時は昼休み。
屋上前のその場所で、いつもの三人こと相沢祐一、川澄舞、倉田佐祐理はいつものごとく昼食を食らっていた。
さてそれはこの三人にとって日常風景と言ってさしつかえないものなのであるが、どうにも舞の様子がおかしい。なにやら、妙に祐一のことを意識しているように見える。
ふむ、舞の奴め、遅まきながらにこの俺のダンディズムに気付いたな、などとナノ秒ほど考えた祐一ではあるが、それはそれとして何事かと聞いてみることにした。
「なんだ舞」
「何が?」
「いや、何やら妙にこちらを意識しているようだが、なんかあったのか?」
「舞、どうしたの? もしかして、遅まきながらに祐一さんのダンディズムに気付いたの?」
「違う。それ」
と、舞は祐一の横の床辺りを指差す。
そこにあるのは一本の缶ジュース。350ミリリットル入りで色は赤い。
「その、赤い缶」
「赤い?」
言われて祐一はその缶を見る。佐祐理も、その視線に続く。
「ああ、ほんとだ。こりゃ赤い」
「はい。赤いですね」
「赤さはこの際どうでもいい。それ、なに?」
「なんだと? なに、と聞かれても、ただのコーラだが」
「コーラ」
祐一の返答に対し、舞はオウム返しに呟く。
そんな舞の反応を見て、祐一は思う。おいおいちょっと待って下さいよ川澄さん。この現代社会に17年から18年生きておいて、コーラの一つも知らぬとは一体どうしたことですか。
そんな疑問を持つ祐一であるが、しかし現に舞は興味深そうにコーラを見ている。む、マジなのか。
「舞はお茶とかのほうが好きだもんね」
「うん」
「なるほど。まあ、それならそういうこともあるかもな」
佐祐理の言葉に舞はうなづく。祐一はいまいち腑に落ちないようだが、まあ追求しても仕方ないので放っておくことにした。
それはいいのだが、舞の方はどうもコーラを気にしているらしい。
祐一としては、買ったのは自分なのだから飲んでしまってもいいのだが、こう見つめられているとどうも落ち着かない。
「舞、飲んでみるか?」
「いいの?」
「まー、所詮学校の自動販売機で110円の物件だからな。別にどうということは無い」
「……うん。ありがとう」
祐一が手渡すと、舞は素直に礼を言い、プルトップを開けてその中を覗きこむ。その瞳には揺れる琥珀色が写っていることだろう。缶を手に握ったまま、舞は数秒そうして見つめていたが、やがてそっと唇を近づけて一口含み、のどをこくんと鳴らして一口飲んで、そしてなんだか嫌そうな顔をした。
「……」
「舞、どうした?」
「舞、大丈夫?」
「……なんていうか……からい」
「からい、か」
まあ、炭酸に馴れていない者なら、そう形容するかもしれない。
それを見て、しゅわしゅわするぞとでも警告しておけばよかったかなあ、と思う祐一であるが、それはそれとして、別に思うことがあった。
――予断ではあるが、この祐一という少年は居候の身で、彼が住まわせてもらっている家には彼以外にもう一人居候がいるのだが、こいつが好奇心が旺盛な上に迂闊であり、見知らぬものがあるとすぐに興味を示し、あれはなんだこれはなんだと問うてくる。そんな様を見ていると、祐一としては悪意も敵意も何も無いのだが、しかしそれでも思ってしまうのだ。心の中の何がよくないものがささやくのだ。「騙してやれ」と。
断っておくが、この祐一少年、けして悪人と言うわけではない。
むしろ、身近に困った人がいれば、なんだかんだ言いながらも積極的に力になろうとする男である。
ただ、なんというか。
少しだけ、悪戯が好きなのである。
というわけで。
「そうか。たしかに炭酸が満たされた状態では初心者には辛いかもしれない。なら、そうだな。飲み口の所を指で押さえて、思いっきり振ってみるといいぞ」
「振ればいいの?」
「ああ、そうすれば炭酸が抜けて、まあからくは無くなる。しかも炭酸抜きコーラはエネルギー効率が大変よいらしい。まさにいたれりつくせりだ」
「わかった。やってみる」
「え?」
祐一の提案に対し、舞は素直に従おうとする。
そのやりとりを聞いて、ちょっと引っかかるものがあった佐祐理は口を挟もうとするが、その暇もなく舞は言われた通りに缶の頭を指で押さえ、それが親の敵であるかのように激しく振り、それを終えると一仕事終えた後の満足げな顔になり、佐祐理が「あやー」という表情をし、祐一は慌てて安全圏まで離脱して。
舞が指を離した。
屋上前に、琥珀色の小さな噴水が出現した。
判りやすく言うと、舞の持つ缶から、コーラが弾けるように飛び散った。
祐一は逃げていたから無事だった。佐祐理さんはあははーだから無事だった。そして、無事じゃないのが一人、いた。
ぽたり、と、舞の髪から茶色いしずくが滴った。
前髪が垂れ、両目が隠れて表情がよく判らないまま、舞はどこからか取りだした剣を取り出し、そして、
――その後のことを、祐一はよく覚えていない。
ただ、偶然その光景を垣間見たクラスメイトの北川と言う男によると、「よく判らんがやたらげらげら笑いつつ逃げまくっている相沢と、それを危機迫った顔で追いかけている3年生の女子を見た。ちなみに胸がでかかった」とのことである。
なお、北川は呆れたような顔をしつつも、最後に一つだけ、「でもまあ、楽しそうだったな」と、追加したと言う。
end