今日は日曜日。
部活から帰ってきて、靴を脱ぎながら、お母さんに、
「ただいま〜」
「おかえりなさい名雪」
とあいさつ。
今日の部活は午前中だけだったから、午後はまるまる自由になる。
どうしようかな。
ずっとお昼寝してるっていうのも魅力的だけど、なにかお買い物に行くのもいいし、祐一や真琴と遊ぶのもいいかも。
なんて考えていると。
「あ、そうだ。名雪、そろそろ真琴を起こして欲しいんだけど」
「え? 真琴、まだ眠ってるの?」
あの子は、わたしと違って、寝起きの悪い子じゃないと思ったんだけど。
「ええ。それが、昨日の夜、祐一さんと遅くまで賭けバックギャモンをやってたみたいで」
「そうなんだ。わたしもやりたかったな」
「でも、名雪はそのころもう眠っちゃってたでしょ」
「あ、うん。そうだけど」
うー。
いいなあ。二人とも。
きっと、わたしが眠っている間に、楽しんでたんだろうなあ。
今度がんばって起きていて、一緒に遊ばせてもらおうかな。
でも、眠いし。
うー。
「名雪? どうしたの?」
「え? ああ、なんでもないよー。うん、真琴起こしてくるね」
「ええ。お願いね」
「あ、そういえば祐一は?」
「祐一さんなら、賭けに負けた代償として地下帝国に送りこまれているはずだけど」
「ふーん。祐一も大変だね」
それはそれとして、今は真琴を起こしに行かなきゃ。
階段を昇って二階へ行き、真琴の部屋の前に行く。
ドアをとんとんとノックしようとして、ふと、
「なんだか、誰かを起こすのって久しぶりな気がするよ」
って呟いてみたり。
わたしがお寝坊さんだから、そんなことになるんだけど。
そんなことを考えたら、なんだか緊張してきちゃった。
うーん。うまく起こせるかな?
ドアの前で少し戸惑ったけど、長く考えていても仕方ないから、わたしは改めてドアを叩いて、
「真琴ー。もうお昼だよー。そろそろ起きなよー」
ってドアの向こうの真琴に言ってみた。
そして、ちょっと待ってみたけど、真琴が起きた気配はない。
しかたないから、ノブを掴んでドアを開き、
「真琴ー入るよー」
小声で言いながら中へと入る。
部屋の中を見て、まず一言。
「わ、また漫画が増えてる」
真琴の漫画好きは知ってるけど、これはさすがに買いすぎなんじゃないかなあ、って思う。
今はまだいいけど、このまま増えていったら、漫画で床が見えなくなっちゃうだろうし。
うん。今度ちゃんと片付けるように言わないとね。
でもこの漫画面白そう。ちょっと読んでみようかな。
あ。
じゃなくって。
「真琴ー。そうだよ、真琴を起こしに来たんだよ」
ついわき道にそれちゃいそうになったけど、気を取り直して、改めて真琴を探す。
探すって言っても、そんなに広い部屋じゃないから、すぐに真琴は見つかった。
見つかった、けど。
「……わぁー」
そこにいる真琴は、お布団の上で寝転がっていて、けろぴーがたくさんのいつものパジャマを着ていて、その顔は無防備そのもので、口からはすーすーという小さな寝息が聞こえてきて、胸の近くできゅって結んだ手がちっちゃくて、そんでもってその側にはぴろも一緒に眠ってたりして。
もう、その様は、なんていったらいいか。
「……かわいいよぉ〜」
思わず、言葉がこぼれる。
体が勝手に動いて、真琴のほうへと近づいていく。
うー、あのちっちゃな手を握ってみたりぷにぷにしたほっぺにすりすりしてみたりゆるやかな曲線を描く肩をぎゅっと抱きしめてみたり細い腰に手を回してみたりその他なんていうか色んなことをしてみたいよぉっ。
……なんて風に思いながら、ふと気付くとわたしは眠っている真琴の上に馬乗り体勢、いわゆるマウントポジションになっていた。
いけないいけない。ついふらふらとこんな状況に陥っちゃったけど、よく考えなくても今のわたしはとっても怪しい。
いつのまにか真琴の服にかかっていた手を離して、真琴とぴろの様子を見る。
どうやら、ふたりとも目を覚ます気配はなくて、ちょっと安心。
でも、いつまでもこうしてたらさすがに気付かれちゃうだろうから、早く離れないといけない。
でもでも、こうして間近で見る真琴は、真琴は……って、あれ。
真琴を見ていたわたしは、真琴のパジャマのボタンが一段ずつかけ間違っていることに気付いた。
「ふふ、真琴ったら、おっちょこちょいなんだから」
小さく呟いて、ボタンをかけなおそうとする。
そこまでは、自分でも何気ない動作だったと思う。
だけど、途中でぴた、とわたしの手が止まった。
ボタンをかけ直すということは、つまり、真琴の胸元がちょっと見えちゃうわけで。
もちろん、わたしも同じ女の子なわけだけど……でも、やっぱりどきどきしちゃったりして。
うー。
うーうー。
うーうーうー。
……やっぱり、まずいかなあ?
いかに同じ女の子とは言え、眠っている人の胸元を見たりなんかしたら、やっぱりそれは犯罪だしいけないことだ。
あー、でもでも、わたしと真琴はひとつ屋根の下で暮らす同居人だしわたしにとっては妹みたいなものだしそれに純粋に綺麗なものを見たいと思うのは人としてあるべき姿だと思うし! てゆうか服の隙間からのぞく真琴の肌ってとっても白いし!
そんな風にして、ありったけの自己弁護を胸に、わたしは真琴の服にかかった指に力をこめる。自分の心臓がばくばく言っているのが聞こえる。顔は多分赤くて、わたしにしては珍しいくらいやる気になってるだろう。
そう、ちょっとだけ、ちょっとだけならっ!
決まった。ついに覚悟が決まった。
つばをごくりと飲みこみ、手を一回握って力を込め、脇を閉め腰を落とし、内側からえぐるように真琴の服をこうはだけようとっ。
した。
そのとき、だった。
「いやーまいったぜーギャンブルのカタで送りこまれた地下でまたギャンブルに出くわすとはなーしかしとっさの機転で逆転しかるに脱出するに至ったわたくし相沢祐一です。ということでリターンマッチだぜ真琴ーっと、あれそこに見えるは名雪さん一体何をなされているのですか?」
祐一が、変な事を口走りながら、部屋に入ってきた。
事情はよくわからないけど、帰ってきたらしい。
そして、わたしと、真琴は。
「……名雪」
「……祐一」
見詰め合う二人。
かすかに恋の予感がしたけれど、それが芽生えるよりもなお早く。
「あ、いや、その、なんというか、取り込み中だったみたいだな。すまん」
「え?」
祐一はわざとらしく咳き払いなんてしている。
ふと、わたしは自分の状況に気付く。
部屋にはわたしがいて。
そのわたしの下には、真琴がいて。
つまり、わたしは真琴の上に乗っていて。
あまつさえ、わたしの手は、ちょっとはだけた真琴の服にかかっていたりして。
……えーと。
この状況を熟語にすると『言い訳不能』?
「わわっ、祐一、なんか勘違いしてないっ?」
「いや、そんなことはないぞ。確かに、同じ屋根の下で暮らしておきながらお前らがそんな関係になっていることに気付かなかったのは、さすがに鈍感だったとは思うが」
「なんか話があらぬ方向に流れてるよー。違うんだよ、わたしはただ真琴の服の乱れを……」
と、わたしが説明しようとしたところで、下のほうで「ううん」という声が聞こえた。
見ると、真琴が薄目を開けている。
確かに、近くでこれだけ大声を出されたら目も覚ますだろう。
「お、真琴も起きたな。これはますますもって俺は出ていかないとな」
「だから違うんだってばー」
「あうー、なんかうるさぁい」
出ていこうとする祐一、弁明を続けるわたし、そして眠そうな声をあげる真琴。
三者間の緊張は今まさに頂点へと達そうとしていた。おもにわたしが。
そして、その均衡を崩したのは……。
「あうーっ、なんなのよぅ……あうあう」
という、真琴の寝ぼけ声だった。
状況がわかっていないらしく、手をあらぬ方向に伸ばしている。
例えるなら、眼鏡をなくした眼鏡っ子さんが眼鏡を探しているときのそれに近い。
と、その伸ばした手が。
ぽよん、と。
わたしの胸に触れた。
妙な沈黙が流れる。
「……」
「……」
「……あう?」
「……えーっと」
「……にくまん?」
「え?」
「わー、にくまんだぁーっ」
「ちょ、ちょっと真琴っ、それは、にくまんじゃっ、って、あっ、ダメだよっそんなっ、歯立てたりしたらっ」
「おやおや。真昼間からお熱いですなこれだから若い人は」
「ゆーいちっ、そんなおばさんくさいこと言ってないで、助けてっ」
「なにを言うんだ。おばさんくささで言えば俺なんか足元にも及ばない人材がすでにいるぞ」
「そんなことはいいからーっ。ひゃっ」
「にくまーん」
「はっはっは。ではさらば」
「あんっ、待ってー」
わたしの必死の制止にもかかわらず、祐一は部屋から出ていった。
あとに残されるのは、わたしと真琴だけ。
「わーん、ゆーいちー助けてよー」
そんなわたしの声も虚しく。
「にくまーん♪」
そんな真琴の声は楽しそうで。
それで。
それから先のことは、わたしの口からは、言うのがはばかられるようなことで。
ただ、ひとつだけ、言うとするなら。
……真琴って、すごいんだよ。
『Aluren/終』