい気持ちよくなっちゃったって、明日になったら町内で話題沸騰だな」
「そんな話題で沸騰しないでーっ。うー、もうっ、祐一のイジワルーっ」
「あははは、は」

 笑いながら、しかし何時からか、祐一の瞳に涙が浮かぶ。それを見て真琴は少し戸惑う。また心配そうな顔になる。しかし、祐一は、やはり笑いながら、

「よかった……うん、よかった」

 そう、言う。
 真琴は、そんな祐一をじっと見つめる。
 泣いてるけれど、今の祐一は、笑っている。
 笑っていてくれる。

 瞳を閉じ、もう一度、くちづけを交わす。祐一は真琴の体を抱えるようにして、静かに床に横たえる。横たえ終えると真琴は瞳を開き、にふ、と笑って祐一を見る。その上に覆い被さりながら、そんな真琴を見て、祐一は再び沸いた頭で考える。
 真琴を横たえた。つまり、この先はつまり、男女が横になってするようなことであり、それは添い寝と言ったレヴェルのモノではなく、俗に「夜の営み」とか称されるアレである。今はまだ夕方であるがそんなことはどうでもいい。するのか? 本当に? 据え膳食わぬは男の恥、とは言うが、そんな先人の言動を盲目的に信用し行動してよいものだろうか。それに、だ。真琴も自分も経験の浅いビギナー同士であり、そんな二人がこんな床の上で執り行うなどというやや上級っぽいことをしてもよいのだろうか。真琴は嫌ではないのだろうか。やはりどちらかの部屋に行ってベッドの上で、いやせめてそこのソファの上にまで移動した方がよいのではなかろうか。だがしかし立っていたときならばともかく、錯乱しかつはやる心を必死に抑えている今の祐一にとって、水瀬家の二階に位置する双方の部屋までは月よりも遠く、すぐ近くのソファでさえ天竺よりも遠い。それに真琴は目下の所上手く立てないようであるし、ならばここでシテもよかろう。いや待て、何時の間にか思考が「する」方向で確定していないか。あやうく言葉のトリックに騙される所だった。こう言うことは双方の同意が肝要である。やはりここは真琴に一つお伺いを立てるのがスジというものであろう。いや待て待て。だがしかし、かような状況に至ったということは真琴としては既に準備は出来ており、こちらの行動を待っているということも考えられる。ならば何も言わずに次の行動に至るべきなのだろうか。いやしかし――。
 祐一がそんな思考の無限ループにはまりかけていると、真琴は「ねえ祐一」と話しかける。祐一は無茶苦茶びびる。もしかしてこのやましい心の中が覗かれていたのだろうか。突然思考を口に出す癖が発現してしまったのだろうか。祐一がそんな風にまた錯乱していると、真琴はややためらいがちに、言葉を続ける。

「なんかさ……こーゆー風に床の上でするのって……えっちっぽいよね」

 祐一が脳死を起こした。
 今度は比喩表現である。が、祐一当人にとってそれは、本気で死ぬかと思えるほどの言動であった。

「ま、真琴っ、お前っ、そんな、はしたないこと言うなっつーか、その、あれだ。ええい、そこに座れ」
「『座れ』っていうか、もう寝転がってるもん」
「ええい口答えするな。どこでそんな発想を手に入れるんだ。そんな風に育てた覚えは無いぞ」
「育てられた覚えも無いわよぅ。だって仕方ないじゃない。そう思ったんだもん」
「あのな、お前な、今の俺の状況を判ってくれ、お前にそんなことを言われると、俺は――」

 祐一は、言葉を一旦区切り、少し、戸惑ってから、

「――いろんなことをするぞ」

 真琴は、その言葉を聞き、やはり少し戸惑ってから、

「――いいよ。いろんなこと、して」

 クリティカルヒットであった。
 頭を床でも壁でもどこでもいいからとにかく打ちつけて、拳で自分の顔を殴りつけて、床を摩擦で火が付くほどに転がりまわりたい衝動に祐一は駆られる。だがさすがにそんなことはせずに、その暴力的とすら言える衝動を真琴にぶつける。口付けをする、胸を触る、体を押しつける、服を剥ぎ取ろうとする。このまま蹂躙し陵辱し犯し尽くしてしまいたいとすら思う。が――すんでの所で思いとどまる。真琴が、体を縮こませ、怯えたような仕草をしていることに気付いたから。自分の行動をものすごく後悔する。何をやってるんだ俺は。

「真琴、ごめ、俺、」
「び、びっくりしたーっ」

 深刻そうに言う祐一に対し、真琴はえらく気楽な口調でそんなことを言う。それがあまりに気楽だったもので、祐一は毒気を抜かれ、

「……真琴?」
「もー、いきなりそんなに強くしないでよーびっくりするじゃないのもー。祐一、女の子はもっと優しく取り扱うものよ」
「うー、あー……うん」
「はい。素直でよろしい」

 どうにも手玉に取られている気がする。
 が、そんな真琴の態度のおかげで、どうにか落ちつきを取り戻すことが出来た。今度は間違えない。ゆっくりと、出来るだけ優しく、進んでいこう。
 祐一がそう思うその下で、真琴は真琴でどきどきであった。
 正直な所ちょっと、いやかなり怖かった。祐一があんなに怖く思えるなんて、はじめてだった。「男性は狼ですから気を付けるのですよ」と、友人である天野美汐に忠告されたことがあるが、その言葉の意味が頭でなく魂で理解できた。それこそ食べられちゃうかと――二重の意味で――思った。
 だが、そんな素振りを見せてはいけないとも思った。祐一はなんだかんだで繊細な所がある。もしも自分の行動によって、真琴を怖がらせてしまった、などと思おうものなら、悔恨のあまり手近な岬からダイヴして水死体になってしまいかねない。それはいけない。だから、真琴は「ちょっとびっくりした」程度の反応をした。それで、どうやら祐一は安心してくれたようだ。
 それはいい。いいのだけれど、しかし怖かったのも事実なので、このまま済ますのもどうかと思う。本気で怒っているわけではないが、ちょっとは仕返しした方がいいのかもしれない。どうしたものかな、と考え、そして。

「……じゃあ、祐一。続き、しよ?」
「あー……ああ」
「うん。ねえ、祐一は、真琴になにがしたい?」
「え?」
「言ってみて。そしたら、させてあげるから」
「……」

 とりあえず、ちょっといじめてみることにした。
 祐一の顔を見ると、本気で困っているようだった。何を言おうか迷っているのだろうか。それとも、したいことは決まっているけれど、言えずに困っているのだろか。なんにしても、こうして困った祐一の顔を見るのは――なんだか、気持ちがいい。それは頭を撫でられたり抱きしめられたりしたときのほわほわした気持ちよさとは違う、なんだか背筋にぞくぞく来るような気持ちよさだ。祐一はこんな感覚を味わいたくて、いつも自分にイジワルなことをするのだろうか。だったら、理解できなくも無いと思う。そして続けて思う。もっと、祐一をいじめてみたい。
 真琴は意外にサディストであった。狐時代より受け継いだものかもしれない。
 くすくすと笑いたくなる衝動を抑えながら、真琴は祐一に問いかける。

「どうしたの? 何も、したくないの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
「うん。だから、言ってくれればいいんだよ」
「う、うう……」
「しょーがないなぁもう……ねぇ祐一、じゃあ……真琴のぱんつ、見てみたい?」
「ぐっ」
「触ってみたい?」
「がっ」

 祐一は喉の奥から潰れたような声を出す。その内部ではなにやらものすごい葛藤があるようだ。はっきりと言ってしまえば見たいし触りたい。だがしかし、素直にそれを認めてしまうのはなんだかものすごい「負け」のような気がして、それ以前に恥ずかしくて仕方がなくて、言うことが出来ない。そんな自分に腹が立つ。素直に認めて見たり触ったりさせてもらえばいいのにと思う。だが、こんなときでも残っている中途半端な自尊心が、それを由とはしてくれない。精一杯の気合で、真琴に話しかける。

「……なんか、お前、俺をいじめて楽しんでないか?」
「うん。楽しんでるよ」
「お前、なっ」
「だって、祐一もいつも真琴のこといじめるでしょ? で、祐一のいじめは愛情表現の一種で、その子が好きだから、いじめるんでしょ? だから、真琴も祐一のこといじめるの。好きだから」
「ぐぅっ」

 また声が潰れる。完全に敗北した気分になる。ああもうその通りだよコンチキショーと言いたくなる。負け犬ムードが心の中に漂う。こうなったらもういい。もう負け犬でいい。だから。
 だから、見たり触ったりさせてもらおう。

「……てくれ」
「何? 聞こえなーい」
「……見せて、くれ。真琴の……ぱんつ」
「……うん」

 絞りだすようなその声に、さすがに真琴も照れながら応える。調子に乗っていじめてきたはいいが、実際に行動に移られると恥ずかしくて仕方ない。見せると言ったからには、自分から見せるべきだろうか。自分でスカートをめくって? それは、さすがに、恥ずかしすぎる。しかし、ここまで来てやっぱり見せないとは言い難い。うーん、と思案し、折衷案を思いつく。

「ええと、その、セルフサーヴィスでお願いね」
「……は?」
「だから、祐一が、その、スカートめくって、見て」
「う、あ、ああ」

 セルフサーヴィスは無いだろう、と真琴は思った。しかしとっさに言葉が出てこなかったのだから仕方ない。真琴の言葉を受けて、祐一は体を少し浮かせ、視線を下、真琴のスカート周辺へと移す。真琴はそんな祐一の顔を見る。祐一の息は荒く、顔は赤く、汗が浮かび、それはなんだかえっちっぽいと真琴は思う。それを意識すると無性に恥ずかしくなる。あんなえっちっぽい祐一に自分のぱんつを見られるのかと思うと、死にそうに恥ずかしくなる。祐一をいじめていたときの余裕はもはや無い。祐一の手が自分の下半身に伸びる。ついに来るのか? ごくりと唾を飲み込み、目線を下げ、その手の行く先をじっと見つめる。手はゆっくりと――真琴のスカートでは無く、内太股に触れる。めくられなかったという安心と素肌を触られたという驚きに真琴の頭がぐるぐると混乱する。
 どうやら祐一はいきなり目的地に到達するのではなく、下から徐々に登り詰める作戦に出たようである。さわさわと真琴の柔らかな太股を撫でると、くすぐったさからか真琴はくすくすと笑い出す。がしかし、その手が少しずつ登り詰めるに従い、感触は「くすくす」どころでは済まなくなる。これはかなりやばい。くすぐったいというかむずがゆい。むずがゆいというか――とにかく、やばい。手はゆっくりとしかし着実に登っていく。ふと、祐一のズボンの、その膨らみに気付く。確か、あれは、アレである。アレは男の人がアレしたときにああなるものであり、つまり祐一はソレな訳で――やっぱり、やばい。自分の下半身にじわり、とした感触を覚える。本気でやばい。こんな状態で、祐一に、ぱんつを触られようものなら、
 そう、考えていたとき。
 ついに、祐一の指が、その白い布まで、到達した。
 それが、真琴の限界だった。
 背筋をのけぞらせた。指を握りしめた。体がよく判らない捻り方をした。口から零れる声は言語として形容しがたく、全身の筋肉が緊張し、そして弛緩する。頭の中に入りきらないのでないかというほどの感覚が押し寄せ、思考すらおぼつかなくなる。自分がどこにいるのかも判らない。息が荒い。顔が赤い。

「真琴?」

 と、祐一の声を聞く。それはなんとか認識できた。その声は心配そうだ。また心配をかけてしまった。なんとか安心させてあげたい。そう思い「大丈夫」と言おうとして口を開く。

「らい、」

 ろれつが回っていない。気持ちを必死に落ちつけて、口の中で舌を転がし、なんとか喋れそうになってから、

「……大丈夫、なんでもない。ばっちこいっ、て感じ」
「そうか?」

 言っていることの意味が判ったかどうかはともかく、どうやら祐一は安心してくれたようだ。自分に何が起こったかも、どうやら気付かれていないらしい。よかった。触られただけで、なんて恥ずかしすぎる。はぁ、と吐息をひとつ。それから、まだ少し心配そうな祐一を見る。淡い意識に、その顔がとても愛しく思える。
 だから。

「ね、祐一」
「ん?

 手を伸ばし、

「ぎゅって、して」
「……ああ」

 抱擁を、請う。
 背中をちょっと浮かせて祐一の腕を誘導する。自分も腕を祐一の背中に回し、力いっぱい抱きしめる。ちょっと重くて苦しかったが、けれどもその重さは、祐一の匂いと体温と合間って、その存在を強く伝えてくれる。胸の中が満ち満ちるような感覚。温かく、暖かく、とても幸せな気持ち。目の前に祐一の耳たぶが見える。それがなぜだかひどく美味しそうに見えて、思わずかぷ、と噛みつくと祐一の体がぴくり、と震える。それはなんだか可笑しくて、幸せで、ずっとこうしていたいと思う。そして、祐一にも幸せになってもらいたいと思う。そして。
 祐一が、欲しいと、思う。
 一緒に、気持ちよくなりたいと、思う。

「祐、一」
「ん……」

 耳元に囁く。

「真琴に……して」

 祐一は言葉の意味を一瞬だけ考え。

「……ああ」

 肯く。
 体を離す。温もりが途切れる。二人ともそれを惜しく思う。けれどもその断絶もまた、さらに深く繋がるために。

 祐一は再び真琴のスカートに手を伸ばす。今度はスカートを掴み、ゆっくりとそれを捲りあげる。少しずつ真琴の肌が深く露出するに連れ、祐一の呼吸が荒さを増す。やがて、その白いぱんつが露になる。別にはじめて見るわけではない――いや、こういう状況ははじめてだが――のに、それはとても特別な存在感を持って祐一に迫った。この布の向こう側に、なんと形容するべきか、つまり、真琴のデリケートな部分が存在するわけである。頭の中に浮かんだその歪曲的すぎる表現に自分は馬鹿なんじゃないかと思う。いやいや、と気を取りなおし、続きの取りかかることにする。しかしここまででも既に大仕事であったのに、ここから更に、このぱんつを脱がして、自分もズボンを脱着して、そして――である。気が遠くなる。ふと目線をずらし、真琴の顔を見てみる。真琴もまた下半身付近の動向を見守っていたようであるが、祐一の目線に気付き顔を合わせる。祐一はそんな真琴と、真琴のぱんつを見比べる。なんというか、なんとも感慨深いものがあった。
 が、そんな祐一の態度が、真琴としては微妙にお気に召さなかったらしく。

「ちょ、ちょっと、そんなにじろじろ見ないでよーっ」
「いや、そんなこと言われても、しっかりと目算を立て、今後の作業に問題がないようにしなきゃならないだろ」
「だ、だだだだって、そんな風にじろじろ見られたら、恥ずかしいもんっ」
「そりゃそうだろうが、まあ必要経費ということで我慢してくれ」
「やーだーっ。もう、見ないでやってっ」
「そんな難易度の高いことを言うな。もしそんなことに挑戦して、違う穴に入れてしまったらどうするんだ」
「違う穴って……そんな下品なこと言わないでよぅっ。もーゆーいちデリカシーがないんだからっ」
「むう」

 なんだか怒らせてしまったようだ。
 もう、なんというか。

「……俺たちって、なんかシリアスに決められないよな」
「……うん。でもまあ、仕方ないかも。真琴と祐一だもん」
「……だな」

 二人ははぁ、とため息を吐き、そして同時にくすりと笑う。
 馬鹿みたいで、こっけいで。でも、まあ、それも自分達らしくていいだろう。
 二人は、そう思う。

「じゃあ」
「え?」
「……続ける、ぞ」
「……うん」

 祐一はそう言う。真琴はそれに肯く。祐一はぎこちない手付きで真琴のぱんつをずり下ろす。そしてその下の茂みを目の当たりにし、もう何度目か判らないめまいを起こす。真琴は祐一が自分のズボンを脱ぐのを見る。ベルトを外し、ボタンを外し、ファスナーを下げ、ズボンを一気に脱ぎ捨て現れたそれを見て、一瞬危機感に近いものを覚える。大丈夫なの本当に入るのあれ。ちょっと無理があるような気がする。だがしかしここでそんな態度を取るわけにはいかない。今こそ覚悟の決め時だ。さあどっからでもかかって来い。祐一は自分のものを手で掴み、真琴の中へと入れるべく近づける。二人に緊張が高まる。やがてその先端が見えなくなり、そして、二人は一つとなる。

「んっ」

 真琴の口から声が零れる。肉体的にも精神的にも未知の感覚が二人に走る。祐一が腰を押し入れると、それはさらに深く真琴の中に侵入する。中は熱いと言ってよく、ぬめるような感触に、自分が溶けてしまったかのような錯覚すら覚える。水音が聞こえる。それが自分達の接合部からの音だと気付き、祐一の興奮はいや増した。真琴もまた興奮を覚える。祐一のものは熱く、大きい。痛みもある。だがそれ以上に、結合の喜びを感じている。祐一に問いたくなる。今、どんな気持ちなのか。

「……ねぇ、祐一ぃ」
「ん……」
「きもち、いい?」
「……ああ。きもち、いいよ」

 祐一は、そう、言ってくれた。
 それは、とても、うれしかった。

「ね、祐一、真琴は、大丈夫だから……祐一の好きなように、していい、よ」
「大丈夫なのか? その、痛かったり、しないか?」
「う、ん。ほんとは、ちょっと痛いけど……でも大丈夫。だから」
「うん。判った」

 そして、祐一は腰を引き、押し入れ、それを繰り返す。ゆっくりと、しかし少しずつその動きは速くなる。そのたびに快楽が大きくなる。そのたびに真琴が愛しくなる。真琴の体を抱き寄せ、指を絡め、口付けを交わす。真琴もそれに応える。互いに名を呼びあう。指も、唇も、言語も肉も心でさえも、持てるすべてを使って互いの存在を結線しようとする。体を寄せ合い、互いの境界線すら曖昧になる。とても長くもひどく短くも思える時間が過ぎ、そして、祐一は自分の限界が近いことを感じる。ごくり、とそれが堰を切らんとする脈動すら感じる。もっとこうしていたいという思いと、この欲望を真琴の中に吐きだしてしまいたいという思いが混ざり合う。

「……まこ、とっ」

 真琴は祐一の声を聞く。今までにない切なさを含むその声に、直感的に終わりが近いことを知る。祐一の服を掴む指に力をいれる。祐一が達しようとしている。それならば、自分はそのすべてを受け止めてあげたい。受け止めたい。そして自分もまた、達したいと思う。一緒に居たい。一緒に在りたい。ずっと、ずっと。

「……ゆういちぃっ」

 思考が消し飛ぶ。お互いを求める以外の感覚を放棄する。単調に、単純に、ただひたすら体を重ねる。互いを感じる。命を実感する。そして、
 そして、二人は終わりへと達する。

 しばらく、脱力していた。
 そうしているのが心地よくて、ただそのままにしていた。
 再び話が出来るようになるまで、ただ、そうしていた。

「……祐一」
「ん……」

 そんな中、真琴が口を開く。照れくさそうに、小さな声で。

「えっち、しちゃったね」
「……ああ、そうだな」
「祐一、中で出しちゃったよね。真琴知ってるよ? こうすると、赤ちゃんが出来ちゃうかもしれないんだよね」
「……うん」
「もし、赤ちゃん出来たら、」

 真琴は、さらに小さな声で、言う。

「――うれしいね」
「……うん。そうだな」

 祐一は、そう応える。
 もちろん、それはそんなに楽なものではないことは判っている。自分は生活能力も無いただのガキで、そんな奴が無責任に思ってはいけないことだとは思う。
 ただ、それでも。
 ただ、純粋に、それはうれしいことだと、そう、思えた。

 ところでそこは水瀬家茶の間であり、家族全員憩いの間であり、すなわちいつまでもそこでぼへーっとしていたら秋子さんなり名雪なりが帰ってきてもおかしくないポジションに位置するのである。
 そのことにようやっと祐一が気付いたのはもうかなりの時間が経過したあとだった。その事実に思い至ったときやべえと思った。さすがにこんな状況を目撃されようものなら、なんというか、その、とにかくやべえと思った。「離れたくない」と言う真琴に対し「俺だって離れたくはないがしかし」と説得し、着衣を正し、何事も無かったかのように場を整えた。絨毯の歪みから椅子の角度まで部屋にあるすべてが二人の行為の証拠になっている気がして、必要以上に整理整頓の限りを尽くした。しかるのちに交代でシャワーを浴びた。一緒に入りたいという誘惑が祐一を誘ったが、そんなことをすれば間違い無く第二ラウンドに突入してしまうため鉄の意思で耐え抜いた。
 そんなこんなの騒ぎがあり、秋子さんと名雪が帰ってきたのは運よくすべての事後処理が終了してからで、二人は微妙にあやしげな雰囲気を保ったまま夕食を終え、逃げ出すようにそれぞれの部屋へと帰った。自分の部屋のベッドに寝そべり、天井を見上げながら祐一はどっと疲労感に襲われる。
 精神的にも肉体的にも無茶苦茶付かれたような気がする。もう早く眠りたい所だが、しかし目を閉じると真琴の体の感触が思いだされて、とても眠れたもんではない。今日はこのまま心地よく苦しみながら眠れぬ夜を過ごすのだろうか、と祐一が思っていると、こんこん、とドアがノックされた。

「……誰だ?」
「あたし。真琴」
「……おう。入れ」
「うん」

 そう言って真琴は扉を開き、部屋の中へと入ってきた。その顔はにふふと笑っている。まさか、と祐一は思う。いやちょっと待てさすがにそれはまずい。

「ま、待て真琴。さすがにこの短いスパンでいたすのはなんとなくだがマズい気が、」
「……祐一、何言ってるの?」
「え? あ、それは、その、だな」
「あー、もしかして、真琴がまたえっちなことしに来たとでも思ったんでしょーっ」
「う、そ、そんなことは」
「思ったんでしょ?」
「……はい」
「やっぱり。祐一のえっちー」
「ば、おまえ、そんなこと言うなっ」

 そんな風に赤くなりながら慌てふためく祐一に対し、真琴は変わらぬにふふ笑いを浮かべたまま近づいていく。そして、ベッドに座る祐一にずい、と顔を近づけて、耳まで真っ赤な祐一に対し。
 ちゅ。
 と、そのほっぺたに触れるだけのキスをした。

「なっ、おまっ、何っ」
「ちょっと祐一の味見がしたくなったの。そんだけ。じゃーね。今日はおやすみなさい」
「お、おいっ、その、あのっ」
「祐一なに言ってるか判んないよ」

 真琴は言いながら、軽快なステップで扉の向こう側へと行き、そして扉を閉めながら、ぽつりと、

「……またえっちしよーね。ゆーいちっ」
「……おいっ!」

 そう言い残して、祐一の呼び声にも応えず、去っていった。
 後には、部屋の中で一人、茹でダコになった祐一だけが残された。
 頬を押さえる。そこにはまだ、真琴の唇の感触が、残っているような気がした。

「あーもう、まったくっ。あの女狐めーっ」

 半ばやけくそ気味に叫び、ベッドに横たわってごろごろと転がりまくる。恥ずかしくて仕方ない。顔がにニヤけるのが止められない。本当に、まったく。
 絶対に、今日は眠れない。

 扉の向こう側では、真琴がためらいがちに、自分の唇を押えていた。
 自分で自分の行動に少し驚いている。ただ、ちょっと祐一の顔が見たくなっただけなのに。唇にまだ、祐一のほっぺたの感触が残っているような気がする。それを思うと無茶苦茶恥ずかしくなる。なんであんなことしたんだろう、とも思う。
 でもまあ、仕方ないのかもしれない。

 キスのベクトルは、唐突に急速に、好きな人に向かって発生するものなのだから。

『おわり』