「…あんたかい。「1赤、1枚捨てて4ダメ」は、この間クリアしたんだったな」
私は、ただうなずく。
「…だが、「赤赤赤、6/1トランプル」は危険だ。
暗黒の時代(ザ・ダーク)より伝わるあのカレーは、封印された「赤、3ダメ」や「山2個サクって4ダメ」と比べても遜色が無い。現在に伝わっているのが不思議なぐらいだ」
分かっている。そんな事は、百も承知だ。
しかし、私はそれでも挑戦しなければならない。
主に試練を課す私が、試練に負けて良いはずが無い。
私は、覚悟を決め、親父さんにオーダーを言い渡す。
親父さんもまた、覚悟を決めたかのように厨房へ行こうとする。
だが、そこに横槍が入った。
「親父、「赤赤、インタラプト」だ」
私は驚愕した。
今のは、同じ物を頼む。という暗号だ。最早、知っているものも多くはないだろう。
それを知っているうえで、あえて「赤赤赤、6/1トランプル」を頼もうと言うのだ。
素人の物見遊山、と言う感じではない。
「あなたは、一体?」
「俺か?」
そいつは、店の中ですら帽子を外さないそいつは、低く呟いた。
「ただのカレー好きさ」
しかし、親父さんは冷静に答えた。
「あんた、「赤赤赤、6/1トランプル」は、「赤赤、インタラプト」の対象外だ。普通に頼みな」
そいつは、少々照れたような顔で答えた。
「おっと、いけねえ」
…やはり、ただの素人だろうか?
親父さんがカレーの準備をしている間、私は、隣の奴を観察した。
「赤赤、インタラプト」の効果を勘違いした事から、ただの素人かとも思えたが、一概にそうとも言えない。
「赤赤赤、6/1トランプル」は、Cであるのにもかかわらず、実際にはSに近い扱いを受けている。
Cを一切入れていない場合ですら、これだけ入れているパターンもある程だ。
それを考えれば、こいつの間違いは、体に染み付いた形式に、少し引きずられただけ、と取る事もできる。
まあ良い。今は、自分の分を食べきる事に集中しよう。
カレーが届いた。
これはカレーだ。ただの食物のはずだ。
しかし、このカレーは、すでにカレーの持ちうる雰囲気を超え、もはや物理的なプレッシャーとなって私に迫ってくる。
正直、これほどまでとは思っていなかった。
しかし、ここで怖じ気づく訳には行かない。勝負は既に始まっているのだ。
私は、ちら、と隣を見る。
隣の奴もまた、カレーからのプレッシャーを受けているようだった。
しかし、その表情には恐れはない。いや、むしろ微笑んでいるようにすら見える。
その顔に私は、背筋がゾクリとするものを感じた。
ただ者ではない。
私は、スプーンをカレーに近づけ、慎重に、ご飯と一緒にすくう。
この配分が微妙だ。少なすぎれば、ご飯による辛さの減少効果を受ける事ができず、かといって多すぎれば、終盤、ご飯切れと言う、最悪の結果を迎えてしまう。
隣の奴も、その事は承知しているだろうか?
と、私は、隣を見て、驚いた。
奴は、ほぼ無造作にスプーンを突き刺し、すくっている。
あまりにも無謀に見えた。しかし、この店に通いつめた私には、一見無造作に見えるその配分が、実は絶妙に考え抜かれたものだと言う事が分かった。
ただ者ではない。もしかしたら、「赤赤赤、6/1トランプル」に挑戦したのも、始めてではないのかもしれない。
負けてはいられない。わたしも早くせねば。
ゴゴゴゴゴ、と言う擬音をバックに背負いつつ、カレーを1口、運ぶ。
途端。
口の中に、燃えつくような味が広がった。
いや、それは的確ではない。これは辛さだ。純粋な辛さの結晶だ。それ以外のどの表現も適切ではあるまい。
そんな純粋辛味のファンタズムを味わいながら…
…すまない、ちょっと休ませてくれ。
少し回復した。
しばし脳機能が停止していたようだ。いや比喩表現だ。本当に止まったら死ぬ。
辛いは辛い。しかし、ただ辛いだけではない。辛さの中に、とてつもなく深い味わいがある。
もし、辛さに負けて水をふくんだりすれば、この味を味わえなかっただろう。
いうなれば、研ぎ澄まされた日本刀。殺傷力を追求した結果に生まれた美。
もしくは、ジェットコースターに乗ったときの、恐怖に裏付けされた爽快感。
しかし、それはあまりに危険であった。
2口目、そして3口目を口に運ぶ。
その度に、大量の汗が噴出する。
顔から汗が滴り落ちそうになり、慌てて顔を引っ込める。
「おい、あんまり無理をするもんじゃないぜ」
横の奴がそんな事を言ってくる。
奴も私と同じ物を食べているはず、しかし、その顔には余裕すらある。
いや、違う。
余裕などはない。奴の額に流れる汗がそれを物語っている。
しかし、それに耐えている。鉄の意志で、耐えているのだ。
やはり、ただ者ではない。
私も負けてはいられない。
私は、さらにカレーをすくおうとし…
と、その手が掴まれた。食べようとするのを止められたのだ。
その手の先を見ると…やはり奴だ。
「いった、い。なんお、つもいだ」
「おいおい、呂律が回ってねえぜ。あんたにはそれ以上は無理だ。あきらめな」
そんな事を言われて、引っ込むわけには行かない。
「ほ、おって、おいえくれ。これ、は、わたひのもんらいだ」
口が上手く回らない。私は一息つき、まくしたてた。
「私は、こんな所で負けるわけには行かない。私は、最後までやり遂げてみせる。
もてるだけの勇気で、この恐怖に立ち向かなければならないのだ」
「違うな」
「何?」
奴は、ゆっくりと言った。
「あんたのは勇気じゃない。勇気とは、恐怖を知る事、そして、それに立ち向かう事だ。
あんたは、ただ無闇にぶつかっているだけだ。それにな」
「それに?」
「カレーは立ち向かうものじゃない…食うものさ!」
その言葉に、私は衝撃を受けた。そして、静かにスプーンを置く。
「親父さん…すまない。私はここまでだ」
親父は、黙って首を振り、
「いや、あんたはよくやったよ。初めてで3口目までいくなんてな。先が恐ろしいぜ」
外に出ると、すでに辺りは暗くなっている。
空を見る。星が奇麗だ。
隣の奴…最後まで、顔を見る事はかなわなかった…は、ついに「赤赤赤、6/1トランプル」を食べきり、私より先に帰っていった。
私は…情けない話だが、気を失っていたようだ。
とぼとぼと、帰路につく。
すると、後ろから声がかかった。
「よお。しけた顔してんじゃねーか」
私は振り向く、そこにいるのは、長い髪の女性。
「?あなたは」
「おいおい冷たいなあ、同じ戦場を駆け抜けた仲じゃないか」
この、ふざけた口調は、もしや。
「隣にいた、あんたか?」
「ああ、そう言えば、名も名乗っていなかったけな。
まあ、関係ないか。名前なんて、俺達には必要無いもんな」
少し言葉を失った。よもや女性とは思っていなかった。
「そうだな。それにしても、どこへ行くのだ?それは、旅支度だろう?」
「俺は、そもそも根無し草だからな。ここのところ、あの店のカレーに苦戦していたが、それも終わった。
そうしたら、次のカレーを求めてぶらつくだけさ」
「そうか…残念だな」
「そうでもないさ」
「なに?」
「俺は、あの店に通う間、ずっとあんたを見ていた。あんたは、自分の事に必死で、気付きもしなかったようだがな。
最初の内は、たいしたこと無いと思っていたがな、途中から、あんたの上達ぶりに目を見張ったよ。
あんたなら、良い「カレー食い」になれるぜ」
私は、その言葉に、少し罪悪感を覚えた。
「いや、私は別に…」
「ああ、分かっている。あんたは別に、「カレー食い」を目指しているわけじゃないんだろ?
食っているときですら、あんたの目は常にその向こう側に向いていた。
カレーは、あんたにとっては通過点でしかないわけだ」
「いや、そんな事は」
「いいのさ。あんたは、あんたが目指す道を進むべきだ。
だが俺としては、そんな通過点に命を懸けている奴がいた事を、心の片隅にでも置いてくれれば嬉しいね」
私は確信した。この人は強い。
自らに試練を課し、それに打ち勝てる人だ。
彼女は、自分の腕をちらりと見て、
「…そろそろ時間だ。お別れだな」
そういって、右手を出してきた。
私は、黙ってその手を掴む。
「さらばだ…いつか、また会おう」
「ああ、その時は、俺がカレーをおごってやるぜ」
End
ああもう、なにがなんだか。