カレーは辛い。
 私は、辛いものが苦手だ。
 ゆえに、私は、カレーが苦手だ。
 しかし、自分の苦手なものを、苦手なままにしておく事は、万難地天たる私の誇りにかかわる。
 そういう訳で、私はここへ来た。
 町内で最も辛いカレーを出す、「5番町カレー店」
 この店でも、最も辛い「赤赤赤、6/1トランプル」カレーを食べきる事ができれば、私はカレーを制する事ができるだろう。
 ガラガラ、と少々立て付けの悪いドアを開ける。
 一歩踏み入ると、とたんに,、えもいわれぬスパイスの匂いが漂った。
 その熱気ゆえ、店内は心なしか陽炎が見えるような気さえする。
 壁に飾っているのは、過去の英雄を称える写真だ。
 「赤、ゴブリンサクって5ダメ」カレーを食べきった佐藤さん(27)の偉業は、今でも語り種になっている。
 その後、佐藤さんの姿を見たものはいないが、そんな事は関係ない。
 私は、最早常連と化したその店の、ほぼ指定席となった席に向かう。
 黙って座り、店の親父さんに目配せする。

「…あんたかい。「1赤、1枚捨てて4ダメ」は、この間クリアしたんだったな」

 私は、ただうなずく。

「…だが、「赤赤赤、6/1トランプル」は危険だ。
 暗黒の時代(ザ・ダーク)より伝わるあのカレーは、封印された「赤、3ダメ」や「山2個サクって4ダメ」と比べても遜色が無い。現在に伝わっているのが不思議なぐらいだ」

 分かっている。そんな事は、百も承知だ。
 しかし、私はそれでも挑戦しなければならない。
 主に試練を課す私が、試練に負けて良いはずが無い。
 私は、覚悟を決め、親父さんにオーダーを言い渡す。
 親父さんもまた、覚悟を決めたかのように厨房へ行こうとする。
 だが、そこに横槍が入った。

「親父、「赤赤、インタラプト」だ」

 私は驚愕した。
 今のは、同じ物を頼む。という暗号だ。最早、知っているものも多くはないだろう。
 それを知っているうえで、あえて「赤赤赤、6/1トランプル」を頼もうと言うのだ。
 素人の物見遊山、と言う感じではない。

「あなたは、一体?」
「俺か?」

 そいつは、店の中ですら帽子を外さないそいつは、低く呟いた。

「ただのカレー好きさ」

 しかし、親父さんは冷静に答えた。

「あんた、「赤赤赤、6/1トランプル」は、「赤赤、インタラプト」の対象外だ。普通に頼みな」

 そいつは、少々照れたような顔で答えた。

「おっと、いけねえ」

 …やはり、ただの素人だろうか?

 親父さんがカレーの準備をしている間、私は、隣の奴を観察した。
 「赤赤、インタラプト」の効果を勘違いした事から、ただの素人かとも思えたが、一概にそうとも言えない。
 「赤赤赤、6/1トランプル」は、Cであるのにもかかわらず、実際にはSに近い扱いを受けている。
 Cを一切入れていない場合ですら、これだけ入れているパターンもある程だ。
 それを考えれば、こいつの間違いは、体に染み付いた形式に、少し引きずられただけ、と取る事もできる。
 まあ良い。今は、自分の分を食べきる事に集中しよう。

 カレーが届いた。
 これはカレーだ。ただの食物のはずだ。
 しかし、このカレーは、すでにカレーの持ちうる雰囲気を超え、もはや物理的なプレッシャーとなって私に迫ってくる。
 正直、これほどまでとは思っていなかった。
 しかし、ここで怖じ気づく訳には行かない。勝負は既に始まっているのだ。
 私は、ちら、と隣を見る。
 隣の奴もまた、カレーからのプレッシャーを受けているようだった。
 しかし、その表情には恐れはない。いや、むしろ微笑んでいるようにすら見える。
 その顔に私は、背筋がゾクリとするものを感じた。
 ただ者ではない。
 私は、スプーンをカレーに近づけ、慎重に、ご飯と一緒にすくう。
 この配分が微妙だ。少なすぎれば、ご飯による辛さの減少効果を受ける事ができず、かといって多すぎれば、終盤、ご飯切れと言う、最悪の結果を迎えてしまう。
 隣の奴も、その事は承知しているだろうか?
 と、私は、隣を見て、驚いた。
 奴は、ほぼ無造作にスプーンを突き刺し、すくっている。
 あまりにも無謀に見えた。しかし、この店に通いつめた私には、一見無造作に見えるその配分が、実は絶妙に考え抜かれたものだと言う事が分かった。
 ただ者ではない。もしかしたら、「赤赤赤、6/1トランプル」に挑戦したのも、始めてではないのかもしれない。
 負けてはいられない。わたしも早くせねば。
 ゴゴゴゴゴ、と言う擬音をバックに背負いつつ、カレーを1口、運ぶ。
 途端。
 口の中に、燃えつくような味が広がった。
 いや、それは的確ではない。これは辛さだ。純粋な辛さの結晶だ。それ以外のどの表現も適切ではあるまい。
 そんな純粋辛味のファンタズムを味わいながら…
 …すまない、ちょっと休ませてくれ。

 少し回復した。
 しばし脳機能が停止していたようだ。いや比喩表現だ。本当に止まったら死ぬ。
 辛いは辛い。しかし、ただ辛いだけではない。辛さの中に、とてつもなく深い味わいがある。
 もし、辛さに負けて水をふくんだりすれば、この味を味わえなかっただろう。
 いうなれば、研ぎ澄まされた日本刀。殺傷力を追求した結果に生まれた美。
 もしくは、ジェットコースターに乗ったときの、恐怖に裏付けされた爽快感。
 しかし、それはあまりに危険であった。

 2口目、そして3口目を口に運ぶ。
 その度に、大量の汗が噴出する。
 顔から汗が滴り落ちそうになり、慌てて顔を引っ込める。

「おい、あんまり無理をするもんじゃないぜ」

 横の奴がそんな事を言ってくる。
 奴も私と同じ物を食べているはず、しかし、その顔には余裕すらある。
 いや、違う。
 余裕などはない。奴の額に流れる汗がそれを物語っている。
 しかし、それに耐えている。鉄の意志で、耐えているのだ。
 やはり、ただ者ではない。
 私も負けてはいられない。
 私は、さらにカレーをすくおうとし…
 と、その手が掴まれた。食べようとするのを止められたのだ。
 その手の先を見ると…やはり奴だ。

「いった、い。なんお、つもいだ」
「おいおい、呂律が回ってねえぜ。あんたにはそれ以上は無理だ。あきらめな」

 そんな事を言われて、引っ込むわけには行かない。

「ほ、おって、おいえくれ。これ、は、わたひのもんらいだ」

 口が上手く回らない。私は一息つき、まくしたてた。

「私は、こんな所で負けるわけには行かない。私は、最後までやり遂げてみせる。
 もてるだけの勇気で、この恐怖に立ち向かなければならないのだ」

「違うな」
「何?」

 奴は、ゆっくりと言った。

「あんたのは勇気じゃない。勇気とは、恐怖を知る事、そして、それに立ち向かう事だ。
 あんたは、ただ無闇にぶつかっているだけだ。それにな」

「それに?」
「カレーは立ち向かうものじゃない…食うものさ!」

 その言葉に、私は衝撃を受けた。そして、静かにスプーンを置く。

「親父さん…すまない。私はここまでだ」

 親父は、黙って首を振り、

「いや、あんたはよくやったよ。初めてで3口目までいくなんてな。先が恐ろしいぜ」

 外に出ると、すでに辺りは暗くなっている。
 空を見る。星が奇麗だ。
 隣の奴…最後まで、顔を見る事はかなわなかった…は、ついに「赤赤赤、6/1トランプル」を食べきり、私より先に帰っていった。
 私は…情けない話だが、気を失っていたようだ。
 とぼとぼと、帰路につく。
 すると、後ろから声がかかった。

「よお。しけた顔してんじゃねーか」

 私は振り向く、そこにいるのは、長い髪の女性。

「?あなたは」
「おいおい冷たいなあ、同じ戦場を駆け抜けた仲じゃないか」

 この、ふざけた口調は、もしや。

「隣にいた、あんたか?」
「ああ、そう言えば、名も名乗っていなかったけな。
 まあ、関係ないか。名前なんて、俺達には必要無いもんな」

 少し言葉を失った。よもや女性とは思っていなかった。

「そうだな。それにしても、どこへ行くのだ?それは、旅支度だろう?」
「俺は、そもそも根無し草だからな。ここのところ、あの店のカレーに苦戦していたが、それも終わった。
 そうしたら、次のカレーを求めてぶらつくだけさ」
「そうか…残念だな」
「そうでもないさ」
「なに?」
「俺は、あの店に通う間、ずっとあんたを見ていた。あんたは、自分の事に必死で、気付きもしなかったようだがな。
 最初の内は、たいしたこと無いと思っていたがな、途中から、あんたの上達ぶりに目を見張ったよ。
 あんたなら、良い「カレー食い」になれるぜ」
 私は、その言葉に、少し罪悪感を覚えた。

「いや、私は別に…」
「ああ、分かっている。あんたは別に、「カレー食い」を目指しているわけじゃないんだろ?
 食っているときですら、あんたの目は常にその向こう側に向いていた。
 カレーは、あんたにとっては通過点でしかないわけだ」
「いや、そんな事は」
「いいのさ。あんたは、あんたが目指す道を進むべきだ。
 だが俺としては、そんな通過点に命を懸けている奴がいた事を、心の片隅にでも置いてくれれば嬉しいね」

 私は確信した。この人は強い。
 自らに試練を課し、それに打ち勝てる人だ。
 彼女は、自分の腕をちらりと見て、

「…そろそろ時間だ。お別れだな」

 そういって、右手を出してきた。
 私は、黙ってその手を掴む。

「さらばだ…いつか、また会おう」
「ああ、その時は、俺がカレーをおごってやるぜ」
 

End

ああもう、なにがなんだか。


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